シュトラーパゼムの穏やかな午後(1)

シュトラーパゼムの穏やかな午後(第1話)

佐川恭一

小説

5,944文字

CRUNCHNOVELS新人賞特別表彰作品。

スリーアウト、チェンジ

 

そう言われた俺はバッターボックスから出ることを潔しとしなかった、なぜならまだ昨日録画していた評判の芳しくない大河ドラマを最初の八分間しか観ていなかったからだ。「時をかける少女!」審判はトラベリングのサインをしながら叫んだ。俺は飛んできた唾をよけ右ポケットからスミス&ウェッソンM2913を取り出し、ピッチャーに向けて撃つふりをしながら、「君たちに明日はない」と言ってみた。するとキャッチャーが威勢よく立ち上がり、俺の胸ぐらを掴んで言った。

 

「明日なんて、誰にあるって言うんだ?」

 

俺は諦めて、バットの先にいつもくくりつけてあるゲーテの『ファウスト』を読み始めた。キャッチャーはただ現在のみがあるという唯現在論者で、過去や未来などは空洞に過ぎないという考えの持ち主、つまり俺とは決して相容れない考えの持ち主だったからだ。俺は異なる考えをぶつけあって弁証法的にアウフヘーベンしていくという行為を無意味だと思っている。異なる考えは異なる考えとして在り続け、ふたつの考えからひとつの「より良い」考えを創り出したとしても、それが「より良い」のかどうか精確に検証する術はない。こういったことはすべて主観的な問題で、主観的な問題に一元的な解答を与えることは不可能である。どうせそんなものであるのだから、俺は自分の考え方を外界からの刺激で簡単に変えたりしないぞと強く心に決めていた。

 

「とまれ、お前はあまりにも美しい」

 

キャッチャーが言った。俺は手元の本が透けて見えているのかと慌てたが、キャッチャーはこちらになど一瞥もくれずPSPをプレイしていた。

「何のゲームだよ」

「ラヴァーズ・メモリアル」

ディスプレイにはアニメ画の美少女が映し出されている、下には「い、一緒に、帰ってくれない、かな?」というテキストが表示されており、俺がそのシチュエーションに興味を示さなかったと言えば嘘になる。

「人生は」

キャッチャーは○ボタンを、球場全体に音が響き渡るほど強く連打しながら言った。

「一本の恋愛SLGにも若かない」

 

 

翌日、俺は職場で笑いものにされた。

「お前、昨日の野球大会でバッターボックスから出なかったって?」

俺は懸命に説明を試みた、前日に録画した評判の芳しくない大河ドラマを最初の八分しか観ていない状態で素直にバッターボックスを退く人間がいるとは考えにくい、同じ立場なら誰だってそうしたはずだ、と。しかし「理解」を示してくれたのは永島グレートヒェン紗枝子だけだった。「わかるわ」と彼女は言った。「私だって、録画していた月九を八分間しか観ていなかったとしたら、同じことをしたと思う」

俺はアハハ、と乾いた笑い声をあげながら思った――

こいつは何もわかっちゃいない。

何もわかっちゃいないのに安易に「理解」を示すような態度を取る永島グレートヒェン紗枝子よりは、周囲の確信をもった嘲笑の方に分がある。

「ツーストライク、ワンボール」

その時、昨日のキャッチャーが俺の所属課の前を通った。

「よう、キャッチャー」

「よう、三振王」

俺はイラついたが、コイツに言ってやろうと昨晩から考えていた科白を、たっぷりと皮肉を込めたイントネーションで投げかけた。

「『明日』はないんじゃなかったのか?」

キャッチャーは噴き出した。

「明日はないぜ。今日は今日なんだ。明日なんかじゃない。昨日の時点で明日だったところのもの、そしていまそれは今日なんだ。いつだって明日はないのさ」

俺は相互理解のあまりにも難しいことに驚いていた。永島グレートヒェン紗枝子は「あのキャッチャー、何を言ってるのかしらね」と俺に耳打ちした。彼女の発言はいつも的を射ていない。俺はキャッチャーの言わんとしていることをわかっている。しかしなぜわざわざその考え方を採用しているのかについて疑問を持っているというだけだ。しかしこの疑問も、主観に関わる問題の前では無意味である。

 

 

「あっ、今日はあの日だからダメだよ」

それを聞いた俺は膝から崩れ落ちた。良い意味で、である。街でいちばんの美女との呼び声高い津原マルガレーテ亜理沙とはコンドームを装着することなく生での性行為(一応いく瞬間にはペニスを抜き外出しするように心がけている)を繰り返しているので、毎月俺は底なしの恐怖と、同じぐらいの安堵の間を行ったり来たりしているのだ。これは日々の退屈な日常に彩りを添える刺激的なロシアンルーレットでもある。

