東下り
昔というほどのことでもないが、京都に男衆がおった。その中の一人は、最近失恋をしたそうで、もう会わす顔もないとすっかり塞ぎこんでしまい、しまいには友を連れ立って傷心旅行というふうになった。まぁ男にとってはこの地との今生の別れの心積もりであったのだな。
詳しく道も知らずにあてなく気ままに来ると、八橋が見えてきた。
「おい、これが八橋だ」友の一人が言うと、
「何で八橋って言うか知っとるか」と別の一人が問う。男答えるに、
「ひい、ふう、みい……。橋が八つ渡っておるからではないか。それとも何か、京菓子でも関わっとるのか」と言えば、みな笑い、そういったやり取りをしつつ、沢のほとりへと降りていった。
「よし、ここらで昼じゃ、昼じゃ」男が言うと、おうおうと男衆、乾飯取り出しふやかす水でもと思うところにかきつばたが何とも美しく咲いているのに誰ともなしに気付くと、誰そ、かきつばたを頭にとって今時分の気持ちでも言ってみないかと問うに、男、
「乾飯を湿らせるには、君の私への想いは乾燥しすぎていたようだが、徒然と友をこうやって連れて、バカをやりつつする旅も、高々三里じゃ足袋すら替えるまでもないもんじゃ」と言うと、皆々して馬鹿笑いなどしながら昼間から持ち寄った酒などでわいわいやっておった。
そこからしばらく行くと、駿河の宇津というところに着いた。鬱蒼とした森に道は続いており、誰そ、何気ここまで来たのかと言うを風の音でも聞くように、
「さて、日も暮れる前にここを越えてしまおうか」と男が言いつつぽつぽつと歩いていくと、蔦や楓が鬱蒼茂る山道より修行者が来るではないか。
「おおう、何をこのような場所でしておるか」修行者が問う顔を見れば、何と言うことはない、京で幼い頃よく遊んだ寺の子ではないか。男、心持ち嬉しくなって、
「おおう、おおう。お前さんこそこげな場所でどうしたんじゃ」と言うと、
「わしは国中を修行として渡り歩いておるのじゃ。これから京都まで戻ろうと思っておる」と言うに、ならば旅の理由を土産にと紙を懐から取り出し、記す。
駿河の宇津というところより、夢か現かぼーっと来てみればなかなかに遠くまで来ている。想う人に会わずに済むこの地は何とも言えない処よ、と。そして、
富士山はもう七月だというのに雪が積もっておる。お前もだいぶ時代遅れな田舎娘であったが、この富士も外見とは裏腹に見た目だけなのではないだろうかの。まだ雪がちらほら降っておる、と富士の形を落描いて添えたものを、僧に渡し、ではではと道を行くことにした。
さらに、ぐいと行くと言問橋というところまで至った。ここまで来るとだいぶ遠くまで来ることができたなと思えるところに、舟を渡す者が関東訛りのどぎつい方言で言う。
「乗るなら早く乗れ。日が暮れちまうだろうに、ったくが」そう言われるといささか怖気てしまうが、ひょんなときに見たことのない鳥の群れがはっさはっさと西へ向かうのを見て、船頭の言葉、風に流して男が問う。
「あの鳥は何と言う名前じゃ」船頭、
「都鳥も知らないのかよ。一体どこの田舎もんだ」と尚も強い口調ではよ乗れ、とまくし立てる。ふと思い付くままに言葉を紡ぐと、
都鳥 ありやなしやと 問うでなく 我が足袋先は 西へ向かいぬ
と口から漏れる。誰そからとなく、もう耐え切れぬと喚き、帰ろう帰ろうと言うに、舟の者尚もきつ気に乗るのか乗らぬのかと喚く。舟中喚く者どもで溢れかえってしまった。
結局、どうする、どうすると舟を散々待たせた挙句、また来た道をとぼとぼと帰る男衆の惨めさといったらなかったが、どこか安堵した顔を皆々している。男の決意などせいぜいこの程度と知るは、まだ若者故なり。
帰りの宿にて、男夢を見て目覚めて詠める。
君を見じ 隅田の果てまで 来ぬれども 夢に現に 君をえ見じや
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