いく

渡海 小波津

小説

5,468文字

幾、逝く、生く

毎日同じ日々を過ごす。以前はそんなことはなかった。

夢や期待があった。

恋もした。結婚や子どもが欲しいと思ったこともあった。

それがいつからかなくなった。

毎日働いた。忙しく。

六日働くと一日休みが貰えた。たまに半日は会社で過ごした。

その休みもはじめは楽しもうとした。でもできなかった。

友もそれぞれに忙しくしているらしく。連絡も疎になり、休みは家で過ごすことがほとんどだった。

学生の頃のように、漫画を読んでみたり、ゲームセンターに行ってみたりもしたが、どれももう居てよい場所には感じられなかった。若者が、新しい世代の彼らの場所にすでになっていた。歳を感じた。

ある日、この繰り返しを断とうと考えてみた。

どうせ会社の人は空涙で香典に来て、手間だと文句を言うに違いない。代わりを探す手間のほうだ。

生きるために働いて、働くために生きる。とても簡単な同値関係は、同じ年代ですでに結婚式だ、出産だとフェイスブックにドラマのワンシーンのような――しかし、その中心には彼や彼女らが幸せを表情にしろと言われずともしたような顔で笑んでいて、働くだけの自身との隔離した世界であることを容易にわからせる。

何のために生きるのか、わからない。いやわかる。死ぬために生きるのだ。このまま働いて、働き続けていずれ死ぬのだ。

そして会社の人はやはり空涙で香典に来て、退職金をやったことを残念がるに違いない。

死ぬのは怖いかと疑念をもってみると案外そうでもない。むしろ、発見されるまで会社から出社催促の電話が鳴り続けるのだろうと思うと手間をかけさせてしまうなと思うくらいだ。あと、発見者、親族各位、アパートの大家さんには迷惑を掛けることになってしまうだろう。そう言えば奨学金の返済もあと三年残っている。

そんなことを考えていると死ぬことがどうこうよりも生きなければならない責任が生かしているのだと気付き、これが生きる意味なのかと中学時代、一度は悩んだような疑問への解答が経験的にあっさりと導き出されてしまったことにまた虚しさを覚えずにはいられなかった。

死なない程度に死んでみよう。

いらなくなったネクタイを束にして環にし、ドアノブに掛けて頭を通す。まるで子どもの遊びみたいに少しの興奮と高揚を得られた。ゆっくり環を締めてみる。背筋を包丁で撫でられるような悪寒を感じながら首に生地が触れていく。あごの付け根がいいだろう、喉仏に負担もない。両足を投げ出した状態でドアにもたれて座りタイに頭の重さを任せる。

ドアノブの金属を布地がすべり、手すりでがっちり支えられる。

苦しくないと言えば嘘で、しかし体重は床とそこについた両腕に分散し散り散りになっている。死を受け入れた私は頭だけで、体は隆々と生きることを続けていて昼の梅干しは種ごと小腸を下っていた。

結び目の部分が頭の付け根を圧迫して痛くなってきたので首を環から外す。

休みはそれで終わったも同然だった。後は天井を眺めるか飯を食うだけをした。

また六日間罵られるためではないのに出社し心を滅する修練を繰り返した。

今日はドアノブに掛けた環に上半身まで任せてみた。ドアノブもドアも私をこんなにも頼もしく支えてくれる。この社会のどこに今まで理解者がいてくれるものかと思っていたが、案外近くにいるものだなと気付いた自分が笑った。

環をつくる布はセロリの繊維のように固く束ねられ私の首から上半身までを支えている。先週よりも苦しさが明確に違った。このまま眠れるなら死ねるのではないかとさえ思えた。しかし、それは寝られるような苦しさの具合ではないため、眠ることは不可能に思われる。

少し背筋に力が入っていることを感じる。生きている心地がした。

上体を前に倒しながらしだいに環の優しく力を加えながら締め付ける感触を首に受けながら息ができないところまでいくとそれよりもまた結び目の痛みの方に意識が向かい、なんとかならないのだろうかと思っていると、ふとこの痛みが、痛みこそが私の意識をここに留めているのだと気付いた。

結び目がなければきっと私の意識はぐいぐいと私を前に進ませて最果ての行きつくところまで行かせてしまうのだろう。死が果てなのか死後誰かに見つけられ部屋の物ともに処分され、忘れ去られるときが果てなのか戸籍や行政書類、誰かの卒業アルバムや電話帳、墓石の窪みが消えるときが果てなのか、どこまでも果ての果てが続いていくような感じではあるが、私をつくる炭素さえも半減期を終え完全に消え去れそうな気さえしていた。

