僕が芥川賞を獲ったのは一九五六年、第三十四回だったかな。今日は若い人が多くて、みなさんからしたらもう太古の昔、という感覚かもしれないけれども、まあ今日はこういう場で機会を与えられたんで、暴走老人がノスタルジックに何かしゃべってるな、という感じでね、楽な姿勢で聞いてください。
さて、芥川賞の話からさせていただくと、今の芥川賞の盛り上がりがあるのは私のおかげ、という面が多分にある。なんだか傲慢というか、我田引水に聞こえるかもしれないが、これは自慢でも何でもなくて、事実としてそれまで芥川賞というのは大変に地味なイベントだったんです。第一回で太宰治が石川達三に敗れて獲れなくてね、選考委員の川端康成に物騒な手紙を送りつけたとか、そういう文壇での事件は引き起こしたけれども、世間一般には浸透していなかった。当時は文学と社会がはっきりと切り離された形で存在していて、文学なんてものは非社会的人間の生き残るための手段にすぎない、という認識が強かったんだね。とにもかくにも僕の『太陽の季節』のような小説が獲ったことで、社会と文学がやっと接続された、というようなことを言ってくれる人もいた。三島さんなんかはね、あの人晩年はちょっとおかしかったけども、僕の小説が、初めて知的なるものに侮蔑を突きつけたと言ってるの。戦前はその役割を軍人が担っていたんだけども、その軍人が消えて、既存の文壇における知性への盲信とでも言うのかな、そういう思い上がりを疑う目というか、ある種の自浄作用のようなものが、文壇の中になかったんだね。そこに僕が登場して、文壇の知性の内乱が起こったと、こう言うんだ。あの人は本当に物事を正しく見抜く目のある人でした。僕が政治家になったことは気に入らなかったみたいですけどね。これは中森明夫から聞いたんだが、あの人が佐藤栄作の奥さんの寛子さんにね、こう言ったそうなんだ、「あーあ、つまらねえな、ノーベル賞は川端さんに獲られちゃったし、石原は政治家になっちゃったし」って。僕が思うに、あの人は文学的なものと政治的なもの、そして肉体的なコンプレックス、それらに色んな方向から引っ張られて、ずたずたに腹を切り裂かれたんじゃないか。才ある人があんなくだらない死に方をすることは非常に残念です。太宰の苦悩なんて乾布摩擦すれば治る、なんて言ってたのにね、僕にしてみたら三島さんの苦悩だって、乾布摩擦すりゃ治ったように思う。それは、苦悩の傾向と深度は人それぞれ、と言えばそれまでなんだけども。
それで、芥川賞といえば、昔文藝春秋の企画でね、センセーショナルな形で芥川賞を受賞した三人の対談っていうのが組まれて、そこに呼ばれたのが私と村上龍と綿矢りさだった。あまり内容のある対談じゃなかったんだが、一つ覚えているのが、「まあ私たち、世間でもっとも評判になった受賞者という名目で集められたということらしいね」なんて私が最初に切り出したんだが、それにかぶせて村上龍は「それに僕たち、顔も悪くないときている」なんて言ったんだね。綿矢さんは苦笑していたけれども、僕はあいつはバカなんじゃないかと思った。歳取ってバカになっちゃったんだろうね。
最初に出てきたとき彼は文体がすばらしくてね、僕の長い間見てきた新人の中でも突出して良いな、なんて思っていたんだけれども、高橋源一郎っているでしょう、彼は読んだ小説をなんでもかんでも褒めるんで私はあまり信用していないんだが、彼がね、現存する作家では、文章に関して最大の天才は村上龍だって言ったの。ふざけるな、僕もまだ死んでないぞ、なんて思ったんだけども、初期の村上龍というのは本当に、危険な才能を爆発寸前のところで文章化しているところがあって、あの透明ななんとかって小説を読んだときにね、次々に鮮明な情景が浮かんで、ああ、この作者は絵を描いているなってすぐに思った。後で聞くと彼は武蔵野美術大学にいたそうで、僕の眼もまだまだ腐っていないなって思ったの。でもその後が良くなかった。彼は偉大な作家になる可能性を秘めながらも、妙な方向に向かってそれを殺したと思うね。政治やら経済やらの半端な知識を身につけて小説に書き始めてね、なんとか宮殿なんて番組までやってさ、あれ、コンプレックスだよね。彼は中上健次やら、批評空間の柄谷行人やらと仲良くしていた時期があったんだよ。みなさん知ってるかな、中上健次っていう、『岬』とかね、『枯木灘』なんてなかなか優れた作品を残した作家がいてね、若くして死んじゃったんだけども、それで村上龍が芥川賞の選考委員に初めて就任したときにね、「私は受賞作の水準を中上健次の『岬』に定めていた」なんて言ったんだよ。バカだよね、小説の世界で、何かの作品を水準にして絶対評価を下すことなんてできやしないんだから。そもそも評価を下しがたい小説というものに何とか評価を下そうというのが文学賞という試みなんだけれども、選考委員の中には村上龍みたいなバカもいますがね、芥川賞はまだフェアな判定をする方なんだ。他の賞、特に芥川賞の後のプロ向けの賞なんてポリティカルな面が必ず含まれているわけ。それを指摘したら吉行淳之介なんか怒ってたな。