「悲憤」1

歴史奇譚(第5話)

消雲堂

小説

2,289文字

幕末に新政府軍によって作られたテロ集団に「赤報隊」というのがありました。その赤報隊の一員に、私が住む鎌ケ谷市の佐津間(江戸時代は佐津間村として独立していました)出身の渋谷総司がいました。

 

赤報隊は薩摩藩の西郷隆盛、岩倉具視らの手によって結成されたテロ集団です。総裁は現・茨城県取手の豪農出身の相楽総三(本名は小島四郎左衛門将満)で、相楽は天狗党の乱などにも参加した生粋のテロリストです。テロリストというと聞こえは悪いのですが、当時は正義感に燃えた草莽の志士のひとりであったということです。

 

しかし、当時の政府・・・徳川幕府側から見れば、彼らはテロリストとなるのです。現に彼のテロ活動によって鳥羽伏見の戦いに端を発する倒幕戦争・・・戊辰戦争が始まったと言っても過言ではありません。

 

江戸で戊辰戦争の戦端を開く

 

彼らのテロ活動とは大政奉還後の江戸で放火、略奪、暴行を繰り返すことでした。江戸の徳川幕臣たちを挑発して、戦端を開くことが狙いでした。

慶応3年12月25日(1868年1月19日)に、赤報隊のテロ活動に業を煮やした徳川幕府は、江戸市中取締を担当する庄内藩らに三田の薩摩藩邸襲撃を命じました。その際のテロリスト犯による故意の放火や幕府側の砲撃の砲火によって薩摩藩邸は焼失してしまいます。

薩摩藩邸を襲撃した理由は以下のようなことからでした。

 

当時、徳川幕府の幹部のほとんどが大阪城に駐留しており、警備が手薄になった江戸市中はテロ活動の実行には絶好の場でした。

 

慶応3年11月にテログループが流山で檄文を発し、150名もの集団となって行軍を始めました。12月には幕府の藩兵たちと交戦。鎮圧されて逃げ込んだのが三田の薩摩藩邸でした。その後もテロを起こそうとしては失敗し、その際に逃げ込む 先が三田の薩摩藩邸であったことから幕府側は薩摩藩邸の討ち入りを決めたのでした。

討ち入りの際に相楽総三らは無事に藩邸を脱 出し、品川沖の薩摩の運搬船「翔鳳丸」で紀州 へ向けて出航した。相楽らと一緒に翔鳳丸に乗り込もうした150人程が品川沖に取り残されました。

薩摩藩は彼らを倒幕のための道具としか思っていなかったのです。これは幕府側の新撰組に対す る考え方と同じです。

 

要は徳川側も倒幕側も自分たちの保身のみ考え、正義として佐幕とか倒幕とかを考えていたのではないのです。大河ドラマの「龍馬伝」は、割とリアルな物語になっていますが、虚構の世界では 正義感あふれた人物像を与えられやすい坂本龍馬でさえ幕末でいえば“テロリスト”であり、赤報隊 同様に倒幕側にうまいように使われた人であって決してヒーローとは言い難いのです。

 

赤報隊の最期

 

赤報隊には清水の次郎長と敵対した黒駒の勝蔵も加入しています。脱線しますが、その黒駒も維新の世となると、過去の罪を問われて斬首されてしまいます。新政府軍はこうやって自分たちにとって都合の悪いものを抹殺していくのです。

 

その中に赤報隊幹部も入っていました。赤報隊 は、年貢半減(減税ですね)を叫びながら新政府軍の先方隊として中山道を進みますが、年貢半減の約束や相楽らのテロ活動は新政府にとって都合が悪いものでしたから、新政府に断りなく年貢半減を唱える偽官軍として烙印を押し、相楽らを捕えて、下諏訪宿の外れで処刑してしまうので す。もちろん相楽と行動を共にし、幹部であった渋谷総司も処刑されます。

 

赤報隊は偽官軍として維新の闇に葬られました が相楽の孫である木村亀太郎が、赤報隊の名誉回復のために、まだ生きていた維新の立役者であった政府の大物たちを訪ねて奔走した結果、 昭和3年(1928年)、相楽には正五位、渋谷総司には従五位が追贈されて、彼らの名誉は回復されたのです。

 

不思議なのは赤報隊には一番隊から三番隊まであって、相楽、渋谷の一番隊と略奪行為が多 かった三番隊の二組が処刑され、新撰組から高台寺党(御陵衛士)に鞍替えした鈴木三樹三郎が隊長を勤めた二番隊は処刑されずに戊辰戦争 を転戦、会津戦争などで戦っているのです。

 

これは鈴木が常陸志筑藩士であり、元々が武士であったからでしょう。前述の黒駒の勝蔵もそうだし、京都で大活躍した新撰組も武士ではなかったの

で、中心人物であった近藤勇や土方歳三らに都合よく自滅の道を選択させているのです。

 

先日、渋谷総司の足跡を知ろうと、佐津間の渋谷総司の碑と彼の生家を訪ねてみました。

 

渋谷総司は弘化三年(1846年)下総葛飾郡 小金佐津間の名主の次男として生を受けました。赤報隊に入隊する前には北関東での倒幕活動に加わっていましたが、赤報隊が相楽総蔵によって結成されると赤報隊に幹部として入隊します。下諏訪で処刑された際の総司の年齢は二十二歳と いう若さでした。

 

東武野田線の六実駅から船取線に出て、道を 渡って鎌ケ谷市内方向に歩くと、左側に宝泉院への道があります。徒歩五分程度です。宝泉院 内の右側に本堂と総司の顕彰碑があります。

 

墓地はほとんどが渋谷家の墓であって、今回は残念ながら渋谷総司のお墓を見つけることができませんでした。次回は住職に尋ねてみます。

 

宝泉院から船取線に戻って下総基地方向に歩くと渋谷重兵衛商店があり、この隣の大きな家が渋谷総司の生家です。

2013年1月29日公開

作品集『歴史奇譚』第5話 (全14話)

© 2013 消雲堂

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