濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

12

 

月曜日の朝は奈津のラインから始まった。

正確には、日の出をとうに迎えた午前六時四十七分、興奮と不安で眠れなかったあたしの枕元で、スマートフォンのバイブレーションがあった。

「緊急!」

「なん?」

「西辻逮捕!」

「え?」

「グルメシティでいたずらしたの、あいつだって」

「誰情報?」

「お母さん」

すると、一階から「聖奈電話ー」と保恵の声。ドタバタ風味で降りてって、家電の子機を受け取る。高木です、というあたしの応答をしっかり聞いてから、担任は性分相応に冷静な口調で話した。

「高木さんは、聖奈さん?」

「高木聖奈です」

「親御さんはお仕事?」

「はい」

「あー、わかった。あのな、あの、あんまりビックリせんでほしいけど、今日の授業、一旦全部取り消しになります」

「あ、はい」

「えっと、はい、って言うってことは、もう高木にも話回っとるかな?」

「詳しくは知らないですけど」

「うん。俺らもちょっとわからんというか、錯綜してるというか、説明できるところが今のところ少ないというか」

「余罪とかあるんですか」

「あー、ちょっと答えられん。すまん。俺らとしては、そのー、いろいろ考えてこれから、えーっと、ちゃんと事実がつまびらかになって、それで慎重に情報を精査して、それからってことにしてるから。それは、結局、彼だけを守るってことじゃなくて、みんなにもちゃんと考えてもらいたいことなのね。先生たちみんな。ほんまにな、あのー、わからんの、なにがなんなのか。どれがなんなのか。だから、とりあえず今日は学校閉鎖って処置にする。あの、今日の内に登校ってなると、ほら、メディアの人とかに、そのいろいろ聞かれちゃうかもしれないから。制服でわかっちゃうし、受験生もいるし、あんまりよろしくないので」

「はい」

「学校は休みになるけど、自宅待機でお願いします。あんまり出歩かないで」

「もう行っちゃてる人とかいないんですか?」

「なにが?」

「学校に」

「ああ、いる。いるというか、いた。いたし、なんか取材みたいなことされて、困ってる子とか、もう、そのー、彼、西辻くんについて? 少し話しちゃった子もおるみたいで、でもそっちのほうのケアは学校でしっかりやるから、大丈夫」

「わかりました」

「とりあえず今日中に、明日以降の対応というか、授業とか、文化祭もあるし。父兄に説明会とか、そういうのんが決まり次第、また連絡します」

「はい」

「じゃあ、申し訳ないけど、自宅待機で。あんまり動揺せんでください。高木は大丈夫だと思うけど」

あたしの「はい」という返事を聞いてから、担任は「お願いします」と言って、電話を切った。

静かに子機をなおす。「なんかあったん?」という保恵に、

「学校休みんなった」と軽く伝える。

「えーなんでー。バリズルない?」

ズルないよ。あたしは背中でそう言って、二階の部屋に戻った。

感情と想像で膨れに膨れ上がったものが途端に収縮した。ある点においては、これこそがまさに、現実、あるいはもっと正確にいうところの、正義、という論題に、こともなく終止符を打った結末なのかもしれない。そしてそれが、あたしの保有する正義感と、ほとんど関連性のない結末だったことも、現実の一環である。しかし、これといった罪に問われないであろうヤツの将来を鑑みると、変態性はよりにも増して加速するのではないかと、危惧するところでもあるのだ。

そう考えるあたしは、しかし頭でそんなことを思いながら、自然な成り行きで身体をパソコンに向ける。昨日の放掟記を、もう一度読むことにした。

 

「ポトポト落ちゆるコーヒーを受け止める。」

 

点滴のように。

点滴のように、落ちゆ。

一滴、また一滴と、

落ちゆ。

気を長く、待ちゆ。

一気の衝動を堪え、

ただ、待ちゆ。

 

時もそして、一秒ずつ経ちゆ。

一秒ずつ、確かに経ちゆ。

待ちゆ。ただ待ちゆ。

彼を、待ちゆ。

 

コーヒーや冷めやぬように、

一滴ずつ落としたる。

ふたつ用意したマグカップに、

ただ落としたる。

私も、

そうやって生きたる。

 

彼が来るころ、

ちょうどそのとき、

並々と温かいコーヒーを、

ふたつ出したる。

 

Oct.2

 

やっぱりダイナミックや。

ただコーヒーを淹れるだけのお話が、彼女の人間性まで、そしてキリンへの愛情まで、なにもかもを表している。

相変わらずダイナミックや。

ところで、美雪、コーヒー飲めるようになったのな。彼女、ドムドムでも絶対コーヒー頼まんかったのに。「だって苦いやん」って、珍しくそのまんまのこと言っとったのに。知らんうちに大人になりやがって。

あたしはスマートフォンをハイパー迅速に操作して、電話を掛けた。

「あ、もしもし。うん、今さっき電話あった。ヤバない? うん。でさァ、正味、暇やん? あたしら。うん。あはは。せやしさァ、久しぶりにお話でもせん? ん? あ、いや、ドムドム潰れてもうたし、横にサンマルクあるやんかァ、そうそう。うん、美雪も誘ってさァ。オッケー? ほんなら、奈津から連絡しといてや。うん、たまには私服の三人で。はは。うん、おっけ、じゃあ待ってるー、はーい」

たったの三十秒で、約束を取り付けた。

よっしゃい。あたしの心のもやもやなんか、全部吐き出しちゃおう。言って言って全部言って、やったことも、思ってることも、考えてることも、全部言って、丸裸になってやろう。

はは。なーんて、嘘ですよ。あたし単純にふたりのお話聞きたいだけよ。西辻とか放掟記とか全部忘れて、ただお喋りしたいだけですよ。実質的なタイプの、そんなお喋り。

ぽっぽっぽ。鳩ぽっぽ。ファンタスティックな鳩ぽっぽ。店で飛ばして怒られる。ふたりもちょっと引いている。

うーし。なんやろ、とっても久しぶりに、なんか、楽しい気持ち。柄にもなく。あはは。

 

<了>

 

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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