隕石2

ナツキ(第9話)

ムジナ

小説

5,649文字

ナツキ第9話 過去編

 DVDが終わってチャイムが鳴った。帰り支度をしていると、後ろから急に猫みたいな声がした。
「ナツキー。」
私はびっくりして振り向いた。茉理さんだ。いつもの軽装備で、Campusのノートと筆箱だけの入ったよれよれのトートバッグをぶら提げていた。
「晩御飯食べに行こうよ。」
茉理さんがにこにこしながら言った。
胸の中で風が吹いた。映画部に入ってからこの2ヶ月くらい、私はとにかく茉理さんの頭の中が見てみたくて、茉理さんにくっついていた。茉理さんも私を気に入ってくれていたみたいだったけれど、ご飯に誘われるのは初めてだった。
「あ、はい!」
私が答えると茉理さんは満足そうに頷いた。
「えー、俺も連れてけよ。」
結城さんが振り返って口を尖らせた。茉理さんが足元に落ちていたクッションを拾って結城さんの方に投げつけながら答えた。
「嫌だ。女子会だよ女子会。」
結城さんがすぱっとクッションをキャッチした。
「お前の口から女子会って言葉を聞くとはな。だったら二女も連れてけよ。」
結城さんはそう言ってふふっと笑った。
「二女は私よりも、結城とご飯に行く方が喜ぶんじゃない?」
茉理さんがそう言うと、結城さんがわざとらしく眉を八の字に下げて言った。
「嫌だよ、あいつらキャピキャピしすぎてて怖い。映画全然観ないし。」
表情が自由な人だ。
茉理さんはそれを見てふっと笑うと、言った。
「とにかく今日は、ナツキと二人で食べに行くから。行こう。」
「あ、はい。」
やっと自然な表情に戻って微笑んでいる結城さんに会釈をして、茉理さんについて部室を出た。

