白の玉(8)

安藤秋路

小説

4,161文字

     ・8・命がトクトクと

ミっちゃんは会場を後にし、そこから歩いて十分程離れた別館を目指して走っていく。

 走っている足はとっても痛い。ヒールなんて本当は嫌いだ。体は男だから、私の足はとっても大きい。階段が本当に辛いよ。走って、走って、別館まで来ちゃった。南川、私はあなたから逃げたいの?わからない。でも、走って、走って、息は上がっているけど逆に頭はとってもはっきりしている。真っ白って感じ。なんだ、あなたは私の中にいたのね。

南川はいつだって私の中心にいたんだ。

今まで気がつかなくってごめんなさい。誰に誤ってんだろ、あたし。南川に?まさか。あたし自身にだ。さっきは逃げたりしてごめんなさい、これは南川にだ。ミっちゃんはヒールを脱いだ。両足を床に付け両手を八の字に広げた。床の上にはもう一人の私がそこで手を広げ、こっちを見ていた。あたし、もう逃げないよ。逃げたって、逃げたって、私自身の心から逃げ切る事はできないもの。本当は、思いっきり抱きしめたかったんだ。

階段を登るってくる足音が聞こえる。元々ひっそりとした建物だ。ミっちゃんは光の溢れる部屋で南川を待った。一歩、一歩、彼が近づいて来る。遠くの方から葡萄の香りが漂ってきているような気がする。匂はしない。でも私ははっきりと感じている。

扉が開いた。やっぱり、あなただったのね。南川の左手にはナイフが握られていた。刃は短く、そして鋭い。

なんでそんなに震えているの。私はここよ。そう、そのまま。一歩ずつで良いから、わたしたち近づいていこうよ。あなたがナイフを持っているなら、わたしはそこにキスしてあげる。あなたがどんな風になっても、私があなたを求め続けるかぎり、私は幸せなんだよ。私の幸せは、いつだって私の中にあなたと共にあるんだもの。

二人は急ぎ足で歩み寄っていく。南川は足に力を込めて一歩踏み出し、左手に持ったナイフをミっちゃんに差し出した。ナイフを持った腕は真っ直ぐにミっちゃんに向かって進んで行く。ミっちゃんの口元が小さく笑を浮べ、震えた。ミっちゃんは大きく両手を広げて南川に向かって勢い良く体を投げ出し、彼を抱きしめた。ミっちゃんのお腹から、真っ赤な命が吹き出していく。ナイフはミっちゃんの腹に戒めの印の様に真っ直ぐに突き刺さった。命がトクトクと流れ出した。南川は歯を食いしばりながら震えていた。

あなた泣いているの。大丈夫、私はここよ。もう何処へも逃げたりなんかしない。こんなに震えて。ミっちゃんはさらに強く南川を抱きしめた。

震える南川の頬を冬の雨の様な雫がたくさん落ちていった。

※   ※   ※

 ちいさな足を懸命に動かす。本能なのか、それとも何かを察知しているのかデンは一直線に走っていく。

これならデンをリョウにあずけておくんだったなあ。早目につないでおくんだった。デンの走りには迷いがない。横目も振らずに走っていく。そのデンを後ろから黒髪をなびかせながら月下が追いかける。私、長距離は苦手なんだよ。短距離にしてくれる、デン。次の角を曲がったらみつけてちょうだい。本当に頼むわよ。

デンは角を曲がった。曲がったのは良いが、道は開けて建物へと続いていた。デンは速度を緩める様子もなく建物に向けて進んでいく。アスファルトの道を爪の音を鳴らしながらデンは走った。そして建物の目の前で止まった。月下が息を弾ませて追いつくと、デンはワンッと一度鳴いた。二階建ての古い建物だ。

月下は建物の扉をそっと開けた。ここは会場に隣接している別館のようだ。玄関の案内板に建物の簡単な地図と別館の簡単な歴史がのっていた。月下は建物の奥に向けて廊下を進んでいった。たくさんの窓から日が差し込んでいる。別館を囲むように木が植えられ、鳥が枝を揺らしている。

玄関の左手側から階段が二階へと続いている。階段にはまったく日が当たっておらず、ひんやりとしている。月下の履くビーチサンダルの足元は仄かに冷たい。月下はそのまま二階へと進んでいく。階段を上りきると左手側に絵が飾ってあった。葡萄畑で三人の女性が房を摘み取っている。二階はどうやら展示場になっているようだ。葡萄の品種についての説明が掲示されていたり、幾つかの写真が飾られたりしていた。展示場の端からは更に廊下が続き月下はそちらの方に進んで行った。廊下を進んで行くと扉の開いた一室を見つけた。会議室と書かれている。開いた扉の端からそっと中を覗いた。広い部屋の中心で女性が一人倒れている。花柄のブラウスがしっとり赤く染まっている。月下は女性に駆け寄り話しかけた。。

「おい、しっかりしろ。大丈夫か」

「南川は?」と女性は呟いた。よく見ると唇は少し青くなっていた。

「南川?そいつにやられたのか」

「いいえ。彼は悪くないわ。私がいけなかったの」と女性は言って月下の方に目をやった。なんだか、もう体に力が入らなくて。はあ、はあ。

「おい、しっかりしてよ。今、人を呼んでくるから」と月下は言って女性の顔に手を当てた。首から垂れるタグに《会場スタッフ・田中みつお》、と書かれている。月下は扉の方に駆けていった。

