Missing

猫が眠る

エセー

5,040文字

書き始めようとすると、あなたがこの手紙を初めて読むのだということを忘れてしまいそうになります。この宛先のための多くの言葉は僕のかたわらを何度も通り過ぎていきました。思考されたもの、書き留められてそのまましまわれたもの。

それらの言葉はいずれも誠のものでした。そうして宛先に届くものとして書き出された言葉であったのです。

あなたに書き始めるとき、その言葉はもう一度書かれることを望みません。その言葉はその宛先に向かって差し出されて、役目を終えたのです。

それらの言葉は必ず誠のものであったのにもかかわらず、あなたには送り得ないものとなりました。あなたに対して書き出そうとするとき、僕の中にはいくつもの考えが、意思が、思考があります。一つの意思で書かれたものはもう一つの思考によって絶たれてしまうのです。

初めのうちは、何故手紙は送られないのか僕自身でも分かりませんでした。しかし、一つ一つを書き留めるうちにそれは朧気ながら明らかになってゆきました。いくつもの矛盾したものが自身に気づかれないように成り立っていたということです。その矛盾の隠れ蓑となっていたのは行動でした。僕自身の行為にはどの意志も思考も矛盾しなかったのです。

この矛盾に気づいたのは本当につい最近のことでした。それはあなたと電話で話したときのことです。

 

僕はこの矛盾を解決する術を知りません。様々な解釈を試みました。解釈はいくらでもできるのです。しかし、僕にはその幾多の解釈のうち、どれが正しく、どれが間違っているのか、それとも全てが……その網にからめとられて僕は身動きがとれなくなっているのです。

矛盾は至るところにあふれていますし、その中で僕も含め誰しもやり過ごして生きています。しかしこの矛盾はそういった類のものではなかったのです。文字どおり搦めとられてしまった。

僕はこうも思わないでもありません。俺は勇気がないのだ、臆病だから目の前に真実があるのに分かっていて取ろうとしないのだ、と。その可能性は多いにあるでしょう。僕はよく自らの手で自らの眼をふさぐ。

あれから考えたすえ、一つの結論しかそこには残されていないことに気がつきました。それは僕の全ての思考によって、その思考の全てを描き出すことです。それは矛盾のないところ、つまり行為を描くことです。僕はもはやこれほどまでに絡まりに絡まった思考を一つ一つ解いて並べて見せる自信がないのです。これしか、あなたに書く術はないと思いました。僕にはそれでもあなたに書く必要があるのです。あなたがこの手紙を受け取ってどの様にお考えになるかは僕には全く分かりません。それ以上に僕にも何が書かれたことになるのか想像もつかないのです。この手紙に対する返信は要りません。

 

これから書くことは全て僕自身のことになります。あなたはきっと驚かれることでしょう。全てあなたのことです。

 

解釈を、矛盾し合う解釈を、含まずに事実のみを書きます。不可能なことだとしても、できる限り、何もかもを、全て。それが誠実であるということだから。

 

“Without Water” はあなたのために書いたものでした。今思えば、弔い。

 

僕は大学に入る直前に、全国を回りました。静岡や香川、鳥取なども通りましたが、そんなところはどうでもよかった。僕の目的は山梨と京都へ行くことでした。山梨は太宰が富嶽百景の舞台とした茶屋が今でもあります。富士は非常に美しかった。茶屋へはバスで行くこともできたのですが 山道を歩いて登ってゆきました。太宰が死ぬ前に訪れた 仲の良かった編集者の家が埼玉県の大宮にありました。今はもう痕跡すらも残っていませんが、大学に入ってから何度か嫌なことを感じたときなど、その場所を訪れました。

僕はあなたのことをひとに話したことが一度だけあります。その旅行から帰ってきたすぐ後のことでした。僕はその日、5月8日のライブのチケットをその人から受け取りました。そこで初めて酒を知ったのです。食事の時に彼女がさかんに勧めるものだから、チケットを手に取った高揚感も合間って酒を飲むことにしたのです。時間のせいか、酔いのせいか話したことはあまり憶えていないのですが、このことを話したことだけははっきり憶えています。