目蓋の内が闇から透明な赤の明滅へと変わった頃、私の手で首を環から外した。引っ張られて結び目の固くなったのがうまく解けずに左の爪が一枚少しだけ割れてしまった。

あとは惰性だけの休日。

前日の残った仕事を片づけるために休日の半分を職場で一人過ごした午後、部屋中をうろうろして結局ドアの上の隙間から結び目をつくって挟んだネクタイを垂らし、ドアの向こう側は結び目からさらにドアノブまで三本のネクタイを尾を噛む蛇の列のようにして繋ぐ。

どうして安物のテカテカしたタイがこうもしっかり結び合わさるのか不思議ではあるが、これも首に巻く目的を達するという彼らゆえの信念から来るのだろうと考え、環に頭を通す。

足の平は床にぺったり着いていて膝の力の加減一つで私は生きた心地を得ることも死ぬこともできた。そしてどこまで生地が結び目が耐えうるのかと膝をぐいぐい落としていくと首だけが締まり、相変わらず結び目が背骨をごりごりと擦っては私を呼び戻そうとしてくる。

食道が圧迫されて吐き気に似た嘔吐感を感じながら少しだけと膝を曲げて、ゴム跳びのようにちょんと浮かせる。すると私のすべてはあごの付け根から頭と首を引き離そうとするように、死と生を頭と体ごと分離させたい一心であるように体を地へ、頭を天へ引っ張る。

それにしてもドアもタイもよくもつものだと後になって感心した。

その日は首の痛みが残っていて少し休日の余韻に浸ることができた。

ひと月もすると生きることが楽しくなっていた。相変わらず仕事は生き地獄であったが、休日のわずかな時間にこうして首にネクタイを巻いているときが何よりも生き返った気がしていた。

ゴム跳びのように足元に絡みついた世のしがらみをぴょんと抜け出して再び足をつくのが楽しかった。

それを何度か繰り返すようになると、そのまま暗転から戻らなくなってしまった私は気付いた時にはベッドの上できちんと両の手の指を組んで天井を仰いでいた。

 

外線が噛みつくように鳴る。

「おーい、とーみーやーまー電話ー」

デスクで爪を磨いでいる先輩が言う。慌てて書類を置いて電話に出る。

「富山、例の資料まだか?」

電話口の横で上司が無表情で催促する。応対しながら上司に書類を手渡すと、盗まれたおもちゃを取り返すように奪っていった。

営業担当へのクレーム内容を部署に伝達し終えると、上司が来いと合図する。机を手の平か手近な雑誌で叩くのが合図だ。

給湯室に入るとすれ違うようにさぼっていた女性社員が二人出ていく。

「お前さー。上司が資料くれって言ってるときに何も言わずに手渡す馬鹿がいるかぁ?」

「申し訳ありません。電話中だったので」

ビタミンたっぷりらしい色のペットボトルが飛んでくると肩に軽い音をさせてぶつかる。そのまま床に転がって黙った。

「言い訳するのか? 電話中だって一言くらい言えるだろう?」

「すみませんでした」

「まだ済んでねぇよ! 済みませんでしたとか勝手に済ませんな」

ガラステーブルの上にあった茶筒が飛んでくる。角が腿に当たり痛みを感じた。何を言っても悪いらしいのでどうすることもできず頭を下げ続けた。

デスクに戻ると未処理の書類が二段増えていて何部の誰某までとメモ書きが置かれていた。時計の短針はすでに一つ進んでいた。

はじめて入った会社ではじめての上司や先輩、同僚――三人ほどいたが今はいない。何もかもがこういうものなのだろうと、会社とはこういうものなのだろうと教えてくれた。想像の数倍以上に社会は厳しく、学生時代に見たファミレスで会社員が談笑しながらランチをしている風景はドラマのワンシーンでしかなかった。あれはごく一部の許された階級に違いなかった。

それを六日間繰り返せばまた生き返れると思うと、いつもより仕事がはかどっているように感じた。それでも周りが何も変わらないことが個人の影響力の限界を示していた。

待ち遠しかった週末を超えて大切な休日がきた。一週間ドアにぶら下がっていたネクタイに環をつくり、首を通す。長縄跳びを跨ぐような軽い気持ちで暗転する。

目覚めるとたしかに月曜で私はベッドで天を仰いでいる。

「あのぉ、富山さん、その痕どうしたんですか?」

五分ばかりの食事の時間、給湯室にいる女性社員の片方に声をかけられた。どうせ話のネタにでもしようという魂胆なのだろうがどう言われようが知ったことではなかったのでそのままに答えた。

