濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

明朝シュガーマーガリンスナックという大発明品を無言で差し出してきた妹の保恵はそのまま食卓の定位置に着座。

「なにーな」

あたしの問いにも無言。

「仲直りのアレかいな」

まだ無言。

「仲直りの、あの、印かいな」

これでも無言。

「仲直りの、ほんならアレかいな。ホップステップのホップ部分かいな」

「うるさい」

妹保恵、ようやく放った言葉は、うるさい。まことに正しい発言だ。正しすぎるがゆえに、自分でおもしろくなってしまったのか、顔をなんもない壁のほうにやって、こちらに表情を見せないようにしている。

肩は揺れているが。

ったく、ややこしい女だ。十五歳の。

しかし献上品がシュガーマーガリンスナックとは、保恵も心得ておる。姉妹で大好物なのだ。ちゃっかり自分の分まで用意しているところも可愛らしい。このこのー、保恵ちゃんこのー。

しかしながら、あたしのチチという言葉のチョイスに端を発する議論だったわけだし、この十五歳女だけにシュガーマーガリンスナック代を持たせるのはなんだか申し訳ない。

しゃーない。せっかくの土曜日。ここは天王寺あたりまで出て、なんか買うてきちゃろう。

姉妹で好きなもの、あーん、なんかあるかね。食べものならー、酒盗? もずく? ぼんち揚げ? しっくりけえへん。せやったらー、ザ・なんやねんどないやねんズのCDとか? 高価でね? しかもヤる前に自分のがほしいわい。ならヴァー、あー、コメ? お米? お米かな。

いやいや、お米かなて。年貢納めてどうする。しかもコメも高いし。家にまだあるし。や、高いとか年貢とかあるとかそういう問題ではなく。コメはないっしょ。コメはない。ふたりで愛してるからってコメはない。

「保恵てぃん」

「へえアネさん」

「あたしも頓着のない言葉遣いで悪かったよのお、こいつはお返しじゃ」

「お米でねえすか」

「そうよ保恵てぃん。ヒノヒカリよ、府大で育てた」

「かっはー、ヒノヒカリでございまするか。さすがアネさん、わかってらっしゃる」

「ほれ泣くな泣くな。無洗米でないゆえ、しっかり研いで炊くのじゃぞ」

「はっ、ははー」

めでたしめでたし。

なるかい。めでたくねえし。なんやこの三文芝居。おい、保恵。お前なにがほしいんじゃ。保恵ー。

「ポップキャンディ」

「へ?」

保恵はシュガーマーガリンスナック(往年の名作)を上下の前歯で千切りながら言った。正確に記すなら、ポップキャンディではなく、ほっふひゃんひい、と言ったのだが、それは紛れもなくポップキャンディのことで、あたしの、へ? という反応は、聞き取れなかったことを理由に零れた疑問符ではなく、なんで今ポップキャンディと言ったのかわかりまちぇん、という戸惑いに依拠した声帯の震えにより成された音であった長ったらしい申し訳ない。

「もう十年舐めとらん」

むしゃむしゃさせながら言うな。お前も女やろが。

 

ペコちゃんこと、ポップキャンディで保恵嬢を見舞うため、グルメシティのお菓子売り場を覗く。内心、安上がりに済みそうでなりよりふぅ。エージーエフっぽくふぅ。

そういや我が家ではポップキャンディのこともペロペロキャンディって呼んどったなー。広義ではペロペロキャンディなんやろうけど、よそでポップキャンディってゆっとったから、あたしもあれのことペロペロキャンディって呼ばんくなったんよねー。

て、さ。保恵も我が家の人すやん。

ちゅうことはよ、ヤツもどっかで切り替えたわけや。あ、これペロペロキャンディって呼ばんのね、って。あたしとおんなじように。

うーん、なんか上手い感じで教訓めいたこと言えそうやけど、頑張っても全然出てこんから、みんなで適当に答え出して。よろすく。

ポップキャンディを箱から鷲掴み。の、のち、やびっ、これじゃあ堺の少年少女がナイナイナイよと泣き叫ぶ、と三つだけ残して、あとのは戻す。そこですぐにでもレジスターに向かえるあたしなら、七歳を自称しても偽りなかったでしょうけど、そんな勇気ありますかい。ペコちゃんのイラスト三つでお会計できますかい。ちゅうことで、牛乳と冷凍枝豆とキムチとちくわを手にする。なんとなくよ、なんとなく。

