ベサニーとのノート

たまごさんわたすすうわ(第3話)

多宇加世

小説

9,278文字

孵らない うん
ねえ うん
僕らはどの言葉でしゃべっているの
ノート ノート
あとは少しばかりのうたの言葉 うた そう

このノートは天使のスタンドバイミーで始まり、不完全なスタンドバイミーで終わる

 

その車掌がふと特急列車の窓から外を見ると、駅のホームの壁寄りで、女の子がアコースティックギターの弾き語りをしていた。天使のような声でベン・E・キングのスタンドバイミーを唄っていた。四つのコードで弾けるスタンドバイミー。本当に彼女は、見た目はアメリカ風に言えばティーネイジャーだったが、幼稚園児みたいな天使の歌声をしていた。幼稚園児みたい過ぎて、もしかしたら精神薄弱者なのかも知れない、と車掌は思った。駅前でも追い出されて苦肉の策だったんたろう、よりにもよってホームで! 案の定、一人の駅員が彼女の前に立った。そのあとの事は知れない。列車は出発したから。走り出したら止まらない。このノートもそう。車掌は彼女ともう一度出会うがまだその時じゃない。

(だが列車は終点があるので、止まる。物語は仕切り直しされる)

特急列車が終点に到着して、車掌が彼だけの儀式として全車両を点検した時、その女は最終の車両にいた。座席に座り、脂汗をかいていて、息が荒かった。先ほどの弾き語りの女の子よりも歳のいった、美しい三十過ぎの女だった。

スカートを捲し上げ、下着を下ろしていた。恥毛が丸見えだった。車掌は狂女だと思い、立ち止まって観察した。

(観察といっても性的な意味でではない)

距離をとって観察したのは、腕でも絡めとられて痴漢扱いでもされたらと思ったからだ。

女の腹は膨れていた。

(妊婦)

と、音はしなかったが、何かが決壊した微振動がした気がして、すぐにシャッと女の陰部から水が――破水――出た。

女はひどく真面目な顔をしていた。真面目すぎるほどの表情。ここが舞台上で、一人芝居をしているのを思わせるような。

そして女は卵を産んだ

産卵

文字通り、卵がぬるりと下着へと落ちた。駝鳥の卵の倍ほどの大きさがあった。腹の膨らみが消えた。当たり前だ、今の今までそれが腹にあったのだから。

車掌の目の前でそれは起こり、車掌の運命はそれで変わった。その女の――もう狂女だとは思わなかった――「産卵」に魅了されたのだ。

車掌の、いや元車掌の生き方の変化は、女の言いなりになって、車掌を辞めるだけでは済まなかった。彼はそのあとですぐ、さらに女の言いなりで(といっても強制する者は本当はどこにもいなかったのだが……。「言いなりで」、というのは女の印象を悪くするだろう。このノートの書き手の悪いところだ。実際のところは、本当は車掌は初めから、このような時を待っていて、こうしたかったのかもしれなかった)、すぐに産婦人科医になったのだから。

堕胎手術

方法も、何が必要かも、どうすれば客を呼べるかも、場所も、それで食っていくやり方も、それで二人が生きていけるかも、女がすべて、元車掌に教えた。

女は看護師だった。モグリの。

場所

(皮肉なことに、開業し、また生活することになったのは、それまで車掌が行ったり来たり特急列車で走っていたレールの真下、つまり高架下の建物の一つだった)

車掌はモグリの産婦人科医・堕胎医になった。

女は納棺師の役目も果たした。

もっとプライベートなことを言えば、女として産婦人科医の妻になった。

妻は卵という棺を産む役目も果たした。卵は胎児を入れるのにちょうどいい大きさだった。

その上での看護師、納棺師となった。

納棺(卵の使いみち)

夫が堕胎を行い掻き出して、妻がその胎児を産んだ卵に入れて封をした。卵の天辺からは植物の苗が飛び出していて、それぞれ患者らに(元妊婦たちに)、それを好きな場所へ植えるよう言い渡し(事前にどこへ埋めるか聞いておいていたので植物の苗はその都度違った)、帰りぎわに返した。

