濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

朝食時、姉妹間の会話は皆無だった。ケンカしてるつもりはないけど、なにを喋ればいいのかがわからんかった。たぶん、お互いに。

珍しくお母さんがいて、だからなのか、保恵はいつもより遅めの朝食を摂っていた。お母さんは姉妹の違和感には気づいていないようで、あたしらにとっては都合がいいような、その逆なような。まあでもそうか。この歳で、しょうもないいさかいの解決を母に委託するってのも子どもじみとる。これでえっす。これで。

世間様が見れば、お母さんはお母さんで手一杯やろうし。

あたしは常の登校と同じ時間に家を出て、旧ドムドム前で奈津と待ち合わせた。高校生活の歴史の中で、奈津があたしより先に待ち合わせ場所に現れたことはない。別にそれでよかった。

高野山なんかには目もくれず、実質的なお喋りが続いた。この場合、あたしがなんか喋ったかどうかに要点を据える人って、超ナンセンス。気の利いた合いの手なり、神妙な表情、あるいは情熱的なダンス、突然の手品、白目、などを不規則なルーティンで繰り返してるわけだから、これはお喋りすよ。実質的な。

あたしが指定カバンから鳩を無数に飛び立たせていることが、画面上、どうやら直訳的な意味合いにおいてのファンタスティックなシーンを構成したことにより、奈津は数Bのテストについての憂いをなくした模様。良きかな良きかな。

でもよ。それとは真逆の言説に、あたし当人はです。他人から見ていかにファンタスティックな光景であろうとも、真剣慎重真摯な姿勢で鳩を出しとるわけなんで、純粋に現実的な所作所業の連続なんす。これはファンタジーではなく、練習によってなし得たリアルなんす。なんでごわす。お相撲さん風に言えば。

三国ヶ丘の改札を出て、聾学校の子たちと道中がかぶったとき、

「聖奈って本とか読む?」

と、奈津。

「読まん、ねえ。あんま」

本を読まないって言うと、知性が半減しそうやから、実は嘘をつきたい話題なんやけど、ここは正直に。

「本読む人って、なんで本読むんやろなあ」

「さあ、本読みたい欲があるからちゃうん」

「本読んでなんかなるん」

「知らん」

「本は鳩出してくれへん」

鳩みたいなもんは出てくるかもしれへん。

ぽっぽっぽ。鳩ぽっぽ。豆が欲しいかアホタレが。いらんわえ。豆なんかわざわざ食わん。出されるからしゃーなし食うだけじゃい。肉食わせろ肉。牛出せ。神戸牛出せ。

「豆なんぞ、所詮植物性タンパク質。我輩が望むものは動物性なり」

くーあ、鳩のくせに生意気な。これでも喰らえ! と取り出したのは、ソビエト連邦の至宝、散弾式豆鉄砲。目が丸くなること必至の名作である。ダダダダダン。ひょーひょっひょ。鳩に限らず、奈津もだぜ。ダダダダダン。はーはは。あとでヤフオクチェックしやなナ。くっくっく。いや、むしろぽっぽっぽ。

あたしいつからこんなに頭悪なったん。死のっかなマジで。

 

「足ないさかい足袋履かなん、下駄履かんて、こんな得な嬶あるかい」

うちの学校、木曜日の五、六時間目は、総合研究課題、という科目で、自分で研究する対象を選んで、年度末にレポートを出すっちゅう、あたしらの言葉で言うところの、バリへぼい、授業である。みんな遊んどる。研究せんと、喋っとる。さすがに鳩は出しとらんけど。

出るかいな、鳩なんか。するかいな、努力なんか。

隣で真面目な子が「スカート学」っていうのやってて、そういうのも学問なん、って聞いたのが五月の頭。その子曰く、現代を発掘する学問は、考現学って言うらしい。で、スカートに着目するのもその考現学とのこと。

「コーゲン」

あたしのつぶやきに素早く、

「造語やけど」

と彼女。

「丈の長さでも調べんのん?」

「それもあるけど」

「他もあんねや」

彼女は意味深に微笑む。もちろん、意味深と捉えたのは、このあたし。

「丈の長さだけやったら、一年もたへんやん? 流行った背景とか調べても、三時間あったら足りるし、ポートフォリオにして自分でその格好して写真撮っても一学期で終わってまう。一年あるから、もうちょいやってみる」