お母さんくらいの年齢の元気なおばちゃんのレジへ。購入品目がセブンティーンのそれと合致してないようにも思えるが、おばちゃんは気にも留めない。百四十八円がいってーん。実にリズミカル。

いってーん、いってーん、ロバート・イッテーン、とあたしが楽しくなっていたのも束の間、代金支払い、釣銭返却、セルフサービス一丁上がり! 鼻歌こしらえて帰ろうとしたそのとき。

目についた。なにがって、人が。西辻太子が。

太子は私服だった。もちろんそれで合格やけど、その私服がやけに私服で、なんか目立って見えた。ジョッキーみたいなセーターにチノパン。普通の男子だった。

普通の男子が、でも普通っぽくなかったのは、表情とか出で立ちとか、なんか、あたしの知ってる西辻じゃないっていうか、でもそれはどう見ても西辻で、でもなんか西辻っぽくない雰囲気があって、あのー、普通の西辻は普通に好青年じゃないっすか、一見。でもこの西辻は嘘っぽい好青年ってのかな、難しいけど。なんか妙なのよ。微笑み方とかが。

手、繋いでんの。未就学児と。

兄弟構成とか知らんけど、たぶん弟なんよね。

あたしが、あっ、と思って心臓止まって数秒したら、西辻とその未就学児はエレベーターのほう向かっていって、あたしの視界から消えた。エージーエフになる間もなく、つまりふぅっと一息つく前に、あたしは早足で出口に向かった。

外は、見慣れたいつもの堺だった。道行く軽自動車も堺ナンバーで、お日さんも、唯一の駅も、旧ドムドムも、全部堺だった。

でもどうにも、あたしだけ堺にいないように思える。めっちゃ感覚で、めっちゃ精神的。だからこそ、これがなんの説明にも、なんの研究材料にもならないのはわかっとんやけど、でも事実、そう感じたんだもん。街全体であたしたちの知り得ない時空の歪みが発生したわけではなくて、実際ここに存在するものは堺であって堺市民であるっていう、あまりにも現実に即した事実に対して、でもどうしてか、あたしだけは堺にいないような感覚ってのが、あまりにも気持ち悪い。歩けども歩けども、あたしの知っている堺の町並みは、あたしの感覚の内から大きく乖離されていった。

最大の謎は、なぜそう思ってしまうのか、自分でもまったくわかならないということだった。

 

「保恵てぃん」

「てぃんってなんやねん」

家に着いたら誰もおらずで、テレビなんか見てぼーっとしておったのだが、夜の八時くらいに保恵が帰って来て、おいおいおいおい、受験生がおいおい、と呼びかける。

「ええんすかねえ、受験もあるのに夜遊びなんぞ」

「遊んでたとも限りやんでじぶん。勉強しとったかわからん」

「してへんな」

「なんでわかるん」

「顔」

「ご明察」

まだあと二、三はボケれそう、とか思いながらも、黙ってペコちゃんを差し出す。瞬間、ふたりで無意味な吹き出し笑い。

「やるやん」

「姉貴、これでもカネ持っとるでな」

「三つこっきりで偉そな顔すな」

そう言って保恵、包みを破いて飴ちゃんを舐め始めた。表情に変化もなければ、とりわけ気の利いた言葉もない。あたしも倣って、ペコちゃんを手に取った。ふたりでペロペロやりながら、ただ黙った。ただ黙って、せやけどこれで童心に帰れたら、いかに人生が楽になろうか、などとひたすら悲観的な思いにもなるのだった。

 

静かな夜だった。

常ならば、ここらで一曲口ずさんどきまひょかいえ、っちゅう具合になるところも、あまりに静かなゆえ、この平穏を維持、この平穏を維持、となんか逆に躍起になっちゃうくらい、ほんに静か。図書館より静か。

これしかし、パソコンの電源を入れちゃったら、機械音がなーって思いながら、よりにもよって進めてしまった青チャートを閉じて、中指でスイッチを押す。瞬間、うえーわしの出番かえ、と老いぼれた音を発しながら、抱きかかえるのにピッタリサイズのデスクトップが起動する。

