『日の塵(ひのちり)』1「帝都のお灯明 東京スカイツリー」

歴史奇譚(第7話)

消雲堂

小説

2,268文字

 千葉にある自宅マンションからは、富士山と東京スカイツリーが並んで見えます。昼間のスカイツリーは白くて高いだけの塔でまったく面白くないのですが、夜のスカイツリーは、後方に帝都東京の街を従えて幽幻なる魅力を放っているのです。

 

夜のスカイツリーを見るたびに、誰かが「スカイツリーは東京のお灯明だ」と言っていたのを思い出します。確かに夜の巨大なテレビ塔は、お灯明のように見えるのです。東京のネオン街にゆらめく巨大な蝋燭のようです。お灯明であるというのは見た目だけではありません。その周辺環境を考えるとすんなりと納得できるのです。スカイツリーの周辺には死臭が漂っているのです。

 

押上は荒川と隅田川に挟まれた島のような墨田区に位置し、浅草、千住、両国、錦糸町に亀戸といった街に囲まれています。

 

「両国に葬られた無縁仏」

 

押上の南に位置する両国には回向院があります。回向院は明暦3年(1657)に開かれた浄土宗の寺です。この年に「明暦の大火(振袖火事)」が発生し、諸説ありますが3万人から10万人の人々が焼死しました。焼死者の多くは身元不明であったため引き取り手がなく、当時の将軍徳川家綱は「手厚く葬るように」と命じて土地を与えて「万人塚」を作らせました。塚造成の際には念仏を行じるためのお堂が作られたのが回向院の始まりだそうです。

 

明暦の大火から時代が変わっても江戸の町は度々起こった火災や洪水に見舞われて大勢の人たちが亡くなります。江戸は江戸湾に注ぐいくつもの河川の巨大な沖積地であり、もともと地盤は脆弱なのです。河川の堆積物によって形成された土地であるからこそ、降雨による水害も多発しました。幕府が揺らぐ大きな要因ともなった安政大地震の際の無縁仏も両国回向院に埋葬されています(安政大地震の死者数は4千~1万人)。特に強い揺れを示したのは隅田川東側(現在の江東区)でしたが、隅田川と江戸川に挟まれた沖積地が揺れを増幅したものと考えられています。 押上は、この沖積地のほぼ中央線に位置しています。

 

両国回向院から北にしばらく歩くと横網町公園があります。以前、ここには「陸軍被服廠」がありました。陸軍被服廠の赤羽移転に伴って、公園に整備することになりましたが、工事中の大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災では、ここに避難してきた4万人近い人々が「火災旋風」によって焼死しました。横網町公園内には火炎旋風によって焼死した人々の他、周辺の遭難死者約5万8千人の遺骨を納める震災記念堂(現在は東京都慰霊堂)が建てられています。

 

太平洋戦争の東京大空襲の際には米軍の焼夷弾によって多くの人びとが命を落としました。特に隅田川側から都心や江戸川などに避難した人びとが数多く焼死しました。この際にも関東大震災同様の「火災旋風」が発生して被害を拡大させています。東京大空襲による無縁仏も東京都慰霊堂に併せて納められ、毎年追悼行事が行われています。

 

「小塚原と投げ込み寺」

 

押上の北には千住の街があります。北千住と南千住がありますが、南千住には慶安4年(1651)に設けられた「小塚原(こづかっぱら)」の処刑場がありました。小塚原は刑場でもあり埋葬場でもあったのですが、処刑屍体には土を盛っただけという雑な埋葬で、これを野犬などが掘り出して食い、あたりには腐臭が漂ったといいいます。見かねた本所回向院の住職、弟誉義観(ていよ・ぎかん) が、寛文7年(1667)に刑場の隣にお堂を設けて死者を弔うことになったのです。これが南千住回向院です。両国にある回向院の別院として創建されました。現在は独立して正称は豊国山(ほうこくさん)回向院といいます。

 

南千住回向院には、幕末に小塚原で処刑された吉田松陰、橋本左内、それに桜田門外の変および坂下門外の変の処刑者などの墓所があります。時代は違いますが226事件の首謀者のひとりであった磯部浅一夫婦の墓もあります。磯辺が尊敬する吉田松陰の墓の近くに埋葬されたいと願ったためだそうです。彼らはいずれも愛する国のために先駆けて行動したはずですが、その国に裏切られて死んでいった者ばかりです。特に磯部浅一の呪いの獄中記は有名です。

 

回向院から少し歩くと浄閑寺というお寺があります。ここには吉原の遊女たちが無縁仏として葬られています。葬られているといえば聞こえはいいのですが、さんざん春を鬻いだ挙句に病気になったり、拷問や暴行を受けてボロボロになって死んで、ゴミを捨てるように投げ込まれたのです。だから浄閑寺を「投げ込み寺」と言うのです。吉原が浅草の裏に移った創業から江戸、明治、大正、昭和の廃業までの380余年間に、この浄閑寺に葬られた遊女、遊女の子供、遺手婆など遊郭関係者や、安政、大正両度の大震災に死んだ者を含めて葬られた推定数は2万5千人に及ぶそうです。

 

以上のように江戸~東京は厄災の都市であり、しかも、その厄災のポイントが押上を含む隅田川と荒川に挟まれた沖積地帯にあるようです。さらに、近い将来発生が予測されている「東京湾北部地震」の震源地はこの沖積地帯の東京湾岸にあるようですから、押上に大きなお灯明を立てて、帝都の地盤に楔を打ち込み、多くの死者たちの慰霊を行うと同時に呪術的防災を実践しているのだと思えば合点がゆくのです。

 

2013年2月18日公開

作品集『歴史奇譚』第7話 (全14話)

© 2013 消雲堂

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