匂いのはなし

ハギワラシンジ

小説

1,680文字

うんこ、爪の間。カナブンの羽を注意深く剥がす。

8時13分、朝会社サボってマックで100円の泥水を啜ったあと、やたらと綺麗なトイレでうんこすると落ち着く。
このうんこはくさい。絶妙に臭い。
ひとはこのうんこを糞呼ばわりして、辛くあたるだろう。だが、僕にとってはやさしさのかたまりだ。このうんこはこれから流される。僕の前から消える。もわっとしたにおいはやがて空調に吸われて排出される。わからないかな。あなたがラーメンを食べるときにいい匂いだなって思うのは、これからラーメンが消えるからだ。朝日を綺麗だと感じたり、醜いと感じたり。このうんこは確かにここにいた。その事実が僕を落ち着かせる。うんこのにおいだ。

9時46分、会社で意味わからんメールを受信したとき、しきりに薬指爪の間のにおいを嗅ぐ。上司の言われたことが理解できないとき、親指爪のにおいを嗅ぐ。中指と小指は爪ではなく指のにおいがするので、もっぱら噛み切ることに用いる。痛くならない程度に、ギリギリのキワから、犬歯と前歯の間にある名も無き歯で、注意深く剥ぎとっていく。カナブンの羽をゆっくり剥がしていくみたいに。そして、剥がれた爪のにおいを嗅ぐ。誰かが見ているかもしれないから、マスクで隠してこっそり嗅ぐ。それをおっかなびっくり上着のポケットにしまう。カラカラとポケットの中で、他の爪たちが新たな仲間を快く迎え入れた。僕は嬉しい。

11時5分、事務作業していて腰が痛いとき、尻の筋肉を伸ばすために半分胡座をかくように片足を膝の上に乗っけて、ストレッチする。顔が前倒れるので、足の裏のにおいを嗅ぐ。むちっとした冷えた肉のにおい。何十年も歩いて、通勤して、だらしない体と生活を支えてきた足の裏は密林の沼を思い起こさせる。濁って飲めたもんじゃない。でも動物は集まって、虫や植物は自生する。ワニが水牛を潜めて狙い、コモドドラゴンががぶがぶ喉を潤す。僕はひとしきり嗅いだあと、再びビジネスシューズに足の裏を戻す。お昼はナポリタンにすることにした。

14時15分、一時間に一回トイレに行き、二回に一回うんこをする。うんこのにおいは僕を落ち着かせるが、会社のアンモニアが邪魔をする。会社のトイレはマックのトイレと違ってアンモニアのにおいがする。念のため言うが、アンモニアが悪いのではない。会社のアンモニアがわるい。アンモニアだって好きで会社のアンモニアとして漂っているわけじゃないってことは分かる。僕はそこら辺に理解があるから、うんこのにおいが邪魔されたって、大人だから、我慢する。でもため息は出てしまう。会社のトイレはマックのトイレを見習え。

16時くらいになると、僕はかちこちに固まった背中をほぐすために背伸びをする。そのまま肩で眼鏡を直すふりをして、脇のにおいを嗅ぐ。もちろん両脇だ。両脇嗅がないとだめだ。ふたつともにおいがちがう。それを分かって上げないとかわいそうだ。この時の僕の腕は、天井に向かってピンと伸ばされて、手のひらは握手の形になっている。握手の形は、動物の形に似ている。同僚は、僕の腕がキリンとか白鳥とかネッシーに見えてびっくりするかもしれない。でも16時だから、そんなことは気にしない方がいい。なんせ16時、さらに時間は経過して、16時17分だから。一日で最も幸せな時間帯だから。

電車の中でふと、今日はちんちんのにおいを嗅いでいなかったなと思い出す。スーツから時折のぞく、ちんちんのにおい。ちんちんは陰毛と手を繋いでいるから、セットのにおいがする。足の裏を嗅いでときに、嗅げば良かったと思ったが、それはちんちんにわるい。誠実じゃない。だから僕はあえてちんちんのにおいを嗅がなかった。そう決めてしまえば、あとは簡単だったな。僕のスーツにちんちんとちんちんのにおいがそっと仕舞われていることが、嬉しく思えて誇らしく思えた。

家に帰ってうんこする。在宅うんこをしたいなといつも思っている。家に帰る頃にはもう嗅ぐ場所はほとんどない。それは正しいことで、悲観しなくていい。今日一日、がんばったってことだから。うん、でもたまらずにうんこのにおいを嗅ぐ。うん、このにおいだ。

2020年12月2日公開

© 2020 ハギワラシンジ

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