白の玉(6)

安藤秋路

小説

4,480文字

・6・クアトロ★ミックス★ピッツァ

 

 

南川は深い海に吸い込まれる様な夢に落ちていった。ミっちゃんは何も言わずに帰ってしまったんだよな。それから先はどうしても思い出せないな。トイレから帰って…ミっちゃんがいなくて、なんだ、ダメだ思い出せない。しかし何だろうこの浮遊している感じ。両手を目の前に持ち上げてみた。まったくの暗闇で見えねえな。でも間違いなく俺はどっかに浮かんでいるんだ。どこだってんだよここは。最近、ミっちゃん付き合い良すぎるんだよな…今夜は家にまで上がり込んで来てさ、正直ビックリだったよな。しかも、間近で見たミっちゃんは、そこら辺にいる女なんかよりも、ニューハーフパブのネエチャンよりも、可愛かったな。あんな優しい瞳は男にはできないし、それでいて二十四時間ずっと女であろうとする自己信念は本物の女にはないよな。目ってのは口よりもダイレクトに語ってくるなチクショー!

結局、俺はこのまま沈んで行くのか?一体どここまで?どんどん深い方に吸い込まれていっているよな。スローモーションで動いている体。どっちかって言うと、もはや意識だけが解き放たれてしまった状態に近いな。どこまでも、そして、どこかに向けて落ちて行くよ。毎日踏みしめている地面が急にドロドロと溶けてしまったような、このどこにも行けない感じ。一体なんだろう?とっても悲しい気持ちになるな。溶けた地面に少しずつ埋まっていくような、どこまでも深く冷たく埋まっていくよ。嘘でも良いし、冗談でも良い、なあ、誰か俺に手を差し伸べてくれないか…。

 

 

 

どこまでも突き抜けている青い空は人の気持ちを太陽みたいに輝かせる。今日の俺は誰よりも輝いている。

「主任、お水どうぞ。」とスタッフの一人が主任に手渡した。主任はそれを一言も無しに受け取った。ある種の集中力が彼を包んでいた。雰囲気とか、オーラとかってやつだ。俺は必ずこの空のように、どこまでも突き抜ける。曇り空の向こう側にはいつでも、見たこともない世界が広がっている。それが例えくだらない人の悲しみで出来上がった世界だろうと、そんなの俺の知ったことじゃない。悲しみだろうが、鬱陶しい罵声だろうが、踏みつけて登るんだ。どこよりも高いところから見下ろせば、世界は誰にも文句の付けようもなく美しい。宇宙船から地球を見下ろしたクルーと同じだ。一秒ごとに何人が死んでしまっても、世界が死ぬより苦しい気持ちを抱えた人たちで溢れていたとしても、平らな地面から誰かが大声で叫ぼうが、そんな事とは関係無く、全く関係なく、青い地球は美しいのだから。それが世界なんだ。誰かが勝手に美しいと呼んでいる、それが世界なんだ。俺はゴミの山の頂上から本当のゴミを見下ろして、「それでも世界は美しい」と叫んでやる。

 

 

 

ミっちゃんは南川から盗んだワインを試飲会の前日に主任に渡した。誰かが輝いているなら反対側には、必ず影が落ちる。影は日の当たる地面よりも冷たい。ふと、振り返るといつも自分の足元から生えている。これは自分の知っている自分を超えた、正真正銘の自分自身なのかもしれない。困った事に、どうにか他人から隠れたとしても、自分の影だけは二十四時間、ずっと、ずっと、ずーっと冷たい地面から私を見ているんだ。男だろうが、女だろうが、例えそれがオカマだろうが、平等に。試飲会は始まってしまったし、南川はあの日から何も言ってこなくなっちゃった。主任はワインに満足してくれたみたい。余興の目玉にすると言ってくれた。あの女のワインはきっと大した物じゃなかったのだろう。それに南川も今回の試飲会にかなり入れこんでいたから、後で訳を話せば分かってくれるはず…きっと、おそらく、たぶん…そんな、そんな都合の良い事ってないか。先に訳を言っておくべきだったよね。ごめんね。でも南川、あなたきっと笑ったでしょ?私が主任を好きだと言ったら。だからあなたのワインを私にちょうだいって言ったら。私みたいな、オカマが社内恋愛だなんて。同期のあなたにだけは、たくさん一緒に仕事をした、山の様に一緒に残業したり、こんなに一緒に飲み明かした、そんなあなたにだけは、笑われたくなかったのよ、あたし。あなたの前では、いつも素直なミっちゃんだけど…あなただからこそ乙女の部分を笑われる事が嫌だったの。なんだろう、なんでだろう私、南川の事ばかり考えている。簡単な挑発に乗った私がいけなかったのよね。

 

 

 

PCの画面に二人の男女の写真が映し出されている。ゲッターのプロフィールや仕事の履歴などが掲載されている。やっと尻尾を出したんだから、今回は逃がしませんよっと、エンター。よろしくね、涼介、月下。

「しっかし「玉回収のプロ・ゲッター」リョウスケとゲッカのペアは毎回、毎回、後処理が大変なんだよね。まあ、そんなやっかいな仕事ばかりにご指名が入るんだから…上も頼りにしている証拠ね、この二人を。」と吉田ちゃんが言った。PCの画面をいじりながら缶コーヒーを飲んだ。今のうちに、後処理係りに連絡入れておこっと。

ワインの試飲会場にはとても似つかわしくない男女が会場をうろついていた。金髪の長髪をなびかせて、濃い色のジーンズにビーチサンダル、ロックバンドのTシャツ。左手には黒い布に包まれた長い棒の様な物を携えている。もちろん右手にはワインの試飲用カップを持っている。

