黒猫輪舞

人間賛歌(第30話)

山雪翔太

小説

2,103文字

講談社様刊の、「黒猫を飼い始めた」という短編ミステリー集から着想を得させて頂きました。
この作品はミステリーではないですが、同じ、黒猫を飼い始めた。という台詞から物語を進めています。
ありがとうございました。

 黒猫を飼い始めた。
 その猫は闇に紛れれば見えない程の漆黒の毛を纏い、そして闇に紛れれば、太陽よりも明るい黄色の目を備えていた。
 僕はその猫をルーナと名付け、共同で暮らし始めたのだ。
 彼と暮らし始める前、僕はこの世から除外されていた。
 家族からとっくに縁を切られ、僕は世の中からロクデナシのウツケモノと言われている。
 それもそうだ。否定は出来ない。僕は将来大物になるのだと言って上京した。
 あの頃は夢で僕は詰まっていた。だが今はその夢すら萎んでしまって、僕には空虚のみが残った。
 優しかった母親もいつの間にか鬼の様な顔を見せ、仕送りも来なくなった。

 だが僕はそれでいいと思った。ルーナを飼い始めてから。
 彼は僕をニャウンと甘い声で誘惑する。その声は僕を「こちらにおいで」と誘う。そしてその声の方を向くと、ルーナが僕を件の黄色い目で真っ直ぐに見るのだ。
 僕は周りに影響されやすいと自覚している。だから僕は今まで周りの言う通り、ロクデナシのウツケモノだと思っていた。何も出来ない、人未満の存在。
 だが、ルーナは違った。
 ルーナは僕を優しく受け入れ、認めてくれた。
 僕にここまで優しくしてくれたのはルーナだけだったのだ。
 ルーナは僕を生かしている。そして僕もルーナに餌をやることでルーナを生かしている。

 ルーナは棄て猫だった。
 ルーナは僕がよく通る散歩のルートに棄てられていた。
 雨の日だった。ルーナはか弱くニャアニャアと泣いていた。周りの人々は誰もその黒猫を見向きもせず、歩いていた。
 僕だけがルーナの存在に気付いていた。
 僕とルーナは惹かれ合い、出会った。

 あの後、僕は偶然家主に会い、その猫の話をした。僕はその時、ルーナを腕に抱えていた。
「・・・・・・黒猫ねえ、私は良くは思わないわねえ。だって、ねえ知ってる? 黒猫っていうもんはね、昔っから言われてるのよ。不幸を呼ぶ存在だって」
 大家のおばさんはそう言っていた。確かにその事は知っている。
 だが僕はルーナに強く執着していた。だから僕は、ああそうですかと聞き流して、無理矢理にルーナを飼い始めた。
 僕とルーナはこんな物では関係はちぎれないと思っている。
 それは僕もルーナも心から思っていることだろう。

 ルーナは僕が目覚めると、真っ先に僕の方へやって来て、ゴロゴロと喉を鳴らし、僕にすり寄る。
 僕がそれを受け入れて、頭を撫でてやると、彼は更に僕を誘惑してくる。
 僕はいつの間にかルーナの虜になっている。
 ふと思う。仮にルーナが死んでしまったら、僕はどう生きていこう?
 もしかすると、僕は何か壊れてしまうかもしれない。今僕の身体はルーナが居なくては生きられない状態になっていると言える。
 でも僕は今思えば、そこまで考える能が無かったのかもしれない。
 いや、どちらかと言えば、ルーナが僕の考える能を奪ってしまったのだ。
 例えるなら、機械の重要なネジが、誰も意図しない所で入れ替わってしまった様な感覚だ。
 既に元のネジはどこかへ行ってしまい、そのネジしか代わりはなくなってしまった。

 その日は、とても爽やかで、心地の良い朝だった。
 僕が目覚めると、朝日が縁側から差し込み、僕の瞼を撫でていた。
 それの感触に体を任せてみる。
 ああ、世はなんて美しく、そして儚いのだろうか。
 僕はそう思い、もう一度縁側を見た。
 ルーナがそこに立っていて、僕の方を見ている。
 鋭く強い黄色い目が僕を刺激する。
 そして僕をしばらく見つめると、ニャオンと甘い声で一鳴きし、庭の方へ走っていった。
 もしかすると、僕を誘っているのかもしれない。
 朝のウォーキングもたまにはいいだろう、と僕は寝間着のまま、外へ出た。

 外は太陽が顔を出し、街の風景が明るく反射する。
 ルーナの黒い毛でさえも、明るく光る。
 僕はそれに混じり、ルーナの尻尾を追いかけていた。
周りも見ずに、僕はルーナを信用して歩く。
 そして、今まで歩いていた路地裏を抜け、大通りへ出た。
 ルーナは果たしてどこへ連れていくつもりなのだろうか? 胸に期待を抱き、僕は歩き続けるのだ。
 その時、僕の右側から、無機質な轟音が響き渡った。
 ビーとクラクションが鳴る。
 トラックの騒々しいエンジン音。
 ガソリンの鼻をつく匂い。
 それが、すぐ近くで。
 僕の、真横に。

 ある家の一室、電話の呼出音が鳴る。家の主の婦人はそれを手に取る。
「・・・・・・はい。・・・・・・警察の方? ・・・・・・ああ、あの子の事ですね。私にも分かりませんよ。唐突に死んでしまったものですから。・・・・・・昔は、とてもいい子だったんですよ。私にとっては、就職してようがしてなかろうが、関係無かったものです。自分から積極的にお手伝いをしてくれて。息子みたいに可愛がってたものですよ。・・・・・・勿論、一番可哀想なのはお母様なんですけどね。息子が上京して、遺体で帰ってくる。しかも状態の酷い・・・・・・トラックに潰されて。・・・・・・ううう・・・・・・」
 婦人は涙ぐむ。
「本当に、なんの前触れも無く、交通事故で亡くなってしまってねえ・・・・・・可哀想だわ。・・・・・・え?変わった様子ですか? ・・・・・・そうですねえ・・・・・・。ああ、強いて言うなら、

黒猫を飼い始めたくらいですかねえ・・・・・・。」

2023年2月19日公開

作品集『人間賛歌』第30話 (全42話)

© 2023 山雪翔太

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