グランド・ファッキン・レイルロード(13)

グランド・ファッキン・レイルロード(第13話)

佐川恭一

小説

5,590文字

カイエン青山、魂の独唱。

残酷な、まばゆいばかりの笑い声がドーム中に響き渡る中、かつてハンカチ王子に熱狂して同じ型のハンカチを七枚買った四十半ばの主婦はただただうろたえ、カイエン青山は三谷幸喜脚本の医者ドラマ『振り返れば奴がいる』でライバルだった石黒賢の命を手術で救うことができず悔しさのあまり血が出るほど強く拳を握りしめていたときの織田裕二ぐらいの勢いで拳を握りしめていた。

高笑いする田中将大に、私は我慢できず叫んだ。

 
「あんたのションベンみたいな球なら、いくらでも打てますよ!」

 

いやな優越感と軽蔑に満ちたどす黒い笑い声はピタリと止まり、全員が私に注目した。蒼井そらも大きな目をさらに大きく丸くして私を見つめていた。
「なら、打ってもらおうか」

田中将大はマウンドでうつむいているカイエン青山を乱暴に蹴り飛ばし、木製バットを私に向かって放り投げた。
「いて!」

私はバットを取ろうとしたがうまくいかず、額にバットの柄をぶつけてしまった。田中将大や周囲の人々は、私のどんくささにレーザービームのような冷たい視線を突き刺した。その中でも、わしは阪神ファンである前に野球ファンであるのや、せやから素晴らしい選手がよそにいたらそれが阪神の選手やのうてもきちんと褒める、そういうしっかりした目でわしは野球というものを見てるのや、というようなことを普段から大正駅周辺の飲み屋で語り合っていると思しき中年の男たちが好き放題に野次を飛ばし始めた。
「そんなんでお前、まーくんの球打てるわけあらへんやろ!」
「さっさと帰れやお前!」
「田中さんのことが気にいらんのやったら、出ていったらよろしいやん!」
「そうや、はよ出ていかんかいダボが!」

田中将大は「まあまあ」と熱心な観客たちをなだめ、落ち着いて投球の準備に入った。

私はバットを構え、田中将大の目を見すえた。

彼の妻である里田まいにはさほどの興味がなかったが、たまにブログをのぞくと木下優樹菜よりは美味しそうな料理をこしらえるようであったし、ルックスも私の好みではないとはいえもし横にいてくれたらみんなが美人だと褒めてくれるぐらいのレベルであり、そういう女性の尻に顔をうずめて笑いあえたら楽しいだろうなと思うことで、私はもともと好きではなかった田中将大への殺意をぱんぱんに膨らませ集中力を極限まで高めた。
「こうして投げるからには手加減はしない。いくぞ!」

田中将大はカイエン青山の六倍ほどダイナミックなフォームで155キロを超えるストレートを投げ込んできた。私はその球の回転をゆっくり見つめた。昔から、集中するとものの動きをスローモーションで捉えることができたのだ。欠伸が出そうなほど長く退屈な時間をしばらく過ごし、やっと近付いてきた球に向かってバットを思い切り振り抜いた。

 

パッコーーーーーーーーン!!

 

凄まじい衝撃音と共に球は高く高く上がり、メインステージ上に倒れている障子ちんこマンの遺体のちんこの部分に見事命中した。誰にも文句のつけられない、完璧なホームランだった。
あたりはどよめきに包まれた。田中将大は後ろを振り返り、障子ちんこマンのちんこのあたりを見つめて呆然としていた。そして、わしは阪神ファンである前に野球ファンであるのや、せやから素晴らしい選手がよそにいたらそれが阪神の選手やのうてもきちんと褒める、そういうしっかりした目でわしは野球というものを見てるのや、というようなことを普段から大正駅周辺の飲み屋で語り合っていると思しき中年の男たちがまた野次を飛ばし始めた。
「そ、そんなんまぐれやろー!」
「これはビギナーズラックいうんやで坊っちゃん!」
「せや! わしも初めて買ったハイセイコーの単勝が当たって競馬にはまったクチやさかい!」
「まーくん遠慮せんでええ! スプリット投げたったらよろしいやん!」

田中将大の頬を一筋の汗が流れた。
「スプリットでもなんでも投げたらええ。自分のションベンくさい球は全部ホームランにしたるさかい。アメリカ行く前にケチつけんのもかわいそうやおもたけど、わしと勝負するゆうてバット放り投げてきたんはお前や。せっかくやから現実の厳しさゆうのをたっぷり味わっていけや」

私は関西弁で田中将大を挑発した。
「……お前、俺のスプリットが簡単に打てると思うなよ」
「ごちゃごちゃ言わんと、ほってみいや」

田中将大はカイエン青山の八倍ほどダイナミックなフォームで145キロを超えるスプリットを投げ込んできた。私はその球の回転をゆっくり見つめた。欠伸が出そうなほど長く退屈な時間をしばらく過ごし、やっと近付いてきた球に向かってバットを振ろうと思ったところで球の軌道が変わりぐっと沈み込んだので、それをしっかりと確認してから余裕をもってバットを思い切り振り抜いた。

 

パッコーーーーーーーーン!!

