眠れない夜の断片

応募作品

千葉 健介

小説

4,184文字

少年Sと少女Nが海の様な街で過ごした、いくつかの眠れない夜の断片。
合評会2019年09年応募作 お題「地元」

《某年八月二十七日、二十時頃。少女Nの住むマンションにて》

――窓の外に賑やかな景色が見える。毎年この時期になると商店街はいかにもな装いで着飾って周辺住民たちを寄せ付ける。赤とか青とか黄色とか、雑多な色を輝かせて生き物を誘うそれは花を思わせた。ただ、花と称するにはうるさすぎるきらいがある。夏の暑さに脳を溶かされた人々の愛唱歌。それを祝福する蝉たちの賛美歌。暑いのも騒がしいのもうんざりしているところだ。

「向こうが花なら、私たちの居るここは何?」

外の祭りとは対照的に、僕たちの居る部屋は一切の色彩を欠いていた。四方を白い壁に、モノトーン調の家具がスッキリと収まるこの六畳一間で色が付いているのは彼女の食べているスイカと、一方の壁をくり抜いて設けられた窓の、そこから差し込む光ぐらいだった。祭りと空間的に断絶された部屋に、しばらくの間深閑が続いた。紫陽花、黒百合……。

「少なくとも花ではないよ。花に造詣が深い訳ではないけど、てっぺんからつま先までモノトーンの花なんて存在しないと確信を持って言える」

「花じゃないなら、花瓶?」

彼女はこの部屋を指して言う。僕たちの会話はいつもいい加減な地点で霧散してしまうが、それでよかった。この街の住人の関心事と言えば、もっぱら風評だとか恋路だとかいった有意味なことばかりで、そういうものに囲まれて育った捻くれ者ふたりの、とてもささやかで無意味な抵抗としては十分である。僕たちはいつだってふたりきりになったとき、意味もオチもないことを言い合ってはお互いに笑いあった。そしてお互い、この関係がいつか終わってほしいという望みがあった。少女Nの口から放たれたスイカの種が、純白の皿にぶつかって鋭い音を立てる。外側の喧騒に揺れる静けさに穴が空いて、そこから風が入り込んできた。夏の癖に妙に涼しい風だった。

「ねえ、私たち、いつかこの街から逃げられると思う?」

「さあね。この街を去るっていうのは、外に居場所を見つけることと同義で、それを見つけることは難しいことだよ」

君もこっちに来てスイカを食べなさいと、彼女は言わなかった。ただこちらに、指を下にして手の甲を見せつけると、そのまま上下させた。骨ばっていて飾らない、しかし綺麗な手だと感じた。全体的に痩せぎすで、顔も美人ではない。が、実に綺麗な人だった。最初に出会ってから僕たちは良き親友で、恋人よりも上品で希少な、綺麗な関係。それはまるで二輪草の様に根を……。そう、二輪草だ。モノトーンの花ではないが、僕たちはこのうるさい花畑の只中にひとつの二輪草で、どこか知らない場所に花を咲かす為に送粉者を待っているのだ。思いつきをそのまま彼女に伝えると、なんとも言えない表情でこちらを見つめた。目の奥に映っているものは、部屋が暗くてよく見えなかった。

「花が咲くのも、眠れる夜も、まだ先の話みたい」

 

 

 

《某年四月十二日、午前一時頃。少年Sの自室にて》

――窓の外に欅が一本、大黒柱の趣で立っているのが見える。燦然と輝く星々のほとんどは文明が奪い去ってしまって、夜空は黒で塗りつぶしたキャンバスだった。街だって、ここではないどこか遠くの田舎みたいな、山が田んぼを囲っている景色であればまだ見ものだが、乱立する四角い箱を見ていても全く面白みがなかった。仕方ないので、あの欅を見ながら先程淹れたコーヒーを一口飲む。液体が通った場所に針が刺され、チクチクする。台風に吹かれた後のコーヒー程、後味の良くないものもない。災害を事前に検知して回避できるシステムをいくら考えても、僕の頭でそれが形作られることはなかった。

ふと、今日の夕食のことを考える。茶碗一杯の米と味噌汁、味の薄いサラダに焼き魚。僕の最期の晩餐は一体何が並ぶのだろう。今日のメニューで最期を迎えるのは少々味気ない。視界の中心に居座る欅の枝に首を括る想像をする。まだ、そのときではない様に感じる。もう一口、コーヒーを飲んだ。喉がチクチクした。

そういえば、今日は少女Nの誕生日だ。お互い誕生日を喜ぶ性格ではないが……そんなことはともかく、スマートフォンでチャットアプリを立ち上げた。メッセージを送ると、すぐに既読が付いてチャットのキャッチボールが始まる。ボールを投げ合うのは苦手なんだけど。

 

S:誕生日おめでとう

N:なにかいいことあった?

