正直言って、ぼくも深夜以降のことはちゃんとは覚えていない。
断続的に襲いかかる睡魔を撃退しながら、ただひたすら隣に座る天王丸景虎の進捗を見守るだけだったからだ。
とにかく、断片的な記憶を、思いつくままに並べて、その夜の様子をできるだけ生々しく伝える努力はしておきたいと思う。
野崎チーフは主にREcycleKiDsの方の面倒を見ていたが、それは景虎が原稿を上げてこないからであって他に理由はない。
あと、プレゼン資料の制作をずっとやっていたようだ。プレゼンの準備はNovelJam編集者の重要な仕事の1つである。
昨年がんばったので、それが浸透してよかった。今年はもうBCCKSの販売画面だけ見せてお茶を濁すことはないだろう。
ふくだりょうこ先生はわりと進捗がしっかりしていたので、26時頃に仮眠を取ると言って部屋に戻っていった。
彼女の作品に関しては、タイトルの提案はしたが本文はほぼノータッチ。一度だけ校正支援をしたぐらいだ。
28時頃に起きてきたが、結局部屋ではSNS対応などに追われて眠れなかったそうだ。
30時頃にプリントアウトして内容をチェック。確か31時ごろにはホッチキスで閉じて提出した。
夜中、煮詰まってくると、他のチームから相談をされるようになる。
ぼくが編集担当であれば断っているところだけど、立場が違うのでまあいいかなーと話を受けてしまう。
それは敵に塩を送るというよりは、情報収集がしたいからでもある。
だいたいぼくの雑味の多い塩がそれほど役に立つこともないだろう。
一緒に酒を買い出しに出た高橋文樹先生が真夜中に原稿の束を押し付けてきた。
その頃はまだタイトルが最終のものに落ち着いてなかったように思う。
景虎の原稿が上がってきそうにないので目を通す。これは高橋文樹Aの方だ。AでSFを書いたのか。
さすが副業がエンジニアらしくバックボーンが緻密である。ノリは違うが背骨のぶっとさは藤井太洋作品を彷彿とさせる。
仮想通貨やブロックチェーンなど最近ネタも随所に散りばめてあり、とても1万字とは思えない密度だ。
文章に齟齬はないし、美麗である。さすがにきっちり仕上げてくるなあと思わされた。
ただ、ぼくが好きなのは高橋文樹Bの方であり、作者は違うが「ちっさめろん」のようなハイテンポで巻き込んでくるものの方だったりする。
この高橋作品が審査員の誰にウケるかを想像してみたが、明日の審査には藤井太洋委員長はいない。
他の面々はどうかな。今回の方々だと審査員賞はなさそうだ。
獲るとすればやはり最優秀賞ということになるだろう。この短時間でよくぞここまでとため息が出る。
そういえば酒を買い出しに行くときに、ふと聞いてみたことがある。
「高橋先生は、作家とエンジニアとどっちにアイデンティティがあるの?」
そう聞くと、
「作家ですね。エンジニアで稼いで、作家業につぎ込みます」
と即答した。そこに逡巡はなかった。高橋文樹はなんでもできるが、あくまでも「なんでもできる作家」なのである。
ぼくは普段から兼業作家を名乗っているが、果たして作家がメインとまで言い張れるだろうか。
まだまだその領域にはたどり着けていない。
ただ、ぼくは
デザイナーとしては三流である。
編集者としては二流である。
だとすると、
作家として一流を目指すほかに、人生を完成させる道はないように思えた。
もう少しがんばってみようと思った。
チームAの小野寺ひかりが手招きをしてきた。
「ちょっと相談したいことが……」
だいぶ思い詰めた風なので、とりあえずAのテーブルに出向く。景虎の原稿がまだなのでヒマだったからだ。
チームA作家の1人の作品を渡されたので読む。
ずいぶん短い。
「これはプロット?」
「いえ、作品ですね」
作者は山田しいたとあった。当日までデザイナー参加だと思っていた漫画家のひとだ。米田淳一を同室になったと昨日聞いていた。
内容については未読の人もいると思うので割愛するが、気味は悪いが、なかなか面白い。
短いのは事実だが、逆に、よくまとめているなと思えるレベルではあった。