 

凄まじい衝撃音と共に球は高く高く上がり、メインステージ上に倒れている障子ちんこマンの遺体のちんこの部分に見事命中した。誰にも文句のつけられない、完璧なホームランだった。

田中将大は私がNKHSCSDD(Nada/Kaisei High School Cold Sweat & Dogeza Disorderの略称)を発症したときと同じぐらいの汗を流し、立ったまま全身をぶるぶると震わせていた。あまりにも変な震え方だったので私はスマホで動画を撮って後藤田に送ってやった。気に入らない男ではあるのだが、フェイスブックを見る限りではスワッピングも平気でやっているらしい後藤田に恩を売っておけば、水野真紀とワンチャンあるかもと思ったのだ。
「……お前、野球やってたのか?」
「やってるわけないでしょう。僕は小学校時代には将棋クラブと漫画クラブを行き来していましたし、中学では科学部に入っていました。高校は帰宅部です」
「な、なぜ野球をやらない? お前のスイングなら大リーグでも活躍できるはずだ」
熱が冷め関西弁ではなくなった私に、田中将大は恐怖さえ覚えているようだった。観客たちは二打席連続ホームランの私の次の言葉を静かに待っている。みんな結果を残した人間の言うことしか聞かないのだ。そうでない人間の話は、無慈悲な阪神ファンのような輩の野次にかき消される運命にある。

――私は田中将大に向けて演説をぶち始めた。
「……あなたは長い間野球というスポーツばかりを信仰してきて、どうやら深刻な視野狭窄に陥っていますね。

いいですか、あなたの病理について少し展開させてください。前提から入らせていただきますと、まず『冷たい社会』『熱い社会』というレヴィ=ストロースの言葉があります。一つの絶対的な聖なる象徴秩序に従うことで成り立っていた前近代の『冷たい社会』は、 秩序の外にはみ出した過剰の部分を周期的な祝祭によって処理することで安定性を保持していました。しかし近代ではスタティックな象徴秩序が機能しなくなり、処理されない過剰を抱えた人々はそれをエネルギーへと変換し一方向へと狂気的な前進を始めます。そうした社会では、人々が走り続ける限りにおいてのみ、動的安定を得ることができる……

近代社会において人々を吸引し狂気的前進に駆り立てるものの例として、『貨幣』が挙げられます。貨幣は『熱い社会』においてあたかも『冷たい社会』における象徴秩序のような役割を担い人々のふるまいを制限しますが、人々は貨幣を聖なる絶対者のようには決して捉えていません。しかし、みんなが一様に貨幣の価値を認め、貨幣めがけて走り続けるため、仕方なしに自分も一緒に走っている……そうすることで、絶対的価値を持つわけではない『貨幣』を疑似象徴秩序とする資本主義社会が回り続け、いつか確実に訪れる破局を先へ先へと送っているわけです。そしてこれはただ便宜的に選ばれた価値であるにすぎず、無限に交換可能なものでもある……
もちろん貨幣だけではありません。法律や道徳といった『共同幻想』も、人々を走らせる一つの疑似象徴秩序であるに違いないんですね。だがこれらは絶対的なものではありえない。法律だって道徳だって国によって違いますよね。あなたの行くアメリカでは州ごとに違うくらいなんですから、これらは言葉の与えるイメージほどに普遍的なものではないんですよ。

何が言いたいかもうおわかりでしょう。野球というのは今挙げた、人々を吸引する疑似象徴秩序のミニチュア、それも限りなく小さなミニチュアにすぎないんです。『野球』なんてものに価値を見出しているのは、世界的に見ればごく少数の変わり者だけなんですよ。

エリック・ホッファーという思想家はこう言っています、『一つの社会であるものが支配的な価値をもつとき、本来べつのことに向いている人間もそれに向かう傾向がある』と。当たり前のことのようですが、大変に示唆的な言葉です。

