妾が娼婦だった頃(5)

妾が娼婦だった頃(第5話)

寺島聖

小説

8,367文字

美登利、そして弟の宏明のことを語り終えたナオミ。舞台は彼女にとっての日常である、スナック『エトランジェ』に戻る。冷え込んだその日も店には様々な客が現れ、やがて日付変更線を過ぎる頃、一見客がぞろぞろと入ってきた。破滅派文藝新人賞の応募規約を大胆に無視して話題を呼んだ怪作。

病室の壁の白さがナオミの目に染みた。黒田は彼女の話を聞いて、「美登利って女はこれで完全に立ち直ったよ、」と深く頷きながら感想を縷々(るる)述べた。だといいけどね、とナオミは呟いた。

「今住んでいるマンションを借りた不動産屋のお婆ちゃん、お孫さんを急性白血病で亡くされているのよね。発症する半年程前迄は、スポーツが大好きな普通の高校生の男の子だったのに、突然病魔に(おか)されて、闘病中もお婆ちゃんや同級生が毎日のようにお見舞いに来るのに、絶対にみんなの前では辛い顔一つ見せなくて明るいままだったんだって。もうすぐ自分の命が燃え尽きようとしているのに、大切な人達を悲しませないように必死だったんだろうね。あたしが部屋の契約をしている時、学生達がドヤドヤと不動産屋の裏口から入って行って、みんなで仏壇の前で手を合わせているらしいの。あたしは何があったんだろうと訝しげにしていたら、不動産屋のお婆ちゃんが口火を切って、先日孫を亡くしまして、って言い掛けたと思ったら、突然身を(よじ)って泣き出し始めて、辛くて狂いそうだから、まだ仕事している方が気が紛れるんです、あんなにいい子が何故(なぜ)こんな目に、って言っていたわ。天使みたいないい子はこの世の修行を人より早く終えて、天国へ飛び級してしまうものかもしれないわね。」

「そうかもしれないな、」と黒田はしんみり言った。

「弟の宏明が()だ子供だった頃、火が点いたように泣いて帰って来た事があってね……、どうしたの? って尋ねたら、友達のお家に遊びに行って、オヤツにそこのお母さんが焼いてくれたクッキーが出されたんだって。宏明が余りにも美味しくって、つい沢山食べてしまったら、居合わせた別の友達に乞食と罵られて殴られて、逃げ帰って来たの。宏明は身体も弱くて小さかったし、あの子は()()もお腹を空かせていた。あたしはあの子を守ってあげられなかった。」

ナオミはハンドバッグからハンカチを取り出し、目頭を押さえながら「暗い話をして、ゴメンね、」と謝った。

「別に謝る事なんてねぇよ。俺だって汚い乞食の(クソ)餓鬼(ガキ)ってしょっちゅう言われたものだぜ。家はお袋があんな感じだったから、余所(よそ)の母ちゃんが優しく見えたものだよ。」黒田の目も涙で潤んでいた。

「もう、暗い話は止めにしましょう、」とナオミは言った。

「ところで、お前はまだ若いし、これから将来どうなりたいんだ?

俺の目から見て、お前は水商売には向いていないよ。(したた)かさが足りないって言うか、自己犠牲的過ぎる。正直すぎるし、優しすぎる。勿体無いよ。何だか上手く言えないけど、ナイチンゲールがバーのママさんなんて変な話だろ? 矛盾しているよ。」

ナオミは口元に薄く微笑を浮かべ、「ナイチンゲールなんて、あたしはそんな柄じゃないわよ。でも、一寸(ちょっと)は夜の看護婦さんみたいなものなのかもね。これからどうなるかなんて分からないけれど、あたしはもっと透明になりたい、」と言った。「透明だなんて、抽象的な表現だな。俺にはお前が分からないよ。」「ごめんなさい。」

「それにしても、見てみろよ、ナオミ。綺麗な景色だなあ。俺は一年でこの季節が一番好きだよ。」黒田は寛いだ様子で病室の窓に切り取られた風景を指差した。「あたしもこの季節が一番好きよ。何だかアンニュイな気分になるわ。日毎(ひごと)に季節が深まって熟成されて行く。公園のベンチで、ひとり珈琲(コーヒー)を飲みながら詩集でも開いていたい。」

