濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

あのあとあたしは意識が戻った演技をして、学校に連絡を入れた。この時間母は働いているので、余計な心配掛けたくないです、という本当半分嘘半分の発言も、学校は全然否定しなかった。もちろん西辻が学校に向かったあとだったけど、おっちゃんの「もしあれやったら、しばらく寝とってええで」という、きっとおそらヒャクパー親切な提案も、わずかに残る罠の可能性を危惧して、ぞんざいに断った。あたしは体調不良という、これまた本当半分嘘半分の理由で帰宅し、リビングのソファで横になり、ただただぼーっとした。音がないとかえって気分が悪くなるので、テレビだけはつけていた。つけてはいたが、内容は頭に残っていない。全体的に、どうでもよかったし、それはテレビがどうでもよかったんちゃうくて、まあそれもそうではあるけど、そんなことより、もっともっと大きなことがどうでもよかったから、このときなにを考えてたとか、なにを思ってどうすることにしたとか、そういう解決しようみたいな、前向きなあれはなかったと思うし、あったとしても覚えてないからどうしようもない。

そう、どうしようもない。どうしようもない奴のせいで、どうしようもないことになってしまったわけ。人なんか恨んだってしゃあないし、もうああいう奴がああいうこと言うんだから、あたしがどんだけ利口でも、あたしがとんだけ秀才でも、あたしがどんだけ達者でも、全部全部どうしようもない。どうしようもないのさ。

日の暮れたリビングで、テレビだけ命題的な光を放つ折、おそらくそろそろ保恵が帰ってくるっすねえ、このコンディションで、あのうっざいチチ紛争の気まずさを引きずるの、バリうっざい、とか思ってたら、やたら明瞭にスマホの短いバイブレーション。もうなによ、なんなのよと思いながら、女子高生らしい軽やかなスワイプで画面を見る。

「ぎゅーちゃん明日テストやん?? きょー新しいことやった??」

奈津からでした。

そっか。奈津、ズル休みしとるから、あたしが学校休んだこと知らんねや。ちゅうか、明日数Bテストやったか。でもなんか一学期の復習が中心やとか言っとったし、二学期の単元からは出題せんのんちゃう? まああたしテストとか全然興味ないけど。興味ないでいうと、起きうることすべてに興味失ってるけど。奈津が思い悩むような。数Bの小テストなんか。まるで些細で。マジで興味ないけど。

「テスト範囲、一学期のとこだけよ。新しいことやってないよ」

ササっと入力。なんで学校休んだこと、告らんかねえ。あたしってほんま。でももし休んだこと奈津に言ったら、ギリギリで堰き止めてたもの、全部吐き出しちゃいそう。それは西辻のことだけじゃなくて、美雪のこととかも含めて全部。

あかんあかん。誰も得せん。あたしも得せんし、奈津も得せんし、西辻も須本先輩も美雪も、江畑も高橋もセンちゃんも東照寺もみんな得せん。

お父さんが生きてたころ、ってももう七年くらい前やから、全然死ぬ予兆とかなかったころ。小学生のあたしに与えられた一冊のエッセイみたいなよくわからん本に書いてあった一節、得しなきゃ損なのか、が瞬時に頭によぎる。誰のなんて本かは忘れた。なんか内容の割りにポップなタイトルやったけど、他になにが書いてあったかな、南京大虐殺がどうとか書いてあったかな、まあええわ。まあよすぎるわ。だってその話今関係ないわ。や、その誰のなんて本かの内容が関係ないわけちゃうくて、普通に、得しなきゃ損なのか、って言葉が関係ないわ。深い部分ではありそうやけど、表面的にはないわ。めっちゃ素晴らしい言葉やけど、それ自体は。

それよりも、お父さんが生きてたころ、って言い方のほうがマズいすわ。単に「昔」でええやん。わざわざ、今はもう完全に死んだので、あれは完全に過去として割り切りますけども、的な宣言いらんやん。