「ある通りに梶井基次郎があのレモンを買った果物屋の看板がある。果物屋はもう無いけれど、看板だけは残っている。その日彼女はその看板の下を通る。少しは立ち止まって見るかもしれない、そして通り過ぎる。次の日それと同じ様な時間に俺はその看板を見上げたんだ」

これはきっと事実ではないでしょう。あなたから果物屋のことを知ったのは確かです。事実でなかったにせよ、僕はこうであると信じることに喜びを感じていました。

 

あなたのお書きになったように、南禅寺はとても居心地のよい場所でした。特に雨にぬれた木の色、山から降りる風があの門を通ってゆく。次に京都へ行ったのは、夏のころだったろうか。夏でもあの門の敷居に座っていると涼しい風が、様々な雑念を洗い流してゆく様に感じました。僕はあの敷居から眺めることのできる全ての景色を知っています。本堂へ続く細い道のかたわらに植わっている木の赤黄の葉を、雨の滴が門から細やかな石の上に落ちる音も、夜中に空より暗く門があるということも。宿はいつも七条通りと高瀬川のあたりか、新京極のあたりにとってありました。僕はそこから南禅寺まで歩くのを習慣としていました。必ず鴨川沿いを通ってゆきました。あの門の敷居に座り、柱にもたれて、夜が更けていくのを待っていました。

 

恋人、そのような存在がいたことがありました。僕は必ず彼女たちを不幸にしました。彼女たちを愛することができなかったから。

「愛とは、持たざるものを相手に与えることである」

この言葉、ジャック・ラカンのものです。僕にはどうしてもそれができなかった。明け渡せなかった。

「この人はあの人とは違う」 そう、思いました。

くちなしの花 どのような香りがするのだろうと思いました。うたに

「淀殿の墓山梔子の白似合う」

というものがありました。本当の香りを知ったのは 1年以上経てからでしたが、本当の香を知ることがなくても、僕にはどうでもよかったのです。ガーデニアのお香を焚きました。初めてその香を実の花によって知ったとき、僕は自分が何かを感じているとは思いませんでしたが、詩が頭に浮かぶことは少なくなりました。

 

どこからか変わってゆきました。いや、変化が徐々に進んでいったという方が適当かもしれません。

スマートフォンを使っていたのですが、画面の感触のなさが不気味でした。僕は高校の頃思いついたことを携帯電話のメモに両手の指で打ち込んでいたことを思い出しました。ちょうどその頃あなたもそのようなことを書いておられました。僕もボタンのものがないかと探しました。色もデザインも気に入るものはあまりありませんでした。しかしその中でもこれならいいだろうと思えたのはあなたと同じものでした。

京都へは4年間で何度行ったか分かりません。しかし僕は京都のことはほとんど何も知らないのです。僕はいつも歩きました。いつも同じ道でした。京都市美術館の前の図書館も何度か行きました。何となくジャズの本を手に取りました。

あの夜は、次の日に京都市の公務員試験がありました。僕は試験を受けるために志願届を出していました。近くの宿がとれずに二条城のあたりの宿に泊まっていました。夕食を外でとってから歩いていると、南北に続く道でした、その道は真直ぐに続いていてさえぎるものもありませんでした。街灯も少なくてその道の先には何もありませんでした。どこまでも夜だけが続いていたのです。あなたと話したいと思いました。

就職活動を始めるときに、僕の恋人は大阪にいました。彼女は僕が関西で就職することを喜びました。僕は彼女にとって僕がどこに就職しようと関係がなくなってしまうことを知っていました。それは、やはり、その通りでした。僕が京都で仕事をしたいのは 京都の社寺建築に携わりたいからだと彼女以外のひとには言いました。