「休みの日に家で首吊ってるんですよ。その痕じゃないですかね」

日焼けの理由をきかれたくらいに答えると、険しい顔のまま彼女はここを去っていった。

コンビニのおむすびをミネラルウォーターで流し込み仕事に戻った。

仕事中、確かに痕があるのは見る人からすると気持ちいいものではないなと思ったが、唯一見つけた楽しみをそれだけのために辞めることは気が引けた。

「富山、ちょっといいか」上司が迷惑そうな、神妙な面持ちで寄ってきた。

いつも通りに給湯室へ連行され、気の毒そうな視線を向けてすれ違う女性社員二人と入れ替えに入る。

「まあ座れ」

ここの椅子にははじめて座った。

「何か悩んでることがあるなら言えよ?」

「はい、ありがとうございます」

模範解答になりうるだろう返答をすると話はあっけなく終わった。

デスクに戻っても書類は増えていないほどあっと言う間だった。

その週はそれ以上呼び出されることもなく、珍しく平穏という言葉が監視に来ていたような六日間であった。

その休日、幾分ストレスの少なかったせいか普段よりも思考がクリアで、及ばないところに考えがいった。毎週こうして環に首を掛けることを楽しみに生きていると言うのも変な話だ。そしてもっとも不可思議なことが、いったいどうして朝になるとベッドで寝ているのか、ということだ。結び目は固く結ばれたままで私だけがするりとタコかヒトデのように抜け出してベッドまでぶよぶよ泳いでいったみたいではないか。それにしてはあまりにも綺麗に寝ているのも気持ち悪いものだ。その日はなんとなく考えから自分の行動がどうなのかと思いそのまま何もせずに終わった。張りのない休日だった。

休んだ気のしない月曜日を迎えたまま出勤すると視線が一点に集まる。その消失点であるように入口で挨拶をする自分が、日頃向けられることのないそれに、今にも消えたくなるほどであった。

デスクに向かって一歩一歩、歩くごとに視線の本数は一本一本減っていき、最後には隣の――話したことすらない先輩の一本が残り、消えた。

オフィスの中はいつもと変わらないようでいて、一度収束した線が点を抜けて放射状に飛散していったように慌ただしさを装っていた。

水曜、木曜には出社も億劫なほどに疲れが噴き出さんばかりに溜まっていて、部屋を出るために通るドアのネクタイがゆらゆらと手を振って送り出しているように見える。こいつは先週からずっと待っているのだろう、疲れた体を再び蘇らせるためにこうして。

職場がコーンと静かになったその週は、これまでの直接的なストレス要因とは違う負荷に神経を焼かれているようで月曜の気だるさが三倍に濁ったようだった。

家に帰ると、スーツのままでネクタイを外し、ワイシャツの第一ボタンだけ指で缶ビールのプルタブを開けるように取り、レイの花環を首に掛ける。まるでリゾートか天国にでもいるような気分で再びベッドへと戻れるはずだ。蛍光灯に白む視界が暗転しする。

気がつけばベッドに上で、皺くちゃのスーツのまま新調した服を着たようなパリッとした気分で目覚める。

おかしな話ではあるが死んだ翌朝のほうが気持ちがすっきりとしている。いやこの言い方もおかしい。死んだのに朝目が覚めるというのでは寝ているのと違いがないのではないだろうか。死と眠りでは細胞レベルで状態がまったくもって違っているではないか。生と死、相反する活動がなぜ同じもののように毎夜私に訪れるのか、ストレスのあまりこの身体はどうにかなってしまったのだろうか。いやストレスで死ぬ者の話は耳したことはあるが、毎朝生き返るような話はとんと聞いたことがない。小説で、朝起きたらというのはあった気もするがこれはまぎれもない現実であって、確かに衝動に駆られて常識から逸した行動をとったかもしれない。しかしそれが不死であることとは関係性がない。死んだらそれで終わりではないか。それをこうしてのうのうと生きているわけだ。先週の女性社員ではないが、こんな話を他人から聞いたら自分もぎょっとすることだろう。さぞかし嘘臭い話に聞こえることだろうが、首の痕が信憑性を見せるのだから、やはりぎょっとするわけだ。

白いオーロラのようにひらひら揺れるカーテンを透く光に目を覚ます。頬に落ちる朝日は赤ん坊の産毛が触れるように柔らかく再び意識を眠りへと引き込むには充分に温かい。

はて、一体いつからここで眠っているのだろうか。

脇のドアには私であった骸が一体、暗やかにぶら下がっている。

会社へ行かねばならない時間は間もない。

 

2013年8月2日公開

© 2013 渡海 小波津

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