花畑の棺の中で

千葉 健介

小説

5,244文字

生まれ変わるのなら何になりたいかと聞かれて、私は花と答えた。自由な風に吹かれ、全てをさらけ出す様に咲く花に。

心地よい風に吹かれて目を覚ました。風が運んできた目覚め……そう思った矢先、部屋が数多の声に満ちているのに気付いた。はは、起こしてくれたのは君たちだったのか。すまないね、今、水をあげるからね。私は寝床から起き上がり、壁や天井を覆い尽くす花々を撫でてやりながら洗面所に向かった。

戸棚を覆う花を掻き分けて霧吹きを探す。もう慣れているからか、手の甲でぐいと押しやられる花々も文句は言わなかった。それどころか、愉快に話しかけてくることがほとんどで、「おはよう」とひとつの花が挨拶してきたので、私もそれに返事した。お相手は粗毛火焔草マネッチアだった。

「おはよう!ねえ、あたしの話、聞きたい?」

「なんだい、そんなに笑うのを堪えて」

「あのね、あなた眠っている間、ずっとぶつぶつ喋ってたのよ!それが可笑しくって!なんて言ってたか知りたい?」

「遠慮しておくよ。自分が無意識に喋っていることなんて、なんだか恥ずかしいしね。それに君はおしゃべりな花だから、話を聞いていたら日が暮れてしまう」

「ひっどーい!まあ、事実なんだけどね!……そういえば前にここに住んでいた人も、眠っているのに喋ってたっけ」

蛇口を捻り、戸棚から出したアンティーク調の霧吹きいっぱいに水を入れる。手のひらに水を一度吹きかけて稼働を確認し、早速水やりに取り掛かった。狭い洗面所の左に、右に、上に水を振りまく。水を掛けられた花々は皆、一様に喜んでいる。粗毛火焔草マネッチアにも水を吹きかけてやって洗面所を後にする。「ほらね、君はやっぱりおしゃべりが過ぎる」

私の一日は水やりに始まる。狭い家なので大して時間の掛かることではなく、だからこそ心を込めてじっくりと水をやる。そうすると花のひとつひとつが心底喜んでくれて、ゆさゆさと身体を揺らす。その光景を見る度に私の頬は緩み、なんだか情けない表情になってしまうのだった。水やりをしながら、私から花に話しかけることもある。

「やあ、金魚草キンギョソウさん。今日の天気はどんな具合かわかるかな」

「そうだね、今日雨が降るなら何が降ってきてもおかしくないだろうね。傘はここに置いていきたまえ」

「やあ、カエデさん。今日も美しい色合いをしている」

「うふふ、ありがとう。あなたも私ほどではないにしても、それなりにハンサムだと思うわよ」

床以外に一面花が咲き乱れ、そこに水やりをすると上から水が垂れてくる。水やりが終わる頃には私の身体はびしょびしょになっており、その度にタオルで全身を拭く。つまりこの水やりは私の水浴びも兼ねており、このまま服を着れば朝の支度は終了する。

この奇妙な生活が始まったのはいつだったか。この家がいつ建ったのかということと同じく思い出せないことで、しかし思い出す必要もないことだ。私には今が、花に囲まれた今が重要なのであって、花に囲まれていない過去など眼中にはなかった。それじゃあ出かけてくるから、皆いい子にしているんだよ。そう言いながら戸を開けると「はあい、いってらっしゃい!」という声が大量に重なって空気を震わした。その振動が身体に気持ちよく、浮ついた気分で家を後にした。

私はその日中仕事を探し求めたが、どうやら誰もが私のことなど見ていなかった。空は既に黒々として、星が細かい宝石の装飾の様に夜空を飾っている。そんなことはどうでもよく、水を吸った洗濯物の如く重苦しい歩みで帰宅した私は、即刻服を脱ぎ、寝室で横になる。床以外を覆う花々はさしずめ花の棺桶の様相で私を包む。私は仰向けになって手を腹に重ね、乱れていた呼吸は徐々に調子を取り戻しつつあった。落ち着いてくると今度は次第に花々の声に耳を傾ける余裕が出てくる。皆はどうやら、私のことを心配してくれていた様だった。