他の違法堕胎屋と違うのはその新機軸が理由だった

客は客を呼んだ。望まぬ妊娠をしたらあそこへ行くのが一番だ――。

胎児を卵に納め、胎児の養分で植物が育つ。どこか、知らない山中に埋めて、それからの日々の生活で、ああ、あの子の木はどれだけ育っただろうか、と考えるのもいいし(もちろん時々、実際に見に行ってもいいだろう)、庭を持つものであれば、あるいは近くに土のある公園があれば、そこへ埋めて毎日拝みに行くもいいし(その場合は木よりも花や背丈の低い、普遍的な植物が好ましい。植っていても不自然じゃなければ、美化運動の際に刈り取られることもない)、すっかり忘れてしまってもいい(一時的な弔い。罪悪感の消却)。

「私は私のすべてを知ってから私という人間に会って欲しかった。でもあなたは私のすべてを知る前に私に会ってしまった」

前記は妻の言葉。

卵殻から取り出したものを食べてから(二人は初めからそのようにした。つまり黄身と白身を処理するため中身を食べた)、元車掌の感覚に異変が起こった。季節の足音を聞くようになったのもそのうちの一つだった。それはきっかけに過ぎなかった。

その感覚の変化は、妻が言うには、

――引き返せないところにいるから。私たちは食べているから。

ということだった。

「本当はあなたに気づいて欲しかったですので。私が卵を産むことよりも、大事な事実に」妻は言った。

罪(?)

(小さな胎児の棺桶、つまり死の容器は、本来、生を育むはずの卵だ)

卵を産むと、夫が、その中身をオムレツにして二人で食べた。何一つ無駄にしなかった。

樹木葬は一般化してきている。通常は霊園に、仏様は木の苗の根の部分とともにゆっくりと土に還る構造の卵状のカプセルに入れられ、埋葬される。仏様は手足を折り曲げられ、昔で言う座位屈葬にされる。屈葬の古来の目的としては、永遠の休息の姿勢や、再生を祈り胎児の姿を真似る、などの説がある。

卵を産むスパンは一定だが、時折、一度に産む数や大きさに変化があり、オムレツだけで処理できぬ時はカルボナーラ・スパゲティが作られ、時にソースは小分けにされ冷凍された。

季節らの走る足音は毎夜、天井から響く。振動で、渡してある木の梁が埃を散らす。

(天井、つまり建物の上の線路からである)

「お忘れ物のないように……」

元車掌は時々、施術後に「お荷物のお忘れないようお帰り下さい」と口にしてしまう。駅員時代の名残りだ。相手はもちろんびっくりする。渡された胎児の入った卵により強くしがみつく。あるいは、その言葉は嫌味ととられたのだろう、本気で相手を怒らせる。元車掌は平手打ちを受けたこともある。「悪魔!」と罵詈雑言を添えられて。

あるいは、堕胎手術を終えた患者の足腰の力を抜けさせて、へなへなと尻餅をつかせる。

元車掌はそういう時思う、

「堕胎という、自分のしようとし、したことの自覚ができてないからそうなるのだ」と。

その言葉でやっと、自分のしたことの意味を彼女らは知るのだ、と。

だが、それはそんな車掌時代の名残の、決まり文句を吐く彼自身へ、まったく同じ意味の言葉としても通じるようだ。

(つまり、まだ彼自身、命を掻き出していることの自覚がないかのようだからだ)

彼ら夫婦の家の上を線路が通っている

そこを夜中に四人の季節が

松明をもって走る

旧い童話にでてくる継母の手によって

温かな食卓に混ぜられた

薄い毒に、兄妹が慣れていくように

その足音を毎晩毎晩毎晩聞かされ

夫がもう何も感じなくなった頃

ある晩に家のドアが叩かれた

夫がガウンを羽織って出ると

三人の季節らが

ぐったりした一人の季節を抱えて

立っていた

夜間点検車両との

接触事故にあったという

分娩台はあれど手術台はないので木のテーブルに季節を寝かせ、残りの季節らに消毒を任せた。季節らはもとよりみな裸なので、すぐにそれら一通りのことが可能だった。つまり、消毒から――手術まで。季節らはみな子供の背丈しかなく、見た目もみな同じだった。陰嚢の形までみな一緒だった。手術の仕方は妻が教えた。他の季節らは寝室に鍵をかけて閉じ込めた。でないとすぐに邪魔をしに来る。メスであちこち開くのに抗議するのだ。当たり前だが不慣れなのだ。普段から自分たちの職務も忘れ、線路を走り回っている奴らだ。季節はゴロツキなのだ、子供の不良だ。

