跋文

ニュー・ハートシェイプトボックス(第12話)

多宇加世

小説

7,790文字

 運搬可能な僕らのダンス。ひび割れた響きのダンス・ステップで、あなたも同じものを目にしてきたはずで、これからもそう。病気が書かせて踊らせた、病気に忠実なテンポで踊った小説はもう終わり。それでもずっとあなたは見ていたんだろう? 運搬可能の僕の病気と、あなたの街へ行けたらいいね。僕らのダンス、さあ比べてみよう。でも――
 ――でも僕の自白。僕の選んだ夜はもうすぐ終わる。あなたがあらかた覆いつくして眠りつくして、また目を開いて前を向いてくれればいい。過去があるってことがあなたの背中を押すでしょう。僕の選んだ夜は終わり、部屋にはまた一つの朝が充填される。あなたはここにこなくてもいいようにね。

「面会者」

 

僕はほほえむ

僕は幽霊自体に恐怖するのでなく、幽霊が僕の頭の裏側から産み出すものに恐怖する。僕を罵る声と、僕がこれまでしてきた行為を咎める、僕を指す人差し指の指先の指摘の群れに僕は恐怖している。僕は笑う。幽霊が穴を拡大させ、広がっていく別の世界。僕は船の部屋で一人、いまや何も待つものもなく、生きている。回診も数十日に一度ほどに減り、医師が個室に訪ねてくることはほとんどなくなっている。僕もある時を除いては部屋の外に訪ねていかない。日に三度、食事と薬を持ってきてくれて、そして注射を打つ看護師だけがほぼ唯一、部屋の扉をノックする

「気持ちを誰かに伝えた時から、よりよい治療が始まります」と看護師が言い

「はい。かわりありません」と僕が答える

看護師が頬を赤らめて脇に立つ

「あの、あの、ラジオでもおかけしますか?」

「はい。お願いします」僕はフォークとナイフを持つ

「ふふふ。新しい放送局が聴けるようになったのですよ」

「そうですか」

「気持ちを誰かに伝えた時から、よりよい治療が始まります……」

「僕はここにいる誰にも、おそらくこれ以上何かを言うことはないでしょう。僕はもう散々、自分の犯した罪について言い尽くしましたので、僕にはどうしようもありません。あなたがたも、これ以上僕の自白の言葉など要らないんでしょう?」

看護婦が頬を赤らめたまま宣告する

「それはそうですね、あなたはまだ罪人ではないんですし。れっきとした病人ですよ。……今日もあとで注射です。マタ、キマスネー」

まだ罪人ではない、か。僕は溜息をつくことすら忘れてしまった

看護師が扉を閉めたのを確認してから、僕は食事のトレーを脇に寄せて、パソコンのキーボードを叩く。マタ、キマスネー。患者たちの間では僕は新入りの身体の検査の数値待ちの患者ってことになっているんだろう。ある意味では正しい。いや全体的に正しい?

部屋に鏡はないので、僕は変えられた自分の顔をしばらく見ていない。だから急に鏡を向けられたら、少しは驚くかもしれない。けれど別に今の顔がいやだってわけではない。最初からあまり気にならないのだ。人相が変わっても、病気は変わらないだろう。でも今のように毎食やってくるあの看護師は、こんな顔に惚れ込んでいるらしい。顔を赤らめるんだ、いつも。人ってわからないものだ。看護師はああ言うものの、僕が病人であるとともに罪人であることもわかっているはずなのに

僕は何度となく自白してきた

だがそれと僕の病気が折り合いがつけられていないらしく、検査数値として未だ良き段階まできていないのだという。つまり自白としての数値が正常値でないらしい。僕はまだ罪人ではない。僕の身体の数値では僕の自白は効力がないんだそうだ。認められないんだそうだ。病人的うわごとに過ぎないわけだ。取り調べがずっとずっと続いているようなものだ。そしてこれは半永久的に続くかもしれないという。なぜかというと僕の病気は治る見込みが薄いから。だから、回診のたび、医師が「どうですか」といい、僕が「かわりありません。僕がやりました」というのを繰り返しても、僕の身体の検査結果がそれに追いついて、僕の自白と合致することは一生ないまま治療が続けられるかもしれないということなのだそうだ。罪人になるには検査数値がそれに見合うものでなければ。だから僕はいまだに罰せられない