ナオミは目を凝らし、窓の外を眺めながら言った。病院の敷地内に植えられている木々は見事に衣装を変えていた。銀杏の大木が鮮やかな黄金色に色付き、はらはらと扇型の葉を土の上に落としている。時折悪戯な風が吹くと、色とりどりの枯葉が弧を描いて舞い踊る。その光景を見詰めていたナオミは、感傷的な気持ちになって、胸が(つか)えてしまったようだ。掃除のお婆さんが忙しなげに落葉を箒で集めている。大切な家族を想っているからであろうか。()(なず)む夕日に包まれ、光の中に溶け込んだお婆さんの皺の刻まれた横顔は、とても優しかった。秋の終わりは、淡く儚い詩の世界が広がって行く。

 

 

看護婦が病室に茶色のセーターを着た、痩せぎすの男を連れて来た。男は顔色が悪く頬がげっそり()け、狐に憑かれたような顔をしている。ナオミはこの男に見覚えがあった。確か渉と言う名のキャバクラの店長兼ポン引きで黒田の腰巾着である。本人にその自覚は無いが、渉はポン引きの日常を()(まま)何重にも身に(まと)っているような(いか)()わしさがあった。「黒田さん、遅れて申し訳ありません。」

渉は来て早々黒田のベッドの傍らで慇懃(いんぎん)にお辞儀した。

「遅いんだよ! 何処(どこ)で油売っていやがったんだ。お前は()()も。この(ウス)莫迦(バカ)!」黒田は(にわか)に活気付き、怒鳴り声を上げた。渉は沈痛な面持ちで恐縮し、ペコペコ頭を下げている。ナオミは壁の時計を一瞥すると黒田に、あたしそろそろ帰るから、お大事にネ、と言い残し病室を後にした。最近は、日が落ちるのが早い。彼女は冷え冷えと透き通った空気を吸い込み、タクシーに乗り込んだ。

夕方になると、吐く息も白くなる。

 

(3)

 

ナオミは相変わらず眩暈(めまい)のような日々を無責任に(むさぼ)っていた。黒田は今迄以上に元気になって、一週間後に退院した。そんな或る日、黒田はエアメールの便箋に真っ赤な林檎(リンゴ)の絵を描き、「これが俺のハートだぜ!」と気障(キザ)に言ってナオミにくれた。彼女はその赤ピーマンのような稚拙な林檎の絵に吹き出し掛けたが、大真面目な顔でこの絵は目立つ所に飾りましょう、と店のピアノの上の壁に貼り付けた。「お前にはこれをやる、」と黒田は和也に「もしも世界が百人の村だったら」と言う本を贈った。「和也、世界には日々の暮らしに恵まれない人達も沢山いるんだから、お前も一寸(チョット)はこの本を読んでそう言う事も勉強しろ、」と黒田は勿体ぶって言った。和也は有難迷惑顔で、遠慮がちに礼を言って受け取った。一体、黒田は和也に何を啓蒙しようとしているのだろうか。黒田自身が率先して世界の貧困に(あえ)同胞(はらから)の為、何か支援活動をしているようにも思えない。ナオミは(はなは)だ疑問だったが、一々そう言う事を訊くと、機嫌を損ねるに決まっているので何も言わなかった。

年の瀬に、ナオミは黒田に年賀状を送った。年明けに、黒田は今年俺に年賀状を送ってくれたのは、接骨院のオッサンとお前だけだ、と喜んでいた。

 

 

東京は空も街も灰色で、不機嫌に冷え込んでいた。エトランジェは空調設備が古い為、暖房を極限迄効かせていても、余り暖かくはならない。(しか)し、客が一人入る(ごと)に何だか寒さも薄らいで行く感じだった。「このお店の名前の由来は?」と髭と眼鏡がジョン・レノンに似た、新顔の森君が訊いた。ナオミは、「アルベール・カミユの小説から、」と答えた。森君はその答えに満足した様子で琥珀色のバーボンを飲み干すと、来週又来ます、と言って勘定を払って帰った。

西川と和也が話し込んでいる。西川はエトランジェの開店当時、酔っ払って店のゴミ箱に頭を突っ込んで眠っていた所をナオミと和也に保護された。()だ、暖かい季節だったように思う。ナオミは西川を揺り起こし、店に迎え入れて蕎麦を茹で、食べさせた。その次の週、西川はうろ覚えの記憶を頼りに、良く熟した桃を土産に持ってナオミに礼を言いに来た。それが切っ掛けで今ではエトランジェに入り浸りである。

