東京都渋谷区のひっそりとした裏路地に、「ドジッコ喫茶」という名の喫茶店があった。その名の通り、スタッフがドジを踏むことをコンセプトにした店である。私は取材がてら、いや、半分は好奇心に駆られて、その店のドアを叩くことにした。
店の外観は、ベージュの壁にガラスが嵌め込まれた造りになっていたが、中の様子は少し窺いにくい。一階建てであるにもかかわらず、なぜか不調を覆うようにしてベージュの壁に石が配されている。店主はきっと、無類の石好きなのだろう。そう直感しながら、窓のない木製のドアを恐る恐る押し開けた。
ドアを開けた瞬間、目の前に座っていたのは、なんと頭部が「みかん」の形をした男だった。男は太い声で、
「バイト中に休んでるんです、てへぺろ」
と言い残し、そのままどこかへ去っていった。てへぺろとは一体何なのだと呆気にとられていると、奥からちゃんとしたメイド服を身にまとった女性店員が現れた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
丁寧な案内を受け、私は少し安堵した。まともな女子店員もいるのだ。やはり普通の、少し風変わりな喫茶店なのだろう。
しかし、それが終わりの始まりだった。
席に着いてから、メニューが運ばれてくるまでに実に二十分もの時間を要した。お水すら出てこない。メイドは時折、こちらに向けて可愛らしくウィンクを投げかけてくるのだが、その前にまずメニューを持ってきてほしかった。だが、これも「ドジッコ喫茶」の演出なのだろうと、私は忍耐強く待ち続けた。
二十分が経過した頃、先ほどのみかん頭の男がのしのしと現れ、メイドに声をかけた。
「あれ? あの人にメニュー表を渡した?」
「あ、忘れた!」
メイドは声を上げ、慌ててメニューを持ってきた。
「すいません! 忘れてしまって、二十分も待たせてしまって本当にすいません!」
平謝りする彼女だったが、お辞儀を繰り返すたびに、手に持ったメニューの角が私の頭にパンパンとぶつかっている。本人はそれに全く気づいていない。
「痛い、痛い!」
私が声を上げると、彼女はしょんぼりとした様子でどこかへ去っていった。
気を取り直してメニューを開く。そこには「どじっこコーヒー」や「どじっこメロンクリームソーダ」、パフェなど、魅力的なメニューが並んでいた。せっかくの取材なのだからと、私はすべてを注文することにした。
「どじっこホットコーヒーと、どじっこメロンクリームソーダ、それからパフェを一つずつお願いします」
「はい、繰り返します。どじっこコーヒー一つと、どじっこメロンクリームソーダ一つと……ええと、あと何でしたっけ?」
「どじっこパフェだよ」
「はい! どじっこパフェですね!」
メイドは満面の笑みを浮かべ、厨房へと走っていった。
それから五分ほど経った頃だろうか。
「お客様、お待たせしました」
という声とともに、彼女がアイスコーヒーを運んできた。しかし、その手元は危なっかしい極みだった。グラスを乗せたソーサーがガタガタと激しく震え、今にも中身がこぼれそうになっている。
嫌な予感は的中した。
「あぁ!」
短い悲鳴とともに、メイドは私の席の横で派手に転倒した。冷たいコーヒーが放物線を描き、私のスーツを容赦なく濡らした。ビショビショである。
「すいません、お客様! お客様、すいません!」
「いや、大丈夫だから……」
「すぐ新しいのを持ってきますから!」
慌てて引っ込んだ彼女に代わり、今度はみかん頭の男がゆっくりと新しいアイスコーヒーを運んできた。男はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「これが、我々ドジッコ喫茶ですか?」
そう言ってほくそ笑む男を見て、私は「ああ、これがこの店の洗礼なのだな」と妙に納得してしまった。先ほどのメイドが戻ってきて、申し訳なさそうに私の服をタオルで拭いてくれるのだが、彼女がテンパりすぎているせいか、濡れたスーツは一向に乾く気配がなかった。
続いて、メロンクリームソーダが運ばれてきた。持ってきたのは、またしてもみかん頭のウェイターだった。
「あの子はちょっとドジッコすぎるのでねえ」
ニヤニヤしながら差し出されたグラスを見て、私は絶句した。メロンクリームソーダの上のクリームが、ガラスの縁から四方八方に溢れ出し、受け皿にまでこぼれ落ちているのだ。
「これは、どうやって食べたらいいんだい?」
「いや、だからそれは、美味しく食べるんだよ」
ウェイターは平然と答えた。私は途方に暮れながら、皿にこぼれたクリームをスプーンですくって口に運んだ。
一息ついたところで、私はもう一度、あのドジッコメイドの姿が見たくなった。手元にあった呼び出し用の鈴をチリンと鳴らしてみる。
「はい、お客様!」
遠くから声がして、彼女がこちらに向かってタタタと勢いよく走ってきた。嫌な予感が頭をよぎったが、避ける間もなかった。
彼女はそのまま減速することなく、私の体へとダイブしてきた。
「痛ててて!」
衝撃に顔をしかめたが、次の瞬間、私に覆いかぶさった彼女はぴくりとも動かなくなった。なんと、衝突の衝撃で気絶してしまったのだ。
「大変なことが起きた……!」
ドジにも程がある。私は唖然としながら、近くにいたみかん頭の男に叫んだ。
「店長を呼んでくれ! 店長を!」
すぐに奥から店長がやってきた。
「どうされましたか、お客様」
「いや、どうされたかも何も、このメイドさんが気を失っているじゃないですか!」
私が床に倒れたメイドを指さすと、店長は腕を組み、
「うーん、そうかなあ」
と他人事のように首を傾げた。
私はついに語気を荒らげた。
「ドジッコメイド喫茶は、こんなことでいいんですか? それでもお店として成り立っているんですか!」
すると店長は、心外だと言わんばかりに、少し怒った様子で「プンプン」と膨れてみせたのだった。
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