津原マルガレーテ亜理沙と性行為をするようになったのは今の職場、P市役所に就職してからの話だが、彼女とは高校時代からの知り合いで、いつも恋愛相談をする仲だった。つまり俺たちは相手の望むことや嫌がることを互いに熟知しているわけで、上手くいっている部類に入るナイスカップルであることは疑う余地がない。しかし問題は、俺が彼女を恋人と見なしていない、換言すればセックスフレンド的存在以上のものではないと考えていることだった。彼女が妊娠してしまった日には、これまで長い時間をかけて練り上げてきた人生設計をすべて瓦解させ一から再構築するはめになる。それだけは何としても避けねばならないのだが、彼女の方は俺との結婚をそろそろ本格的に考え出しており、妊娠したら仕事辞めて専業主婦になろうかな、なんて暢気なことをベッドの中で、俺のペニスを優しくさすりながらのたまうのだった。

「なんてひでえ奴だ、ならコンドームはめやがれイカレチンポ野郎!」

というような声が当然上がるだろう。何人かの友人はこのやり方に異を唱えて俺の元を去って行った。しかし待ってもらいたい。今から突然ゴムをはめるというのは、彼女に対して極めて失礼な行為であるのだ。それは俺が妊娠を望んでいないということを露骨に示すに等しいのではあるまいか? 俺は彼女をセックスフレンド的存在ととらえてはいるが、そのことを彼女自身には伝えていない。そのため彼女はすっかり俺を恋人だと思い込み将来の結婚相手だと確信している。彼女のことを思えばその誤解を解き、早急に関係を解消すべきだということは重々わかっているのだが、先に述べたように、俺はこの、あの日が来るか来ないかという恐怖感と、それが解消された時の安堵感の虜になってしまっているのだ。ゲイの世界では、エイズにかかるか、かからないかという、ほとんど生死を賭けたエイズ患者とのアナルセックスを愉しみとする者が多数存在するという。それにくらべれば、俺の退屈しのぎは子供だましの域を出ていない、かわいいものではないだろうか?

一度整理してみよう。俺と彼女について「最大多数の最大幸福」を考えるならば、俺と彼女が生セックスを味わい尽くし、俺はロシアンルーレットの興奮を愉しみ、結果的に妊娠することなく、ほどよいところで互いに納得して別れる、という経過がもっとも望ましいということになる。誰が何と言おうと、俺は自分の人生がこのルートを辿っているのだと信じて生きる。あえて自分の最高の幸福を信じない生き方の、果たして何が楽しいと言うのだろうか?

 

 

俺は、部屋に一人でいるときには必ずコーヒーと煙草を用意し本を読む。これが至福の時間である。実のところ、ゲーテの『ファウスト』を俺はろくに読んではいない。いつもバットの先にくくりつけてあるので、たまに行われる野球の試合中に数ページずつ読む程度、だから某出版社から出ている上巻の半分もまだ読めていない。

俺が本を好きなのは、本の提唱する思想が決してぶれないからだった。同じ作者が時を経て考えを変えようが、すでに著された本の思想は変わらない。もはや本は書き手を離れて独立して存在するものなのだ。だからそれを書いた男がいけすかないインテリ気取りのオシャレ眼鏡サブカルクソ野郎であろうが、黒のワンボックスカーでエグザイルをバオンバオンさせている知性の著しく不足した素朴な脳筋野郎であろうが、書かれたものに価値があれば俺はそれを素直に読む。しかしその価値判断もすべて俺の主観である。芸術の評価はすべて主観的なものにすぎない。評論家、批評家などと呼ばれる人間は客観的な評価を定めようとするがそんなことは不可能に決まっているのだ。相反する思想を並べるふたつの書物を、同じように、公平に、客観的な視座を保って評価するなどということは欺瞞である。その場合、片方を絶賛するならば、片方をクソミソにけなす外ないはずなのだ。それを、まるで神の視点から俯瞰し「これも素晴らしい、あれもわかるし、それも良い」などと、マジでふざけているとしか言いようがない。何かを選択し、自らの立場を表明することは他者からの攻撃に晒されることでもある。それを恐れる人間には何も語る資格がない。その批評にはそいつの人生がのっていない。しかし現在、八方美人的態度が一番やりやすいことは確かだろうし、評論家や批評家に限らず、一般的な仕事においても強い主義主張を持たないのが一番楽であろう。

そう考えると、自らの考えを曲げないキャッチャーのような男は十分に評価に値するし、俺もそのようでありたいのだ。ふらふらとあてなく彷徨う根なし草でなく、ひとつの確固たる思想と行動体系を持ちそれらが一貫している、一個の存在を主張するに足る人間。

 

 

