私が若い頃、ウォン・カーウァイの映画『恋する惑星』がヒットして、そのポスターを部屋に貼るのがオシャレだということになっていた。他にも『グラン・ブルー』『トレイン・スポッティング』あたりが定番だった。単館映画系というジャンルが存在し、わざわざ渋谷の映画館に行かないと見られない映画を見ているのがかっこよかった。
『恋する惑星』という邦題は原題『重慶森林』とは全然異なっており、いかにも邦画らしいマーケティング的改題だが、「惑星」という言葉が若者のふわふわとした迷いをよく表している。換骨奪胎といってもいいだろう。惑星の語義は惑う星、つまり恋する若者のようにフラフラとした状態を示す。対義語は恒星で、自ら光を放ち、周囲の天体を引きつけ、惑星系の中心に存在する星を意味する。
私は介護をしているあいだ、ずっと孤独で頼りなく感じていた。そもそも身の回りに親の介護をしている働き盛りの男性というのがいなかったのである。恋する若者ではなく、家族を持つ中年男性としてよるべない惑星になっていた。それが本章のタイトルの由来である。
私が母の介護記録を公開しようと決めたのは、そもそもこの頼りなさをなくすためだった。本書の実践的な内容について私は自信を持っているわけではない。専門家からは多くのツッコミが入ることだろう。しかし太陽の光を反射した火星の光が地球に届くように、私の体験があなたの孤独な介護生活を照らせば良いと思っている。今回はケアをする私たちの精神面の構築方法、要するに心の持ち方をどうしたらいいかについて、私なりの考え方を紹介したい。
まずはIクリニックの一場面から始めよう。
私は母を伴って心療内科であるIクリニックを何度も訪れた。近隣の認知症患者が集うこのクリニックの待合室には、私と母よりそれぞれ十歳ほど年嵩の親子が多かった。子供が五十代、親が八十代といったところだ。付き添いが息子だけのパターンは少なかった。息子が来ている場合は大抵その妻や子を伴うことが多く、一家総出のグループがいると待合室は混雑した。母親と息子だけ、という珍しい組み合わせを見つけると、私はその様子をじっと観察した。息子の多くはイライラして、母親は申し訳なさそうにしていた。中にはブチギレている息子もいた。待合室なので小さな声ではあるが「おまえよー〇〇っつったろ」という具合で、かなり乱暴に叱責している。その母親は悔やむような、恥じいるような表情でその言葉をじっと受け止めていた。反抗期の息子とその母といった趣だが、もっとずっと棘があり、そして、二人とも老いていた。私はその様子を見ながら、みんな同じような気持ちを抱えているんだ、と息子の方に共感を寄せた。私は母を怒鳴りつけるようなことはなかったが、怒鳴りたくなる気持ちを何度も押さえつけていた。介護している親が改善していくことは基本的にない。認知機能は低下していく一方である。母を叱責する彼よりも私の方が寛大だと自負するのは少なくともその時点においては時期尚早だった。いつか私も甲斐のない介護の日々に心を暗く尖らせていくかもしれない。私は母を虐待してしまわないだろうか。そのことがずっと心配だった。私を存分に愛してくれた母の晩年を私の怒りで昏く染め上げたくなかった。
そもそもこの怒りはなんなのだろう。誰だって、怒りたくはない。わざわざ親を傷つけたくはない。しかし、怒りというのは生物に備わった防衛反応なのだ。でも、何から? 私たちは何から自分を守るために怒っているのだ? 介護をする私たちが怒らないためには、何があればいいのだろう。
母を介護した四年間、私はそのことをずっと考えてきた。
書かれ始めた息子介護
繰り返すが、私は母を介護する日々において、私のような人には出会わなかった。「私のような人」とは、子育て世帯で仕事をしながら介護をする四〇代男性のことをさす。
これはたまたまなのか? 私に同世代の友人が少ないのかもしれないし、介護当事者がその事実を隠しているためにわからないのかもしれない。いずれにせよ、私が同胞にめぐり合わなかったというこの過去の蓋然性は高い、つまり、ありうべくしてそうなった、と私は考えている。そしておそらく、あなたがもし私のような人であれば、同じように孤独になる可能性が高い。
孤独には幾つか問題がある。まず、寂しい。愚痴を言える相手も共感を寄せてくれる人も少ない。参考になる情報も入手しづらい。何よりも人生の指針が存在しないことが問題だ。
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