「なにすん」

あたしのド凡人な問いかけに、しかし彼女はいまだ微笑みをもつ。

「結局は制服やんか、スカートって。だから丈が動くんよね。主張性に則ってるように見えて、実は協調性の象徴やったりさ。もしな、あっこの子ォがいきなしピチピチで学校着たら、なんなん? って思うやん? 昨日までとちゃうやん、って。男できたん? とか。ま、聖ちゃんは思わんかもしれんけど」

あっこの子ォと言われた子は、前歯にオリジナリティのある細身の女の子。明るい子ではある。男子からの人気はたぶんない。

「こういうのんの宿命かもわからんけど、最後はスカート関係なくなるわ」

今度は彼女、大いに笑って、たぶん、と付け加えた。

なにげにおもしろそう、とか思ったり。以降ちょっと応援してる。

そんなあたしは落語。めっちゃ好きかって言われたら、んー、はい、って感じやけど、やっぱおもろいし。ほんまは談志でやりたいなーって思っとったところを、担任から「冴島先生が詳しいからアドバイス貰え」とアドバイスを貰うようアドバイスを貰ったので、アドバイスを貰いに冴島先生に会いいったとこ、冴島先生はスキンヘッドを撫でながら「家元は家元で絶対的に素晴らしいが、お前せっかくやし上方でやらんかえ」と言って、「枝雀さんやったら資料が山ほどあるさかい」と、オススメを受けた。ちゅうわけで枝雀さん聞いとるわけ。

「えらいもんで、CDで聞こうがなんしょうが、演目ひとつで枝雀さんが目の前に出てくるでな。でもそれが今度はだんだん枝雀さんじゃなくなっていって、で、ふとした瞬間、また出てくる。不思議やで、おもろいで」

冴島先生愛深すぎィ、バイ原宿ギャル。

出てくる云々のアレはようわからんけど、でもやっぱおもろい。おもろいことに裏付けがあるから、考察しやすい。たぶん冴島先生は、あたしレベルでもイッパーニパー咀嚼できる理屈だってことで、枝雀さん推したんしょ。まあでも、好きってのがでかそうやけど。愛深いし。ほんできっと、談志は理屈がマニアックなんちゃうかな。推測やけど。マニアックな顔しとったし。意外と好きな顔ですけど。

最近授業中聞いてる演目は天神山。葛の葉子別れとかいうお話がもとの落語なんやけど、サゲがなんか切ない。どかっと受けて終わる雰囲気ちゃうくて、ふわっと終わる感じ。なんちゅいますか、お客さんから拍手されてようやく締まるっていうか。しかもたぶんやけど、ラストめっちゃ詰めてるのよ、この話。全体の比率からいくと、びっくりするくらい終わり際の描写が短いの。やろうと思えば、とことん感動売りみたいにもできるはずやし、逆にもっとコミカルを足しても不思議じゃないのに、最後の最後、カミさんの正体がキツネとばれました、ってとこが一言で片付けられてる。これが枝雀さんのアレンジなのか、落語が本来こういうもんなのかってのはまだ知らない。仮に枝雀判断でバッサリいっとんやとしたら、枝雀さんなりの理屈があるはず。主題がブレるとか、話の整合性が取れないとか、大受けがないなら話してもしょうがないとか。全部まだ想像やけど。まあ、そういうのがあたしの研究対象。枝雀さんの理屈を探るっていう。

トントン、と肩。振り先みればスカートの子。ヤ、スカートの子ってのが正しいアレなんかは知らんけど、糸っち。糸井真澄さん。

「聖ちゃんちょっと身体貸してくれん?」

南無阿弥陀仏チックな手のこすりかたであたしを見る。軽いウインクを添えて。

「弘法太子ィ」

これはオッケーという意味。すなわち言葉ってのは恣意的で構わんのです。通じればって前提の上で。

 