ただ、
「女性ウケは微妙じゃないだろうか」
「そこなんですよね」
ポリティカルコネクトレスとかその辺に抵触するとかというとそれはもう受け取る側の印象でしかないとは思うが、人々に神聖視される傾向にある妊娠・出産をこうもグロテスクに描くことには嫌悪感を示す向きは多いような気がした。倫理的にどうかというやつだ。
しかし、同時に、DIYで子どもが作れちゃうよ、というマッドなサイエンスには可能性を感じた。DIYでベイビーができちゃうなら、もう女性だけにその負担を負わせることもないんだぜという、ポジティブな解釈も可能だからだ。生み出された子供本人は複雑かもしれんけどね。
どちらに転ぶか、それはもうフタを開けるまではわからないのだよなあ。
ぼくは、作品の出来はいいし、発想も面白いから、これはこれでいいのではないかと伝え、いくつか結末を変えることでソフト化する提案をしてみたが、それらはみなすでに作者に却下されたとのことだった。ならばもうぼくの出る幕はない。たとえば米光さんには刺さるかもしれないからチャンスはあると結論づけてその場を後にした。
ラッパー作家のみかんくんが「これ読んで下さい」と束を押し付けてきた。
ああ、そういうのは高校時代に可愛い後輩(女子)にやってほしかったんだが、恵まれない人生だったよ、とひたすら男臭かった現役当時が脳裏をよぎったが、せっかく読ませてくれるならと喜んで試飲を受けた。景虎さんが原稿を上げてこないので、ヒマだったからだ。
拝読させていただくと、これがなかなかいいテンポで引き込まれる。セリフは小気味がよくのどごしが良かった。疾走感のあるよい作品に思えた。
なるほど、普段言葉を駆使している人間ならではの文章だ。彼の脳は音声で思考するタイプかもしれない。ちなみに俺は映像で思考する。
何箇所か誤字を見かけたのでそこだけ赤字を入れて返して席に戻った。
と、その直後ぐらいにみかんくんが突如声を荒げた。ダダダだと機関銃のように罵倒を浴びせて言いたい放題だ。
「お前って言うな馴れ馴れしい」とか「お前だって素人じゃねえか偉そうに」などというフレーズが聞き取れた。
これは! 姉さん事件です! ついに事件です! さすがは深夜のカオス! ごめんニヤニヤが止まらない。
罵られているのは和良くんのようだ。彼は今回はとくに入れ込んでいるから、押し込み過ぎてしまったのだろうか。
詳しいことはわからないが、とくに反論はしないようだ。
そのうち隣のブースの米田淳一編集官が「落ち着いて」などと仲裁に入り、みかんくんは和良くん以外に詫びを入れて会場を後にした。
和良くんはしばらく沈黙していたが、気がついたらいなくなっていたので頭を冷やしに外にでたのかもしれない。
それから先はぼくも忙しく(眠く)なってしまったので、そのチームがどうなったか観察することはできなかった。
高橋文樹の担当編集のしぶのんも2年目だ。昨年も編集なので、唯一の2年連続編集者だ。
前回同チームの和良くんと折り合いが悪いらしいと聞いていたが、表立ってやりあうことはないのでそこは大人のようだ。
ただし、前回無冠ということで、今回こそはという思いは強く感じる。気合十分というところか。
どうやら作品は目処がったようで、裏ノベルジャムに参加する作品を書いていますなどと言っていた。
高橋作品はあの完成度だったし、飴乃作品も仕上げは上々あとは結果を五郎二郎というやつか(違。
横綱相撲の余裕を感じる。おのれしぶのんめー。最大ライバルの余裕を目の当たりにして、俺はテコ入れを決意した。こうしちゃおれぬ。
チーム米田のエース根木珠が戻ってきた。戻ってくるということは一度は眠りにいったのだろう。ちょっと慌ただしい空気もあるので、なにか起こっているのかもしれない。詳しい事情はわからない。
澤画伯のチームは席も遠く、まったく様子がわからない。人もいないように思う。すでに出来上がって眠っているのか、部屋で書いているのか。どうなのだろう。そもそも油絵って話はどうなったんだ? 完成したのか?