「ユー・キャン・ドゥ・イット!」

俺がせっせと仕事をこなしているところにやってきたのはユー・キャン・ドゥ・イット本部長だった。彼は誰彼かまわず励ましの声をかける。

「君はまだ自分の内に眠る真の力を出し切れていない、ユー・キャン・ドゥ・イット!」

いくら失敗しても怒られないというので部下一同は特に彼を問題視していなかったが、彼の底なしのポジティブさがハリボテの偽りであるということは、彼が怪しげな新興宗教に耽溺していることからほぼ確実だと俺は思っていた。いつだったかユー・キャン・ドゥ・イット本部長に小洒落たフレンチレストランに呼び出され、「ハッピー・ライト・オーダー(HLO)」なる宗教団体への入会を勧められたことがある。新会員を勧誘すれば位が上がっていくらしいのだが、馬鹿で有名な本部長はまだ一人も勧誘に成功したことがない。HLOの構成員が一人残らずヤク漬けであるということは、HLOでは最下層に位置する本部長が仕事中ずっと「ドラッグ大全集」を読みふけっていることや、三日に一回は瞳孔が開き無駄にハイになっていることなどから明らかだった。

「うぷおつ」

「はい?」

「うぷおつ!」

本部長は突然うぷおつと叫び出し、一瞬何のことだかわからなかったが、二秒後に俺は青ざめた。これはネット上で、「アップロードお疲れ様」の意味で使われるスラングだ。「うp乙」と表記されたり、「うぽつ」と略されたりする。つまり本部長は俺がネット上に載せた、俺と津原マルガレーテ亜理沙とのセックス・シーンを鑑賞したのだ。俺は不特定多数に向けてそれを発信することを趣味としているのだが、まさか本部長に観られるとは思っていなかった。

「ユー・キャン・ドゥ・イット!」

本部長は言葉を失った俺の肩を叩き、ホロコースト課の方へと歩き去った。

 

 

夏になった。彼女の生理が遅れ出し、わたしはかなり慌てふためくこととなった。もしや、あの、退屈を殺戮するためのロシアンルーレットにより、俺の精緻な人生設計が崩れてしまうのだろうか?

まさか!

俺は健康な男女同士がばっちりのタイミングでセックスをしたって妊娠の確率は三十パーセント以下だと知っている。それに、セックスは月に二回ほどしか行っていないのだから、それが危険日に当たる確率は非常に低いのだ。俺はなんとか余裕の笑みを保ちながら、妊娠という現象について調べた。いくら調べても無駄だった。個人的な問題の前で、確率が低いという一般的統計は何の慰めにもならなかった。それに、低いと言って良い確率でもなかったのだ。

 

 

「おめでたです」

俺はそれを聞いたときに絶望のどん底に突き落とされた。まるで床が抜けて永遠に落下し続けているような感覚に襲われ、身体はずっと落ちているにもかかわらず、視界に医者と津原マルガレーテ亜理沙だけが留まっていることで気分が悪くなり、脳がまっぷたつに裂けそうだった。

「本当ですか」

俺は吐きそうになりながら聞いた。

「本当です」

津原マルガレーテ亜理沙は俺に抱きついた。

「やったね、私たちの子だね、いつ結婚する?」

「しねえよ!」

俺は涙をこらえながら大声で叫んだ。勝手に産みやがれ、俺は関係ない、俺の単なる性的ロシアンルーレットの結果などが俺の人生を左右することがあってはならない、俺は緊張感を愉しんでいただけで、まさか本当に失敗するとは思っていなかった。失敗だ! 失敗した! 失敗の末にできた子供は不幸だ、必ず不幸になる、そんなやつは自殺するに決まっている。いずれ自殺する子供なんか初めから産まない方がましだ。

「そんなことないわ」

津原マルガレーテ亜理沙は言った。

「あなたが失敗だと思ってても、私はこの子ができたことがうれしくてたまらないわ。自殺なんかしない。させないわ」

「自殺ってのは勝手にするもんなんだよ」

「百歩譲って自殺したとしても、それまでの時間はこの子にとって意味のあるものなのよ」

「ない!」

俺は叫んだ。涙が流れていた。

「いずれ消えるものに意味はない!」

「なら、あなたにも意味はないのかしら?」

「ある、意味は俺だけにある、俺だけに付与されているんだ、お前らは記号にすぎない」

津原マルガレーテ亜理沙は呆れた顔をしていた。彼女のおまんこからは赤ちゃんがもう顔をのぞかせていた。

「あら、何て名前にしようかしら」

「カート・コバーン」

「あら、あれは本当はカート・コベインと読むのよ」

カート・コバーン!

 

 

カート・コバーンは顔だけを出したまま、なかなか外に出てこようとしなかった。

「あらあら、どうしたのかしらね」

津原マルガレーテ亜理沙が頭をなでると、カート・コバーンは目を見開いて言った。

「生まれたくねぇんだよ」

「あらぁ。どうして?」

「死んでる方が楽しいから」

こいつはなかなかやると思った。俺はその柔らかな頭をつかんで身体を引っこ抜いた。これが偉大なるカート・コバーン誕生の瞬間だった。

2015年7月13日公開

作品集『シュトラーパゼムの穏やかな午後』第1話 (全5話)

シュトラーパゼムの穏やかな午後

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© 2015 佐川恭一

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