「オイ、リョウ。そんなに飲んだら仕事にならないでしょう!」とポニーテールの女が言った。黒い長髪を低い位置で結んで、ストーンウォッシュの色あせたジーンズに、やはりビーチサンダル、こっちはTシャツに「心」とプリントされている。左手には紅い布に包まれた棒の様な物を携えていた。右手にはミネラルウォーターを持っている。

「まあ、まあ、まだ5杯だけだろ。せっかくのクソ仕事なんだから、せめて楽しく行こうぜ、ゲッカ。」とリョウが言った。

「何、何、あなた…もしかして、ビビってんの?そんなに飲んじゃって!まあ、気持ちは分からなくないけど、あたしと一緒なんだからドンとしてなさい!」とゲッカが言った。

「バッカ、ちげーよ。俺はいつだって、楽しむ気持ちを忘れてはいけないと思ってだなあ。体現しているだけだ。お前もちっとは、俺を見習えよ!俺様の振り見て、お前の振り直せ!」

「酒は心も体も鈍らせるんだよ。ホドホドにしなさいね!私は、デンをつないで来るから。あなたは、星を探しておいてね!」

「心配すんなよ。俺はデンと同じで鼻が効くんだから。」とリョウは言って、犬の頭を撫でた。首輪にDENと書かれている。首輪だけで手綱は付いていない。デンは首をあちこちに振って、前足を上げて鼻を掻いた。

「出鼻をくじかれないでよ(笑)。星はもう「干上がっている」んだから。デンがさっきからしきりに鼻を掻いているのが確かな証拠よ。」

「まったく保護の連中は何をやっているんだよ。回収するゲッターの身にもなってほしいぜ。しかも「干上がってる」ときた。玉を失った連中は段階を追って干上がるんだぜ。途中で止めてほしいもんだよ。」

「厄介じゃない話が、私たちに来た事ってあった?さあ、お仕事の時間よ。干上がったら最後、ダクシャの言いなりになって、他人の玉を奪い始めるんだから。早々に見つけないと、この会場えらい事になるわ。」とゲッカは言って、後ろポケットに水のボトルを突っ込んで、右手でデンを抱きかかえた。デンは大人しくゲッカの体にその身をゆだねた。

「ハイヨー。ボチボチ探してくるよ。とっとと終わらして、早いとこ祝杯といこうぜ。この現場は、祝杯だらけだ!」

「あら、あなたビール派じゃなかった。ワインなんて気取って飲めないっていつも言っているじゃない。」

「何言ってんだよ。今日の俺はワインを嗜む、オシャレでクソ気取った紳士なんだぜ。何だったら、エスコートして差し上げましょう。月下嬢。」

「はい、はい、ウンコ紳士さん。悪いけど、私はワインなんかより、よっぽど日本酒派なんでね。馬鹿やってないで、さっさと行きなさい。」とゲッカは言って、デンと一緒に会場を後にした。

「ハイヨー。じゃあ、先に行ってるぞ。」とリョウは言った。

 

 

あ、南川さん。先ほど、主任が探していましたよ。ワインセラーでお待ちです。両手に試飲カップを抱えたスタッフは、急ぎ足で会場の方に歩いて行った。スタッフはこの時に異変に気付くべきだったのかもしれない。南川は明らかに普段の彼とは違うオーラを発していた。表情は特別なく、まったく生気が感じられなかった。こんな顔つきを死相というのかもしれない。南川はワインセラーに向かった。

これくらいカラカラに干上がれば十分か。まったく人間は干すのに時間がかかって面倒だ。干上がるまで玉を隠しておく手間もかかるし、下準備だってしなきゃならない。干上がるまでに見せる異常な執念は人間の業の深さを物語っている。異常な執念のせいで発狂したヤツもいるって聞いたし、自分の足の指を切り落とした奴もいるって話だ。まあ、それが「乾き」ってものか。こいつにしたってそうだ。主任の前には南川が棒のように立っていた。よく見ると南川の左手の小指は爪が真っ黒くなって死んでいた。しかし、ミっちゃんに聞いてもこいつが彼女にまったく接触をしないというのは不思議だ。まず、犯人はミっちゃんに間違いないのにさ。ふふ。人間って本当におバカさんよね。ねって、おい。まずい、まずい。こいつらの前では、真面目な主任を演じていないといけない。後、邪魔なのは…ミっちゃんか。待てよ、こいつまさか…ミっちゃんの事を…ふん、ふふ、ふははははは、人間って本当に面白い。思わぬ所で関係性を作り出し、自分で泥沼に足を踏み入れていく。これで納得できる。これだけクズのくせに、一端に愛だのって語るんだからな。美しい、美しい愛についてさ。クッせーよ、ばーか。嘔吐物と糞と何ら変わりないお前らがさ。ああ、むかつく。玉を奪われてなお、惚れた女の事は疑いたくなかったってか。はっはっは。バカ、馬鹿、本当におバカさんね。ああ、もう下品なところが出てきてしょうがないわね。はっはっは…おまけに、とてつもなくゲスな事を思い付いたよ。

「じゃあ、指示はこの紙に全部書いておいたから。後は、よろしくな。」と主任は言って、南川に紙を渡した。南川は紙を受け取り、さっと目を通した。そして、くるりと音も無く振り返って試飲会場に向かって歩き出した。主任は口を三日月の端っこの様に鋭く歪ませ、腹を抱えて笑った。

 

 

「引越しって、思っていたよりも大変だね。嫌な事はピッツアでも食って忘れよう!クアトロよ、マジで最高だよ。」

 

★次回は…涼介と月下がドッカーン、ズバーンって感じ…お楽しみに★

2012年7月2日公開

© 2012 安藤秋路

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