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そうね。

島津耕造

若者のすべて。川で貴方と出会ったときのことをおもいだして。

小説

1,160文字

 

女は言った。
「もう帰る場所はないのだから」
しかしタツキは、彼女に向かって「帰れ」とだけ言った。
女は言い淀んだが「だから帰る場所はない、とそう言っているじゃない」と、そう返した。

そうか。とタツキはまったく気にしていない風である。
それは夜の河原での出来事であった。タツキが川にいた。その後から女がやってきた。タツキが川に手を晒していると、女はそっと足音を立てないように近づいてきて、タツキの手の後ろで同じように水に手を入れた。

それが始まりであり、それが終わりでもあった。
夏だから、二人とも薄着だった。女はワンピースを着ており、タツキは半袖に短パンだった。タツキの年齢は今年で、もう二十六になる。

「なぜそんなことをしているの?」
女が聞いた。
「関係ないじゃないか」
タツキが答えると、女はタツキの真似をするのをやめて手を引き上げた。そして、顔をタツキに近づけてこう言った。
「何か今、つまらないこと考えた?」
タツキは真面目な顔をして言った。
「そう。いつでもつまらないことばかり考えている」
河原の草むらから虫の鳴き声が聞こえた。犬が遠くで鳴いている。川の向こうにある橋の上には車の往来があり、そこだけが光って見える。川は土手の底になっているから、家々の明かりは見えない。

「つまらないこと」とタツキは言う。
「そう」と女は答えた。
タツキも手を川の中に入れるのをやめ、その水の流れるままの感触だけを残して立ち上がった。
「あなたは誰だ」
「私は誰でもない」
タツキが振り返ってみた女の頭の先に、月が光っているのが見えた。満月ではない。満月に近いような、少し欠けた月が光っていた。

「帰れよ」
タツキは乱暴に言った。
「家なんか無い」
女は言った。あまりの静けさに、タツキは女の心臓の音まで聞こえるような気がした。

女は急にタツキの手を取って走った。土手の方へ走った。タツキは力なく引っ張られるようにしてついていく。「走った」といっても、全力疾走ではなく、小走りに近い。女とタツキは草むらを掻き分けて土手の方へ向かった。

土手の上へ登ろうとしたとき、遠くで雷鳴のような音がした。反射的に女とタツキが頭を伏せると、急に土砂降りの雨が降ってきた。雨は止まるところを知らず、二人の衣服を全て濡らしてしまった。

「これじゃあ家には帰れないね」
タツキが言うと、女は「そう」とだけ答えた。
土手にかけた足が、泥で滑る。なんとかもがいて、二人は土手の上へ上がった。
土手の上へ上がると、街並みや家々の明かりが見えた。そして、遠くの方に雷が光っているのが見えた。

「心中すればよかったんだ」
タツキが言った。そして、もう一度繰り返した。
「心中すればよかった」

女は何も言わなかった。ただ、濡れた服のまま、二人は呆然と、多くの家を、多くの道を、多くの何かを、じっと見つめていた。

© 2026 島津耕造 ( 2026年6月21日公開

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