濡れもこそすれ

十丸早紀

小説

54,835文字

なんてすかね。ちょっとした余裕が立腹を誘うっていうか、オシャレが身の丈にあってないっていうか、攻める場所を間違えてるっていうか。
「だったら割り切って全裸になればいいのにさー」
あー、そう! わかりましたよ! やりますよ! で、おお脱いだ脱いだ、って見てたら、靴下だけはちゃんと履いてる、って、そういうの。
とはいえ服着るのは一応ルールだよなー、とかまァだ思ってる。ほんといい加減にしたほうがいい。

 

クリアする、とか、消化する、とか。なんかそんなこと。

風呂であたしは考える。ひとつひとつしんどいのはわかった。そして、こういうしんどいことを、なんとなくうやむやにしながら、それでいてたまには解決しながら、こなしていくこと、こそ生きるという意味なのではないでしょうか。だとすればですよ、生きるというのは、めんどいこととかしんどいこととかだるいこととか、そういうもんを消化しながらです。時に与えられる、ボンタンアメをね、噛んだ! 歯についた! で、舌でこそぎしては、でも甘い! もう一個! とかいうさ、そういう作業なんちゃいますのん。

ぜんっぜん、おもんないやん。

生きんのん、ぜんっぜんおもんないやん。

ヤバいってこれ、あかんって。湯船に顔面沈めて、丸ノ内OL feat.トレンディーズと化すあたし。風呂釜から、ザアアアアアアンと顔を上げて、いやしかし、ちょっと髪伸びたかなあ、切らねばですかァ? とひたすらな現実を直視。染め直そうと思い立つ。なにもこんなときに明るい栗色にすることはない。ダークなブラウンで。黒に近い茶色で。うむ、どうやら死ぬつもりはないようで、我がことながら安心する。

なぜだるいからといって、すぐ死ぬかね。なんでもいいけどさ。

肩から顎、ほんで鼻まで浴槽に滑らせて、眼だけ出したとこから、ブクブクブクと息を吐く。

勘違いすんなよ、あたし。こういうもんは「悩み」っちゅう言葉に総称されてなァ、各個人それぞれ持ち合わせとる、極めて一般的な思考の一種なんや。別段、わが身に特殊特別降りかかるもんやのォて、エ、誰でも、そう誰々誰もが持っとるんや。奈津やって保恵やって美雪やってお母さんやって原田やって東照寺やって、西辻やって、持っとるし抱えとるし考えとるもんなんや。あたしだけが特別ちゃうんや。あん? そう西辻やって、で肺に入っとる空気がゼロリッターになってることに気付く。瞬時にのぼせたのとはちゃう雰囲気で顔が真っ赤っかになり、ボケぇ! 死ぬかと思ったわアホ! と自分自身へ贈る言葉。

「あなたはなぜ死んだのですか」

臨終された方はこちらへ、という親切な看板に従ってゆくと、そこは小さな町病院。すんません、あの、初めてなんですけど、と受付で告げると、初めての方はこれに記入してお待ちくださいとか言われて、問診書と体温計を渡される。体温計、意味あるか? とか思いつつも、一応腋に挟んでちょっと待つわけ。ピピピピピで、デジタルを見ると、00:00って表示されてて、ほーらせやから言うたやん、体温なんか計っても意味ないねんて、こいつらアホちゃーん? とボロッボロに泣けてくる。これ、自分が死んでること確認させるためにやっとんや。やっぱりあたし、死んでしもたんや。ちゅうか実際、生きとる頃から体温計って無意味やよなァって思っとったんよ。だって38度やろうと39度やろうと、しんどいときはしんどいし、いけるときはいけるし、そういうもんやんか。まさか死んだときに体温計の意味を知ることになるとは思っとらんかったよ、あーん。

「高木さーん、高木聖奈さーん」

あたしですよ、はいはいあたし。泣きながら診察室入って、さっきの質問。なんで死んだん? じぶん?

「お風呂で」

「はい」

「お風呂で、お湯に、顔をつけてて」

「はい」

「息ができなくなって」

「顔は上げなかったんですか?」

「気づかなくて」

「なにがですか?」

「肺に空気がなくなったことに、気づかなくて」

「はー、なるほど」

「オッチョコの野郎がチョイしてしまいました」

すると草葉に隠れていた無数のオッチョコが顔を出し、世にも愉快なオッチョコチョイダンスを踊り始めましたとさ、めでたしめでたし。

うん。

西辻やって抱えとるよな、悩み。となると、西辻にとってのボンタンアメって、あたしのしっこ? カアーーー、改めて特異体質ー、あいつ。

しかしこうをもなると、彼奴にボンタンアメを与えたくなってしまうあたし。これが母性ってやつかえ。昔貧乏やったもんで、オカネを得た今、寄付は惜しまんです、とかいう富豪チックなやつ。あべ? これ母性関係ないっすやん。まあでも、そんな感じのやつやな。

ギューっと腹がなる。胃のあたり。

バカ。バカすぎるあたし。バカだし、ちっとも優しくない。きしょいものに加担して、中途半端な満足を得たいだけやないか。こんなもんは愛でも情でもなんでもないわ、バカがバカの連鎖に反応し合ってるだけや。少しでもそんな風に思っちゃった自分を、大いに反省せい。ジェンキンスに謝れ! デリダにも! どっちも誰だか知らんけど!

