51.9

合評会2024年5月応募作品

小林TKG

小説

4,400文字

音海はkindleになってません。

シドニー国際空港を出て乗り合いバスに乗り込む。中上は通路側の座席に座った私の事を乗り越えて窓際に座った。窓の外、影になった庇の向こう、オーストラリアは晴れていた。中上は座るとすぐに携帯を出して何かのチェックを始めた。パープルピンクのマニュキュアをした指で。私は中上越しに窓の外を眺めながらオーストラリアに来たんだな。そんな事を考えていた。

中上と再会したのは池袋のホルモン屋だった。私が一人でホルモンを食べていると、肩に手が置かれた。パープルピンクの五本指。それが中上だった。

「久しぶり」

彼女とは実に十何年ぶりの再会だった。私が千葉に住んでいた頃に勤めていた会社の同僚だ。現場で機械を動かしていた私と経理的な事をしていた中上。仕事上の直接の関係性は無かったが、辞める時、仲間内で開いてくれた小さな送別会に彼女も来た。その会の最後に何かを貰った記憶がある。何を貰ったのかは覚えていない。

「何してるの」

こちらは確かそんな言葉を述べた思う。私は一人だったが中上は数人と来ていた。それなのに中上は連れに話をしてそのまま私と二人で飲むことになった。私服姿の彼女は新鮮だった。千葉の職場では作業着を着用していたし、髪の毛も帽子の中に収めていた。その為だろうか、ジャケットやらプリーツスカート、ヒール、ピアスなど、そう言う所に目がいった。長くなった髪の毛を後ろで束ねていてアレックスのモニカ・ベルッチみたいだ。送別会の時の彼女はどうだったろう。もう覚えていない。

「席、移動しようよ」

私は一人用の席にいたが、店員に言って二人で小型のボックス席に移った。それから改めてビールで乾杯して、ホルモンを焼いた。もう会う事も無いと思っていた相手と十何年ぶりに再会し、向かいあってホルモンの煙越しに話をした。

「最近どうしているの」

「特に何もしてないなあ」

昔話とか、地元はどこだったかとか。その後、どうしてそうなったのかは覚えていないが、彼女が今度オーストラリアに行くという話になった。

「何しに、観光」

「まあ、観光かなあ」

中上はその時、口元についたホルモンのタレをナプキンでぬぐっていた。

「オーストラリアにね。世界の中心があるって聞いて」

「世界の中心」

世界の中心と言えば愛を叫ぶだろうが、私は映画も観ていないし、小説も読んでいない。その当時とても流行っていた。だから観てないし読んでいない。

「シドニーにグリーンストリートって言うのがあって、そこがとても素敵で、それで世界の中心に近い場所って呼ばれているらしいんだけど」

それを聞いた瞬間、私は含んでいたビールを噴き出した。

「うあ、なに」

「いや、だって」

シドニーのグリーンストリートと言えば、村上春樹の短編だ。何かの映画に出ていた俳優の名前を捩ったタイトルの話だったと思う。そして彼女がその話を誰に、どう聞いたのかは知らないが、そこが世界の中心というのは間違いだ。シドニーのグリーンストリート。その最初の方にこう書いてある。

シドニーのグリーンストリートはシドニーでもいちばんしけた通りである。

仕事を辞めて埼玉に引っ越したあと、ブックオフで村上春樹のはじめての文学という本を買った。その本の一番最初にくるのがシドニーのグリーンストリート。確かその本のあとがきみたいな所に実際はその名のつく通りは存在しないと書かれていたような覚えがある。しかしその事を中上に告げると、彼女は、

「グリーンストリートはあるんだよ。ホントに。あと、そこから車でちょっと行った所に、音楽の聞こえる海岸があるって聞いて」

音楽の海岸。今度は村上龍。この本も以前、どこかで買って読んだ。内容はよく覚えていないが、でも、あれはオーストラリアの話だっただろうか。欧州の何処かにそういう海岸があるという話ではなかっただろうか。

「その二つを見に行きたいんだ」

中上はそこまで言ってからビールを飲み、ホルモンを食べ、喉を鳴らして嚥下して、テラテラと光る唇を拭い、それから、

「ねえ、一緒に行かない」

そう言った。久々に会った人間に向かって。ほとんど面識もない相手に向かって。

バスを降りて無事にホテルに入る。彼女が予約していた部屋はツインルームだった。ここで一泊して明日グリーンストリートに行く。午後にはレンタカーを借りて音楽が聞こえるという海岸に向かう。そしてまたこのホテルに戻ってきて一泊。全て中上の決めたスケジュールだった。私は彼女に言われた事を、お金をかき集めたり荷物を用意しただけだ。オーストラリアに誘われた池袋での食事の日から三か月が経っていた。その間にパスポートも準備したし、彼女が免許を持っていなかったのでオーストラリアで運転できるように運転免許証の海外申請もしていた。

