ある晴れの日、硯をもちて

渡海 小波津

小説

1,110文字

晴天が憎いような日。ここだけが別の世界のように、自分だけが下等な者のように、隣の芝どころかこの世の自分以外のすべてが青く見える。そんなあなたへ。

外は、鳥の囀る好い天気にございます。そんな日の縁側傍に置かれた小さな机に向かい、女はなにか耽っているようでございます。

『それは生きる基準と申しますか、時への関心がどこにあるかというような話でございます。私は、どうも以前の人様の言動を気にしたり、それを意識して今の行動を選択したりという風が強いように感ぜられるのです。おそらく多くの人は過去の経験を活かすという程度に留め、現在と未来の絶え間ない中に生きているのではないのでしょうか。私には生きる時間が異なるせいかそのような関心事がときに失せるのです。仕事に精を出しております際にはやはり、皆様と同じような感覚の中に生きてはおりますが、ふとした瞬間から、この時間のずれに奇妙な感覚を覚えるのでございます。

以前は以前はと過去と比較し、それ以上を求めるような感覚や、同じ過ちを避けようとする選択、すでに知り得ない理由を探す思考、すべてが歴史の中に埋もれているようなこの頭の中身を全て現在に吐き出すとて、それすら次の瞬間には過去のこととなるのです。そしてまたそれを悔いるのでございましょう。悔いるなら、傷つくならと、過去を引き摺る様はまるで重たい影のように私の足に絡みついてくるのでございます。

時にその重さに前に進むことすら辛くなることもございます。時には影ゆえに当り前のようになってしまいその存在を忘れてしまうこともございます。明るい光の中にいるときにはそれも薄らぐものですが、暗闇の中にいれば私も影の一部のようにすべてがそれに覆い尽くされてしまうのでございます。この例えがご理解いただけますでしょうか。過去はけして離れず我々の後をついてくるのでございます。明るい未来に向かう皆様にはさぞ薄い存在でございましょう。しかしお忘れなさいますな、例え空飛ぶ鳥にさえ地を見ればそれは風のごとくついてくるのでございます。そして地に降りればまた当り前のようにその足元にしがみつくのでございます。

あなたがとんと着地した足元にはいったいどんな影が描かれているのでしょうか。輝かしい黄昏に浮かぶ大きな影を見て笑むことができる生をどうぞ送ってくださいませ。

私のような常に地に住む者は、せいぜい空を眺め、その生き方を夢見て羽ばたく真似事をするにしかすぎません。せいぜい飛んで一跳び、すぐ陰に絡めとられ、その陰に縛られた生をただ尽きるまで過ごすのでございます。そのすべてを消し去るほどの強い光が、私がそれを浴びる日は果たしてくるものかどうかというところが、せいぜいのところでございましょうか。』

ふと、自身が輝くにはどのような火種が必要なのかと思ったように、彼女は筆を置いたのでございます。

2012年5月26日公開

© 2012 渡海 小波津

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