廊下の角を左折。からの非常階段。

いやはや、糸っちにボコられるとは。貧乏人捕まえてカツアゲかえ。糸っちもえらい残酷でっさ。いきなしミゾオチに膝はNGっしょ。不意からやァ、ドスっとええ。全然普段真面目なんに、なんでこうも豹変するかねえ。人間って怖いわー。とかそんなことはこれほんに全くなく、あたしは単純にスカートをめくられている。

「やっぱ三十二割ったらパンツ見えるわ。東京の子すごいわ」

やたら感心してる糸っちの前で、スカートの腰を調整するあたし。なんでも、さっきたまたま見てた東京女子高生ブログにスカート丈の考察があったらしく、それによると丈が三十二センチを下回ると、階段の下からパンツが見えちゃう、って話だったそう。身体は一個しかないので誰か必要だったらしい。で、あたしらしい。まあ全然いいけど。

「見えてた見えてた。水色のん」

うっせーわ。色言うな。でもこの人がそれで満足ならそれでいい。

あたし、糸っちとめっちゃ仲良いかって言われたら、かなりニヒルな顔で「ええ」と言うしかないレベルなのよ。たぶんお互い全然嫌いあってないけど、じゃあふたりでドムドム行けるかって言われたら、結構微妙で。ヤ、ほんまは全然行けんねんけど、ほんで行ってなに喋るん? って話でさ。もっと言えば、なにか喋ることがないと、ふたりっきりになれない関係っていうか。

超自然発生的に目的とか内容が決まる、んー、甘い表現っすな。超自然発生的に会話が状況から抽出される? まあ言い方はわからんけども、そういうのをまったく自然に成し得る関係の人を友だちって言うんよね、きっと。だから、あらかじめ決まった議題で、決まった目的を持って接する人って、友だちとは言わないはずなんだわ。そういう意味では、糸っちは友だちじゃないんだと思う。

でも不思議なもんで、糸っちはたぶんあたしのこと友だちって思っとるよね、これ。だって、ちゃうかったら、スカート丈の調整なんか依頼できんよね、普通。あたし逆の立場やったら、糸っちにようお願いせんもん。糸っちお願い! パンツ見せて! とか絶対言えん。そんな砕けた感じでよう喋らん。仮に頼むとしたら、「申し訳ございません。あ、もしよろしければ、なのですが、あの、おパンツを見せて頂けないでしょうか」ですな。ほんでそういう場合ってヒャクパー断られるしね。

ふと脳裏によぎる、君、利用されただけだよ、っていう言葉は光の彼方へ葬り去った。だまらっしゃい、ジェンキンス。ジェンキンスが誰かは、いまだに謎い。

「せやけど、うちの制服ってほんまダサいよなあ」

こんなに喋る人やっけってくらい、今日の糸っちはよう喋る。

「大小路とか花高とか、結構可愛いやんか。清嶺とかも可愛いし。うちらのこれ、昭和やん」

糸っちが自分のスカートの端を指先で摘まむ。

「そう? あんまわからん」

「スケバンやん」

「スケバンではないやん」

「なれてまうやん。長くしたらスケバンやん。金八やん。三原じゅん子やん」

あれ、中学生やけどな。女若草二条、撫でるような笑い声が非常階段から街の谷間に消えてゆく。

「でもこんなん協力してくれんのん、聖ちゃんくらいや」

可笑しい調子のまんま糸っちが言う。

「人智の先におる人しか受け入れへんで。パンツ見られるわけやから。やっぱ聖ちゃんすごい」

たぶん褒められとんかなー、わからんけど。わからんから「意味わからん」って言ったけど、可笑しい可笑しい、あら可笑しいてな調子で。

してやられたのかしてやったのか、微妙な達成感と微妙な喪失との混沌の内、そよぐ風の静かなるとき、あたしのボーダーラインってなんなんやろ、と。だってしっこ売るんわ失神するくらい嫌やのに、パンツ覗かれんのは平気なんやもん。相手が男か女かって違いはあるかもわからんけど、じゃあ糸っちの研究がしっこにまつわるもんやったら、あたしどうしてたん? って話やんか。しっこ提供した? 無償で? cc出し売りちゃうくて? って考えるとですよ。なんかおもしろそうやったら、しっこ渡してたかもわからんよな、って思っちゃう。あたしのしっこでなんかがおもろくなんねやったら、サイサイオチャノコ渡しとった気がする。なんやったら目の前でやってみせたかもわからん。ドリップしたてのやつ。