もちろん日本という島国において野球が特権的なスポーツであることは動かし難い事実です。野球を至上の価値とする日本社会で、あなたは野球に向いていて、野球を選び取り、数々のライバルに打ち勝ってきた。しかしあなたの倒してきたライバルは、本当は野球でないスポーツ――たとえばアメリカンフットボールやバスケットボール――をやれば一流選手だったかもしれないのに、野球を価値とする日本に生まれ、野球を選ばされ、二流や三流の選手で終わってしまった可能性も高いのです。カイエン青山さんのストレートを見て高笑いするだけでなく、そのことを少しは哀れみをもって考えてみていただきたい。

そして、野球が特権的であるのは、あらゆるスポーツの中で日本人にとって特別に面白いものだったから、ではありません。偶然の要素が複雑に絡み合い、早いうちに価値を与えられたから現在も野球が支配的である、という程度のことにすぎないのです。そうして一度与えられた価値が人々を吸引し始め、いつの間にか小さな象徴秩序と化していく。日本人が野球に魅力を感じているのは、野球が面白いからでなく野球に価値があるとみなが信じているから……社会にそう信じ込まされているからなのです。ある日、すべての日本人が野球なんてつまらないと言い始めたら、あなたがいくら155キロのストレートを投げても、キレのあるスプリットを投げても、ただの危ない球を放ってくる謎のおじさんでしかなくなってしまうのだ、ということを、今日はしっかりと心に刻んで帰ってください」
「ま、待て!」

私が話を終え元の席に戻ろうとすると、田中将大がやはり汗でビシャビシャになりながら叫んだ。
「待ってくれ、野球をみんなが観なくなったら、価値を感じなくなったら野球は消える。それはわかる。でも、現在の日本で野球が信じられていることに違いはないし、これから先も、永遠にかどうかはわからないが、きっと長い間野球の時代は続くだろう。お前はその圧倒的なスイング力とミートセンスを持ちながら、野球を一切やらずに生きていくというのか?」
「野球なんてやるわけがない。球を投げる、棒に球を当てる、何が面白いのか、僕にはさっぱりわからないんですよ。僕のような人間がこれから増えれば、野球は遠くない将来に滅びるかもしれません。そして僕はあなたがいくら野球をすすめてきても、絶対に言うことを聞きません。なぜならあなたが高卒だからです。僕にどうしても野球をやらせたいというなら、東京大学をご卒業の上、もう一度おこしください」

学歴主義で有名な某鉄道会社の面接官のような私のせりふの後、田中将大ががっくりとうなだれた。そうして静まり返った場内で、手から血が出るほどの猛烈な拍手を始める男がいた。

カイエン青山こと、斎藤佑樹である。

「そうだァーっ! お前なんか高卒じゃないか! 野球がなくなったらただのアホだろうが! それに比べてどうだ、僕は早稲田を出てる! みんなの憧れるあの早稲田大学だァーーっ! バカが、どうした、何か言ってみろよ! 悔しくて声もでねえかぁああっははははははは! ほら、早稲田のやついるだろ、この中にさ、ほら、歌おう、僕たち高学歴の歌を歌おう! みーやっこっのっせーいーほーおく! わーせだーのっもーりにー! ほらどうしたんだよ、栄光の歌を歌おうじゃないか! わっせだーわっせだ! わっせだーわっせだああああああああああああッははははは! ハーーッハハハハハハハハ!!」

カイエン青山の笑い声が京セラドーム大阪アンダーグラウンドに悲しく響きわたる。会場には厳しい学力試験を乗り越えた早稲田出身者が多数存在していたが、誰もカイエン青山と一緒に歌わなかった。カイエン青山が早実にスポーツ推薦で入っていたからである。私はうなだれる田中将大と、狂気に陥ったカイエン青山を横目に、完全にどん引きしている蒼井そらを引き連れて元の席へと向かった。

そして、わしは阪神ファンである前に野球ファンであるのや、せやから素晴らしい選手がよそにいたらそれが阪神の選手やのうてもきちんと褒める、そういうしっかりした目でわしは野球というものを見てるのや、というようなことを普段から大正駅周辺の飲み屋で語り合っていると思しき中年の男たちの中に潜んでいた中川家の礼二が思わず叫んだ。

「いや、そんなん、野球の価値が幻想やみたいなこと言わはるけど、それやったら学歴も一緒ちゃいますの!?」

しかしその言葉はハイゼンベルク永田ディックKフランシスにもカイエン青山にも届かなかった。人間は強く信じる価値の中から、そして信じたい価値の中から、容易には脱け出せないのだ。
(ナレーション 田口トモロヲ)

 

第十三章・完

2015年7月16日公開

作品集『グランド・ファッキン・レイルロード』第13話 (全17話)

© 2015 佐川恭一

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