僕はいつからか、京都であなたの姿を見かけるようになりました。それと同じか、どちらが先か分からないくらいの頃に、はっきりと僕はあなたのことをほとんど知らないことを認識しました。それまではほとんど気にもしなかったことでした。

その頃から、夜南禅寺に出かけるときには柱のかたわらに人の影を探しました。いないと何故かひどく悲しくなりました。

次の日におぼろげな記憶をたどって、あなたが引っ越した後の家の前を通りました。そこから新京極まで行って……果物屋の看板はなくなっていた。

先日、つい先日のことです。京都にはまだ冬が来ていなかった。家を探しに来ていました。社宅を見た後に、社宅は西院というところにあるのですが、滝ヶ鼻町というところの物件が近かったので見に行ったのです。ふとあなたの家が近かったように思って地図を見ました。一条通りを真直ぐに行くとすぐの様でした。僕はあなたの家の前を通って、近くの役所の前のバス停から、京都へ来て初めて、バスに乗りました。河原町で降りて木屋町通りを下って宿まで行きました。少し休んで、十九時頃南禅寺に向かいました。僕は南禅寺で同じように柱にもたれて座っていました。何度目かのことか分からない。あなたにどうしても手紙を差し上げなければならない、と思いました。

五通、書かれていました。青森へ行ったこと、あなたの手紙は青森に着いた日に届きました、浦和で今年初めて雪が降った日のこと、前の手紙の非礼を謝るもの、あなたの言葉をずっと探していたこと。一つの文章で、そのまま、自分の感じていることを、一つの文脈に描き出すことはできませんでした。

あなたからの手紙を待つ間僕は毎日日記をつけていました。書かれていることは単純なこと、今日は来ない。それ以上のことではなく、当然のものとして、そう書き記してきました。

フォークナーの「八月の光」という小説、この一節に「本当に痛手を負わせるのは死んだ人たちなんだ」という言葉があります。僕があなたを失ったということ、これは事実ではありません。事実として書けることは 前に書かれたもののみです。しかし、僕はこの言葉をよく反芻してきました。アンネ・フランクの日記を読むことがあるでしょうか。彼女の日記を読むとき、彼女の生活の喜びを聞くとき、同時に読み手はその喜びの声はすでに失われていることを知っています。僕はあなたがその年齢であったときには彼女に似ていたのではないだろうかと思いました。

僕は八月の光を何度か読み返しました。この小説は僕にとって大切な物語となりました。今日までその理由が分からなかったのが、今やっと分かった気がします。

僕は何を書いたでしょうか。あなたは何を読んだでしょうか。事実として書き表すことのできる事柄はあまりにも少なく感じました。それでも送ることは、この手紙をあなたに送ることはできるでしょう。

僕は自分の意志や思考について、あなたに対してのそれらについて、これだけは確かだ、と言うことのできるものを何一つ持っていません。それならこの手紙は何のために書かれたのだろうか、それすらも言明することができません。一つだけ分かるのは、この手紙は言明することのできない意志、多くの意志にとって、矛盾なく行うことのできる行為、先ほど挙げたような行為の一つに他ならないということです。

失念してしまった事柄は数多くあると思います。書き方も含めて、充分ではなかったかもしれない。充分なんてものが分かるはずもないのです。目的が分からないのだから。

僕はあなたに会いたいと思うし、会うべきだとも思います。また会いたくないと思うし、会うべきでないとも思います。最も確固なものは会うべきだ、ということです。僕はあなたという存在の喪失の弔いを全うすることができなかったのだと思います。

何が書かれたのか、分かりません。唯一想像できるのは、あなたが困惑するだろうということです。僕は様々な意図に矛盾しない行為と書きました。その内の一つの意図といてあなたが困惑することを、できることなら、言葉で呪ってしまいたい、取り憑いてしまいたい、そのような考えもあった。

書けないと思います。返信は要りません。

2020年10月25日公開

© 2020 猫が眠る

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  • ゲスト | 2020-10-26 15:57

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