「そんなことはない」「ある」「ない」なんて、やっぱり文士がそれを認めるわけにいかないのね。吉行は文壇を守ろうと必死だったんだ。僕にとっちゃあんなつまらない組織どうでもいいんだけどさ、一番つまらないのが、政治家が良い小説を書くことを認めないことね。政治家は政治家、文士は文士、俺たちの領域を侵すなという、そんな排他的な空気を感じる。僕の『太陽の季節』の一撃以来、多少はましになったという気がするんだけれども、やはり本質的なところは変わらないね。日本における文壇っていうのはいまだに非社会的存在の連合なんだよ。バカバカしいでしょう、非社会的存在が一生懸命に文壇を作って、僕みたいな、三島さんに言わせれば「まれびと」ということなんだけども、威勢のいい、政治までやっちゃう社会的人間が大きな顔をすることを、まったく許さないね。精神的、社会的弱者がはびこっている。もちろんそういう人間にしか見えないものがあることを否定はしないが、弱者の比率が高すぎるんだ。それでこんな、絶望的に先細っているんじゃないかと思うね、多様性の確保を怠った組織は必ず壊れますよ。政治も同じことなんだけどね。
村上龍の話に戻るけれども、彼が何十年も前に中上や柄谷と座談会をした資料があってね、当時村上龍は無学だったけれど猛勉強を始めたところで、中上や柄谷にね、それが知性に対するコンプレックスのあらわれだってすごく馬鹿にされてたの。「お前って永山則夫に似てるね」なんて、「『無知の涙』だね」なんて言われて、文字の上でしか見ていないけど、悔しかったろうと思うね。浅田彰とか蓮見重彦とかね、そんな頭でっかちと対談して、対等にしゃべろうとがんばってさ。蓮見なんてバカの極致。わかりやすくあっさり書けるようなことをグチャグチャとこねくりまわしてね、蓮見文体なんてありがたがる奴もいたけど、正直読んでられない。ついでに言うと大江も退屈だね。ロシアフォルマリズムってあるでしょう、自動化された日常を異化して読者に示す、なんて言ってね、一行で済むようなことを五行も六行もグチャグチャやってる。大江はノーベル賞を獲ったけども、全然凄くもなんともない。
まあ村上龍はそんな頭でっかちの蓮見みたいなのに一生懸命作った映画をコケにされたりしながらね、それでも知的人間としての教養を獲得しようともがいてきた。今の村上龍はそういうものを力強く乗り越えて存在しているわけだけども、彼は仲良くする相手を間違えたんじゃないかと今でも思っている。彼は知識なんかで武装せず、自分の芸術家としての優れた感覚をもっと磨いていけば良かったんだ。惜しかったね。今、本当に芸術のことがわかる人間なんてそういないんだ。芥川賞の選考だってさ、僕はもうやめちゃったけど、いつか自分が足を払われるようなとんでもない作品に出会えるんじゃないかと思って毎回わくわくして候補作を読んでいたんだが、僕の期待に応えてくれる水準のものはついになかったな。
三島さんとか村上龍とかね、みんなコンプレックスを持ってるという話なんだけども、僕自身のコンプレックスについても言わなきゃフェアじゃないね。こういう話は尻教会の外じゃあまりしないんだが、なんて言うのかな、僕は一橋大学を出ているんだけども、まあ伊藤整とか城山三郎とか田中康夫とか、楽天の三木谷とかね、面白い人材をたくさん輩出した大学ではあるんだけども、やはり東京大学が良かったな、という気がする。これも昔の話になるんだが、山野一というアヴァンギャルドな漫画家に『四丁目の夕日』という非常に示唆的な作品があってね、その主人公が町工場経営者の父親の下で、貧乏ながらに受験勉強をがんばっているんだ。本当にこれは残酷な話で、結局彼の母親は不幸な事故で全身火傷を負ってしまい、汗水たらして働いている父親は工場の機械に巻き込まれて無惨にもグチャグチャになってしまう。僕がこれを優れていると思うのは、グチャグチャになった父親を見開きで、細かく描写しているのね、がっちゃこぉん、がっちゃこぉん、と父の死に関係なく動き続ける大きな機械と、もう肉片でしかなくなってしまった父親がはっきりと描かれ、それを息子が自分の目で見てしまう。僕は本当にうわっと声を出してしまった。目を背けたくなったんだけど、なんだかそこに人間の普遍的な人生というものが読みとれた気もしたんだよ。読んだのがちょうど、いささかニヒリズムに取り憑かれていた時期だった、というのもあるかもしれないけどね。それで、その主人公が目指しているのが一橋大学なの。本当は東京大学が良かったけど、うちには浪人する金はないし、私立に行く金もないし、安全圏の一橋にしたんだ、なんて言ってるのね。僕は一橋なんてそんなものかと落胆した。やっぱり、東京大学なんだなあ、と思ったね。都立大なんか僕、「首都大学東京」って名前に変えてやったけれども、そのうちにね、東京大学も「大学東京」にしてやろうかと思ってるんですよ。それでよくわからなくして、あれ? 一橋の方が上だっけな、なんて、みんなが錯覚すりゃいいと思ってるんです。
第十章・完
"グランド・ファッキン・レイルロード(10)"へのコメント 0件