救命士の話

小林TKG

小説

8,541文字

去年の、去年? 前回の星々短編小説コンテストに出したやつです。テーマは映画でした。
あとこの時期コロナでした。コロナの終焉期。あと今はレミノですが、当時はdTVでした。

私が子供の頃は、まだビデオ、ビデオテープが主流だった。いや、主流だったかな。何分もう昔の話だからな。DVDもあったと思う。ブルーレイはどうだったろう。まあ少なくとも今みたいにサブスクとかそういう言葉は無かった。まだ無かった。ツタヤやゲオで会員カードを出してレンタルして映画を観るのがメインだった。これは間違いない。

そんな日々の中で、私はレンタルビデオ店でアルバイトしていた。レンタルビデオ店と言ってもツタヤやゲオじゃない。チェーン店じゃない。一店舗しかない。そこしかない。今はもうシャッター通りになってる、商店街っていうと違うけど、とにかくまあ、なんか通りにあったそういう店。そういうジモティ系のレンタルビデオ店でアルバイトしていた。そこでアルバイトして映画のビデオを借りて、それを家で観るのがまあ、趣味、趣味……、趣味だったのかなあ。娯楽の少ない田舎の子供。今みたいにスマホも無いし。町にはカラオケも、あるにはあったけど、でも今みたいにまだそれに対して意義を見い出せてはいなかったと思う。時々大声を出すというのが大切な事だと知ったのは最近の話。そもそも子供の頃は日常的に大声出してたし。出せてたし。

とにかく近くに、家の近くにレンタルビデオ店があった。そこでアルバイトをしていた。だからレンタルビデオを借りる事が結構日常的だったと思う。バッティングセンターが近くにあったらバッティングが日常的になっていたかもしれないし。釣り堀があったら釣りが日常的だったかも。ラジコンやミニ四駆のコースみたいのがあったら、そこに毎日のように通ってたかも。ガム噛みながらラジコンの操作したりしたかも。マグナムやソニックの肉抜きとか、そういうのに熱中したかも。とにかくまあ、そういう事、そういう事だと思う。

週末、友達の家に行くとなるとビデオ、映画をレンタルした。友達と観る時は、ホラー映画とかを借りた。シャイニングとか危険な遊びとか女優霊とかを借りた。女優霊を観た事は未だに後悔している。

家で観る時は、家で観る時はどうだったろう。思い出せない。よく覚えていない。結構、子供の頃は映画を借りて観ていた気がするんだけどなあ。意外と覚えていないんだなあ。金土日のどっかで、昔は金土日の三日、週末のその三日の度にテレビで映画が流れていた。金曜ロードショー。土曜なんとかロードショーだっけ。あと日曜劇場。あ、日曜劇場はTBSのドラマだっけ。まあいいや。そこでダイハードがやる度に観ていた。その事しか覚えてないなあ。

あ、でも半落ちと救命士という映画の事は覚えている。あ、あとナインスゲートも借りたな。ナインスゲートの事も覚えてる。良かった。

ナインスゲートは晩御飯の時に家族で観て、途中死ぬほどいやらしいシーンが出てきて、もちろんそれも私が借りてきたんだけど、だから凄い後悔した覚えがある。マジかよって思った。何も言わなかったけど。何も言わなかったし何も感じてない、何も思ってないフリはしてたけども。地元で、夕方にやってたエヴァンゲリオンのなんか、あ、テレ東無かったからね。地元は。東北だから。ポケモンもなんか夕方にやってたよ。で、エヴァの何話か知らないけど、なんとか言っていう使徒を食べる回があったでしょ。あれをリビングのテレビで観ていた時も気まずかった。親とかいて。でも、ナインスゲートも気まずかったなあ。すげーいやらしい事してたから。契り。契りかなあれは。契りかなって思うけど。

それから半落ちは、子供で何も、まだこの世の中の何一つもわからない分際の私なのに泣いたけど、でも、それ以上に父がすごい泣いたから。だから覚えている。覚えていた。彼、父、ティッシュに手が伸びてたから。鼻をかむ時以外に父親がティッシュに手を伸ばした所をそのとき初めて見た。初めてだったと思う。それまでずっと、そういう体温のある人だと思ってなかった。だから驚いた。