「聖ちゃんも頼みごとあったらゆってな。等価やったら飲むで」

糸っちの言葉に、しっこくれ、ドバドバ出してくれ、とは言わないあたし。仮にそれでおもろいことになったとしても。

だって等価じゃないんだもん。

そういう問題かどうかはさておき。

 

久しぶりに奈津とふたりの帰り道。うちの学校は、なにがなんでも絶対に、夜七時までに学校の外に出なきゃいけないって決まりがある。七時を超えて学校に居座る場合は、先生に届けを出さなあかんくて、それなしで残ってるとめちゃくちゃ怒られる。めちゃくちゃな決まりだけど、部活の先輩曰く、社会ってそういうもんなんや、やと。でも言われてみれば、なんでそういうことになってるのかよくわからんことって世の中には溢れていて、そういうしょーもない決まりを一個一個守ることで、日常の均衡は保たれてたりする。一見なんの因果も見出すことのできない決まりごとのひとつひとつが、社会の細胞みたいなもんで、これを意味がわからんっていう理由だけで、しらみつぶしに抗っていくと、たぶん社会は細胞不足で、あっちゅう間に艇をなさなくなるんでしょう。

モラルをモラルの範疇に留めておくのが困難になったとき、時が経ったら意味と論理が薄弱になってしまった決まりだけが残

「聖奈、口から国旗は出えへんの」

百舌鳥八幡駅付近ではスマホに向かっていた奈津の視線が、今度はあたしに向いている。

「準備してへん」

「あ、やっば。アイライナー忘れた」

「え、どこに」

「たぶんトイレ。学校の。えー、バリだるいやん」

「うちの貸そか? あたし明日メガネでもええし」

「や、ええよ」

「ええで」

「ええねんええねん。家にもあんねん。それより没収されんのがだるいねん」

「ああ」

「取り返すん無理やろ絶対。石田めっちゃ厳しいやん? マサちゃんもバリ渋い顔されたとか言っとった。リップ落としてんて。ほんで、これお前のやろ、みたいな感じで石田に渡されてん。はァい、みたいになるやん。ほんならなんか、こんなん学校に必要なんか、とか言いよってな。だっるいやろ? 学校に必要かどうかちゃうねん。うちらには必要やねん。石田アホやからわかれへん」

ぐわーって喋られて、最後の石田はアホってのに同意する。確かに学校にどうとか言うなら石田はアホや。玄関を開けたらすぐに校門があるわけちゃうし。まあ逆説的に、だから先生はあんまり派手にするな、って言うわけやけど。

言うても、三国ヶ丘で学校終わってから、天王寺とかなんばに繰り出せるほど、オカネも時間もないけどな、あたしら。ま、こういうのって万が一があるし。実際オカネがある子はいてるし。難波にも行ってるし。そのへんの人らと、あんま絡みはないっすけど。世界がちゃうっすから。そういやこの前なんか、ギャル神輿がどうとか言っとって、来る? とか言われた気がする。話の流れで。もちろん断ったし、向こうも断ることわかっとったけど、ま、流れってのがありますから。別に悪い人種ちゃうことは、あたしもわかってるつもりよ。学校では受験がどうとか言っとった。立命とか同志社とか、そんな話やったかな。って、あたしもよう聞いとんな。

ふと、どういう違和感もなしに、しかしそれでいて大きな意味も特にない、少々大きめのため息が出た。で、ため息に引っ張られる形で、あれ、アイラインとか神輿とかスカートとか鳩とか、テストとかブログとかドムドムとかしっことか、一個一個実はめっちゃだるいんちゃうのって疑惑が。お母さんの仕事、保恵の貧乳、お父さんの死。ヤ、わからんよ、わからんけども、全部だるい? もしかして? 個々にみて厄介? 全体を通して? ちゅうか最近のあたしにまつわる事情って? 続けざまに来ちゃってる? あれ? これ? いや? え?

生きるのって、もしかして結構だるい?

「しょーもない決まりなんか、全部なくなったらええのに」

ほんまやな、なくなったらええんかもわからん。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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