のぼせそう。あがろ。

 

放掟記が遅いのである。もう日付を回ろうかという時間なのに、最新記事は昨日のまんま。一日たりともサボられることのなかった彼女の日記が、まだ更新されないのだ。

別に待っとるわけちゃうけど。楽しみにしてるわけでもないし。でもなんやろか。なんで更新せえへんねん、美雪、とは思う。なにがなんでも読まなあかんもんでもなければ、これがあたしの実生活に影響を与えることもないし、話題になることもなければ、感動することも共感することもない。でも、だからなんでもないものかって言われたら、そういうわけじゃない。理由も目的も根拠もなんにもない。なんにもないけど、だからってなんにもないものじゃないわけよ。なくなったらなくなったで、諦めもつくだろうけど、昨日まであったものが今日この瞬間なくなるってのは、解せん、単に。気に入らない。吸わないけど、煙草みたいなもんじゃないかと思う。身体に悪そうってことも含めて。

人間、悩むといろんなこと考えちゃうみたいね。繋げて繋げて繋げまくって、なんでもないことまで繋げて、どんどん大きくしちゃって。

大きくしちゃうと、心で支えきれなくなったりして。関係ないことまで繋げちゃってること、忘れちゃったりして。

美雪ったらさ。

あたしもですか。

放掟記、更新されないかなァ。読みたいなァ。読みたいもんですなァ、放掟記。

「本読む人って、なんで本読むん?」

フラッシュバックナーウ。なんでかねえ。理屈はやっぱなんでかわからん。わからんから、これこれこういう理由です、とははっきり言えん。言えんのんやけど、若干よ、若干。若干、雰囲気みたいなもんだけは、おぼろげにわかる気がすんの、今この瞬間なら。なにか絶対的なものを求めてるわけじゃないんすけど、なんとなくなサムシングを求めとんのよ。大きなものってか、なんちゅう? 人生を大きく転換させるような思想とか、紛れもない在り方とか、とてつもない根源的なこととか、そういう類のもんじゃなくて、たった一秒の安心とか、陸橋を越えた先の結局の次の陸とか。あとはー、バカにしたいとか、バカにされたいとか。そういうもんを求めちゃってるのよ。じゃあなんで求めるかっちゅうと、貧しいからですよ。本を恒常的に求める人ってのは、貧しいんです。潤ってたら求めません。ちゃうもんに目ェいくっす。きっとオカネとか名誉を求めますさ。

寝ようと心に決めた。寝ちまおうと。こういう心意気を持って寝ると、案外寝付けないもんなんよねー、とか思いながら、わりとすっと寝れた。すっと寝れたことを意識してる時点で、寝れてないっすやん、って言われそうだけど、そこは騙されてください。騙されたふりしてください。

あたし、まだ十七歳っす。

 

朝。は、まだ遠そうな夜更け。

時計見んのが嫌やったから、正確な時間はわからん。

電気もパソコンもすっかり消して、真っ暗闇じゃい。ナムダイシヘンジョウコンゴウ。洞窟の中も、壁に左手をつけて歩いて行けば必ず出口が見つかる、あるいは入り口に戻ることができる、って法則を遵守するわけやけど、あたしの部屋、金比羅の洞窟と違って真っ暗闇ちゃうかった。流星の瞬きもないままに、そしておよそ人工的な光も、きっと意識的には侵入してこないだろうに、それでもあたしの部屋は真っ暗闇にはならなかった。

きっと光の差し込むこともなく、今のあたしが真っ暗闇に置いてきぼりにされたら、空間とあたしの間に境目がなくなって、あたし自身が闇になってたろうと思う。闇に溶け込んだあたしの実態は、ほとんどあたしの意識の上だけで成立するものだから、それは闇という空間が、あたしの存在を単に実証しているだけ、つまるところの、存在を証明できるものが自分であり、闇だけであるのだから、闇イコール自分となってしまうと、誰もあたしの存在を確認することも実証することも、できなくなってしまうってことだ。

もう一人、闇の中に誰かいれば?

なるほど。男と女のねんごろに、電気を消す理由がなんとなくわかった。想像やけど。

くだらんちん、と目を開けて見る。

現実、という名の輪郭が、命題的であった。

無礼極まりない、と憤る。こっちの想像も現実の枠の中では、本当にただの想像にすぎない。悔しいですよ。あれやこれや考えたって、全部全部ぜーーーーんぶ嘘空想の近似ですやん。嘘空想は現実には適わんのですよ。だって嘘空想が発生するのは、現実に行き詰まったときなんですもん。

現実ずりーすわ。圧勝やないすか。うちら勝ち目ないっすやん。ジャイアンツですやん。こっち、巨人大っ嫌いなんすから。遺伝で。

 

朝ぼらけの内、淡いグリーンのカーテンから鳥の声など。

それが目を覚ましたという言説に集約されるかどうかはさておき、あたしはうつ伏せに寝返りを打った。半ば習慣的な動作でスマートフォンを鷲掴みにし、時刻を見る。

デジタル表記で五時五十五分ジャスト。ってことで、起きることとする。

「あー、よう寝た。よう寝たわァ、ほんま」

こんなもんね、言ってやればええんすよ。言ったらだいたいそうなるんすから。あえてこういうこと言うんすよ。

「そっかー、原田の屯田兵体操、DVD化かー」

こういうのも織り交ぜていきます。あたしそうやって生きていく。

2017年10月9日公開

© 2017 十丸早紀

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