それから、救命士。マーティン・スコセッシという、まあまあ名の知れた人らしいけど、その人の映画。ニコラス・ケイジが出てる。んで、この映画を覚えている理由は少し特殊かもしれない。まずレンタルしたのを始めに私が一人で観た。ちなみにこの映画を借りた理由は覚えていない。もしかしたらバイトしている時に誰かがこれを借りて、あ、面白そうと思ったのかもしれない。あるいはなんか違う映画のビデオの最初の予告に流れてたのかも。

とにかくまず一人で観た。そんで、多分だけど、見終わった私の感想は、
「大変だなー」

位の感じだった。確か。大体何の映画を観ても、私みたいなもんは、
「大変だなー」
「面白かったです」

しか、思わない。それ以外に何かを想ったり、考えたりすることが無い。それを別に悪い事だとも思ってない。

その後、父親がこの映画を観た。レンタルした当時には既に旧作だったから、あ、そもそも私は旧作しか借りなかったけど。だから一週間レンタルだった。新作は髙いお金を払って明日明後日には返してくださいっていうのがレンタルビデオ店のやり方だったでしょう。何処もまあ同じような感じだったと思う。でも、新作だって半年待てば旧作になるんだもん。新作に高いお金払うより、そのお金で二本か三本か借りて観た方が賢い選択に思えた。今もそう思ってる。

救命士も旧作一週間レンタルで借りた。だから父親も観たんだと思う。たまたま、あったから。私は別に彼にこれ観てよとか、勧めなかったと思う。子供の頃からそういうのがあまり好きじゃなかったから。他人に何かを勧めるとか。強要罪になるやつ。

でも、そのレンタル一週間のうちの何処かのタイミングで学校から帰ってきた私に向かって父は、
「面白くない」

と言った。は、何、何の事ですか。最初意味が分からなかった。聞くと救命士の映画の事であった。
「誰よりもあの救命士が病んでる」

とか、なんかそんな事を父は言った。

父親は私と違って面白い面白くないみたいなのがはっきりしていた。姉もそういうのがはっきりしていた。私はそういうのは特に定めてない。でも別に面白いって言っておけばいいじゃんっとは思ってる。なんでも。面白くないって言って角が立つより面白いって言ってた方が平和だと思うけど。母親はそもそも映画とかあんまり興味ない。最近サブスクで色々と観てるらしいけども。

そんな父親だったから、面白くないっていう映画はたくさんあった。そしてそのような評価が下る映画の大半は、
「くだらない。現実味が無い」

と言って否定した。そんな父を近くで見ていて子供の頃の私は、
「私も子供の頃にナウシカとか無かったら、こんな世界ありえないとか言って否定していたのかもしれないなあ」

って思ったもんだ。

そんな父が、救命士の事は、
「あの救命士が誰よりも病んでいて嫌だ。受け付けない」

とか言って否定した。だから私は救命士の事を今も覚えているし、だからこそ、その時から救命士が大好きになった。これはもう理屈じゃないんだ。
「父親が受け付けないって言って否定した映画」

いつもの、くだらない。現実味が無い。ではなくて。だから好きになったんだ。マーティン・スコセッシの事は今もよく知らない。父親が監督とか脚本家とか主演とかで映画を観るのを嫌う人だったから。シャッターアイランドとかも、あ、これマーティン・スコセッシなんだって思ったのは、観た時、観る時かな。観終わってからじゃないと思うな。今は、ほらサブスクに紹介文みたいのが書かれるからさ、そこで否応なしにわかっちゃうでしょう。でも、ビデオを借りて観ていた当時はそういうのも見ないようにしていたし、そういう雑誌とかも買わなかったし。まあビデオやDVDに収録されている予告編だけは観てたけどもさ。でも情報を限りなく限定してはいたかなと思う。あ、でも今もシャマランの映画はシャマランって思って見るなあ。それは仕方ないけども。

父親が、くだらないと言わず受け付けないと言って嫌った救命士。父親がそう言ったから私は大好きになった。それから、サブスク、今みたいなサブスク全盛の時代になってレンタルビデオ店に行かなくなっても、どっかのサブスクであれば観る。登録してるところであれば。観るようにしている。なるべく。まあ、そうは言っても最近観てないけども。何処も配信してないから。観れないんだけど。

そんな救命士の映画。その事を私は最近よく思い出す。よく思い出すんだ。

 