治療の甲斐なく季節の一人は死んだ。

服を着せるところから始めねばならなかった。それぞれ違う色の服を着せないと誰が誰だか季節は分からなかった。木製のクローゼットの扉を開けて、開襟シャツを四枚取り出した。全部色違いの。

先ほどから木製の梁、木製のテーブル、木製のクローゼットと言っているが、この家のほとんどは木でできている。だから分娩台が、金属とプラスチックとビニルクッションと合成革のその素材で異質だ。

彼らを、それぞれジーEmイーマイナーシーディーと、名付けた。

ベン・E・キングのスタンド・バイ・ミーで使われているコードから拝借したのだ。

特徴と言ったものはなかったが、なんとなく、それらしく当てはめてみた。

ちなみに死んでいるのはEmだ。

命名したり、命を掻き出したり、自分を何様だと夫は思った。いや、もしかしたらそれらの役目を負った振りをしていて、何も考えちゃいなかった。命名したり、命を掻き出したりすることは、自分の責任ではない、としか。自分を何様だと思ったのは、他の人間、他の誰かであれば、そう思ったのではないか、と考えたことであり、つまり、夫がしたのは覚悟について、真剣に思った「振り」をしたのだった。

自分は、車掌のまま、いたくはなかった。かといって、モグリの産婦人科医に成り下がり、そのままでいるのも嫌だった。そんな時、そこへゴロツキたちが来て、騒々しい暮らしをして、少し気を紛らす。しかしそのことで、小さな幸せを感じて甘んじるのも悪くない、と思うのも、実際のところは希求していなかった。こんなものは茶番かもしれないと思った。でも僕は今、楽しい。自分に何が丁度いいのか、分からなかった。自分が何をしたいのかしたくないのか、何も知れなかった。

夫婦の知らない言葉で季節たちは騒ぎまくった。ただ、妻は時たま彼らの言葉を理解した。なぜそれが可能なのか彼女に聞くと、「あなたは人を殺してるから」と答えるのだった。夫は堕胎のことだとすぐに分からなかった。そして、堕胎に間接的に関与しているはずの妻は、人を殺してないことになっているのだということを遅れて知らされた。仮にも殺人者は彼だけなのだ。

季節らは自分を「母」と呼んでいると妻は言った。

「もっと大きく生むことも可能です」

妻は言った。

つまり季節のEmの棺桶を作れるくらい大きな卵を産むこと。

「そのぶん時間がかかりますけれども」と言った。そして、

「でも……」と妻は一瞬、顔を曇らせたが、Emの亡骸を見てから、「おいおい話しましょう」と言った。「まずは始めましょう」妻と夫はこの時初めて性交した。

「それにはあなたの精子が必要です」と妻が言ったからだ。夫は不能者ではなかったが性欲はなかった。そこへ今回、妻が調薬したものを飲ませたところ、はち切れんばかりに夫の物は怒張した。

二人は寝室に篭った。

五日間、水と、解凍したカルボナーラソースのスパゲティ以外食べずに二人はまぐわった。シャワーも浴びなかった。五日間、季節たちが荒らし回った台所へ出てきた時、二人の肋骨は浮いて見えたほど痩せていた。季節たちの無茶苦茶な騒ぎの後片付けをせねばならなかった。三人の季節らだけでなく、死んだもう一人のEmまでどんちゃん騒ぎに加勢した跡がありありと見えた。