圭子は枝毛を(いじ)くり回しながら淳の相手をしていた。上京した当時、女優のようにスレンダーだった圭子は、三年で瞬く間に十キロも太り、今では引退後の元女優と言った感じの貫禄すら漂っている。圭子はでっぷり太った中年女のように、薄いカットソー越しにブラジャーを背中の贅肉に食い込ませていた。今は二重顎で見る影も無いが、元々彼女は上品な瓜実顔(うりざねがお)でとても可愛かったのだ。ナオミは勿体無いなァ、と()()も思う。圭子は体育大でダンスを専攻していて、最近ではフラメンコのレッスンを取っているそうだ。「圭子がドシドシ床を踏み鳴らしたら、床が抜けちゃうんじゃないの?」とナオミは笑って言った。

全身を革で黒尽くめにした黒田が、乱暴に店の扉を()()けた。(ただ)ならぬ気配にナオミと圭子は顔を見合わせた。

「おう、ナオミ、来てやったぞ、」黒田は恩着せがましく言い、横柄に椅子に腰掛けた。いらっしゃい、とナオミは澄まして言った。

今夜の黒田は異様な迄に(トゲ)(トゲ)しく険があり、(たちま)ち店中の空気が硬く変わってしまった。他人の想念に過敏なナオミは覿面(テキメン)、黒田の毒気(どっき)に当てられ、体調がおかしくなった。彼女が気転を利かせ何か面白い事を言っても、梨の(つぶて)の黒田は沈み込んだ様子で酒を啜っている。

「ナオミ、お前のラッキーナンバーは何だ?」

黒田は顔を上げ、唐突に訊いた。ナオミは面食らったが、「そうね……、あたしのラッキーナンバーは八。末広がりで縁起がいいし、数字の8は横に倒すと無限大∞の記号になるから。龍二さんのラッキーナンバーは?」と追従(ついしょう)笑いを浮べながら訊いた。

サングラスを外した黒田のその目は、炯炯(けいけい)と動物的な光を宿していた。この人、又覚醒剤でも始めたんじゃないかしら、ナオミは(イヤ)な予感を払拭出来なかった。「俺のラッキーナンバーは7番、(さっき)スロットやって来たけれど、スッちまった。」黒田は少しだけ表情を緩めた。「龍二さん、パチンコ屋に行くの?」とナオミは訊いた。「ああ、(タマ)の腕試しだよ。最近は女も多いよ。オバちゃんどころか若いネェちゃんも多い。」

ナオミは「パチンコなんて感心できないわねェ、」と言いながら(マッ)()を擦って黒田の煙草に火を点けた。スロットで()られたから機嫌が悪いのではない。多分黒田は組でヘマを()らかして、兄貴分に相当絞り込まれたのだろう、と彼女は推測していた。

ナオミは箸休めに冷蔵庫から手作りのゼリーを取り出し、皆に出した。甘い物を食べれば黒田も多少機嫌を直すかもしれない。「うめェな、これ、」と西川が顔を上げ言った。「ナオミちゃん、これもう少し甘さを控え目にしたらダイエット食品になるかも、」と圭子が提案した。「あんたは間食ばっかりするから駄目よ、それも無意識の内にオヤツを食べている、」とナオミは指摘した。

「これは、梅のゼリーだな。品のいい味だ、」と黒田が言った。

「そう、昨日お店が暇だったから試しに(こしら)えてみたの。あたしが去年漬けた梅酒の梅にお水を加えて鍋でコトコト煮詰めて、黒砂糖と蜂蜜で甘みを足して、仕上げにゼラチンで固めて、型に流し込んだの。初めての割りにいい出来でしょ。」とナオミはニッコリ笑った。「お前の年頃の女達は着飾る事と、食う事だけで、アレコレ買ってって、要求が激しい割りに料理一つ正面(マトモ)に出来やしないのに、ナオミは随分こまめに料理して色々食べさせてくれるよなァ、」と黒田は感心したように言った。

「料理が出来ない女って、アッチの味も悪いし、すぐ亭主に浮気されるわよ。だって、食べる事と(セックス)って密接に結びついているんだもん。男の人って仕事でクタクタなんだから、気持ち良く干したお布団と、美味しい食事があればそうそうおかしな事になったりしないと思うわ。」とナオミは煙を吐き出しながら言った。「自分にも原因がある癖に、旦那の浮気の代償に宝石やブランドバッグを()()る女っているでしょ。そんな宝石で身を飾って自分が惨めにならないのかしら。愛の証の宝石なら嬉しいけど、浮気の代償の宝石なんて見たくもないわよ。」

「けど、物や金に対してドライな女って多いぜ、お前みたいなのが珍しいんだよ、」と黒田が言った。圭子は如何(いか)にして今年こそヤセるか、淳に新年の抱負を語っていた。