 

父は二千二十二年の十月一日に死んだ。いや、十月の一日に連絡が来たんだ。私の所に、日付が変わってすぐに。姉から。電話がかかってきた。その時、スマホの画面に姉と出た時、もうわかった。父が死んだんだろうなと思った。帰省の為の切符とらなきゃと思いながら、電話に出た。
「お父さんが死んだって連絡が来ましたので」

姉は電話口でそう言った。やっぱりそうですか。私はそう返した。

それというのも私達は前日まで、つい前日まで実家に居たから。居たんだ。つい昨日まで。九月の中旬頃、母から電話がかかってきた。
「お父さんがもう長くないって病院の先生に言われたから、一回帰ってきてほしいんだけど」

そのような内容であった。そのあと姉からも連絡が入った。
「母親から話聞いたでしょ。だから切符とってほしいんだけど」

お正月とか、場合によってはゴールデンウィークとか、そういう時に帰省する際の姉と私の切符は私がえきねっとなりで取るのがいつもの流れになってる。
「父親が長くないって言ってた」
「病院の副院長先生にそう言われたんだって。だから今のうちに会っておいてほしいんだって」

姉は私よりも詳しく母から話の詳細を聞いていたらしい。ああ、そうなんだ。副院長先生が。へえー。

父親は少し前に大腸がんか何かの除去手術をしていた。二千二十二年のお正月が終わってすぐの事だったと記憶している。その時、年末年始の帰省をしたのは私一人だった。姉は仕事があるからと言って帰れなかった。

その帰省の前日、母から連絡があった。
「お父さんの様子がおかしいけども、気にしないで」

と、そう言われた。その時、それは何の事か、何のことを言っているのか意味が分からなかった。

帰省して父を見てすぐに分かった。父親はガリガリに痩せこけていた。後で聞いた話によると、ある時を境にして何も食べなくなったらしい。食べたくないと言って食べなくなって、みるみる痩せこけて皮と骨だけになってしまったんだという。
「まだ、七十四歳なのに」

母親はそう言って憂いでいた。病院に行こうと何度も言ったそうだが、本人はそれを頑なに断り続けた。ただ、それはなんとなく私にも分かる。分かった。父は、彼はそれまでの人生の中で、病院という場所に行ったことが無かった。病院が嫌いだったんだろうなと思う。別にそういう人は珍しくも無いだろう。

ちなみに私は最初、彼が、父がハンガーストライキか何かをしているのかなと思った。しゃべらなくなり、何も食べなくなり、毎日垂れ流すように観ていたdTVもネットフリックスも観なくなり、そもそもパソコンに向かう事もなくなり、ずっと座ってしんどそうな顔をしていた。俯いてばかりいた。歩くのも、立つのも大変な感じだった。今にして思えばその時、その時には結構もう、痛みとか体の不調とかあったんだろうと思う。いや、そんな風に回りくどく考える必要も無かった。だって見た目で一発でわかる。わかったもん。あり得ない程痩せこけてたし。辛そう、しんどそうだったもん。明らかにおかしかった。

でも、大人だから。あっちだって大人として生きてきたはずだから。私はそう強く病院に行くことを勧めなかった。言わなかった。父の、彼の人生だ。私の人生じゃない。どんだけ辛そうでも、無理そうでも、大丈夫だと言うんだから。行きたくないなら仕方ないと。でも、その時結構もう、死ぬんだろうなって思っていた。
「父親は遠からず死ぬんだろうな」

って。

その後、お正月が終わって私が関東に戻った後、母親が泣いて、懇願して彼を病院に連れて行ったらしい。とりあえず近所のお世話になってる内科に。そこで検査すると明らかな異常が判明して、すぐに組合病院に運ばれ、入院となった。そして癌と診断された。いつからだろうなあ。長いこと病院に行かなかった、行ったことが無かった父の体には癌がいたそうだ。悪性の。でっけーのが。そんなの日本の映画やドラマの中でしか無い事だと思っていた。連絡を受けても私はなんとなくそんな風にしか思わなかった。