S:いや、それ僕が聞くことだよ 僕はなかったけど

N:私もなかった お互い、帰るべき家の内外に嫌なことが待ち構えてて、ヤになっちゃうよね

S:災害だと思う 自分の関与できない所からやってきて心をかき乱す、不条理な存在

N:言えてる 地震とか噴火とか色々あるけど、やっぱり台風だよね

S:そのとおり 災害の真っ只中で眠れればいいけど

N:この街にいる間は、眠れない お互い、いつか眠れるといいね

 

実際に対面するにしろ、電子上で対面するにしろ、会話をいつ切っていいのかわからない。中学生のとき、少女Nと学校の帰り、お互いに会話の終え方がわからなくなって何時間も話し続けたことがある。思えばそのときから、僕たちはこの街のひとつの点ではなくなった。それからは会う度にお互いの傷に言葉を塗りあった。他の人間にしても話にならない様なことを言い合った。幸か不幸か、様々な共通点があって、趣味もなんとなく似通っていて、中学校を卒業して離れ離れになった後も、こうして電子の世界を介して話す。「今度会おう」という様なメッセージを送ろうか迷っている内に、彼女の方からメッセージが来た。

 

N:また今度、眠れない夜に会いましょう あのつまらない公園で

 

僕は咄嗟に言葉が思いつかなくて、よくわからない生き物がデザインされた絵文字で返信した。コーヒーを飲もうとしたが、既にマグカップは空になっていた。もう一度欅に視線をやるが、縄もぶら下がっていなかった。僕は明日の夕食がどんなものになるかを考えてその夜を過ごした。もちろん眠れなかったが、そんなことはどうだってよかった。

 

 

 

《某年七月三十日、午前二時頃。両家からほど近い、ある公園にて》

――白鶺鴒ハクセキレイという鳥がいる。セキレイ科に分類される、タイリクハクセキレイの一亜種。ざっくり言うと白黒の身体で、美しい鳴き声をしているとか。もしも鳥なら、荒れ狂う台風の届かない場所まで飛んでいけるだろうか。飛ぶ姿が波に形容されるぐらいだから、海のひとつやふたつ超えて、あるかもわからない桃源郷まで飛んでいけるかもしれない。しかし残念なことに、僕は人間に生まれた。それも出来損ないの。

日中、嫌という程感じられる命が少しも感じられないのは、夜がほとんどの命を食べてしまったからかもしれない。そんな風に静かな深夜の公園にあるのは、錆びついたブランコの鎖が奏でる耳障りな音だけだった。四つのブランコの左端は僕の小さい頃からの定位置だったが、そこには既に先客がいる。仕方ないので、僕は右端に座った。ブランコのギイギイいう音が近くに差し迫ると、街全体がブランコとなって揺れている風に感じられた。右端の僕と左端の彼女はお互いに顔を向け合い、目を合わせようとする。違うリズムでブランコが揺れているので、目を合わせるのには少し苦労した。

「今日は何かいいことあった?」

「なかった」

落ち込んでいるとき、雨が降っているといい。内側に溜まっているものを全て流してくれる気がするからだ。今日は生憎の晴れだった。それも丸々太った月が呑気に空を漂っているのが腹立たしい。腹立たしいのは、気温と湿度が高いからかもしれない。月明かりだけが僕たちを照らす中で、少女Nが切り出した。

「父親が失踪してから、母親の態度が変わったの。アンタがフツーの子に育たなかったのはアンタのせいだって」

「僕も母親に似たようなことを言われたよ。私の足を引っ張るな!死にたいなら死ね!ってね」

死にたいとか希死念慮を振り回しているけど、結局は死なないんでしょ?甘えないでくれる?僕たちふたりを囲むように風を荒れ始めて、次第にそれは勢いを増して台風に変わった。風はあまりに強く、僕たちはブランコにしがみつくことに必死だった。

「Nさん!言う通りにしてみて!波をイメージするんだよ。波を思えば飛べるはず」

僕は自分でも何を言っているのかよくわからなかった。ブランコの板を足で思い切り蹴飛ばして、まだらに浮かぶ雲目掛けて飛び立った。彼女も僕に合わせてブランコを蹴飛ばす。ブランコの鎖のせいで鉄臭くなったお互いの手を握り合い、小さな雲に同時に飛び乗った。

「磁石みたい。私がN極で、君がS極」

ふたりして顔を見合わせて笑った。これは長い夢の中なのか、現実の延長線上なのか、それを気にすることなく腹を抱えて笑った。雲の上から見た街は、窓から見た姿と大した違いはなかった。結局は一面の住宅の海で、なんの面白みもない、よくある日本の街の姿がそこにあった。

白鶺鴒ハクセキレイって知ってる?波を描く様に飛ぶらしいよ。ちょっとやってみよう」

もう一度手を繋いで雲から飛び降りる。僕たちふたりは今だけ二羽の白鶺鴒ハクセキレイになって、海の様な街の上を波の如き動きで飛び回った。夏の湿った空気が、台風を抜けて夏が来たことを教えてくれている。自由に空を飛びながら、僕たちは手を離さなかった。

「S君。夢は持ってる?私はファッションデザイナーになりたい」

「Nさんは絵が上手だし、デザインのセンスも小学生の頃からずば抜けてた。きっとなれるよ。僕は……今起こっている様なことを物語にしたい」

「いいじゃない。すぐカッコつけたこと言うし、似合ってる。ねえ、なれるよね?夢を叶えたら、眠れるよね」

「眠れるよ、当然じゃないか」

少しずつ手が離れていった。頃合いだというのはお互いに承知していた。

「この街を離れても、また会えるよね」

「うん」

そして完全に手が離れた。ふたつの花茎は引き裂かれて、夏の風に乗ってそれぞれの家へと帰っていった。

その日以降、僕と彼女が連絡を取ることはなかった。寂しくはなかった。結局、僕は未だにこの街から出られないでいる。いくつもの眠れない夜を超えて、しかしまだ眠れないでいる。考えるのは、風に揺れる二輪草や欅、波の様に飛ぶ白鶺鴒ハクセキレイ、そして今後の夕食のことだけだった。

2019年8月26日公開

© 2019 千葉 健介

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