これは密室殺人、ではない

千葉 健介

小説

4,513文字

もっと言うとこれはミステリー、でもない。両足を失った男の冒険?小説。

今し方目覚めたその男は、大の臆病者である。安住の睡眠を得る為に、自室の窓を閉め切って鍵をかける。もちろん廊下に繋がる戸の鍵も閉め、終いには掛布団を何重にも重ねてうつ伏せになって眠る。当然、寝床の側に散弾銃も用意する。そうでもしないと健やかな睡眠を不安に邪魔されてしまうのだから、しょうがない。

心地の良い朝にうっとりとしている男は、眠れないよりも恐ろしいとある事実に気付いてしまった。掛布団が赤黒く染まっているではないか。それから、脚部を激しい痛みが包んでいる。男はおそるおそる、掛布団を引っ剥がす。七枚も掛かっているそれ一枚一枚を乱暴に剥がすと、その恐ろしい事実は視覚情報として脳に鮮烈に刻み込まれた。

「アア……私の足が、ない!」

男の大腿部から下、本来あるはずの脚のいち部位は綺麗サッパリ消滅しており、断面からは鮮血からラクレットチーズの様にドロリと流れている。男はそれがよくある悪夢ではないことをわかってはいたが、真実だと信じるのには少し時間が必要だった。両足の痛みは頬をつねる必要性を容赦なく奪い、眠りから覚めた意識は残酷な程明晰としているからだ。

男は不思議がった。この部屋は容易に侵入できる様にはなっていない。窓も戸も鍵が閉められ、破壊された形跡はない。いくら眠っているとはいえ、この臆病な男ならば足音ひとつで飛び起きることだろう。それには自信があった。誰がいつ、どの様にして私の両足をこんなことにしてくれたのか!男は懸命にそれを考えるが、痛覚がそれを阻害する。男は意味もなく手をバタバタさせ暴れると、掛布団と共に床に転げ落ちた。

「くそ、まずは治療だ。犯人の特定はその後いくらでもできる。しかし、ここからどうやって病院に電話しようか」

手ならまだしも、何故脚なんだと男は思った。移動を制限することに何か犯人の意図があるのだろうか。全く迷惑な話だ。何故私がこんな目に合わなければならない。文句を垂れても、切断面から血が垂れるのは止まらない。しょうがなく男は大声をあげて助けを呼んだ。両親は仕事で出かけているが、ねぼすけの姉は家でまだ寝ているはずだった。姉の名前を必死で叫ぶが、しかし家の中はまるで男がひとりだけという様に静まり返っている。まさか、家で一人というタイミングで脚を切られたのか。男は焦りを通り越し、あらゆるよくない想像の世界に入った。

もしかしたら私はこのまま死ぬのか。もしかしたら犯人は何処かから私のこの惨状を見て笑っているのか。もしかしたら、私は、世界に、ただ独り、孤独で……。脚を切断した犯人ではなく、自らの内に膨らむ不安に内側から殺される予感のした男は、必死で声を張り上げた。こんな人生など早々に終えてしまいたいが、せめて犯人が誰なのかを知りたい一心で生きることを諦めなかった。

すると何処からともなく慌ただしい物音が聞こえた。それは段々とこちらに近づいてくる。男は希望に満ち溢れた。これで助かると思った。

「戸の鍵は閉めてある。蹴破って入ってきてくれ。動けないんだ」

「NDRLUDQ0R0w0NEdqNDRHZjc3eUI1THVLNVlxcDQ0R1I0NEtMNDRHZTQ0Q0I0NEdVNUxpNzVMcTY3N3lC」

男は戸の向こう側の存在の喋っていることが全く理解出来なかった。知らない言語だった。そいつが戸を蹴破って入ってきて、言葉が理解出来ないことに納得がいった。助けに来てくれたのは男の愛用する自転車、ホワイトタイガー二号だった。よくある折りたたみ自転車で、モノトーンの車体が最高にクールだった。自転車なら何を喋っているのかわからなくても仕方がないし、助けてくれるならこの際誰でも、いや何でもよかった。

ホワイトタイガー二号は奇妙に、器用に身体を捻りながら屈む様な姿勢になり、ハンドルを角みたいにして男を持ち上げると、ひょいと飛び上がった男は自転車のサドルにどすんと乗っかった。脚がほとんどない為普段とは乗り心地がまるで違うが、生きている手でしっかりとハンドルを握り……男はここであることに気付く。

「悪いんだが、私は脚を切断されてしまって、ペダルを踏めないんだ。くそ、どうしたらいい」

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何を言っているのか男はまるでわからなかったが、なんだか自信ありげに身体を震わせるホワイトタイガー二号を見て、何を言っているのかなど些末なことに思えてきた。

「私の言葉はわかるな?私を医者の下へ連れてってくれ!」

するとタイヤが勝手に回転し、急発進すると部屋の窓を突き破って勢いよく外に飛び出した。二階から一気に道路に着地し、その衝撃たるや凄かったが、脚の痛みに比べればどうってことはない。男と自転車は住宅街を一気に駆け抜け、目的地へと走っていった。

身体全体に突風が吹いたその刹那、ホワイトタイガー二号はそれこそ虎の如く勢いを付けて飛び上がると、何処かの建物の窓を突き破って侵入した。こんな風に余所にお邪魔することなど初めての経験だった。

