グランド・ファッキン・レイルロード(12)

グランド・ファッキン・レイルロード(第12話)

佐川恭一

小説

4,164文字

カイエン青山、魂のストレート。

今村友紀が去った後も、私は理三を突破した人間と同じ空間に自分がいたことが信じられず、全身の震えが止まらなかった。
「そ、そうだ、ぼ、僕は甘かったんですよ、文一に落ちるなんて甘すぎる、理三の合格圏内に入るくらいやれば文一に落ちることなんてありえないんだ、そ、そのぐらいやらなきゃだめだったんですよ! もちろん僕のいた高校は理三突破者養成学校の灘でも開成でもないし鉄緑会にも入っていませんでした、親にお金がないのに無理やり私立高校に入ったから塾には通えなかったんです、でも今村さんも言っていたように高校がどこかなんてことは大した問題じゃない、塾に入るか入らないかも本質的な問題じゃない、親が貧乏だったから馬鹿になったなんて言い出したらそれこそ他力本願の本物の馬鹿だ、僕が落ちたのもお父さんがクソみたいなギャンブラーだったせいじゃない、僕は、僕はそんなことを言う愚か者になりたくはない! そうだ、今だから言いますけど、僕は高校一年生の頃、灘とか開成って単語を聞くと冷や汗が止まらなくなって誰彼構わず土下座してしまう病気を発症しました。相手が灘や開成の生徒でなくても、灘とか開成って言葉を言われただけで頭を床にこすりつけて土下座していたんです。東大寺とか麻布とかラ・サールなんていくら聞いてもへっちゃらなのに、灘と開成だけはだめだったんです。母親は僕を心配して心療内科に連れて行ったものでした。そこではつまらない質問紙なんか書かされましたよ、気分が沈み込んだり、憂鬱になったりすることはありますか。仕事や趣味など、普段楽しみにしていることに興味を感じられなくなっていますか。人と話すのがおっくうですか。全然そんなことなかったんで、いいえ、いいえって正直に全部答えてやったんですよ。医者も『あなた、本当に何か問題でもあるんですか』って怪訝な顔してました。冷やかしなら帰っていただきたい! って感じで、ほんとに迷惑そうな顔してましたね。僕はというと得意な顔で『ええ、何の問題もないですよ』って吐き捨ててやったんです、さっさと家に帰って青チャートでも解きたかったですからね。でもそのとき隣に座ってた母親が突然、
『ピローン! 開成高校!』

って叫んだんです。高校生クイズの真似ですね。それで僕は汗でビシャビシャになって、反射的に母親に土下座していました。床にポタポタ汗が落ちて、しまいには顎から、細い水道みたいにつーっと汗が流れていったんですよね。医者は驚いてました、こんな症状は見たことがないって。それで急に僕に興味を示しだして。とにかく
『筑波大附属駒場高校! 筑波大附属駒場高校!』

って叫んでましたね。あんまりしつこく言ってくるんで何かと思ったらその医者、筑波大附属駒場高校から私立の医学部に進んだ人だったみたいで。どうしても『筑波大附属駒場高校』ってワードに反応して欲しかったみたいなんですね。でも無駄でした、何度やっても僕は灘か開成にしか反応しませんでした。医者はあきらめて、僕の症状を分析して医学論文を書き、専門誌にその成果が掲載され脚光を浴びました。病名は『灘・開成冷や汗土下座障害(Nada/Kaisei High School Cold Sweat & Dogeza Disorder)』です。一時期ニュースにも取り上げられて、ノーベル賞候補か、なんて騒がれてましたよ、知ってます? 結局発症したのが僕だけだったんで、一般性に欠けるなんて言われてノーベル賞には届かなかったんですけど、それがきっかけでその医者めちゃくちゃ有名になって水野真紀と結婚したんですよ。後藤田正純っていう医者なんですけどね。正直な話、ノーベル賞をとるよりも水野真紀と結婚する方がよほど難しいですよ。ノーベル賞なんて毎年ポコポコ出るけど、水野真紀と結婚できるのは全宇宙でたった一人ですから。後藤田正純はそれこそ僕に土下座して感謝すべきなんですが、あいつそんな素振り全然見せないで、銀座の綺麗なクラブホステスと豪華な個室トイレでヴァギナにペニス突っ込んだまま小便するのがサイコーだって言って、汚い汚い、小便と愛液がまじってはじけてるド派手な写真を童貞の僕に送りつけてきたりするんですよ、それはそれは自慢気に。たまにフェイスブックにも載せて自慢してますよ。写真の下に『小便漏れちゃいました』なんて馬鹿みたいな一行コメントつけてね。ええ、嫌がらせに違いないんです。そうそう、あのとき、心療内科の質問紙の最後に、あなたが死ぬまでに一度はやってみたいことを書いてください、って欄があったんですよ。そこに僕は、とても綺麗な女の人のおまんこにちんこを突っ込んだままおしっこしてみたい、と書いたんです、高校生なら誰でも持つ夢ですから。誰も言わないだけでね。そのときのことを後藤田のやつは覚えてたんでしょう、ねちっこいやつなんですよほんと。よっぽど筑波大附属駒場高校に反応しなかったことが悔しかったと見える。そりゃまあ、筑駒は確かに……」
「ピローン! 灘高校!」