 「閏年って、あるでしょ。」
温玉うどんをすする私に、茉理さんが言った。すすっていた分を飲み込んで手を止めて顔を上げると、茉理さんはハンバーグを切る手を止めて、しげしげと鉄板を眺めているところだった。
「4年に1回の…」
「そうそう。閏年の2月29日に生まれた人って、どういう扱いになるか知ってる?」
茉理さんはナイフとフォークを置いた。4年に1度しか歳をとらない、なんてことはないか。私は素直にかぶりを振った。
「ちゃんと閏年の人も年齢をカウントできるように、法律では歳をとるのは誕生日の前日ってことになってるんだって。」
「あー、なるほど。確かにそれなら、まいとし年齢を重ねられますね。」
茉理さんは何回か頷くと、視線を上げて私に投げかけた。
「ナツキは、いつだっけ?誕生日。」
「8月、20日です。」
「ってことは8月19日か…ソ連が崩壊したのって、8月19日だっけ?」
「わかんないです。…茉理さんは?」
「私?4月2日。」
じゃあ、茉理さんが歳をとるのは4月1日だ。
エイプリールフールですね、と言おうかと思ったが、なんとなく、茉理さんはそういうのが好きじゃなさそうな気がしたので、やめておくことにした。
茉理さんが口を開いた。
「ねぇ、そういえば夏休み中に映画部でやりたいこと、ない?もうすぐなのに結城が思いつかないって言っててさ。」
そう言われて私はしばらく考えてみた。色々ある気がするのに全然思い出せない。こういう時ってどうしていくら考えても無駄なんだろう。そもそも「思い出す」ってどうやるんだっけ。諦めて私は聞き返した。
「去年とかは、どんなことやってたんですか?」
茉理さんは顔を斜め上に向けて視線を漂わせた。何を見ているんだろう。
「去年は合宿したなぁ、そういえば。」
「え、合宿って何をするんですか?」
「2泊3日、ぶっ続けで徹夜して映画観た。」
「えぇ、すごいですね…」
「楽しいよ、結構。最後の方全然内容入ってこないし、頭ぐっちゃぐちゃになるけどね。」
茉理さんは懐かしそうに笑った。
「一昨年は、どうだったんですか?」
一昨年というと、茉理さんたちが一年生だった年だ。一年生の茉理さんや結城さんの姿は、あんまり想像がつかない。私と同じような一年生だったとは、あんまり思えなかった。
「一昨年?なんだったっけなぁ…」
茉理さんは真面目な顔になって、鉄板を睨みつけたままじっと考え始めた。ひとしきりブツブツ言ってから、急に表情が晴れた。
「あ、思い出した。映画作ったんだよ、映画部で。」
「映画を?」
「そうそう。私たちは一年生だったから機材係とかだったんだけど。一昨年は映画部も部員がいっぱいいてさ。20人ぐらいだったかなぁ。だから結構すごいのが撮れて。私と並木で音声やって、横山と原がカメラかなんかだったかな。脚本ちょっと手伝ったりもしたけどね。結城はまだ入ってなかったかな。」
「え、そうなんですか。」
「うん、たしか。あの人、秋から入ってきたから。もったいないなぁ、夏からいたら絶対役者で活躍できたのに。」
その結城さんが今では部長という訳なのか。何か、歴史を感じる。
「確かに、結城さんってなんか、すごいですよね。表情が自由自在っていうか。」
茉理さんは目を細くして口を丸めるとうんうんと頷いた。やっぱり、猫っぽい。
「本当の役者だからね。」
「本当の役者?」
茉理さんはコップを持ちながら頷いた。中で水がぐるんと揺れる。
「あの人さ、普段学校にいる間、いつもあのキャラでやってるでしょ。なんかこう、ちょっとカッコつけで尖ってる感じの。」
「そうですね。」
「あれも演技だからね。」
「えっ、そうなんですか。」
茉理さんはうん、と言って一口水を飲んだ。
「元々めちゃくちゃ人見知りなのよ。でもなんか、親に入れられて子役のスクールに通ってたことがあって。お金持ちだからね、結城の家。あいつ自身はそれが嫌みたいだけど。」
そこで茉理さんはコップを置いた。
「子供の時ってなんか、あるでしょ。何かのキャラクターになりきって、そいつの言葉で喋る、みたいな。あの人はそれが異様に上手くて、それを10年かけてさらに発達させて来たって感じかな。」
私は驚いていた。結城さんが、本当は人見知りだったなんて。普段見ているエネルギッシュで活動的な結城さんからは想像もつかなかった。映画部の先輩は天才ばかりだ。少し恐れ多くなってきた。
でも何か、自分を演じるのって疲れるんじゃないか、と私が思ったのを見透かしたのか、茉理さんは続けた。
「『性格演じたりするのは周りの評価でできた役に自分が合わせるって作業だから疲れるんだろうけど、俺の場合、自分のなりたいものになんでもなれるから』って、結城は言ってたよ。演じてる間は、中身もその人になれるとかなんとかって。」
私は、はぁと息をついた。
「なんか、すごいですね。羨ましいです、自分の好きな人になれるって。」
茉理さんも、割とそうだよなぁと思った。茉理さんは演じているわけではないけど、自分の姿をコントロールするのがすごく上手いように見えた。
私は恐る恐る言ってみた。
「茉理さんも、演技っていうのとは違うかもしれないですけど、なんていうか…外見を、中身に一致させるのが上手いっていうか、なんか、上手く言えないですけど。」
自分で何を言っているか分からなくなってきた。それでも茉理さんは理解してくれたらしく、ちょっと微笑みながら答えてくれた。
「あー、やってることは、似てるかもね。結城が好きな演技法、メソッドって言うらしいんだけど、役になりきるために自分の内面を掘り下げる作業なんだって。私もいつも考えてるからなぁ、そういう事。」
茉理さんは少し遠い目をして言った。
又三郎、と茉理さんがぽつりと呟いた。
私は急に不安になった。でも茉理さんがまたすぐ私に視線を戻したので、私はこっそり胸をなでおろした。
「茉理さんってなんか、猫っぽいですよね。」
「猫?」
私はちょっと恥ずかしいなと思いながらも頷いた。
「あー、猫ねぇ。それもいいかもね。」
茉理さんは面白そうに口を丸めた。『それもいいかも』の意味はよく分からなかったが、猫嫌いじゃなくてよかったと思った。
「猫だったら私、あれがいいな。注文の多い料理店のラスボスの、おっきい山猫。あれになりたい。」
「でもあれって、悪役じゃないですか。」