黒田は水割りを飲み干し、「最近俺も色々悩みがあってな、」と呟いた。「組辞めたいんでしょ。」とナオミはピンと来て言った。「何で分かるんだよ、怖ぇな。俺の兄貴分とどうも()りが合わない。今日だって揉めて来たよ。」

「こう言う仕事をやっていると、色々なタイプのお客さんが、(それ)(ぞれ)異なった心理的背景を抱えて、お店の扉を開けるでしょ。助手の圭子がいる時はいいけど、あたしひとりでみんなの相手をする時はとても大変。人間の心って立体的なものだものね。でも、出来るだけみんなの事を理解したいなあ、と思う。」黒田はふうん、と納得していた。「今日の新聞のコラムに書いてあったけど、(そもそも)人間はこの世に生を受けた以上、煩悩の数だけ苦しむようにできているみたいよ。ほら、四苦八苦って言葉、四×九と八×九で掛けて足すと百八つの煩悩よ、」とナオミはメモ帳に書きながら黒田に解説した。

西川が顔を上げ、「ママ、カラオケやらせて、」と言った。ナオミはカラオケの本とリモコンを西川に渡した。

「探すのが面倒臭いや、井上陽水の歌を何か入れてくれ。」西川はグラスの焼酎を飲み干し、言った。「東へ、西へはど~お?」とナオミが訊いた。「何か、頑張らないヤツがいいな。」彼女は一寸(チョット)考え、「ンじゃ、中年時代は如何(いかが)?」と訊いた。「うっせーよ! オヤジで悪かったな。」アハハハハと黒田が笑った。「それはそうと、渉は元気ですか? 近頃ずっとあの店には行かないから分からないけど。」西川が黒田に訊いた。「相変わらず何やらせてもあいつは(どん)(くさ)いよ。渉に付ける薬が欲しいな。」「でしょうね、」と西川が言った。西川はカラオケの本を(めく)っていたが、ナオミにグラスを突き出し、お酒頂戴、と言った。「飲んでもいいけど、又ゴミ箱に頭突っ込んで寝ないでね、」と彼女は(さと)すように言った。「今度はもっと美人に拾って貰っちゃうもんね。」グラスになみなみと注がれた芋焼酎をぐいっと飲み、西川は上機嫌で言った。「あっそ、別にいいけど、不審者が道端で寝てるって通報されるんじゃない?」

ナオミはBGMをセロニアス・モンクのピアノソロに変えた。

「西川さんって、大学時代ジャズ研でしょ? あたしはジャズはオーケストラより少数精鋭の方が好き。ピアノ一台でいい位。」「ああ、分かる分かる、全部混ぜたらウンコ色だもんな。」黒田はカウンターを叩いて笑っている。「そう言う問題じゃないんですけど、あなた、大学で何を勉強してきたの?」と(いぶか)しげにナオミが訊いた。「麻雀!」と西川が即答した。「みんなでしょっちゅう下宿の一室に集まって、サントリーホワイトやトリスを飲みながら麻雀やったり、グダグダ喋ったりするんだよな。そんで、ふっと上を見ると、天井の木目が女のアレに見えて来たりするわけよ。女が欲しくても学生で金もないし、それからエロ本見ながら手淫(オナニー)大会が始まったりな。(ちな)みに俺の右手はキャサリン、左手は明美って言うんだぜ。」

「悲しい男の(サガ)ね。キャサリンによろしく。この間素面(シラフ)の西川さんを駅前で見た時、ふつうに精悍(せいかん)な感じだったんだけどね。」

「フツーに性感(せいかん)の間違いじゃねえの? 先週、新宿の思い出横丁で飲んだ後、終電乗り遅れたから、ゴールデン街に流れて又死ぬ程飲んだんだよな。それから始発に乗ったんだけど、そこから記憶が飛んで、何となく変だな、と思って薄目を開けたら、何とギュウギュウの満員電車! 俺は七人掛けの座席に一人で長々と横になって眠り込んでいたよ。サラリーマン達でスゲー殺気立っているし、もう後には引けねぇから新宿(まで)そのまま眠ったフリしたよ。新宿着いたら着いたで、便所で思いッ切りゲロ吐くしなァ。新宿から八王子(まで)一体何往復したんだろう。何で誰も発見してくれねェんだよ。」

皆お腹を抱えて笑っていた。エトランジェは酔いの坩堝(るつぼ)だった。ナオミは半ば呆れながら、「あなたって、学生時代からちっとも進歩が無いのね、」と言った。西川は焼酎を飲み干し、おかわり! と元気良くグラスを突き出した。