かといって、隣のハギヨシさんのチームの動向が近いからわかるのかっていうと、そういうこともない。
2年目組の牧野楠葉ちゃんとは喫煙所で行き合うことが多いが、内情はよくわからないままなのだった。
そしてオール女性のチームタニケイについてはまったく接点も情報もないままだったのだった。
景虎先生の話を少ししておこう。
まだ深夜が浅い頃に、一度読むことになって指摘をいれたものの、まだ全体が未完成だったので赤字は戻さなかった。
内容、出来映えはまずまずだったが、言葉選びがまだ不十分という印象で、テンポが削がれる言い回しが多い。
彼の筆力ならもう10%は早く読ませられるようになるはずだ。ということを伝えたかったが、そんな余裕はなく。
彼は第3幕の書き方にだいぶ苦慮しているようだった。ウンチクが多く最もテンポの落ちやすいところだ。
誰が誰に語るのか。そこは、誰の思考なのかを見失うと、途端に崩壊する危ない橋だ。
昨年はそこをすべて脚注に放出することで、ストーリーの展開速度を維持することに成功した。米田淳一「スパアン」のことだ。
それを知ってか知らずか、天王丸景虎先生が丑三時に突如、
「脚注にしたいです」
と言い出した。第3幕の「私」の語るウンチクを脚注で済ませてテンポを上げたいということだった。
「ちょっと待って!」
つい声が大きくなる。確かに去年やったけど、それは「全体に」「たくさん」「それ自体がネタになる」からであって、昨年米田先生は33本の説明文を時間一杯まで使って必死に書き上げたのである。残り5時間程度で急に思いつかれても困る。発想自体は悪いことではないのだが、それは物理的に無理だ。そもそも審査に影響はない。「私」はインテリでいろいろものしりだが、それはものしりっぽい演出ができればいいので、彼が述べる内容自体は、この世界に大きな影響を与えない。いろんなことを知っているかもしれないが、割当文字数以上のことが入れ込めない。文字数制限がなかった昨年とは違うのだ。今年は脚注の文字数だって1万字のうちに入るのだ。
いよいよ眠くなってテンパっているようだが、とにかくその作戦はダメすぎる。だいぶ長いこと滔々と説明したが、どうもピンとはこなかったようで、あきらめて執筆を再開したようだ。結局用意しておいた赤字は渡せずに終わった。
午前5時。ようやく「バカとバカンス」が書き上がったらしい。野崎チーフは遠くの席でぐったりしている。この人に完徹なんかさせちゃダメだろう景虎先生よ。さて、まあみんなで手分けして目を通してチェックすれば、どうにか8時には間に合うだろう。
が、しかし、当の景虎先生は原稿をよこさない。自分でチェックをはじめてしまった。おっと間に合うのかそれで。
その後、じゃあ目を通してと原稿を渡されたのは午前6時半ごろ。早いチームはもう提出がはじまったころだった。
このタイミングではもう何も間に合わない。とりあえず先刻作った赤字と照らし合わせるが、もう全然変わってるのでまったく役に立たない。もともとこれはぼくの役目ではないと割り切って、表紙にキャッチコピーを入れる作業に戻った。
7時半頃プリント開始。提出期限の8時前後はプリンタが混むからと言っておいたが、案の定混んでいる。ホチキスが足りない。
しかもソートしないでプリントしたもんだから、繰り合わせ作業までしないとならない。ウープス。
すでに提出を終えていたふくだ先生にも手伝ってもらって、どうにか刻限ジャストの頃に提出かごに放り込むことができた。
他のチームはと言えば、編集が寝坊して置きてこないとか、7時105分提出とかそんな事態も頻発していたようなので、どこも大変だったのだなとしみじみ思った。
ふくだ作品は、審査委員のその日の気分か、どの順番で読まれるかで結果が左右される気がした。作品のクォリティは十分高い。そして面白い。あとはその結末を受け止める余裕があるのかないのか。「ギャー」をプラスに受け取るか、マイナスに受け取るか。そこはまったく予想がつかない。誰に刺さるかわからない。獲れるとしたら審査員賞ではない賞だと思った。
景虎作品については、十分な推敲ができてないという不安要素はあるが、元々文章自体は安定して上手いし、物語も面白いものに仕上がっているようには思えたので、とりあえず作品には十分な戦闘力があるのだと自分に言い聞かせた。たぶん、この場で僕が彼にできることは何もなかったのだ。あとはフタを開けるのみ。
なにはともあれ、朝は来て、製作時間は終わった。あとはまな板に並んで裁かれるのを待つだけだった。
つづく
"睡魔が無慈悲な深夜の #NovelJam 。ただの一人も冴えてない無数のやり方"へのコメント 0件