銚子市を目指すルートは二つあった。
松戸市から水戸街道を経由して、利根川の堤防を走る大利根サイクリングロードを走るか、
船橋市から成田街道を経由して匝瑳市まで行き、九十九里浜に沿うように東を目指すか、
選択を迫られていた。
散々悩んだ挙句、前者の利根川沿いから行くことに決め、
まずは水戸街道にのるために、環状七号線をひたすら自転車で走った。
その途中で中川を渡る横道に入り、慣れ親しんだ水元公園に出る。
ここはいつ来ても落ち着いていて、野良猫をよく見かける楽園だ。
野良猫を連れて帰りたくなる気持ちを堪えながら、
江戸川を渡って松戸市に入ると、水戸街道まではすぐだった。
ひたすら北東へ走り続け、町の景観を後にする。
利根川まで辿り着いた頃には、少し日が傾き始めていた。
大利根サイクリングロードは若干の横風はあるものの、
車も歩行者もないため、とても走りやすかった。
水戸街道でだいぶ体力を削られたが、これなら目的の銚子まで
難なく行けることだろう。
しかし、この認識がいかに甘かったのかを痛いほど知るのは、
すっかり日が隠れて夜になってからだった。
ほぼ外灯のない巨大な利根川沿いを、自転車のライトのみを頼りに
走り続けなければならなかった。
自分がどれほどの距離を走っているのかわからず、
ただ延々と暗闇が続いているように思えてくる。
遠くに見える灯りも、だんだんと減り始め、
砂利をぼんやりと照らす自転車のライトと、
夜空に浮かぶ雲間から、たまに現れる月だけが
唯一の灯りになってしまった。
疲労は蓄積され、休みをとりたくとも迂闊に脚を止められずにいた。
そもそも休めるような灯りのある所がないのだから、
まずは休める場所を探さなければならない。
銚子までの距離は縮まっているはずなのだが、
何故か追い詰められたような心持ちで、夢中で脚を動かす。
そんな余裕のない精神で出くわしたのが、あの鳥居だった。
香取神宮の旧参道にあり、堤防沿いで静かに聳える津宮鳥居河岸は
夜闇にぼうっと浮かび上がるように、しかし突然私の目の前に姿を現した。
瞬間、自分の心臓が止まったのではないかと錯覚した。
呼吸の仕方がわからなくなり、五感がすべて曖昧になる。
恐怖だけではなく、強い衝撃に打ちのめされた状態が
あらゆる機能を麻痺させているようだ。
利根川の静けさ、夜空の月、眠る山々、深い暗闇、
人は自分の存在が小さく思えるものに出会い、
さらにその存在があまりに大きく、
とても自分では太刀打ちできるものではないと直感した時、
このような状態を経験するのかもしれない。
私はこの時、畏怖の念を抱いていたのだった。
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