グッドバイ、平穏。

特に目的もないのにパソコンとかテレビとかつけちゃうのは、現代人っぽいよねー、あたしネアンデルタールだけどー、とパーソナル嘘を心でボヤいては、まあまあまあ、とひとり笑い。そして現代品が立ち上がるまでの少しの間、人間の寿命の内にある平穏タイムと、地球という惑星における平穏タイムが、縮尺比率で同等だったりして、と頭で計算、しよっかなーと思って、暗算じゃ無理や、と止める。

土曜日の夜ですもの。リバティですもの。

ではここで雑学を。自由の女神の本当のタイトルは、スタチューオブリバティだ! 直訳すると、自由の像! じゃあ女神ってどっから来たの!

「日本人はあの巨像を見て、これが自由です、って言われてもピンとこないんですねー。自由がなぜあの形をしてるのか、意味を考えちゃうからですねー。でもあれは自由の女神ですよー、って言われたら、ああそうなんですかーって思うでしょー。女神と言われて、ようやく頭の中で物語が描けるからですねー。女神が光を灯し、みんなを導いている。そういうイメージができるんですねー。民族性ですねー」

ヘイ、ミスタージェンキンス、解説ありがとう! でもジェンキンス、お前ほんまに誰やねん。

あたし、空想の人間って、いつも外国人。ここ何日かはジェンキンスやけど、これまでを見ても、アップダイク、ピネロープ、マルゼンスキー、アホネン、パナポーン、張明広。あたしもしか、心のどっかで外国とかに憧れてんのかなァ。東アジアの小さな街からさァ。アリアナなんたらがどうとか、ジャスティンなんたらがどうとか、ビヨンなんたらとかマーティンスコセッなんたらとか。よう知らんけど、覚えちゃってるし。勝手な畏怖か、それとも赤の他人として置き換えやすいのか。現実から逃げてるだけやったりして?

どれにしたって小寒い理由やの。潔く、五右衛門とか喜三郎とか太郎冠者とか、そういう方針にしていかんと。そういう方針にして、なにかが好転するとも思えんけど。  だってそいつらも、現代におらん、作りもんやないの。

結局全部架空の人物やないすか。架空の人間に糸結んで、へらへら遊んどるだけや。

 

「幽霊はこの世で口づけを交わす。」

 

なんにも考えなくても、放掟記にアクセスできる頭になっちゃった。特技の欄に書けるね。やった。

 

子どもの頃から、大和川を越えるのが好きじゃない。

理由は明確に言えないのだけど。

説明できないから推測だけど、

保育園で聞いた三途の川のイメージが、いつの間にか大和川に定着しちゃったのだと思う。

あの世とこの世を隔てる川。

堺と大阪を隔てる川。

大和川は、歴史の中で、大阪側から恣意的に付け替えられたのだと聞いた。

そのせいか大阪市内の人は、堺を神戸より遠い異国のように思っている。

確かに、向こうの人からすると、堺を訪れる理由なんかないだろうから。

ある種堺は大阪のあの世なのかもしれない。

堺があの世なら、

堺に暮らす私はあの世の人で。

私たちは大和川を越えるたび、

幽霊になってこの世に姿を見せるのだ。

この世で遊び、

この世で口づけし、

この世を感じ。

 

そして、あの世に帰るのだ。

 

Oct.1

 

ざっくり読み取れるのは、キリンと難波あたりにお出かけしましたー、ってことでしょうか。たぶん南海なんばで降りて、千日前をぶらぶらかな。

なんとベタな。手でも繋いでさ。

羨ましいとかはまったくない。嫉妬とか皆無で、全然興味がない。

大阪なんか、なんもない。堺と一緒や。たぶん。

あの世もこの世も一緒や。

たぶん。

ブーンとバイブ音。スマートフォンから。奈津嬢のライン。

「痴漢注意警報発令」

注意警報て。通じるけども。

「なにごと?」

すぐに返す。するとすぐに返ってくる。

「グルメシティで男の子がいたずらされたと!」

「うせやん。誰情報?」

「試合終わりに後輩ちゃんから! うちにも今グループラインきた!」

おっかねえ世の中だ。

持病の風邪が悪化しそう。

怖くて夜道も歩けない。

思い当たる節があるだけに。

気味が悪すぎて死にそうです。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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