三か月ぶりに再会した時、彼女は長かった髪を切っていた。

「ご飯食べに行こう」

そう言われ部屋を出た。オーストラリアと言えばなんだろうか。コアラ、カンガルー、森林火災。そんな事を考えながら中上についていく。彼女はどんどんと進んでいく。振り向いたり辺りを見回したりもしない。少し歩くとplatformという店があった。そこに入る。テーブルについてギャルソンが来ると中上がLamb Short Ribとビールを注文した。

「ラムって羊だっけ」

「子羊」

とか、時差は日本と何時間位あるの。一時間くらいだね。という会話をしている内にすぐTooheys New Lagerが来た。そしてラムも来た。控えめな柄の大皿に骨の付いた肉。その上には大陸を横断するように青菜が載っている。それを見て私は映画LAMBの事を思い出したり、子供の頃に母親が一度だけ買ってきたラム肉の味を思い出したりした。骨を掴んで齧り付く様にして食べるとやはり豚とも牛とも鶏とも違う。ラム。祖母の家にあった布団の様な匂いが鼻を抜ける。独特の。子供の頃はそれが合わなかった。それ以来のラム。しかし今食べるとそれが。それがたまらない。ビールを飲む。また一口食べる。赤みのある肉汁が滴る。ビールがすすむ。見知らぬ相手を食べている感覚。中上も何も言わず食べていた。ラメの入ったパープルピンクのマニュキュア。その指が骨を掴んで齧りついている。肉汁で唇がテラテラとしている。何杯もビールを飲んだ。フライトの疲れもあったし、海外の疲れもあった。レストランを出る所までの記憶はあるが、その後は無い。目を覚ましたらホテルに居た。隣を見ると中上が居ない。携帯を確認すると中上から昼前に戻るとラインが入っていた。私は自分のベッドに座ってセブンのワンシーン、トレイシーがダイナーでウィリアムに相談する所を思い出しながら自らのものをしごいた。何故そうなったのかはわからない。ただ、とにかくしごいた。

ホテルのカフェでコーヒーを飲んでいると中上が帰ってきた。彼女は私の向かいに座るなり、グリーンストリート見てきた。と言った。どうだった。と聞くと、

「うん、まあ、うん」

とはっきりしない。右頬の辺りを搔いている。暫くすると、

「やっぱり謀られたのかな」

と言った。謀られたんじゃないの。誰から聞いたか知らないけども。シドニーのグリーンストリートにはこういう一説もある。

もし地球のどこかに超特大の尻の穴を作らなきゃならなくなったとしたら、その場所はここ以外にはありえない。

シドニーのグリーンストリートはそういう通りとして書かれている。でも、まあ考えようだ。私は中上に言った。超特大の尻の穴。それはまあ世界の中心と言えばそうなのではないかと。

「そういうのじゃないんだけど」

中上はそう言うと、また右頬をの辺りをパープルピンクのマニュキュアのついた爪で掻いた。そう言った彼女の顔が、スケアクロウのアニーにダブった。ライオンを拒絶したアニー。子供を死んだ事にしたアニー。

レンタカーを借りて音楽の海岸に向かう。オペラハウスを横目にハーバーブリッジを走ってノース・シドニーに渡る。そこからA8を北上した。中上は助手席から外の景色を眺めていたし、私は海外での運転で余裕が無かった。車内ではほとんど話らしい話もしなかった。

モナ・ベールでA8を逸れて一般道に入る。その後も延々と北上を続けた。

「この先だよ。ほら見て」

中上が指さした方を見ると、そこには《PALM BEACH》と書かれた看板が立っていた。THE RETREAT AT PALM BEACH.

「この先に岬と灯台があるの。そこ」

自然公園の駐車場に車を停め、そこから岬まで砂浜を歩いた。空は曇天。雨が降るかもしれない。左手には海が見えている。人が全くいない。私と中上の二人だけ。彼女はCARLTON : DRYを飲みながら歩いていた。私は海と砂浜を眺めながら。

岬にある灯台は、バレンジョイー・ライトハウスという名らしい。その灯台のある岬の突端と海の間。そこで音楽が聞こえるんだという。

中上は迷わずに岬の突端まで歩いていった。私はそんな彼女の事を後ろからただ眺めていた。ただ、ずっと、そうしていたいと思っていた。石造りの灯台があって、灰色の穏やかな海があって、その風景に中上が立っている。他に誰も居ない。