早速、被害者が出てしまった。早く人を呼ばなくてはならない。しかし、デンがここを嗅ぎつけたって事は、星も近いはず。とにかく早く人を見つけないと。

月下が扉を通り抜けようとすると、突然扉が勢い良く月下に向かって迫ってきた。月下は出会い頭にそれにぶつかってしまった。額をぶつけて月下の目からは火花が出る様だった。反射的に右手で額を抑える。咄嗟に目を瞑ってしまった。うなだれなだらも目を開ける。そこに飛び込んで来た物は床の白色と黒い靴だった。人か?目の前には男が立っている。男の動きは素早く、突然月下の喉元に目掛けて手を近づけ、二本の手が一直線に彼女の首を掴んだ。力は強く、月下は意識が薄らぐのを感じた。

月下は血液を逆流させる様な勢いで全身に力を入れて、左手に持っている紅い布に包まれた自前の道具で男の横面をぶっ叩いた。頭部を鋭く打ち抜かれた男は月下の首から手を離し、月下の方を睨んだ。月下は紅い布から真白な刀を取り出して、男の真正面に向けて構えた。男はポケットから小さなナイフを取り出し、月下を睨んだ。月下は男の全身を眺め、男が完全に素人だと判断した。こいつが星か?不意打ちのせいで、心臓がまだ高鳴っている。月下は大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出し、刀を上段に構えた。

男の呼吸は荒く、持っているナイフも呼吸に合わせて上下に揺れていた。男が一歩踏みだしたと同時に月下の刀が男に向けて降りおろされてゆく。真っ直ぐに降りおろされた刃は正確に男のナイフを叩き落とし、振り下ろした腕の勢いと共に月下は相手の後ろに回り込む。男は慌ててナイフを拾おうとして屈み込んだ。

男の背中をよく見ると背中からは糸のようなモノが見えた。それは本来、人と玉をつなぐ糸の様なもので玉糸(ギョクシ)という。心許ないくらい細くほとんど透明だ。普通ならこの玉糸を辿っていくと玉にたどり着く。人と玉を結び付けているのだ。ダクシャはこの玉糸を切断し、人と玉を切り離すことができる。切断した後、ダクシャは玉から伸びている玉糸と、人から伸びている玉糸をダクシャ自身と接続してしまう。すると人は自分の玉を介して発せられたダクシャの命令に従うようになってしまうのだ。

月下は刀を構えて玉糸を切断しようと男に切りかかっていく。男は気配を察知しギリギリのところで切っ先を身をよじってかわした。

男は腕を伸ばしてナイフを拾い、それを振りかぶって月下にめがけて投げ飛ばした。ナイフは空中を滑らかに回転しながら月下の胸に向かって飛んでいく。

飛んで来たナイフを左に水平移動して月下はかわし、再び男に切っ先を向ける。飛び去ったナイフは扉に当たって床に落ち、月下は一歩、二歩と男との間合いを詰め、間髪入れずに刀を振り下ろした。切っ先は床に突き刺さり、男は力なく崩れるように床に倒れ込んだ。

よかった、ちゃんと玉糸を切れて。玉糸さえ上手く切れれば、こいつはとりあえず木偶の棒だ。でも、あれって本当に見えづらいんだよ。

ワンッと犬の声がした。デンが扉の所で尻尾を振っている。おい、デン。一部始終を見ていたのか!

   ※   ※   ※

 月下は助けを呼びに別館の廊下を走った。デンはその月下の後ろを付いてきた。階段を駆け下り、一階の廊下を出口に向けて一直線に走った。出口から外に飛び出すと、スーツ姿の男性が玄関に立っていた。首からさげているタグに《会場スタッフ・本田彦一》と書かれている。両手に書類を抱えて月下の方に歩み寄って来た。

「別館の案内をさせてもらっている、本田と申します。別館の館内はもうご覧になられましたか?」と本田は言った。

「すみません、救急車を呼んで下さい」と月下が言った。

「いったいどうされましたか」

「女性が血を流して倒れているんです」

トランシーバーを持っていた本田は、会場に救急車を手配する様にスタッフに伝え、同時に導線の準備もスタッフに指示した。実に慣れた様子に見える。

「館内にファーストエイドがあるので、それを持って行きましょう。さあ、早く」

本田と月下は館内に入り、デンは締め出されてしまった。二人は事務室に直行した。ファーストエイドキッドを手に入れた二人は廊下を走って二階の女性の倒れている部屋を目指す。

「二階の奥の部屋ならこの廊下を真っ直ぐに進んだ所にある階段を使う方が早いです」

月下がこっちですかと振り返ると、同時に首元に冷やりとした刃物の感触を感じた。しかし、実際には本田が立っているだけで、もちろん月下の首元にも何も当てられてはいない。気のせいか?前を向き直し、足を踏み出そうとしたが、今度を確かに耳のすぐ下辺を刃物を空中で振るう不気味な音がした。踏み出そうとした後ろ足を地面から離すことができなかった。間違いなく刃物が実際に首元に突きつけられていた。人間って本当におバカさんね。

「とっても大きな魚を釣りました。重さは大体二十kg。腸を出して、川から1時間かけて運びました。生き物って、生臭いね。」

★次回もお楽しみに★

2012年7月31日公開

© 2012 安藤秋路

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