シュトラーパゼムの穏やかな午後(4)

シュトラーパゼムの穏やかな午後(第4話)

佐川恭一

小説

8,441文字

CRUNCHNOVELS新人賞特別表彰作品。

 

 

また、仕事が始まった。休みというのはいつもすぐに終わるものだ、また五日間の労働に耐えねばならない、これの繰り返しで残りの人生が少しずつ削り取られてゆくのだ。社会人になってからの時の流れは尋常ではないほどに速い。俺は気付かぬうちに老人になり何も残さずに世を去るだろう。幼時、俺は自分を何か特別な人間だと思い込みもしたものであったが。そうではないということをそれぞれに知らせるのが、それぞれの人生の役割でもあるだろう。

普段通りに仕事をしていると、休日に殺したクソガキの顔が頭に浮かんだ。そうだ、後日承認のための書類を作っておかないと。俺は池上シェフチェンコ篤史のところへ行き、彼のパソコンを借りて起案文書を作らせてもらった。

「すまんね、ちょっと一人、現行犯でさ」

「あなる……」

池上シェフチェンコ篤史はよだれを垂らしながら、焦点の合わない目でただ前方を観ていた。彼の病状は良くなっていない、いや、悪くなる一方であるように見える。どうして彼がここまで駄目になってしまったのだろう、そこまでのダメージを彼に与えたものが、俺への一撃だけとは言えないはずだ。それまでに何か悪いものが蓄積していて、自らが繰り出したあのフックが引き金となり、一気に崩れてしまったのだろう。

そんなことを考えながら、俺はカート・コバーンが知らせてくれたダルビッシュ朋美の生年月日を叩き、世帯情報照会の画面で今は亡き彼女の息子についての詳細を調べ、即座に文書を作成した。

 

 

以下の者を廃人と認定し、排除してよろしいか伺います。

 

氏名:ダルビッシュ健三郎

生年月日:平成二十年八月十六日生

住所:ポール・ヴァレリィ市ル・クレジオ町バートランド二十七番地

 

たったこれだけの簡単な書類だ、こんな紙切れ一枚で一人の命を好きにできるというのはいかにも愉快なことで、次の異動希望調査で必ずホロコースト課と書こうという思いを改めて強くした。池上シェフチェンコ篤史にそれを渡すと、きっちり係長の机に置いてくれた、脳に異常が出ているとはいえ、仕事の流れは覚えているのだ。それは俺には少し恐ろしいもののように映った、人間としての機能を失ったまま、仕事の手順だけは覚えていて、機械のように淡々と生きていく――そんなことに耐えられる者があるだろうか?

幸福を手中に収められるのは馬鹿と狂人だけだ、とは十八世紀の哲学者・アーロン・ノヴォセリックの言葉である。もし池上シェフチェンコ篤史が狂人として生きる権利を得た選ばれし人間であるなら、彼にとって今の生活は幸福に満ちあふれたものかもしれない。俺から見れば自分が彼のようになることは耐え難いが、彼にとってみれば、それまでに背負ってきた様々な重荷から解放され、純粋に生きることが許されている現状こそが理想的なのではないか? そう考えると、途端に彼の方が羨ましい気にもなるのだった。

 

 

その日俺は仕事を定時で切り上げて帰ろうとしたがユー・キャン・ドゥ・イット本部長がやってきて「ユー・キャン・ドゥ・イット!」と言いながらサムアップしてきた。やれやれ何か話があるのだなと思い「何ですか」と聞くと、妙に派手な冊子を渡されたので、中身をぱらぱらめくってみるとHLOの会報誌だった。そう言えば俺はHLOに入会したのだったなと思い出した……何故入会したのだったか?

女優やアイドルとセックスできると聞いたからだった。

そうだ、俺はいまや離婚してフリー、誰に遠慮する立場でもない。早速、HLOの活動に参加しようと思った。

「あの、HLO会員は具体的に、何をすればいいんです?」

「パーティへの参加と、新会員の勧誘、そしてドラッグの販売だね」

「ドラッグの販売」

2015年7月13日公開

作品集『シュトラーパゼムの穏やかな午後』第4話 (全5話)

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© 2015 佐川恭一

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