「トラウトさん秋刀魚―!」

突然、突端に立ったままの中上が叫んだ。その場には不釣り合いなほどの大声で。

それから彼女は戻って来た。私の前に歩いてくると、

「帰ろう」

と言った。

車に戻ると雨が降り出した。粒の一つ一つが大きい。豪雨になった。私は、

「なにか聞こえたの」

中上に聞いた。

「うん。聞こえた」

彼女は助手席で膝を抱えながら言った。何が聞こえたの。

「なんだろう。なんか歌、知らない歌、全然知らない歌」

彼女は言うのだった。本当に。何でもないみたいに。パープルピンクの指先で右頬を掻きながら。ビールを飲みながら。その唇はテラテラとして。

そんな事があったのに、私はつい最近まですっかり忘れていた。

しかしある時、不意に思い出した。

水曜日のカンパネラのランボーを聞いた時、私は一切合切を事を思い出した。

帰りに見つけたAvalon Baptist Peace Churchに寄ってそこで彼女が祈った事。

その日の夕食をシーフード、バラマンディやスキャンピー、ブルー・マッセルの山ほど入ったブイヤベースにした事。

夜、ホテルに戻ってから二人で一つのベッドに寝た事。

それ以来、彼女に会っていない事。

送別会の時の彼女。

その時、彼女が最後にくれた物。

池袋のホルモン屋。

長い髪の中上。

齧り付いたラム。

オーストラリアの気候。

音楽の海岸。

THE RETREAT AT PALM BEACH.

「空港からあの岬まで51.9キロあった」

帰りの飛行機でそう言った彼女。

パープルピンクのマニュキュア。

その指で掻く右頬。

テラテラとした唇。

最後、中上が去っていく様を見てゼロ・グラビティのラストを思い出した。

私は思い出した。

ランボーの最後の所を聴いて。

だから思い出したのだろう。

 

2024年5月21日公開

© 2024 小林TKG

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"51.9"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2024-05-23 23:38

    海岸では水カンの「ランボー」が聞こえて来たのかなと思いました。いつも小林TKGさんの作品経由で水カンの再生をしてるんですけど、海岸で聞こえてきそうな歌だなと思いました。これは水カンの感想ですね。
    それにしても中上、魅力的な女性ですね! 好きです!
    オーストラリア、行ったことあるんですか? なんかリアルオーストラリアな感じがしました。私は行ったことないんですが。
    ディレクターズカットの蕨のくだりが好きでした。

  • 投稿者 | 2024-05-24 12:44

    ミニシアターで流れていそうな短編映画のように光景が鮮やかでした。ちなみに超巨大な尻の穴にふさわしい通りってどんなものなんでしょう? シドニーのグリーンストリートが実在していたら見てみたかったです

  • 投稿者 | 2024-05-24 13:46

    固有名詞や改行の多さも相まって、品の良いおしゃれな短編だと思いました。なにより最後に思い出したものをあげていくくだりが全体をそう染めあげてますね。
    「祖母の家にあった布団の様な匂いが鼻を抜ける」「見知らぬ相手を食べている感覚」などのラムを食べてるときの描写が好きです。
    それはそうと本作の中上はおそらくスタイルも良くついていきたくなるカッコいい女性だと思うのですが、中上と繰り返されるたび脳内に中上健次の顔が出てきて邪魔でした。

  • 投稿者 | 2024-05-24 18:54

    最初オーストラリアが出て来て、さてはエアーズロックが世界の中心だな、UFOの秘密基地もあるし地底人の出入り口もあるから、なんて思いましたが違いました。映画のシーンが多用されていて私にはわかりにくい部分があったかしら。でも水カンへの導入はばっちりです。

  • 投稿者 | 2024-05-25 13:02

    一緒に旅行するしで最初女同士の話だと思ってたので途中で二度見しました笑。男性一人称「私」自体は全然好きなんですけどねー。
    文章全体のテンションは低めなのに食べ物が美味しそう。ホルモンもラムも苦手なのに食べたくなりました。
    ディレクターズカット版に赤羽東口のブックオフ出てきたかと思いますが、そこ私よく行きます。

  • 投稿者 | 2024-05-25 13:04

    淡々と読める良作でした。
    読み終わった後、早速、水カンの「ランボー」を聴きました。
    「トラウトさん秋刀魚」との関連はそこだったかと三回目くらいでやっと分かりました。
    過去のことをすっかり忘れていて、それも強烈な思い出なのに、普段は全然思い出さないことがあるなあと思いました。カプセルみたいに凝縮しきった数日間だからこそ、コーラの栓を抜いたみたいにブワーッと蘇るのかも。

  • 投稿者 | 2024-05-26 14:39

    品のある逸品でした。
    それこそ、片山恭一作品っぽさを感じたのですが、それも含めての狙いなら頭が下がります。

  • 投稿者 | 2024-05-27 10:48

    味のある一編ですね。
    皆さんも仰ってますが、オサレ。かなりオサレ。ラム肉食べたくなりました。

  • ゲスト | 2024-05-27 18:28

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  • 編集者 | 2024-05-27 19:50

    先日の文フリ打ち上げは隣の席でどうもありがとうございました。
    俺も諏訪氏のような展開かとおもっていたら、どんどん歌の世界に入っていった。オーストラリアの広さを感じる。

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