彼の癌の切除手術は大変だったらしい。一回で全部は取り除けなかった。血がすごく、沢山出たんだそうだ。じゃぶじゃぶ出たんだそうだ。

五月のゴールデンウィークに姉と二人で帰省した際、父は既に病院から退院していた。お正月の時以上に更に痩せていた。そしてほとんど寝たきりというか、一日を寝て過ごしていた。寝ながらラジオを流して、本を、遠藤周作の本を読んで過ごしていた。週末の私と同じくらい一日中パジャマで過ごしていた。ほとんど何も食べず、お酒も飲めなくなっていた。相変わらず辛そうで、生きていること自体がしんどそうだった。

あとなんでか私と姉が関東圏に戻る前日の夜、一万円ずつくれた。私は、え、いいんすか。って言って関東圏に戻って割にすぐ、アマゾンか何かで使った。姉がどうしたのかは知らない。

その後、いくらなんでも何も食べない、食べな過ぎたために、再び入院となって、もうほとんど意識も無くなり、父は総合病院から終末病院に転院した。その際のお医者様の話によると、
「点滴を打ってるのに全然太らないんです。おかしいです。もしかしたら脳にも、頭にも何かあるのかもしれません」

障害が。何か、何らかの障害が。

そうして九月の中旬、終末病院の副院長先生から母親に、
「もう長くないと思いますので、今のうちに会わせたい人がいたら会わせてあげてほしい」

と言われ私と姉は帰った。新幹線の中で姉が、
「なんか第二病院の方で、クラスターが発生したらしいんだよ」

と言った。
「え?そうなんすか」

相変わらず、私は何も聞かされていなかった。別にその事を恨んでいるわけじゃない。気楽というか、そういう感じでありがたかったくらい。そもそもお正月の段階でもう長くないのはわかってたし。姉もゴールデンウィークにはそれがわかっていたと思うし。母親だって、
「まだ、七十四なのに」

とは言ってたけど、さすがに終末病院に転院した時にはわかってただろうし。
「だからさ、終末病院の看護師の人達がピリピリしているらしい。それはもうピリついてるらしい。そんな時に関東圏から来た私らが見舞いに行くとか言うんだから、そらもう迷惑だろうな」

姉はそう言うと足元に置いてあった自分のカバンをガサガサしだした。窓の外は晴れていた。九月の下旬、いい天気の、いい気候の日だった。
「ああ、そうですか。それはまた、まあそうでしょうね」

私は試聴していた映画を止めてタブレットを閉じて、耳からイヤフォンを外した。
「しかも聞いたか。母親、二日連続で行くらしいよ。見舞い」

姉はそう言いながら、座席についてるテーブルを出して、その上に何かを置いた。
「二日連続ですか」
「だから、見舞いに来るんだったら抗原検査やれって、病院から強く言われたそうっすわ」
「へー」

テーブルの上に置かれたのは二人分の抗原検査キット。まず私が鼻の奥まで綿棒を突っ込んで検査した。検査の手順をスマホで動画で観ながら。歌舞伎の人が教えてくれる動画だった。

二人とも陰性。新幹線の座席で鼻の奥まで綿棒を突っ込んで笑けてきたくらい。

家に帰ってからもう一度、母親の買ってきた抗原検査キットで、今度は三人で検査をした。三人とも陰性。鼻の奥に綿棒を突っ込む非日常的な行為と、鼻の奥を綿棒でくすぐる感じで笑けてきたくらい。

それから三人そろって病院に行った。母親は慣れていて、着替えが入ったカバンを持っていた。誰もいない。受付も空の終末病院。エレベーターで三階に上がるとバリケードの様なものが出来ていた。その前にぶら下がっている呼び出しボタンを母親が押すと奥から、ウイルスが撒き散らされて大変系の映画の医療従事者の様な格好の看護師がやってきた。
「ああ、副院長から伺っております。で、検査されましたか」

当然だからいいんだけど看護師の方の対応には若干の圧が感じられた。でも、そら当然だから。こっちがすいませんって言うくらいだ。
「それではお一人ずつの面談で」

まず母親が向かった。母親はその場で、食品工場に従事する人みたいな格好になった。病院の方で使い捨てのそういうのを一式を準備していた。すいません、ほんとすいませんって思った。
「じゃあ、まず見てくるから」

そう言って母親はバリケードの向こう側に行って、通路の様々な所に垂れ下がっているカーテンの向こうに消えた。
「……」

母親が消えてから、私も姉も何も話さなかった。ただ座って、椅子に座って窓の外を眺めていた。海が見えた。いい天気だった。海の近くなのにカラッとしていて、いい気候の、過ごしやすい日だった。