季節は死んでいても活動はできる。一通りのことは。役目から解き放たれるだけなのだ、という。

だが死は死だ。埋葬せねばならない。

妻はみるみる、蟻塚みたいな、柔らかな円錐形になっていった。妊娠。生来の頭の小ささと、じょじょに大きくなっていく下半身のせいだ。そして、いつも座り込んで飯を食い続ける格好の。泥の塊のような姿に、変貌しつつあった。だが、それでも夫に、妻は美しかった。余計にそう感じたかもしれなかった。

共同生活のはじめ、季節らは、上を走る電車の音にグズグズ文句を言っていたように聞こえた。五月蠅いというのだ。だがじきに何も言わなくなった。彼らの言葉は夫婦にはほとんど通じなかった。君らが夜走る時はこんなもんじゃなかったぜ。夫がそう言うと、季節らはまた文句を言った。手術の消毒の時もそうだったように、不公平なことに季節らは夫婦の言葉は理解しているのだった。

彼らは「クラ・クラ」という言葉をよく使った。妻が妊娠してから特に。妻を呼ぶときに。

「クラ・クラ」は、妻へ何か話しかける時に頻繁に出る言葉だった(夫の観察によると)。

ちなみに夫のことは「カラ・カラ」と呼んだ(夫の観察によると)。

 

我々のノートは半分を越えたろうか

 

Gは怒りんぼ

Emも怒りんぼ(死んでいる)

Cは少しセンチメンタル。いいかえれば気障。

Dは怒りんぼ。少し気障。

タレント性に欠けた四人。

アコースティックギターを背負った天使のような女の子がドアを叩いたのはこの頃だったろうか。妻は食べ続け、季節の棺桶を作るために大きな卵を産めるよう、太って大きくなり続け、季節らは死んだEmも混じって部屋中を駆け回り生クリームを撒き散らし、クラッカーを破裂させ、ラジオのボリュームを全開にし、テレビが欲しいと言い張り(多分そう言っていた)、夫がテレビを用意すると今度はテレビに向かって映画を観せろと声を揃えてがなり、ダーツの矢は飛び交い、妻の服をクローゼットから引っぱり出して着込んだり(妻はもはやどの服も入らない)、分娩台を壊したり、鬼ごっこの最中にテレビを倒して、そのせいで三分の一のチャンネルと四分の一しか画面は映らなくなり、「クラ・クラ!」、「カラ・カラ!」と叫び、夫は商売あがったりだと帳簿とにらめっこしていた頃、天使のような女の子は現れた。

あの、車掌時代に見た、スタンドバイミーの女の子だった。腹が少し膨れていた。

何も不思議なことはない。ここを訪ねてくるのは、そういう女の子ばかりなのだから。

死んだEmが普通に飯を食ってる脇で、問診が行われようとしていたが、女の子はどうして妊娠したかを話し始めた。そんなことは言う必要はないと夫は手を振ったが、

「歌を唄ってたらね、駅員さんにね、連れてかれてね、それでされたの」

とおぼつかない喋り方で繰り返すのだった。

「そうするなら、ホームで唄っていいと言われたの。一回唄うごとに、一回すれば。かわりばんこに」

夫はここへ来る女の子に初めて同情したかもしれなかった。

季節らもみんな涙した。

彼女はただ唄いたいだけだったのに!

しかも彼女が唄えるのはスタンドバイミーだけだった!

だが、妻だけが違った。

「私はあなたの実のお母さんです。私が十五で産んだのです。名前は今つけてあげましょう」

と言うのだった。

ベサニー・E・クイーンの誕生(身籠り中)

(もちろんベン・E・キングをもじった)。

妻はカルボナーラを食べながらベサニーを諭した。

「さあベス。あなたのは(ムグモグ)、赤ちゃんじゃないの(モグ)。卵なの(ムグモグ)。卵を産む女、つまり私ね、その女の卵から生まれた女は(モグモグムグ)、子供は産めないの。卵しか産めないの(モグ)。それは人ではないの(モグモグモグモグ)。私も卵を産む女の卵から生まれた、人ではありません。とにかくだから堕胎手術じゃ駄目。卵の摘出手術をしなきゃ(モグ)」そして妻は夫のほうを向いて言った、

「あなたに卵の摘出手術の方法を教えます。準備をしましょう(ムグモグ)」

それからは楽しい日々だった!

