エミリとなおみ

応募作品

鈴木 沢雉

小説

3,607文字

知らないルールは守れないんです。ちなみにUber Eatsは使ったことありません。

護国寺で首都高を下りて比較的流れの良い不忍通りに入った直後のことだった。

耳をつんざく盛大なクラクションが軽く五秒間は続いた。僕は反射的にブレーキに足を置き、道路の上で何が起きているのか把握しようとした。助手席でスマホをいじっていた山名も弾かれたように顔を上げて音のする方を見やる。

「バカヤロー! 死にたいのか!」

交差点の入口で止まっているミニバンの運転席から男の怒号が飛んだ。その怒りの矛先にいるのは一台の自転車だ。大きな箱形の荷物を担いだそいつはバックレを決め込もうとしているらしく、そそくさと現場を去ろうとしている。

「何だあ」

山名が緊迫感のない声をあげる。
「あの自転車、強引に右折しようとしてたみたい」

僕は状況をそう解釈して、言った。

「自転車は二段階右折だろ。交通ルールくらい守れよったく」

山名は正しかった。僕自身も、こうして社用車を運転して都内をあちこち移動する仕事の関係上、Uber Eatsの一部の配達員たちがめちゃくちゃな運転をするのを、苦々しく思っていたことには間違いない。しかし、山名の吐き捨てるような台詞には心の何処かで抵抗を覚える。

「まあどの業界も競争だから、そうも言ってられないんじゃない」

新型コロナウイルスの感染が拡大し、緊急事態宣言が発令されるに至って俄然注目を浴びたのが外食産業のテイクアウト需要とそれにぴったりハマったUber Eatsという業態だった。

「けっ。配達屋の分際で」

こういうところが、山名にはあった。別に職業差別はよくないとかナイーブな主張を展開するつもりは毛頭ない。だけどその棘のあるもの言いが、僕にはいちいち刺さるのである。

四角い箱を背負った自転車の男は、振り返りもせずに立ち漕ぎをしてスピードを上げ、もうずいぶん遠くまで行ってしまった。おそらく配達のスピードも彼らには重要なのだろう、事故にもならないヒヤリハットなどにかかずらわっている暇なんかないのである。

「そういやお前さ」山名がまたスマホに戻って言った。「今日の飲み会も出ないんだって?」
僕はうん、と小声で答えて頷いた。

「今日はちょっと用事があって」

「何の用事だよ」

山名の切り返しに、僕は黙ってしまった。
「まあいいけど。言い訳するならもっとマシな理由考えろよ」

「マシって?」

山名は答える代わりにふんっと鼻を鳴らして自分のスマホをいじくる作業を続けた。僕にはなんとなく彼の言いたいことがわかっていた。緊急事態宣言期間中、職場でZoom飲み会が企画された。山名を含め同じ部署の連中はほとんど参加したが、僕はやめておいた。その時の言い訳が「ちょっと用事があって」だったと思う。

信号が変わり、Uber Eatsの消えていったのと同じ方角に車を進めたが、もう自転車は見えなくなっていた。

 

その日の夜、僕は阿佐ヶ谷のキャバクラで新しいボトルを入れていた。緊急事態宣言が明けてから初めてのエミリの出勤日だったから、自然と勢いこんでいた。三密を警戒してか客はまばらだったが、店の方はといえば自粛要請も新しい生活様式なるものも、どこ吹く風だった。自粛警察に怒鳴りこまれても返り討ちにする気満々だったし、場末の流行らない店のことである、クラスターが発生してもなあに、かえって店の宣伝になるくらいの心構えで店長も従業員もやけくそ営業していた。

エミリは実家が飲食店をやっているらしく、例によって自粛期間中はテイクアウトに切り替えたり国や都からの給付金を申請するなどしてなんとか生き残ろうとしているものの、やはり状況はかなり厳しいそうだ。

「なにそれ超うける」

彼女は染めすぎてちりちりになった髪を揺らし、厚塗りの化粧でも隠しきれないボソボソの肌に皺を寄せながら笑った。

「そんなにうけなくても」

僕は困ったように言ったが、エミリは屈託ない。

「だって家から出られないのにちょっと用事があるとか、適当すぎでしょ」

そう言って身をよじらす彼女の身体の輪郭線を、僕は視界の隅でなぞる。エミリの都合さえよければ今日はアフターに連れ出す心づもりでいた。僕が場末の流行らない店を選ぶのは、その方が枕営業を期待しやすいという単純な理由からだった。人気店のトップキャバ嬢などその点でいえばフレンチレストランのフルコースみたいなもんで、その時だけは美味しいと思うけど一歩店を出たら現実に引き戻されて余計に惨めな思いをするだけなのだ。

