どこの国のどこの地方であれ、神話というものは、とかくツッコミどころがおおいものだ。たとえば――と言って私がこれからかたるのは南太平洋アイサレイク共和国の一島ハガの原住民にちょくせつきいた神話であるが――、そのむかし、旅人の集団がいた。メンバーには兄弟がおり、ある日とつぜん、弟の男根が落ちた。それで、弟が女になったというのはまあいいとして、妹になった弟がメンバーのひとりをゆびさして「いとこ」と言ったからそのメンバーはきょうだいのいとこになり、さらにほかのメンバーをゆびさして「おとうさん」と言ったからそのメンバーはきょうだいの父になった、などと展開していかれると、さすがにバカらしくなる。これがうちの神話なんだよと言われても、だからなんなのだとしか言いようがない。「へえー」と感心するふりは、いちおうはするけれど、とうの原住民はと言えば、なにやらすごいことを言っているつもりらしく、いや、じっさいにすごいことを言ってはいるのだが、とにかく、こちらには感心してほしいらしいのだ。「そういうことがあったんですねえ」などと、私がびみょうな反応をすると、「あったよ」と言って、あきらかにふきげんになる。もっとほかに言うことがあるだろう、という圧力を感じるが、私にはなにを言えばいいのかわからない。この説話にはちっとも神聖なところがないと私には思われるが、この黒い肌をした若い男性――服らしい服はペニスサックのみという、イメージ上の「原住民」そのままのいでたち――にとっては、たましいの感動を呼び起こす「神話」にほかならないのである。
私は同行してきた大学院生の西田くんに目で圧力をかける。ほめろ。むろん、西田くんもうまく感心することができない。せいぜいが苦笑いだ。「なにがおかしい」と、原住民にすごまれる。あ、手が出るな、と思う。そのとおりになる。西田くんの頬はしたたかぶたれた。私はひらあやまりにあやまる。それで、ほうほうの態で日本に逃げかえってきたわけだが、土日をはさんで月曜日になっても、西田くんはまだへこんでいる。
「西田くん、それはちょっと弱すぎるぞ」
「でも、先生は外国人にぶたれたことがあるんですか」ある。じつはなんどもあるのだ。神話をかたる者は必死だ。ほがらかに見えても、その裡は刺しちがえる覚悟をもっていたりする。くだんのハガの原住民は、武器をにぎっていないのがあきらかだったから、ちょっと気がゆるんでしまったところがあった。西田くんには行くまえにそれなりに忠告していたつもりだったが、私の方がゆるんでいては、どうしようもない。
「まあ、きょうはいいよ。ちょっと食堂でも行って休んでおけ」
はい、と言って西田くんは私の研究室を出ていった。ほんとうに出ていくとは思わなかった。Z世代おそるべし。そんなカルチャーショックをうけつつ、現地調査のレポートをまとめる。もう三〇年もこのしごとをつづけているが、じっさいのところ、神話のことなどさっぱり分かっていない。体系立てることも、じつはまったくできていない。せいぜいが、こういうことがあった、こういうことがあった、と説話をならべてみせるだけで、「はい、あったんですね」と言って、深読みをしないということが、すこしだけできるようになったくらいのことだ。あったのだから、それはあったのであり、つまりは、あっただけなのである。そこにロマンがあるかと言えば、ふつうの日常にもロマンがあるのだから、そういう意味でのロマンはある。ふつうの日常など退屈至極なのだから、神話もまた退屈至極なのだ。ついでに言えば、ふつうの日常がツッコミどころ満載なように、神話もまたツッコミどころ満載なのである。
あるていど資料をまとめることができたので、コーヒーメーカーでコーヒーを淹れた。するとちょうど、ある男子学生がたずねてきた。たぼついたチェックのシャツ、そして色気のない黒縁眼鏡。うちの大学の民族衣装である。
「レポートおくれてすみませんでした」
そう言って、菓子折りをさしだした。
「いや、そんなことをしなくても……」
と言って、私はそれをうけとる。
「もしよかったら、レポートをうけとっていただけませんでしょうか」
「ああ、いいよ」
差し出されたコピー用紙には、「古事記について」と題がつけられている。ああ、一年生むけの講義の出席者だったか。
「むずかしかったかな」
「はい、すこし……」
せっかくなのでかれにもコーヒーを淹れてやることにした。男子学生は恐縮したが、ことわることもできないようで、けっきょくパイプ椅子にこしかけた。
「史学科の一年生かな」
「はい。二年目ですけど」
「なるほどね」
と言って私は菓子折りをあけた。まんじゅうがはいっていた。せっかくだ、いっしょにたべよう、と言って私はそれをひとつ、ほおばった。そして、コーヒーをすこしのむ。学生も私にならった。
「先週、南太平洋の島に調査に行ってきてね……」と言って私は西田くんがなぐられた話をした。男子学生は、「マジっすか」と言った。すこしほぐれてきたようだ。さらに私はハガにつたわる神話をかたってみせた。
「それは、つまり、どういうことなのですか」
と男子学生が問う。
「分からんのだよ。ほんとうのところ」
私はしょうじきにこたえた。「だが、現地の者は、この話で魂をゆさぶられているらしい」
男子学生は苦笑した。
「それ、そんなふうにわらったら、きみ、なぐられるぞ」
「あ、そっか」
「だから、私たちにとって、ハガのひとびとは、『他者』なんだよ。それをかくにんした、というのがこんかいの調査の収穫だ」
と、私はもっともらしく言う。だが、「他者」はこの日本国内にも、国籍をおなじくしていても、たくさんいる。それこそ、顔色ひとつ変えずナイフ一本で、他人の首を狩ることができるひとだって、いるのだ。そんなひとたちの神を私は理解できない。
「ときに、いま、きみたちくらいの年代ではなにが流行っているのかな」
と私は研究室にきた学生全員にする質問をした。男子学生は、TikTokとか、アニメで言えば『呪術廻戦』とかですかね、とあいまいな言い方をした。だれもが、こういうこたえかたをする。ぼくはしらないですけど、わたしはしらないですけど……。
「だったら、きみはふだんどんなことをしてるんだ」
「アルバイトばっかりです」
「ほう」どこではたらいているんだ。すき屋です。接客か。そうです。ひとが好きなの。苦手です、でもお金がいるので。そうだよなあ……。私はことばがつづかない。『古事記』どころではないのだ、この国の学生は。この国の学生のあいだではやっているものなど、もはやそんざいしないのだ。あえて言えば、金欠。シリアスに言いかえれば貧困。
「すみません、これからバイトがあるので」
男子学生はコーヒーを半分ほどものこして研究室を出ていった。
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