でも、でもね。一番の問題はですよ。ふと口をついて出てくるそういう表現に、愛とか慈しみとか弔いとか尊敬とか、一切混じってない点ね。なんでなんかはわからんのやけど、お父さんが死んだのは事実として、それをそれ以上に受け止められんっていうか、事実やねんから、事実以上のなにもんでもないっていうか、んー、たとえばなんやろ、あーん、ベートーベン(生没年)みたいな感じ? 言われても「あ、はい」なやつ。これ冷たいかねえ。

改めて思い返しても、関係が薄弱だったとか、めちゃめちゃ仲悪かったとか、そんなんはなかったし、一ヶ月入院しとったけど、お見舞いなんかも週一で行っとったしなあ。一緒にテレビ見て笑ったりもしたし、車でどっか連れてってもらったし、南港のほうとか、ATC登ったり。

なのに死んで数日してから、あれおかしいぞ、と。お母さんとか保恵とか、かなり落ち込んでたけど、あたしだけ全然ちゃうぞ、と。よく考えてみたら、お葬式も火葬もなにもかも終わって、部屋でひとりになったとき、あたし腹筋したよな。くびれ作ろうと思って。あれれ、って。

確かに、お父さんが死んだときは、大層なことになったなって思った。お母さんこれから大変やんか、保恵ちゃんと立ち直れるんかな、とか。でも、じゃああたしの生活のなにが変わるんって思ったら、想像がつかない、ってか、それは想定できないって意味じゃなくて、なんも変われへんのんちゃうん、っていう。で、事実あんま変わらんわけよ、現在。

もしさ。あたしが心のどっかで、お父さんが死ぬことを想定してたり、予兆してたとしたら、さ。準備があって、用意があったとしたら、さ。なんか、待ってたみたいやんか。死ぬの。

絶対そんなことないって、強く言い切れるけど、でも、なんや、難しいのよ。自分でもわからんのですよ正直。完治して、元のお父さんに戻ることを、祈り続けてたかって言われると、難しい。もちろんさっさと死ねやとか微塵も思ってなかったけど、いつか来るもののタイミングが、他人のそれより早かったかなってだけで、どっか自分の中で冷静やったっていうかな。でもこれはきっと要らん冷静なんですよ。そういうこともあってか、お父さんに、絶対治るよ、とか、そんな言葉も一切掛けんかったのよね、あたし。で、実際にお父さんは死ぬ。

でもね、保身のために言うわけちゃうけど、その事実だけまあるく切り取ったら、やっぱ悲しいっすよ。死んで会えないってのは悲しい。ただ、それはそれとして、ってのがあるだけ。んー、日本語が足りない。でもわかってよね。この感じわかってもらえんとエグいんす。

リビングの扉を押す音がして、保恵が帰ってきな、とわかった。なんでかちょっとあたし、泣いてはないけど涙目で、顔はよう上げんかったんやけど、保恵はあたしを見たのか見てないのか。ヤ、絶対見たはず。だから電気も点けずに、自分の部屋に消えて行ったんよ。姉貴がこんなザマでリビングで横たわってるわけで、妹がなにを思ったかは想像もつかんけど、別にどう捉えられたって構わんと割り切った。勘違いされてもいいと、見当違いでもいいと、あたしは思った。

と、同時に、こいつが死んでも、あたし腹筋すんのかな、とも。

 

独酌。麦茶を。

パソコンを眺める。別におもしろいことはなにもない。

ニッポンの女子よ! 元気たれ! というコンセプトのベアガールというサイトを、時間潰しに選ぶ。ある種、極めてある種興味深い記事から、「カレシに中で出していい? と言われたときの対処法 厳選五選」という嘔吐必至のコンテンツまで、これも極めて、至極極めて幅が狭い。仕方なく吐かずに済みそうな「可愛い小動物系男子 vs ワイルド系男子特集」のページを斜めに読んだ。可愛い小動物系男子派の「甘えてくると母性がくすぐられる」「なんだかんだ優しい男の子が一番!」との意見に、ワイルド系男子派は「守ってくれそう」「引っ張ってくれそう」と、「そう」すなわちイメージで対抗し、結果可愛い小動物系男子の勝ちらしい。筆者のまとめには「最終的に結婚を考えるなら、手懐けられそうな、可愛い小動物系男子のほうがお求めやすい?」などと。