「そうだよ。油断してると、ナツキもクリーム塗って食べちまうぞ。」
茉理さんはわざとっぽく喉を鳴らして、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 茉理さんは宮沢賢治が好きらしい。銀河鉄道の夜が一番お気に入りだと言っていた。もっとすごく難しい本をいっぱい読んでいそうなイメージがあったので、少し意外だった。
 そういえば、茉理さんはどうして映画部に入ったんだろう。小説家志望で、コンクールにもバンバン応募しまくっているのに。だったら文芸部でもよかったんじゃないかと思って、私はふと聞いて見た。
「茉理さんは、どうして映画部に入ったんですか?文芸部とかでも、活躍できそうなのに。」
「文芸部なんてまっぴらだよ。創作は一人で孤独にやるもんだから。それに、私じゃ馴染めないだろうしね。」
前半の方は少しわざとっぽく答えた。
愚問だったかもしれない。よく考えたら、茉理さんレベルの人が部誌やら文化祭のパンフレットやらに書く文を作っても、楽しくないだろう。
すると茉理さんが聞き返してきた。
「ナツキも、書き物するんでしょ?どうして入らなかったの?」
「あ、ちょっと嫌な思い出があって。」
「ふうん。」
茉理さんはしばらく目線を弄んでから言った。
「ねぇ、私が見てあげよっか?ナツキの書き物。やめたままじゃもったいないよ。」
「え、いやそんな、人に見せられるようなレベルじゃ…」
しかもよりによって茉理さんなんて、恥ずかしくてたまったものじゃない。茉理さんは文学の才能に恵まれてて、きっとすぐに作家になるのだ。私の稚拙な文章なんて、とても見せられない。
「レベルなんて気にしなくていいの。あ、じゃあこうしよう。」
茉理さんはトートバッグからいつものCampusのノートを取り出して開くと、空のページをビリビリと破り取って、私に差し出した。
「今から1週間で、このページ分、お題決めて物語を書いてきて。私も、同じお題で何か書いてくるから。そしたら交換して、お互いの物語の続きを、裏面に書き合うっていうの。どう、面白くない?」
茉理さんは猫みたいな目を見開いて、キラキラさせながら言った。
「でも、とても茉理さんと一緒に書けるようなレベルじゃないし…」
「比べるもんじゃないよ。ナツキ、センスありそうだし。はい、宿題ね。」
茉理さんはノートの切れ端を押し出した。私は恐る恐るそれを受け取って、丁寧にたたんでから足元の通学カバンに入れた。
 茉理さんと一緒に物語を書くなんて。胸の中がキンキンしてくる。私は、目の前に座ってる茉理さんを見た。そしてまた、不安になった。本当に、この人は実在してるんだろうか。いつも近くにいるのに、どうしても茉理さんが幻か何かに思えてしまうことが、よくあった。そのくらい、私にとっては雲の上の存在だったのだ。その茉理さんが私を気に入ってくれて、あだ名をつけたり一緒に書き物をしてくれたりするのは、まるで夢みたいだった。そして本当に夢だったらと考えて、また不安になった。
「茉理さん。」
「ん?どうした、怖い顔して。」
私は茉理さんの手元を見ながら恐る恐る、聞いた。
「なんか、変なこと言いますけど、茉理さんって、ちゃんと実在してますよね…?」
言葉に出してしまうと我ながら意味が分からないなと思いながらそっと視線を上げると、茉理さんは神妙な顔で遠くを見ながら、
「さあ、どうなんだろうね。」
とささやくように言った。
寒気がして、腕にゾワっとした感覚が波のように伝わった。私は怖くなった。この人は、もしかしたら、本当に幻なんじゃないだろうか。私の頭の中にある理想の何かが具現化しただけなんじゃないだろうか。私は茉理さんに何か言いたくて口をパクパクさせていた。
茉理さんはそんな私に目を戻すと、のけぞって心底可笑しそうに声を立てて笑い始めた。その声がちゃんと窓ガラスに反射してきたので、私は少し安心した。茉理さんは笑い涙を手で拭いながら言った。
「何怖い顔してんの、おっかしいな。私はちゃんとここにいるし、生きてるよ。ほら。」
茉理さんはそう言うと私の頭に手を置いてわしゃわしゃと撫でた。手の体温が頭にじんわりと伝わる。私はまだ口をパクパクさせていた。
「可愛いなぁ、もう。」
そう言って、茉理さんは手をフォークとナイフに戻してハンバーグの解体を再開した。
 この人は、分かっているんだ。自分の才能も、幻みたいに捉えどころがないことも全部、理解している。その上で、それを自在にコントロールする方法を分かっている。それだけじゃなく、この人にはきっと、他の人の中身も、完璧に見えているんだと思った。私はなぜか少し目頭が熱くなってきた。
「茉理さん、ひどいですよ。わざとやってるでしょ。」
「えぇー、何がよ。」
茉理さんは大きめに切ったハンバーグの一切れをフォークで刺して幸せそうに頬張った。そして私が顔をくしゃくしゃにしているのに気付くと、また食器を置いて私の頭を撫でた。
「なんで泣くのよ。」
「だってなんか、怖いんですよ。茉理さん、なんか急に消えちゃいそうな気がして。」
茉理さんはまた声を上げて笑いながら、私の髪を優しくクシャクシャといじった。
「大丈夫、大丈夫よ。」
茉理さんがいつもよりも柔らかい声で言った。私は安心して、胸の中が温かく緩んだ。そのせいで、本格的に涙が漏れ出てきてしまった。顔がじんじんと熱くなった。恥ずかしい。人前で泣くのなんて小学生の時以来だ。
「もう、ごめんって。意地悪しすぎた。」
茉理さんが少し困ったような声で言った。こういう声を聞くのは初めてだ。少し嬉しかった。
「ナツキが、私に居てほしいって思ってる限り、私は消えたりしないよ。」
映画のセリフみたいだ。
 茉理さんは、私の涙が止まるまで私の頭を撫で続けてくれていた。先輩にこんな姿を見られるなんて。茉理さんはちょっと面白そうに言った。
「ナツキ、意外と子供っぽいところもあるんだね。」
私は頰に付いた涙の跡をワイシャツの袖に吸い取らせた。
この人に圧倒されてしまっていた。この人みたいになりたいと、心から思っていた。

2017年9月22日公開

作品集『ナツキ』第9話 (全20話)

© 2017 ムジナ

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