「なあ、大丈夫か?酷い顔をしているぞ」

苧環オダマキさん。ああ、大丈夫だよ。そんなに花びらを赤らめて震えなくても、心配いらないさ」

正直な所、これは強がりだった。私はそれなりに長い間職にありつけないでいて、それが原因で心が少しずつ欠けていく感覚がある。それでも私がこうして生活できているのはきっと、花に囲まれているからであろう。花は自由だ。何にも縛られず好きに咲くその様は実に美しい。幼少の頃から、花のそうした生き方の部分に惹かれていた。対して人間はどうしてここまで不格好なんだろう。人間社会は私を秩序や義務で縛り付け、生きているというよりは生かされている。服だってそうだ。服は嫌いだった。人間社会は服を着ることを強制する。その時々に見合った服を着なければ無法者だのなんだの言われて排斥される。こんな息苦しい生き方はもううんざりだった。

「皆、そろそろ眠る時間だ。眠る前に、私の夢の話をしよう」

そう言うと部屋全体がかさかさと揺れ動き、喜びの声に満ちた。皆が私の話に耳を傾ける。いや、花に耳なる部位はない訳だが。

「私は昔から、君たちの様な花になりたかったんだ。君たちは私の様な人間からすれば、とても自由な存在なんだ。人間が地球上を住みやすく改造するせいで君たちは住みづらいだろうけど、それでも強く自由であることをやめないのさ。例えば花はしっかりと大地に根付いては陰部、おしべとめしべを露出して、命を振りまき、また命を受け止めんとしている。またその花弁の美しい色は他の生き物を魅了する。もちろん私も魅了された一人さ。そういう生命のデザインが、私には大層美しく見える。私はいつか君たちの様な花になれることを信じて生きているのさ。つまらない話をしてしまったね。それでは皆、おやすみ」

今日の目覚めは何か妙だった。花の声による起床だったのは間違いないとして、その声の主が特定できないでいた。他の花々に聞いてみても結局わからず、不思議な感覚のまま水やりを始めた。水やりの間もずっと声のことを考えていた。か細く弱った声。世界を諦めた者の声。そういう印象で私の耳に届いた言葉は、なんだか優しい響きをしていた様な気がする。おおい、私を起こしてくれた素敵な声の持ち主は誰かな?そう叫んでみても返事が返ってくることはなく、このことについて深く考えるのはやめにしようと思った。水やりを終えて支度を済ませると、私は今日も縛られに行くのだった。

「いってきます」

「いってらっしゃい!」

結局家を出てからも、先程の声について考えてしまっていた。具体的に何を言っていたかはあまり思い出せない。ただひとつ「君と僕は似ている」というフレーズだけを覚えていて、しかし他にもっと喋っていた様な気もする。とにかくその声の主と私は似た者同士らしい。それでもあそこに住んでいる花々は互いのことを知っていて、誰の声だかわからないなんてことはないはずなのだが……。これ以上考えても仕方がないので、歩いている途中に生えている花の花弁の数を数えることに集中した。

暗い夜道を歩いていると、自分の人生の様に見える時がある。私の人生ははっきりと思い出せないが、常に暗がりの中にあった。今日もそんな暗がりの内の一日に過ぎなかった。私は常に暗がりの中にいて、故に誰にも認識されないのかもしれない。ただ家に帰るとそれは違った。自由な花々だけが私を知っていて、私の友だった。共生の関係にあった。今日も誰にも相手にされず収穫もなく帰宅した私は、ゆっくりと寝室に入り、横になる。

「あのさ、もうこんなことやめにしようよ。毎日傷ついて帰ってくるあなたを、誰も見たいとは思わないよ」

「でも、こうしなきゃいけないのさ。私は君みたいな美しい花ではないからね、菖蒲水仙フリージアさん」

「……そう。そういえばさっき、粗毛火焔草マネッチアが話したいことがあるって言ってたよ」

「あの子はいつだって話したいことがたくさんさ。まあ、今日は聞いてあげてもいいかもね」

私はむくりと身を起こし、洗面所に向かう。彼女の居場所はいつだってここにあった。やあと一声掛けると、元気な声で返事が帰ってくる。

「ねえ!大ニュースよ!あたし、今朝聞いた声の主がどこにいるか知ってるの!」

「なんだって。君、そんな重要なことをどうして言わなかったんだ」

「違うの!あなたが家を出た後に気付いたの。それでね、場所なんだけどね、屋根裏に入って一番奥よ!」

屋根裏があることは知っていた。私はそこに立ち入ったことが一度もない。屋根裏に入るには、それを覆う花々を無理矢理にでも退けないといけないし、中がどうなっているかなど考えたこともない。しかし屋根裏にまで花が生えているとは思わなかった。私が屋根裏に入るべきか考えていると、今朝のか細い声がまた聞こえてきた。はっきりとは聞き取れないが、確かにそこには声があった。