みんなで妻を大事にし(季節らやベサニーにとっては母親だ)、ベサニーを大事にし(夫婦にとって娘で、季節らの姉だ)、暮らした。

ある日の夜、ベサニーの唄った、スタンドバイミー以外の唯一の歌はこんなだった。

 

イチ ニー サン シー ゴー リー ラー

ゴリ ラノ ケツ ヲー ナメ タノ ハー

ダー レー ダー オー メー ダー

へー コイ ター!

 

節ごとにみんなを指差していく。「ター!」は父だった。父は目を白黒させた。

「なあベス、なんだ、それ?」「なあに、それ?」

夫婦はビックリした。そして笑った。大笑いだ。

季節らも大笑い。

Emなんて、ドーナツを喉に詰まらせて二度死ぬところだった。ベサニーは言った、

カク レン ボヲ スル トキ トカ ダレ カヲ オニ ニキ メル トキ ナン カノ カケ ゴエ ナノ

「では僕はどんな鬼なの?」父は尋ねた。

コ ク イ オ ニ!

ベサニーは笑った。「子食い鬼」。小さな卵を抱いて。

ベサニーの難点と言えば、その小さな卵だった。寝る時でも摘出手術の痕の生々しい傷跡を、パジャマの下から時折見せながら、彼女は卵の中身をどうしても空けさせようとはしないでいつもしっかり抱いた。つまり、白身と黄身を食べるということをさせなかった。処理をせねば腐ってガスが溜まってしまうかもしれないというのに。腹の中にないそれは、もう何も育まないというのに。

GかEmかCかDが愛の告白をベサニーにしたと夫が聞いた時は、やっぱりこいつらはゴロツキだ、と思った。子供の不良だ。季節のうち一体誰がそうしたのかを知れなかったのは、みんな普段の色分けされた衣装を着替えて、びしっとキメこんでいたから。

といっても夫の元制服、車掌の姿に。

車掌服は四着あった。

四人を裸にすると、一人ずつ尻を打った。罰だ。尻を打つと季節らはそのわずかに毛の生えた小さな物を勃起させた。まだ子供なんだな、と夫は思った。性的神経回路が混乱して決まりきってないんだ。それともみな本当にそういう性癖なのか。

さあベス、と呼ぶとベスは卵を抱きしめたまま顔を真っ赤にして現れた。隠れていたのだ。母親の隣に蹲った。

母はもう、体内の卵が大きくなりすぎて、定位置は常にテーブルの脇だった。

季節らも顔を真っ赤にした。イチモツが硬くなったのを見られるのが恥ずかしかったのだろう。なにせ子供だからだ。夫がおもむろに言った。

「さあベス、誰が好きなんだい?」

その言葉に、発言した夫と妻以外のみなが驚いた。

「なにを鳩が豆鉄砲食らったような顔してるんだ。僕だってそこまで厳格じゃない。罰は罰。でも、もしも好き合ってる誰かと誰かがいたら、自然に事を任せるべきだ。僕と妻だってそうだったんだから」

妻が驚かなかったのはどうしてだか分からない。栄養をとるため食べることに夢中になって、聞いていなかったのだろう。あるいは、きっと(そう、きっとそうだ)、この直後に起こることが、人でない姿になってしまった代償で、すべて予感できていた、とか。

