ここに来て、再び読者は混乱する。明らかに構成が変わるからだ。場面としてはブルームとスティーブン・ディーダラスが新聞社でそれぞれ談義をしてすれ違うといったところだ。二〇〇~三〇〇字程度の断章でめまぐるしく場面が転換していく。新聞社の忙しない様子を視覚効果として端的に狙ったものかもしれない。綴りや、競馬予想など紙面を飾る文言についての会話にも活気がある。やっと二章でディーダラスがディージーから受け取った弔文が出てくるというのも感慨深い。もうほとんど忘れ去られているような出来事がふと戻ってくる。これは意識の流れというより、読者の記憶を呼び起こすようなものだ。
新聞社というと、米国の伝説的ジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンによる自伝をブルース・ロビンソン監督が映画化した、ジョニー・デップ主演の『ラム・ダイアリー』を思い出す。ジョニーはこの映画で共演したアンバー・ハードと結婚し、離婚、そのあと彼女の名誉棄損を訴えた訴訟によってキャリアを崩壊させるような泥沼化した裁判を勝利した。わたしは原作の方も読んだが、多分に脚色されていて映画ではデップ演じるトンプソンが酒浸りの生活から抜け出して巨悪にジャーナリズムで切り込んでいくわけだが、現実はそんなカタルシスはなくトンプソンは変わらないまま仕事を移る、開かれたラストになっている。この辺りにハリウッド的傾向が見られる。
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