――うーわー、どーでもいーわー。

どうでもいいわマジで。ちゅうかこの記事、そもそもタイトルに筆者の思想がほとばしりまくってるし。なんで小動物系男子にだけ「可愛い」ってつけとん。それやったらワイルド系男子にも「野性味溢れる」とか「男らしい」とかつけんとやァ、釣り合いがよォ、と思ったところで、待って。可愛くない小動物もいるから、可愛い小動物系男子にしないと、超グロテスクな小動物を想定された場合、ワイルド系男子の圧勝になるわ。でも気持ち悪い小動物って? と、リサーチと称して気持ち悪い生き物を検索しては、きっしょー! きしょ! と内心悶えまくる。足、これ、ええ? 顔? あああ? と、ひとしきり悶えたのち、いや、この記事を書くのに時間を割くような女が、この気持ち悪い生き物を想定されることを想定してるわけないわ、と気づき、今。行き着く先は、やはり放掟記。

 

「この青の意味は、」

 

青は美しい色だ。

青は愛しい色だ。

青は綺麗な色だ。

 

本当だろうか。

 

青は――

 

自然な青は空と瞳にしかない。

だから人の作った青は薄気味が悪いのだ。

皮膚が青かったら気味が悪い。爪が青かったら気味が悪い。

どちらも人工的なものだからだ。

でも私の皮膚は青い。爪も青い。

どちらも隠せるものでよかった。

そしてこの気味の悪さが、愛を要にしている点が、物理的以上に痛々しい。

魔女は私を見て少し笑うのだ。私が青を欲していると、青を求めていると。

当初は嫌だった。だけど今は。

今はこれが真理なのかもしれないと思うようになった。

この青は歪んだ愛の象徴ではなく、本物の愛の形なのかもしれない。

だとすれば、青は、

やはり美しい色なのかもしれない。

 

Sep.28

 

はん。キリンの話題か。どうも彼はサディスティックらしい。放掟記によく出てくる魔女っていうのは、キリンのことのようで、魂だの愛だのといったワードが出てくるときは、ヒャクパー彼にまつわる議論である。

初めてことが起きたとおぼしき日の文章は、きっとあたし、永遠に忘れんと思う。それはもう内容を事細かに、ダイナミックな文章が。全人類の一大事みたいに書いてたすからね。

この子がマゾな本性を持ち合わせているかどうかはさておき、そういう心持ちの人の心理は少しだけ理解できる。要するに、生きている実感とか、愛されてる実感なんかが、男の力によってしか顕著に感じられないってことでしょ。究極、死ぬ瞬間でしか、生きていること、今まで生きてきたこと、が実感できないってのと同じだと思う。生きているのが当たり前になりすぎたから、いざ死ぬときにならないと、生きているっていう現実が受け止められない。次の瞬間に死ぬってことが、すなわち今生きている、今まで生きてきた、っていう事実を実証するって寸法。

マゾヒストも、実感できる刺激がないと、愛を確認できない人を総したんだと思う。方法と条件がエキセントリックなだけで、究極を言えばそうだってことでしょう。それに遊びを足したから、身体に青タンができるわけだ。

西辻のしっこ好きはサディズムに起因しているのか、マゾヒズムに起因しているのか。どっちを寄る辺にして、あたしのしっこを欲しがっているのか。

どっちでもいいけど。

てか美雪。あたしが突然学校休んだことスルーかい。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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