その後、帰ってきた母親と交代で私が食品工場従事者の様な格好になってバリケードを越えた。カーテンも超えた。沢山ある病室を通り過ぎて、換気の為か何処もドアが開いていた。中はカーテンで仕切られていた。ここですと案内された。看護師の方がカーテンを開けると、そこに呼吸器につながれたガリガリの、いよいよ本当に骨と皮だけになった父がいた。出汁とった後みたいな父。
「久しぶり。元気ですか」

看護師の人が、自分の体をひっかいてしまうから、手と足を固定しているといった。父の手と足は紐、勿論柔らかい布とかだと思うんだけど、それでベッドに結ばれていた。
「じゃあ、十分したら来ますから」

看護師の人はカーテンを閉めて立ち去った。

ベッドの脇の丸椅子に座って父を眺めた。父は映画に出てくる病人の様に、呼吸器をつけて点滴を腕につけており、頭の上の所にある医療機器の画面には心拍数の様なものが表示されていた。映画みたいじゃんと思った。時々その医療機器が、ピピピと心配になる感じで鳴った。映画では死ぬ時以外そういうピピピみたいな音は鳴らない。でも、実際はそういうものでもないらしい。あるいは時代的なものがあるんだろうか。
「ふー……」

父の目は開いていたが、既に意識はなかった。目の焦点は誰にも、どこにもあっていない。

そしてその時、父を見ながら私は救命士の事を思い出した。映画の。救命士の事。

映画の最後、ニコラス・ケイジ扮する救命士はある人を死なせる。殺すというのかなあれは。呼吸器につながれるだけの男だ。誰かの父親だったかも。そしてその人の幻覚が、亡霊かな。が、出てくる。それは救命士にだけ見える。その亡霊が自らの死を願う。救命士に懇願する。

でも最初は死なせない、死なせられない救命士はその場を立ち去る。電気ショックを受けて、亡霊は救命士に怒りの感情を吐き出す。この野郎とかだったと思う。

でも救命士は、最後に戻っていってその男を死なせる。呼吸器を男の口から外して、自分が咥える。

父が嫌った救命士の映画。今の父はどうなんだろうか。彼は、今、私から見ると死にたいように見えた。いや、もうその時には生きる気力が尽きているように見えた。もう。とっくに。

私が今の父の立場だったらどうだろうか。死にたいと思うんじゃないかなって。

その時、父を死なせてあげた方がいいように思えた。もう楽になりたいだろうなって。

父の意識はもう無い。だからどう思ってるかわからない。何も思ってないかもしれない。何かを思ったり、考えたりなんて事、もう出来ないのかもしれない。わからない。

でも、私だったら。

通路と病室の間はカーテンで仕切られていた。

父の目は開いていたが何も見てなかった。

呼吸器を外したら父はすぐに死ぬんだろうか。わからない。何もわからない。でも、
「お父さん……」

手が、呼吸器に延びた。だらしなく開いた口にテープでとめられている呼吸器に、簡単に外せる。外そうか。外してあげようか。その呼吸器に手が、
「あああああ」

その時、カーテンを隔てた向こう側、隣から、誰かと相部屋だった。そこから、別の終末患者のうめき声が聞こえてきた。咄嗟に手を膝の上に戻していた。
「十分経ちました」

看護師がカーテンを開けた。

私は椅子から立ち上がり父に明日も来る旨を伝えて退室した。元来た通路を看護師と一緒に戻った。そして姉と交代した。

次の日も見舞いに行った。でも、一日待ったけども、幻覚や亡霊の類は出なかった。死を願う幻覚や亡霊。だから、結局その日も呼吸器は外さなかった。外せなかった。

私と姉は関東圏に戻った。そしてその日、すぐ次の日、日付が変わった瞬間、姉から電話がかかってきて父が死んだ旨を聞かされた。

切符とらなきゃと思った。あと、それからあと、

やっぱりあの時に死なせた方がよかったのかなあ。

そう思った。

死んだ。すぐ死んだ。それを考えると父はやっぱり望んでいたのかなあ。

救命士の映画の事をよく考える。

今も。

今もそれを考えてる。

あれからずっと考えてる。

2023年12月9日公開

© 2023 小林TKG

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