終の棲家を建ててくれないか。詩人は言った。俺でいいのか? まだ建築家としては駆けだしで、大した実績のない時だった。きみじゃなきゃ駄目なんだ。彼は真っ直ぐに目を合わせて頷いた。いま思えば、彼はあの時には全てを予見していたのかもしれない。そう思わせるような、確信に満ちた眼差しだった。
朝露に濡れる蜘蛛の糸は揺れ 死の床はハンモックのごとく
目を瞑れば光は永遠となり 遠い記憶は色づき輝く
夢の扉を厳かに開け 悲しみの果ては遠く
呪文を唱える君の隣 バラッドうたう天使舞う
死人彷徨う墓地の上 灰塵は風に舞い煌めく
詩人はその場で一篇の詩を書き殴った紙片を手渡して去った。
打ち寄せる波の音に時々、遠くからとんびの警笛のような鳴き声が混じる海岸で建築家は浜辺の石を拾い集めていた。途方もない年月をかけて削られた丸い石、波に打ち砕かれたばかりのようなごつごつとした石、それらに埋もれるどこかの都市から流れ着く間にくすんで青白くなったシーグラス、劣化してひびの走るプラスチック片、巨大な魚に喰いちぎられでもしたのかのような漁網の一部、錆びついた釣り針、踵のゴムが半分剥がれた長靴……そこに意思はないが、その物自体がかつてここに流れ着いて、いま建築家の手によって拾い集められるこの時までの時間と物たちが渡ってきた空間とを圧縮した情報としか呼べない途方もないものを表出している。それは世界による詩であり、物語だった。建築家はそれら一つひとつの声に耳を傾け、頷いたり、首を傾げたり振ったり、笑ったり、難しい顔をしたり、怒ったり、最後には涙したりしていた。そうする間に水平線に陽は傾き、沈み、空に星が瞬き、月の光が黒い海面を照らして揺れて、海に対面する山の向こうから朝日が昇ってきた。
建築家が詩人と出会ったのは、砂漠の国を訪れたときだった。彼は小さな砂丘に屈みこみ、指先で何度も〇、丸、円、サークルを描いては、それが上から下へと流れ落ちながら元の砂粒となって消えるのを眺めていた。「なにをしているのですか?」と建築家が駱駝の上から尋ねると、彼は頭に巻きつけていた白い生地に赤い刺繍の施されたシュマグを取って、振り向いた。赤茶色の虹彩を持った瞳、長い睫毛、黒く太い眉毛、鷲鼻に薄紅色の厚い唇、尖った顎、黒い巻き髪は耳を覆うくらいの長さで彼の印象を幼く見せた。
詩を書いてるんだ。
詩? 詩歌の詩? でも、砂の上じゃ何も残らないんじゃ?
ああ。見た目にはね。だけど、細胞は常に変化している。ぼくらの身体の見た目は変わらないにもかかわらず。
それと詩に何の関係があるのですか?
関係、じゃなくて、それが詩そのものなんだ。
建築家は詩人のつかみどころのない人柄に惹かれた。すべてを理詰めで考える建築家にとって、詩人はとても自由で輝かしい存在だった。それは憧れとなり、羨望となり、妬みとなり、憎悪へと変わった。
古代メソアメリカ文明では、生贄の心臓が神に捧げられていたと言います。今回はそこにインスパイアを受けて現代における私なりの〝神殿〟を造ろうと考えたのです。
ステンレス建材の鳥居を模した枠がはめ込まれたコンクリート造の六本の柱が支えるギリシア建築風の門が斬新さと格式高さを共存させたファサード。門を抜けると石畳の広場になっていて、中央に巨大な台形状のコンクリート造の建物が聳える。四方に階段が設けられていて、頂上には積み重ねられた石やプラスチック片、金属片、シーグラスなどでできた塔のようなものが設置してあり、その上に瓶詰のホルマリン漬けされた心臓が置かれていた。建築家は広場に集まった観衆を前に、パビリオンについてインタビュアーに語った。
あれは本物の心臓ですか?
そんなわけないでしょう。現代の文明では犯罪になってしまいますからね。
建築家はそう答えた後に自分で笑って、笑いが止まらなくなって咳きこんだ。「大丈夫ですか?」インタビュアーに向かって頷いて右手を上げながら応え、左手で小さな丸テーブルの上に置かれた水の入ったコップを持ち上げて一気に飲んだ。建築家は高鳴る鼓動を抑えるために右手を胸の上に置いて大きく息を吐いた。祭壇上の心臓が伸縮を始めて、ガラス瓶が割れた音がパリンと広場に響いた。心臓は塔を崩しながら祭壇に転がり落ちた。建築家が後ろを振り向き、慌てた様子で階段を駆け上がって跪き転がった心臓を両手で拾い上げると、黒ずんだ心臓はぼろぼろと崩れて灰のようになって掌から零れ落ち風に吹きさらわれ空に消えた。建築家は膝をついたまま肩を震わせ嗚咽し、涙にぬれた瞳で滲む天を仰いだ。
曾根崎十三 投稿者 | 2024-11-04 02:34
残酷で美しい話だなぁと思いました。
詩が書ける人すごい。
読者にゆだねる系かもしれませんが、最後の心臓は詩人の心臓でしょうか?
松尾模糊 編集者 | 2024-11-06 00:57
ありがとうございます! そこも読者にゆだねちゃってます。まあ、でも詩人の心臓なんでしょう。