 

……私は冷や汗でビシャビシャになりながら蒼井そらに土下座した。

蒼井そらが楽しげにけらけらと笑った。
「治ってないじゃない」
「治ってません、後藤田の医学論文でも不治の奇病として紹介されましたから。馬で言えばマリー病みたいなものですね、ダンシングブレーヴっていう世界的な名馬がかかった四肢の痛む病気なんですけど、ええ、みどりのマキバオーでカスケードも患っていたあれです、僕の場合は灘とか開成とか聞いちゃうと足を土下座の形にしないと激痛が走るんですよ、だから土下座せざるを得ないんです」
「よくわからないけど、あなたも大変なのね」
「でもきっと東大文一に合格すれば治ると思います。灘や開成でも文一に落ちる奴はたくさんいる。少なくとも灘や開成の生徒の一部に勝利しているという事実さえ確からしいものになれば、これは治るはずなんです。まだこの病気を発症したのが世界で僕一人ですから、僕が東大文一に合格しなければこの仮説は仮説のまま終わってしまうんですがね。来年にはきっと文一合格が灘・開成冷や汗土下座障害(Nada/Kaisei High School Cold Sweat & Dogeza Disorder)の治療に劇的な効果をもたらすってことが明らかになると思いますよ、明らかにしてみせます。ええ、わかります、『レナードの朝』のロバート・デ・ニーロみたいにならないかって心配してるんでしょう、東大文一合格という強い薬によって一時的に治ってもまた――たとえば大学に入った後に講義を受ける中でやはり灘や開成の生徒の優秀さに叶わないと感じて自信を喪失するなどして――短期間のうちに薬の効果が薄れていってしまうんじゃないか、ということですね。しかし僕は大丈夫だと踏んでいるんですよ、なぜならそこは東大だからです。その舞台に上がることのできなかった灘や開成の最下層の生徒というのが絶対に存在するからです。どうです、完治も夢ではないと思いませんか?」
「ええ、そうだといいわね」

蒼井そらが少しずつ興味を失っていくのに気付きながらもそれを無視してぺらぺら喋り続けていると、京セラドーム大阪アンダーグラウンドの後方から突如歓声が起こった。蒼井そらが助かったとばかりに後ろを振り返ったので、私も話を中断して一緒に振り返らざるをえなかった。見てみると、どうやら障子ちんこマンの講演が予定よりも短い時間で終わった穴埋めのため、ニューヨーク・ヤンキース入りの決まった尻教会野球部主将・田中将大の送別会が急遽催され始めたようであった。

彼は朗らかな笑顔でみなにピッチングを披露していた。150キロを超える迫力あるストレート、見えない壁にでも当たったかのように鋭く落ちるスプリット……彼が一球投げる度にやんやの喝采がわきおこった。
「一体なにが面白いんです、あれは」
「呆れた。あなた本当に受験にしか興味がないのね。近くに行って見てみるといいわ。世界レベルの人間というのがどういうものか、きっと感じられるはずよ」

私は蒼井そらと共に、田中将大の周りに集まる野次馬の群れにもぐりこんだ。しかし真近で何球見ても私にはまったく感動の気持ちがわきあがってこない。ただただぼうっとしていると、後ろから突然大きな声がした。
「僕にもやらせてくれ!」

その男は鬼気迫る表情で田中将大の前に立ちはだかった。

カイエン青山こと、斎藤佑樹である。

「僕だってあのぐらい投げられる! 見てろ、僕は甲子園じゃこいつに投げ勝ったんだ、最後はこいつから三振をとって優勝した! 見てた人だって多いはずだ、みんな僕の球も見てくれ!」

田中将大は鼻で笑って席を譲った。

時は常に、止まることなく流れている。過去の栄光にこだわる愚かな人間は、決して後ろを振り返らず、残酷な時の洗礼に耐え、強く身体を押し戻してくる風に毅然と立ち向かう真の強者に勝つことができない……とでも言いたげな表情で、田中将大は静かにカイエン青山を見つめていた。しかしその実、尻教会野球部主将である田中将大は、早く帰って妻である里田まいの尻に顔をうずめたいなあと思っていただけだった。

 

「キャッチャー、びびってボール落とすなよ。いくぞ!」

 

カイエン青山はダイナミックなフォームで渾身のストレートを放った。

その球速は、後ろの電光掲示板に「118km」と表示された。人々は静まり返り、カイエン青山は昏い昏い孤独の中に閉じ込められた。カイエン青山は下を向いて、ハンカチで汗をぬぐった。甲子園で田中将大に投げ勝ったときに使っていた思い出のハンカチだった。そうして決して短くはない時間が経過し、かつてハンカチ王子に熱狂して同じ型のハンカチを七枚買った四十半ばの主婦が、ついに沈黙を切り裂いた。

 

あ、あの、今のってチェンジアップですよね??

 

田中将大が鼻水を噴き出して笑った。周囲もそれにあわせて笑い狂った。笑っていないのは、四十半ばの主婦とカイエン青山と私の三人だけだった。

 

 

第12章・完

2015年7月12日公開

作品集『グランド・ファッキン・レイルロード』第12話 (全17話)

© 2015 佐川恭一

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