だとしたらエミリはさしずめ白いご飯と味噌汁といったところだろう。いつでも食べたいときに食べられて、懐にも優しくて、そこそこ美味い。

「エミリって、ご飯と味噌汁みたいだよね」

僕はしみじみと言った。エミリの表情がこわばった。

「え? どういう意味?」

「んー、まあ特に意味はないよ」

その会話以降、エミリの作る水割りが気持ち濃くなったような気がした。僕はアフターに誘うべくあの手この手で調略を試みたが、彼女はのらりくらりとそれをかわして結局閉店のときまでそれに応じることはなかった。

そういうエミリの態度が気に入らないということを示すため、いつも彼女に渡している帰りのタクシー代をその日に限って出さなかった。僕は一人で帰った。タクシーの後部座席から見る世界はあらゆるものが僕に背を向けているように思われた。道行くひとも、柔らかな明かりの灯った住宅地の一軒家も、路地の角に立つ電柱や郵便ポストでさえ、意思あるもののように顔をそむけていた。

 

翌日は外回りの仕事がなかったので在宅勤務だった。在宅勤務とはいってもとくにやることもないので、メールだけチェックしながらひたすらYouTubeのおすすめに上がってくる動画をみていた。
昼過ぎくらいに携帯が鳴った。会社からかと思ったら実家の母親だった。

「もしもし」

「ああ、たかひろ、お母さんだけどね」

母親から電話をかけてくるのは珍しいことだった。話を聞くと、どうやら「かあさん、オレオレ」から始まる詐欺電話だったらしい。僕になりすました人間が、コロナウイルス肺炎に罹患し会社をクラスターにしてしまったせいで休業に追い込まれ、資金繰りが危機的な状況となってしまったので今すぐ三百万円が必要だ、ついてはすぐに返すのでお金を都合してくれないか、という内容だった。

「あんた私のこと『かあさん』なんて呼ばないからね」

母はそれで不審に思い、僕に確認してきたというわけだ。

「お母さん、それ詐欺だからすぐに警察に電話して」

僕は注意喚起だけして、電話を切るつもりだった。だけど話し好きの母はそれをさせず、ちゃんと食事はしているかだの仕事はうまくいっているかだの色々と聞いてきた。極めつけは

「あの子とはもう長いんじゃないの? なおこさんっていったっけ? たかひろもそろそろ結婚とか考えないとね」

というもので、僕は思わず失笑を洩らした。

「お母さん、なおこじゃなくて尚美だよ。なおみ。しかも彼女とはもうかなり前に別れたよ」

「あらそうなの。どうして」

「どうしてって」

僕は言葉につまった。別れた原因がわからないのか、わかっているけど母親にそれを説明できないのか、それさえも僕にはわからない。説明できるのは具体的な経緯だけだ。僕は尚美と付き合っているのに他の女と寝た。その女は僕の同僚の彼女だった。そのことを尚美にも同僚にも隠そうとしなかった。僕の浮気は誰もが知るところとなった。僕の周囲の人間関係は総崩れとなった。

僕は自分の行為を悪いことだとは思わなかった。ただしち面倒くさいとしか思わなかった。だから枕営業狙いのキャバクラ通いを始めた。金だけの関係なら他人の憎悪の対象となることもなければ人間関係クラッシャー呼ばわりされることもない。

「ああそれからね、お母さんウーバーイーツっての取ってみたいんだけど、どうすればいいか分からないのよね。たかひろ知ってる?」

おそらくテレビか何かで見たのだろう。

「知ってるけど、お母さんのとこは配達エリアじゃないでしょ」

「ああそうなの?」あからさまに落胆したようなトーンになった。だが急に気を取り直して「じゃたかひろが取って送ってくれる?」

「はあ?」

僕は母がなにを言っているのか理解できず、しばらく考えた。そしてようやく飲み込めた。母はウーバーイーツというレストランか何かがあると思っているのだ。そこに頼むとお取り寄せグルメみたいに「ウーバーイーツの何かの料理」を送ってもらえる、と考えているらしい。

僕はUber Eatsのなんたるかを説明するのにそれから二十分あまりを費やした。それでも母親が仕組みを理解できたかどうかは自信がない。疲れはてて電話を切ったあと、そのくらい知っとけよったく、と口を尖らす僕の姿が、山名のそれと重なった。

僕はそんな僕自身に対して、むきになって反論を始めた。知らないものは仕方がないじゃないか、そんな言い方しなくてもいいじゃないか、と言いつのりながら、いつしか涙目になっている。

2020年6月3日公開

© 2020 鈴木 沢雉

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