どうということもない休日におそくに起きて水を一杯だけ飲んでぶらっとさんぽに出たが夏はなはだしく涼をもとめて昼間から冷たいビールを出す店に逃げ込んだ。私はカウンターのはじっこにすわって影になった。ほかに客はなかった。店員はマスターと思しき年配の男で私にキンキンに冷えたビールを出してすぐに奥にきえた。汗で肌にはりついたTシャツが冷えてきた。かえってねむりたいと感じたがかえっても家にはだれもいないしひとりですることもないのでここでつまらないじかんをすごすよりしかたない。私のすぐとなりには窓があって古びたカーテンがおりていた。店員もなく客もなくだれに気がねするひつようもないのでそれをあけると途端溶かすような光がなだれこんできた。まったく夏はきらいだと思った。夏の嫌なところは単にその暑さだけでなく繊細さに欠けていっそ下品とも言えるひと束いくらでたたき売りされているごとき大量の光にある。もう十五年もまえになるが大学時代に同棲していた女が私のことを吸血鬼だと言っていたがこれは言い得て妙で未だ私は慢性的に貧血状態にあり光を天敵としている。まぶしいとよけいにあたまがまわらなくなり結句よくないことばかりを考えて落ち込むことになる。してしまったことはすんだことでありたとえそれが前日の仕事のミスであってもやはりすんだことなのだが私は吸血鬼なのでちょっとした思いつきからカーテンをあけてしまったことでどこまでも鬱屈した気分にしずみこむ。今日と明日をうんざりしてすごして月曜日に出社してそのミスを処理してとりあえずことなきを得たとしてさらに次の金曜日にまた同じようなミスをおかしてうんざりする二日間の休日をむかえないともかぎらない。そうしてまたそのミスを月曜日に処理するわけだがそうすると私は常にことなきを得つづけていくわけでそうと分かっていれば休日に次の出勤日のことを考えて怯えつづける必要なんぞなく大きく構えていればそれでよいのだがなんとなれば私はこのうんざりして怯える休日をさほど厭に感じていない気がする。たとえばこうしてビールに手をのばしてグイッと胃にながしてそれからしばらくアルコールのちょっと上を意識がただようこの瞬間はうんざりと怯えがすこしだけ私と乖離して私の意識がそのうんざりと怯えを俯瞰している気がする。自分のことでありながらいくらかひとごとに感ぜられるこの感覚を私は好んでいるふしがある。とすれば私はみずから望んで金曜日にミスをおかしていることになりそれは会社にとって良いことではないのだが何も良いことだけをするために会社ではたらいているわけではない。
私はカーテンをしめた。店内はうすあかりだ。やはりうすあかりがよい。うすあかりのなかで生きていたいとおもうがはたして私のこの吸血鬼じみた習性はいつからはじまったのだろうか。部屋はあかるくなければならないという圧迫への反発だと思われるがそんな圧迫なんぞほんとうに過去にあったのだろうか。おそらくあったのだろうとおもわれる。あるいは小学生の低学年のころ寝起きがわるくて母親に部屋のカーテンをバッと暴力的にひらかれたのが一箇のトラウマになったのかもしれない。だがそんな記憶などなくてなんとなれば私は寝起きがよく目覚ましもなく勝手におなじじかんに目覚めていた。いつからか目覚ましがひつようになったが当時はしっかりくるいなくまったくおなじじかんにまいにち目が覚めた。ふしぎなものだ。だがあのころはそれであたりまえだったわけでむしろそれができなくなったことのほうがふしぎだったはずだ。じぶんのなかで常識が反転したのはいつだったのだろう。高校に入学したときにはすでに目覚ましをつかっていた気がする。契機として考えられるのは受験である。夜遅くまで受験勉強をしてそれで眠りにつくじかんがまちまちになりそれで朝起きられるかが心配になり目覚ましを使うようになったのだろうか。これはいかにもありそうなことだ。だが眠りにつくじかんがまちまちになると目覚めるじかんが変わるのだろうか。どうせ目覚ましにおなじじかんに起こされるのだとすればこれは結果としておなじじかんに目覚めるということで私は小学校から高校にいたるまでずっとおなじじかんに目覚めつづけていたわけだ。それだけおなじじかんに目覚めつづけていたのだとすれば眠りにつくじかんがいつであれおなじじかんに目覚めるのではないか。
店にだれかがはいってきた。そうして私から三席あけてカウンターにすわってきた。黒いスーツのガタイのよい男だ。腕時計でじかんをかくにんするとまだ十五時すぎだ。出張先でおさぼりといったところだろうか。めんどうくさそうにあらわれたマスターに男はビールを注文した。すぐにビールがでた。男は一気に半分までのんで思い出したかのようにハンカチで額をぬぐったのだがその様子をこっそりと盗み見しながら私はどうもこの横顔に覚えがある気がしてきた。年齢は私よりもひとまわりほど上に見える。思い出すまでに二分ほどかかった。この男は私が高校生だったころにかよっていた予備校の世界史の講師だ。痩せがたで厚いめがねをかけていてその奥の目が刺すようにつめたいのが印象的だったのだがその目のつめたさはそのままにいまの職にあわせて鎧で武装したといったけしきである。さてそうやってこの男がだれかがわかってしまえばもう気にする必要もない。この男は私のことを覚えてなどいないに決まっているし仮に覚えていたとしても関係はないにひとしい。かれと私の人生でともにすれちがうことがあった者どうしがときを経てまたここですれちがったというだけのことだ。こうしてすれちがっても双方が気づかないということはすべてのひとの人生で往々にしてあることだろう。ただ今回は気づいたというだけのことでしかし気づいたということは私にとってなんらかの意味がある気がする。
などと考えていると男はおもむろにジャケットからいまどきめずらしい折りたたみの携帯電話をとりだして耳にあてた。
「はい」
と男は言った。聞き覚えのある声だ。時を経て体格は変われど声に変化はない。あのころのあの声でこの男は電話に出ている。
「バカなやつだ」
と男は言った。これはいかにもぶっきらぼうなことばであるがどうもこれに似たことを男が言うのを聞いたことがある気がする。
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