でも一向に数値はよくならないから、回診も検査も、もうだいぶ間隔があくようになってきた。薬さえ投与されていれば普通に暮らせるし、回診を頻繁にやっても、あまり意味がないのだ。僕は僕の内で僕を罵る声と、僕がこれまでしてきた行為を咎める、僕に突き付けられる人差し指の指先の指摘の群れにはもう慣れっこになってきてしまっている。学習――。幻聴とのうまい付き合い方を医師が前に教えてくれたので、我慢できる。そして僕はだから、自分の為した罪についても、うまい付き合い方ができるようになってきてしまっている。何故なら、僕の幻聴と、僕の罪の意識、僕の罪を罰する叫びは今や体の中の似たような場所から発生しているものだからだ。身体の検査結果さえ足並みを揃えてくれれば、僕の自白はもう済んでいるので、やっと罪に問われることになる。判決が下る。罪に名が付く。そうなったあかつきには、聞いたところによると僕は斬首ののち、水葬である。だが、何度もいうが検査数値が、身体のほうが、僕の病気がいうことを聞かず、医師達は僕を断罪できず入院させ続けている。僕は魚の餌にもされずに、三度の食事もきちんと管理されているし、薬物投与もされているし、身体には病院全体の粋を集めた治療が施されているのに、病気の数値は一向に腹這いで良くならない。だから僕は一時期は薬を飲んでないのではないかと疑われた。飲んだふりしてトイレに流しているんじゃないかって。だからそれからは注射や点滴に切り替えられた。でも、数値に変わりはなかった

 

だから僕はいつまでも、部屋で、ミニぶらぶらテレビ(いまの僕の部屋には小さなサイズのぶらぶらカウガールがいるんだ)の小説の書き方講座を参考にして、物語を書いている。このことは内緒だ。病人用でない小説講座が病人の僕にどこまで役に立つのかは分からないけれど。それに前も言ったように、どんな影響があるのかも。まあ、当の本人が読み返しても、実際はどうなのか判断はつけられないのだが、きちんと書き上げられていると思っている。それが一般用小説なのか病人用小説なのかはわからない。ただ、あなたが読んできたのがそれだということを伝えておく

ある時が来るまでの辛抱――、とその人の身体の一生をかけて待っていたものが、ゆっくりと、だが結局は生きているあいだに辿り着くことなく間に合わず、到着は死後にまで延期されて、持ち越しになってしまうような感覚。治癒は死後に完了する。完治する。死んでるのに。そんなのは論外中の論外すぎて、論外すっ飛ばしてモンガイ。モンガウ。モンガロ。モンガル。ケッ

もうそうなってくると、僕も病気のエキスパートで、熟知も熟知、同じような病気の患者の事や、病人としての心構えや、カウンセリング方法に長けてきて、病人用インターネットのカウンセリングで意見を求められることも時折あるから、回診が少なくなった代わりに、むしろこちらから出向いてそういう分野のプロたち――つまり医師・看護師・介護士たち――で埋め尽くされた全体会議の末席を汚させてもらっている。さっき言ったある時を除いてというのは、こういう時のことだ。勘違いしないでほしいのは、医師たちと同じテーブルに着くからといって僕は病人として別に天狗になっているわけではない。僕はむしろ軽く絶望している。絶望するのが僕には似合っているとすら僕は思っている。それにそれは他の人からもよく言われる

でも――、でも僕に、もしも家族がまだいるとして、家族、友人達、婚約者も、僕らがいた世界も、僕の気に入りの彼らのいる景色も、彼らの行動も、彼らの生の響きも、彼らの台詞も、今まで自分が目にしてきた、知ってきたと思い込んできたものが、すべてではないがそのほとんどが、もうすぐここではその記憶が止まって完璧な妄想になるのを僕は知っている。僕は端の席でうたたねしてそんなことを夢みる

でもそんな、ここではないどこかのそんなふうな夢よりも、もはや現実のほうが病気という夢魔にさらされている状況では、家族や友人たちの「思い出が褪せていく」ようなことは(まあ、陳腐な言い方だけどね)、そんなの悪夢なんかには含まれないことがわかっていた

夢をみていてもまるであらかじめ地図とパンフレットを渡されていたかのように。しかし、目が覚めたその後、猛烈な速度で現実に連れ戻される感覚は、上映時間には間に合わず、闇の中、体中汗だくで席に着いた時のようなわずかな落ち着かなさに似ていて拭えないが

ティキティキ。あなたが見ているのとどこか違うテレビを見ている。これも病人用のもの。あなたが聞いているのと根本的に違うラジオを聞いている。これも病人用のもの。偽りの辞書を引く。これも病人用のもの。退屈なインターネットを見る。すべて病人用のものだ。けれど、だんだんと、僕はそれを違ったふうに見ることができるようになってきた。すべてを見抜いてきている。つまりこうだ

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2020年2月6日公開

作品集『ニュー・ハートシェイプトボックス』最終話 (全12話)

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© 2020 多宇加世

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