ベサニーが口を一文字にし、恐る恐る口を開こうとして、卵をギュッと普段よりも握りしめた。ああ、この夜はいつもよりも暑かったのだ。

爆発、だった。

爆発

暑さで内部にガスがいつもより出ていたのだろう。

強く抱きしめて、卵殻が限界だったのだ。

爆発が起きた。爆発、である。

よりにもよって、妻の脇で。ベサニーの腐った卵が。

その衝撃音は妻に「陣痛」を引き起こさせた。

妻は途切れそうな意識の中で言った、

「陣痛が来ても、私はこの卵を産めません。なぜなら大きすぎるから。私がこの卵を産んで死ぬか、前にあの子にしたように手術で摘出するかです」

夫は言った。鼻を覆いながら(ベスの卵の中身の臭さと言ったら!)、

「そんなの、決まってるじゃないか。手術で、君も、卵も、救うんだ」

妻はここで秘密を明かした。

「あなたはそのあとで、卵の中身を食べられる? ちゃんと」

「どういう意味?」

「これはね、堕胎するって事なの。ここまで育った私たちの子供を。まだ黄身と白身だけど、これはれっきとした子供なのよ」

「君はずっと抱えたその卵に愛慕の念を持っているだけだ。それは子供じゃない」

夫は黙々と準備した。

「いいえ、ちゃんとした方法をとれば、この卵はベスみたいに人になれる。人じゃないけど、人みたいにはなれる! あなたの子供が。これが私があなたへ隠していた大事な事実」

「でも……」

「季節のあの子の弔いをとるか、私たちの子供をとるか……」

妻の事実を初めて聞いて、夫は本当はすごく動揺していた。

妻をテーブルに乗せるのに苦労した。妻はもう、力が残っていなかった。季節らとともに、引っ張り上げた。

「どうして私があなたとこうしたか、分かる?」

夫は手袋をし、首を横に振った。麻酔のガスを調節した。妻は言った、

「恋、したからです。私」

妻はもう一度言った、

「恋したからです、あなたに」と。

「あなたに恋できて、恋し続けられる生活ができれば、私はよその子供なんてどうでもよかった。でも……」

妻は麻酔の眠りに落ちた。意識を失った後で、虚空にぽつりと声が響いた。

「……でも、あなたはベスを妻にして生きて」

手術は失敗した。卵は摘出できた。だが、妻は死んだ。

オムレツとカルボナーラだけじゃ足りなかった。オムライス、かきたまスープ、茶わん蒸し、かに玉、ハムエッグ、スクランブルエッグ、伊達巻、きくらげの卵とじ、エンドウ豆の卵とじ。オムレツだって、トマト入り、ひき肉入り、キャベツ入り、チーズ入り、等等々。和洋中問わず。

それらを夫が1人で食べ続けた。夫は何も考えず、食べ続けた。

誰にも手をつけさせなかった。「子食い鬼」。いつかの言葉が内側で響いていた。その光景を見まいとする、季節、ベサニーらの内側でも同じように響いていた。料理はベサニーが作った。夫は初め、中身を取り出す時、少し怖かった。人の形をした何かがあったら――、と。でも中身は大量の白身と巨大で分裂した幾つかの黄身だけだった。

しばらくは続くだろう。一日五食という日もあるだろう。おやつは勿論、プディングだ。

 

我々はそろそろノートを読み終えるだろう

 

喪服を着た季節らは再びみな同じ容姿で、また誰が誰だか分からなくなった。

ベサニーが泣く。

妻と季節・Emを一つの卵に入れるのには苦労した。というか無理だった。妻は、彼女だけで火葬した。

植物の苗が頭頂から生えた大きな卵の内側からコツンコツンと叩く音がした。

「もう埋めていいって」

殻に耳をつけた季節の一人が言った。

よく考えてみれば初めてこの時、元車掌にも分かる人の言葉を喋った気がする。

だがもう一度、内側からコツンコツンと叩く音がした。耳をつけた季節の一人が言った、

「やっぱり、流してだって」

「どこへ?」

我々は――我々とは誰を指すのか……?――いや、元車掌は、尋ねた。

三人が口を揃え、

「海」とはっきりと発語した。

「母さんの遺骨と一緒に海へ流して、だって」

冬が来なくなってしまった。

海へ流した、死んだEmは冬だったのだ。

なんてこった。Emが冬だったとは。いや、だからなんだということはないのだが。

だが、いやはや――まさかEmが冬だったとは!

冷凍のカルボナーラをしばらくは食べ続けるよ。

妻よ。Emよ、これからは君らなしでやってくよ。

さあベス――不完全な――スタンドバイミーを今日も唄おう。

 

これ以降の数冊は、ベサニーとのノート

2020年12月14日公開

作品集『たまごさんわたすすうわ』第3話 (全5話)

© 2020 多宇加世

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