侵入した部屋はどうやら病院ではなくマンションの一室で、これでもかという程悪趣味なピンクの壁紙に、大量のぬいぐるみが住んでいる。どうやら知らない女性の部屋らしい。その女性は物音に怯えながらひっそりと部屋に入ってきて、脚のない男が自転車に乗って窓から侵入してきたことに酷く驚いた。

「ハァイ、アタシの名前はメイシャ。一体なんなの、窓から入ってきちゃって。失礼なことを言うようだけど、礼儀がなってないんじゃないのかしら」

「メイシャ……目医者だと。おい!よく見ろ!目医者なら目も良いだろうな。私は脚を何者かに切断されて、生死の境を彷徨っているんだ。私は目を診てもらう程暇ではないということだ!わかるか、くそ、このポンコツ自転車め。普通こういう時は病院に行くだろう」

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「もういい。次はちゃんと病院に連れてってくれ。では、私たちはこれにて失礼する」

ホワイトタイガー二号は軽快なベルの音と共に窓から出発した。窓から自転車と共に射出される姿は母艦から出撃するロボットを連想させる。無事一命を取り留めたならば、最初にすることはそんな感じのロボットアニメを見ることだと男は心に決めた。

通常、自転車には出せない様なスピードが出ていた。あんまり早いので景色を楽しむ余裕はなかった。あっという間に病院にたどり着き、今度は窓からではなく入り口の自動ドアを突き破って侵入した。その勢いのまま診察室まで突っ走り、医者の前で急停止した。

「おい、見ろ!私の脚を。どうやら眠っている間に何者かに切断されたらしい。治療してくれ」

「うわあ、これは酷い。人がやったとは思えない程精巧に切れている。血も水道から出るみたいに一直線に出ているなあ。そういや喉が乾いたなあ。トマトジュースが飲みたいなあ」

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「いやいや、冗談を言うことしか、わしにはできんよ。なんたってわしは、歯医者さんなんだからなあ。ああ、喉が乾いた」

「何?歯医者だと!おい馬鹿者!いや馬鹿自転車!言葉の足らない私が悪いのか!脚がないのに、冷静に言葉を選べと言うのか!私は死にそうなのだぞ!とにかく、都会のとても大きな病院を探してくれ!それだけでいいんだ」

ホワイトタイガー二号はベルを弱々しくならした。反省を色を見せた自転車の態度に満足した男は、ハイヨーという掛け声と共に病院を後にした。歯医者はコンビニに飲み物を買いに出かけた。今までと比べると些かスピードが落ちたように感じる。二度の失敗で落ち込んでいるのだろうかと心配した男は、車体をそっと撫でてやる。

「私の昔話をしよう。幼少の頃、私は何も出来なかった。同年代の子どもが皆出来ることをできないでいた。できることと言えば、泣くことぐらいだったので、とにかく泣いた。そうすると周囲の大人がそっと撫でてくれるのさ。何も出来なくったって一緒にいてくれる人がいるということさ。君は自転車なんだから、そう気を落とすなよ」

そう言ってやると、ベルが感情を表すかの様に鳴り響く。リンリン!リンリン!正直うるさいことこの上ないが、まあ子どもの鳴き声もそれなりにうるさいことだし、そもそもそれどころじゃないのでどうでもいいことだった。リンリン、リンリン。

「NVlpdzU1MkE0NEdYNDRHKzQ0R1g0NEdm」

気がつくと、そこは病室だった。例の如く窓から侵入し、周囲にはベッドの上で驚く病人達がいた。

「驚かせてしまって申し訳ない。今すぐ手術をお願いしたいんだが、医者は何処にいる?」

「お前さん、脚を切断されたのか?俺と同じだな」

窓際のベッドに横たわる病人が男を指差して言った。確かにその病人も両足が無かった。病人に事情を聞くと、ナースコールを使って人を呼んだ。すぐさま病室に一人、女性の看護師が入ってきた。看護師は病人のベッドに横になると、病人の乳首を指で弄くりはじめた。病人は気持ちよさそうな顔つきをし、看護師は妖艶な雰囲気の顔つきをしていた。男は何のことかさっぱりだった。

「俺はな、持病のためこの病院に通ってたんだが、こいつに惚れられたんだ。で、何を考えたのかこの女、俺の両足を切断して、もう何処にも一人で行けなくしたんだ。ただ愛の為に。だから数年前からずっとこの病室のベッドで横になってる。まあ、俺としてはこんな美人を好き放題出来るなら脚なんていらねえけどな、お前さんはどうだ?きっとお前さんも誰かに愛されてて、それで脚を切られたんだろうよ。なあに、ここで治療をしてもらえば死ぬことはねえし、愛されてる誰かさんの下に言ってやったらどうだ」

男は顔を真っ青にして絶望した。男には交友関係にある女性はいなかった。知っている女性は母親と姉の二人しかいないので、病人の言っている話が真実ならば……。とりあえずホワイトタイガー二号から転げ落ち、看護師に連れて行ってくれるよう頼んだ。治療はあっという間に終わり、脚は戻らないが体調は戻った。ついでで洗体してもらい綺麗になった自転車に乗り、病院を後にした。

「家に帰ろう」

「NG9DbTRvQ200NEd2NDRHRQ==」

男は家に帰った。自転車はしっかりと駐輪場に戻した。リビングには母親がいて、何やら不機嫌な様子だった。

「おかえり、遅かったじゃないの。あんたはあたしがいないと何も出来ないんだから、あたしの言いつけを守ってればいいのよ」

2019年8月15日公開

© 2019 千葉 健介

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