「ほら!屋根裏にいるのよ!行って撫でてやってよ!」

言われるまでもなかった。私は家の外に置いてある脚立を持ってきて、天井に手が届く様にした。ごめんよ、ごめんよと花のひとつひとつに謝罪しながら手を添えて、ぐっと押し込む。皆苦しそうだったが、それでも私を信じて我慢してくれた。私は屋根裏に入る為の戸を見つけると、飛び込む勢いで屋根裏に侵入した。

屋根裏は拍子抜けする程何も無い空間だった。壁や天井を花が覆うことはなく、物置きとして使われている訳でもない、まっさらな空間だった。ただ、その空間の真ん中に花瓶がひとつだけあって、そこには力なくうなだれた花が生けてあった。私は急いでその花の下へ向かう。その花を見て私ははっとした。

「君は……金盞花キンセンカ……さん」

夢を見ている様な感覚の中にいて、私は自分が見ているものが夢でないことを自覚していた。今、私は私を見ている。現在の私が過去の私を見ている。そういえばそうだ。私の両親は、私が幼い内に亡くなった。交通事故に巻き込まれて亡くなったそうだ。私はそれを知ることなく叔父に引き取られ、叔父に育てられた。叔父は私の両親について何も語らなかった。私もその話題に触れようとはあまり思わなかった。しばらくして叔父は病を患い、あっという間に死にかけの身となった。感情のない顔をした過去の私の頭をそっと撫でた叔父は、か細い声で語り始めるのだった。

「お前と俺は似ている。だからお前が何も言わなくても、言いたいことがわかるんだ。お前はきっと花が好きだろう。俺もそうだからだ。俺が死んだら、この地図に印が付いている場所に行け。そこがお前の家になる。そして、そこがお前の棺になる。」

最後に何か言いかけて、叔父は亡くなった。過去の私は涙を流すこともなく、その足で指定された場所に向かって歩いた。結構な距離があって、雨も降っていたので辛かったことも思い出した。そうして過去の私は花に覆われた家を見つける。家の中に入るとたくさんの「おかえり!」が聞こえ、そして静まり返った。そこからざわめきに転じて、家の中が騒がしくなった。花のひとつが私に「誰?」と問う。机の上に置かれた花瓶と手紙に意識が向いていて、問いかけに答えずに手紙を手に取った。そうだ、手紙にはこう書かれていた。

「気の毒なお前にこの家を託す。この家は自由の家だ。季節や土地に関係なく世界中の花が壁や天井を成し、水やりさえやってりゃ勝手に育つ。んで、過去の話だが、お前の両親は悪い奴らだった。子供を産む気もなく乳繰り合って、気付けばお前が産まれていたらしい。両親はお前の存在を認めなかった。適当に飯を与えてやるだけで、愛し、世話することをしなかった。だからお前は、そこの花たちを愛して、世話してやってほしい。元々はその役目を俺が負っていたんだが、まあ、お前を引き取ることになったから、そこを離れなきゃいけなかったんだ。愉快な奴らだから、気を悪くすることはないだろうよ。手紙の側に花瓶があるだろう。そこに生けてあるのは金盞花キンセンカだ。花言葉……は別にどうでもいいな。それは俺の代わりだ。またはお前の代わりだ。そいつが枯れるとき、きっとお前も枯れてるだろうよ。だから枯れたくなけりゃ、必死に守ってやるんだな。でも結局はお前の人生だ。何をするもしないも、お前の自由だ。俺がお前に望むのは、花の様に自由に生きることだ。じゃあな、元気でやれよ」

それから私はその金盞花の花瓶を屋根裏に置き、特別大切に扱った。しかし長い時間と絶望は私から過去を奪い去った。私は大切なことを忘れたまま、日々を消耗していった。消耗したのは時間だけではなく、大切な命もだった。目の前の金盞花は既に死んでいる。色もなく枯れている。金盞花は私の代わり。私は金盞花の代わり。そうか、私は既にこの世界で枯れているのか。もうこれ以上、無理して人であろうとしなくてもいいのだ。私は枯れた金盞花で、いつか風化してしまうのだ。

私は花瓶ごと金盞花を抱くと、そのまま寝室に降りて、横になった。花々の声は既に聞こえなかった。私は眼を瞑り、花に囲まれているのを感じながら眠った。その日以降私は家から出ず、目覚めることもなかった。既に枯れている私は、風に吹かれようとも、花が何を言おうと、目覚めることはないんだ。おやすみ。

2019年8月13日公開

© 2019 千葉 健介

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