「野馬土手」

歴史奇譚(第6話)

消雲堂

小説

2,775文字

壱「眼下の土手」

 

今のマンションに引っ越してきて驚いたのは、ベランダからの眺望でした。遥か遠くにではありますが富士山や筑波山を見ることができるし、夏ともなれば、隅田川や江戸川に手賀沼など周辺の名だたる花火大会を見物することができるのです。

 

高層ビルばかりが建ち並ぶ都心のマンションでは叶うことはありませんが、何しろ千葉の田舎町のこと。自宅の周囲にあるのは家屋や低いビルばかりで、眺望がひらけているのは当たり前のことです。ベランダから見える風景はちょっとした山の上からの眺望と変わりがありません。

 

最近では富士山の横にスカイツリーも完成しましたから、自然と人工物の融合といったイメージの風景を楽しむこともできるようになりました。しかし、富士山や花火大会よりも僕が感動したのは空です。空といっても太陽や月や沢山の雲々の変化というのは本当に美しいのです。これは周囲に高層障害物のない高層階に住む者の特権だと思います。

 

自宅には2つベランダがあり、富士山やスカイツリーを臨むことができます。もうひとつは筑波山側のベランダです。こちらは筑波山に下総基地、白井市に八千代市、幕張までが広く眺望できますが、富士山側のような大きな変化はありません。

 

高層階からは遠くの風景だけでなく、近隣の住宅なども見下ろすように眺めることができます。しかし、人間の生活の匂いがする風景というのは誠につまらないものです。人に興味のある特殊な方ならば興味を惹かれるのでしょうが、あいにく僕にはそういった嗜好を持ち合わせておりません。

 

それでも、あまり人の匂いがしない森や不思議な建造物などには物凄く興味が湧くのです。

 

僕が仕事を辞めて自宅で仕事をすることが多くなると、仕事部屋に設置されている筑波山側のベランダに様々な変化を求めたくなりました。プランターを並べて、いくつもの植物を植えてみたり、キャンプ用の椅子やテーブルを置いて、ベランダで仕事をしたり、それに飽きると子供用のビニールプールに水を張って水浴びしたり、鉄道模型のジオラマを展開したりしました。震災の年にはベランダ中にゴーヤと朝顔の蔓を這わせたりしました。天気の良い日の晩にはベランダから見える月を撮影したりしました。

 

ベランダに出ることが多くなると、近所の「ある物」が気になって仕方がなくなりました。

近所には神木とも言えるほどの大木が聳える小さな森があるのですが、その隣に貸し農園があって、休みともなれば数人のお年寄りたちが早朝からたくさんの種類の野菜を作って楽しんでいる姿が見られます。

 

その農園の後方に10メートルほどの長さで幅のない土手のようなものが見えるのです。そこには常に雑草や笹が生えていて、一見すると、ただの藪のように見えるんです。でもね、僕は土手だと思ったんですよ。なんで川もないのに土手があるのか?土手といえば川があると思いますよね。でも土手が必要なのは川ばかりではありません。例えば動物が逃げないようにする「囲い」として土手を造成することがありますが、千葉県の土手といえば「野馬土手」です。僕はこれは野馬土手の欠片ではないか?と考えたんですね。

 

昔、野田あたりから流山、柏、松戸、鎌ケ谷、船橋、印西、八千代に至るまでの広範囲に「野馬土手」がありました。幕府が野生馬を放牧して飼育管理していたんですね。土手はその牧場の囲いなのですね。

 

野田は「庄内牧」、流山と柏には「上野牧」「高田台牧」、松戸、鎌ケ谷、船橋、八千代には「中野牧」「下野牧」、印西には「印西牧」とそれぞれ名前がついて各地に点在しており、これを総称して「野馬土手」と呼ぶのですね。今でもその土手の欠片が各地に現存しているのです。

僕が見た土手もその野馬土手の欠片である可能性が高いと思うのです。それが最近になって2つの発見によって、より一層確信が高まりました。

 

その1つは、「野馬土手在りき」と書かれた柱です。近所に生協があるのですが、その建物と隣の郵便局の間に、この柱が建てられているのです。ただし、土手はないのです。「在りき」ですから「かつてはあったんだよ」という意味のようです。生協の方に聞いてもわからないということでした。

もうひとつは自宅マンションの隣にある博士ラーメンという飲食店の奥にある土手です。博士ラーメンの裏には、同じ経営者によるイタリアンレストラン「ドクトーレ」があるんですが、このレストランと博士ラーメンの間に路地があって、ここを奥に入っていくと、やはり10メートル程の土手があるんです。これは偶然に発見しました。位置的には自宅マンションの真下のような感じですが、いくつも住宅のカゲになっているため、今まで全然気がつかなかったんです。

 

自宅から見下ろしてみると、写真のように「博士ラーメン土手」と「生協の野馬土手在りき」の柱を結ぶ住宅も相まって、ひとつの線のように見えます。「農園土手」も、この線に平行しているように見えます。

 

自分で勝手に決めてしまってはいけません。そこで鎌ケ谷市歴史博物館の学芸員さんに電話してみました。

 

「博士ラーメンの裏に野馬土手のようなものが見えるのですが、あれは何なのでしょう?」
「気がつかれましたか?当館でまとめた研究資料を昨年刊行したのですが、それに詳細が書いてあります」
「ほう・・・それはどこで拝見できるのでしょうか?」
「当館で3000円で領布しておりますし、お隣の鎌ケ谷市図書館でも閲覧することが可能です」
「承知しました」
「ところで、鎌ヶ谷市内で一番大きな土手がどこあるかご存知ですか?」
「知りません」
「鎌ケ谷総合病院の駐車場にあるんですが、これはかなり大きなものですよ」
「ほう」
「市内には土手の欠片があちこちにあるので探し歩くのも、また乙なものですよ」
「承知しました。ありがとうございます。あ、忘れていました。もうひとつだけよろしいですか?」
「いいですよ」
「博士ラーメンの土手の横に貸し農園があるのですが、その後にも土手のようなものが見えるんです。これは博士ラーメンの土手と平行しています」
「はぁ・・・そうなんですか?その件に関してはこちらでも存じ上げませんね。何でしょうね」
「ま・・・のあるときにそちらに立ち寄って例の資料を買いますね。今日は本当にありがとうございました」
「あ、時間のあるときにでもお立ち寄りください。部分的にコピーすることも可能ですから」
「承知しました。お忙しいところ、ご対応いただき、ありがとうございました」

2013年2月13日公開

作品集『歴史奇譚』第6話 (全14話)

© 2013 消雲堂

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"「野馬土手」"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2013-02-13 09:13

    拝読しました。改行について、あえてなのか、表現なのか気になりコメントさせて頂きました。

    • 投稿者 | 2014-11-21 16:48

      小奈津様、ご返事が遅くなりました。読んでいただきありがとうございます。「あえて、表現」なのですが、まだまだ稚拙なために意識的にやっているように思えないかもしれません…というか感覚でモノを作っているので、こうなってしまったりします。だから、実は「あえて、意識的な表現」であるのかどうかは自分でも定かではありません。申し訳ありません。今後ともよろしくお願いいたします。

      著者
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