「西川さんはお休みの日は何をしているの?」とナオミはグラスになみなみと焼酎を注ぎながら訊いた。「二日酔いしていない日は、サイクリングに出掛けたり、又はベランダのガーデニング。昔園芸店で働いていたから、土いじりは好きだよ。植物に話し掛けたりしている。」ナオミはふ~ん、と頷いた。「ガーデニングなんて見掛けによらず可愛い趣味ね。あたしも植物は大好きよ。土や木や、自然に触れているだけで何だか元気になる。昔、植物を使った手作りのコスメに凝っていた頃、ヘチマコロンを作ろうと思って糸瓜(ヘチマ)を育てた事あったけど、あれは育ちすぎるわね。それに、風に揺られてブラブラしていると、何だか卑猥(ヒワイ)な感じ。」

西川はニヤリと笑って、毎朝水を遣りながら、「糸瓜(ヘチマ)様が巨根に育ちますように、何て拝んでたんじゃねえの?」と訊いた。

「アレ位立派だと素晴らしいじゃない。」ナオミはウフフと笑った。「それはそうと、ナオミは今、彼氏はいるのか?」と黒田が身を乗り出して訊いた。

「ええ、彼氏も愛人もパトロンも、若い芸術家のパトロンヌもやっているし、両手の指じゃ足りない位。男はサラブレッドのようにビシビシと調教し、競争させるものなのよ。」

「そんなの前の女房だけで十分だよ。俺はただ女に優しくして欲しいだけなんだ。(くた)(びれ)れて家に帰ったら帰ったで、お前みたいなアマゾネスに無理矢理上に乗っかられて精も根も尽き果てる(まで)絞り尽くされたらかなわないよ。ああ、怖い。」と西川が悲鳴を上げた。「あ~ら、御免なさい! あたしは男を肥やしに美しく咲く薔薇なの。」とナオミは艶然と微笑した。

「ところで、前の女房って西川さん結婚していた事があったの?」

「ああ、八年前迄所帯を持っていたよ。」ナオミは好奇心で瞳を輝かせ、「どんな女性だったの? 年下、それとも姉さん女房?」と訊いた。「……十五歳年上のバーのママさんと結婚していたよ。相手はバツ三だったから俺と一緒になって四回目の結婚。いや、離婚だな。俺が二十六歳の時、前の女房は四十だ。それでも、物凄い美人だったぞォ。」「反対されなかったの?」とナオミは訊いた。「反対されたって、惚れた女の為だったら押し切るよ。」

「何だか、あたしの勝手な推測だけれど、そのお嫁さん、西川さんに巡り合う迄、あんまり幸せに生きて来られなかった女性なんじゃないかなあ?」

「ああ、その通りだよ。もうあんまりこの事は触れないでくれ。」

「ごめん、ごめん。今夜は飲もう。」

「もう、俺は独身貴族なんだ! おい、ナオミ、女紹介しろよ。この間の()(ワイ)()ちゃん、」と西川は心の古傷が痛み出したのか、半ば自棄(やけ)っぱちで言った。「可愛娘ちゃんって誰? あたし?」とナオミはおどけて訊いた。「違うよォ~、あの娘、」と西川は(こうべ)(めぐ)らせている。「ええと、琴音ちゃん!」ナオミはフンと鼻で嗤って、駄目よ、アレは毒だから、と言った。「ウマい物程身体に悪いんだよ。女も食い物も!」と西川は言い切った。

「なァ、ナオミ、今迄で一番変わった仕事って何をやった?」と不意に黒田が訊いた。「OLをやった事ある。」「嘘だろォ、」と黒田は()()って驚いた。「冗談キツいぜ。ナオミがやるのはオマンコ・レディだろ!」西川が言った。「うるさいわね。あたしだって職場の花に憧れた時期もあったのよ。もう、諦めたけど。」

日付変更線を過ぎて一見客がぞろぞろ入って来た。可也(かなり)飲んでいる様子で、ナオミは大丈夫かなァと思ったが、月末の支払いが迫っている為、一寸(チョット)でもお金になるなら、と考え直した。彼女は客に愛嬌を振り撒き、忙しく働き始めた。話相手を奪われた黒田は面白くなさそうにグラスの酒を飲み干し、カウンターに視線を落とした。

2009年7月25日公開

作品集『妾が娼婦だった頃』第5話 (全11話)

© 2009 寺島聖

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