わたしはクラゲ。アングラの電子の海を漂う透明なクラゲだ。そんなクラゲにスパチャを送るあしながおじさんなんていない。わたしの配信にはどんな色のスパチャも来ない。赤いスパチャ? あんなの、都市伝説でしょ。
敗北主義者のわたしはディスプレイを眺める。配信のコメント欄は、時折思い出したように更新。
「るぅちゃん、《無》のコスプレって興味ある?」
わたしは現れたそのコメントを読みあげながら、度数9%チューハイのプルタブを開けた。虚無の音が、鶴見駅前徒歩15分・家賃4万円のワンルームに広がった。
コンビニで買ったショートケーキを口へ頬張る。チューハイで流しこもうという作戦だ。――これがわたし、コスプレイヤー・無何有るぅの生誕祭配信だった。
そもそもこの「無何有るぅ生誕祭配信」なんていうのも、まだYouTubeがGoogleに買収されたあたりの古の世から惰性でやり続けているだけで、底辺コスプレイヤーのわたしはこの激動の時代の波に乗れず、JKという日本国内における最高級ブランドを持っていた身分から、なんのとりえもない三十路女へ没落をたどっていき、二度と取り戻せない青春の記憶は肥大化してモンスターとなりかけた承認欲求とともに鶴見川の底に捨てた。
誕生日なんてうれしくない。左手に持った缶を口につけて酒を一気飲み。ショートケーキと酒がミックスされた液体を喉に流しこむ。
飲んでいる間、ふと昔のことを思い出した。幼稚園の時に実家のお茶の間で、おばあちゃんの膝に乗せられ、ブラウン管テレビで見たおじゃる丸。いつの日か少女漫画でどかんと一発当てて大金持ちになることを夢見ていらっしゃるうすいさちよ28歳独身様が、6回使ったティーバッグを扇風機で干して、「7回目が一番美味しいの」とのたまうシーン。お菓子作りが趣味のおばあちゃんは手作りのビスケットをわたしにあげて、わたしは、小さな手で食べながら、うすいさちよ28歳独身様をケラケラ笑った。でも、うすいさちよはわたしとちがって夢にまっすぐだし、仲間もたくさんいる。わたしのもとには、どれだけ待ってもおじゃる丸も電ボもカズマもやってこない。
缶から唇を離して、わたしはマイクに向かって「《無》かー。いまのところはないかなあ」と返事しておくが、右手はキーボードを打っていた。デュアルディスプレイの、配信用の画面と別の画面には、Xの検索結果が表示された。さっそく《無》の写真を見つけた。フォロワー数十万人の有名レイヤー様が、ビッグサイトのコンクリート打ちっぱなしの空間で、本来なら、全身全霊をかけて作り上げたポーズを披露するはずなのに、その写真では《無》のコスプレをしていた。
その姿はまぎれもない《無》だった。黒子のように、真っ黒な服を着ているのではなく、イシツブテの着ぐるみに足がないことを表現したように、透過レイヤーをあらわした白と灰色の市松模様でもない。《無》がたしかに、存在した。
無、それはスーパードンキーコングシリーズのバグで重要な概念。ゲーム中に特定の手順を踏むと、プレイヤーの操作するコングたちが、何かを持っているポーズをするのだ――手元に何も持っていないのに。これを「無を取得する」といい、ゲームをクリアする時間の短さを競うRTAにとって、非常に重要だ。あらゆる動画サイトで、RTAの解説者たちはゲーム中に「無を取得してゴールを召喚しましょう」と傍から聞いたら理解不能なことをさらっと言い、取得した無を虚空へ投げると、ボーナスバレルやワープバレル、大砲などがどこからともなく引き寄せられ、それらのアイテムに入るとなぜかゴールしてしまうことがあり、プレイ時間を短縮することができるのだ。
写真に写っているのはその《無》のコスプレだ。むかしはドンキーコングやディディーコングのコスプレをしながら無を取得しているポーズをとるだけだったが、最近のコスプレの技術進歩は凄まじく、非常に危険な方法ではあるが、《無》単体のコスプレができるようになった。
《無》をしたコスプレイヤーには別の子が抱きついていた。――サメの大きなしっぽを生やしたメイド。わたしのコスプレ友達の笹かまちゃんだった。
急に嫌な気分になった。時計を見る。配信がもう3時間経過していたし、もうなにもやることがなくなったので、適当にあいさつをして、終了させた。
ふたたび写真を見る。笹かまちゃんは写真に「これでわたしも願いが叶う! #cosplay」とコメントを書いていた。《無》のコスプレはまだ難易度が高く、この世界の禁忌に触れるので失敗する可能性が高いが、成功したレイヤーや、そのレイヤーに触れた人には幸運が訪れるという都市伝説がある。触れた人がビジネスに大成功して札束風呂に入れるようになった噂もあるという。なんだよ、それ。エロ本の広告か。
でも、そんなくだらない噂にも飛びつきたいわたしがいた。
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