ナツキ H

ナツキ(第10話)

ムジナ

小説

5,921文字

第10話

 右肩を叩かれて急に我に返った。振り返ると、悠里が立っていた。
「何で夏美さんがそんなに緊張してるんですか。役者じゃないのに。」
ニヤニヤしてる悠里に向かって私は答えた。
「だって、初めての監督で、初めての撮影なんだもの。」
「みんなそうですよ。」
悠里はからっと笑った。階段の踊り場にその声がよく響く。悠里は階段の下の方を覗き込みながら続けた。
「玲ちゃんも、今喋ったらすごい緊張してました。」
「主役だもんね。」
昨日の夜、玲ちゃんから脚本のことでメッセージが来たのを思い出した。真面目な子だ。
悠里が階段の上をちらりと見て言った。
「祐希さんも緊張しいなんですね。最初映らないのにガチガチになってる。」
「ナイーブだから、杉山は。」
私は両手を開いて眺めた。きらきらと汗が滲んでいる。無理やり2回、深呼吸した。悠里が不思議そうな顔で私を見ている。私は言った。
「悠里は、緊張しないの?」
「いや、ぜんぜん。」
「いいなぁ…どうやってるの?」
「んー、何だろう。いつも何も考えてないからかもです。」
悠里がそう言ってまたからからっと笑った。私もつられてふふっと笑った。悠里と喋ったら、少し力が抜けた。私は自分が猫背になっていた事に気付いて、背中を伸ばした。
「あ、そのシュシュ、使ってるんですね!」
悠里が顔をほころばせて私のポニーテールを指差した。
「うん、気に入っちゃって。ありがとね。」
「やっぱり夏美さん、ポニテの方が似合いますよ。」
「そうかも知れない。」
悠里がニコニコしながら私の頭を見るので、ちょっと恥ずかしくなって顔を伏せた。
「準備できましたー!」
踊り場に川西くんの声が響いた。川西くんはカメラを覗き込みながら手を挙げていた。植山さんは棒マイクを持って、踊り場の端に立っていた。
 最初に撮るシーンは、玲ちゃんが一人で空っぽの学校に来て階段を登ってくるシーンだった。病気がちで学校に来られていない主人公が、初めてこっそり校舎を見に来る、静かなシーンだ。
私は手すりから身を乗り出して、階段の一番下にいる玲ちゃんに呼びかけた。
「玲ちゃん、いける?」
玲ちゃんは私の顔を見上げて、目を見開きながら言った。
「はい、多分。」
目が合った。玲ちゃんは、まっすぐに私の目を見ている。なぜか、私は固まってしまって、視線をずらすことができなかった。
悠里が私の横から顔を出した。
「大丈夫だよー、最初はお試しなんだってー。」
「あ、そうそう。お試し。」
二人で声をかけると、玲ちゃんは悠里に目を向けて、表情を少し和らげた。私はふっと息をついた。何だったんだろう、今の。玲ちゃんも、緊張してるんだろうか。
「もう撮るの?」
階段の一番上でソワソワと動き回りながら杉山が言った。
「うん、撮る。」
私が答えると、杉山は変な表情のまま頷いた。杉山の後ろでは一女の関さんと佐々木さんが、ワクワクした顔で話していた。鈴原くんは、今日は吹奏楽部の方に行っているらしい。
私はもう一度、階段の下、踊り場、上を順に見渡して、言った。
「えっと、じゃあいよいよ、撮り始めます。最初は、玲ちゃんが下から登って来て、踊り場を通って階段を登っていくっていう場面で、セリフはなし。杉山と悠里と関さんと佐々木さんは、映り込まないように隠れてて。」
はーい、という声がばらばらと天井に響いた。
「それじゃあ…」
私は『2017 7/16 シーン1 階段』と白で書かれたカチンコを、川西くんの足元から取り上げた。悠里は階段を駆け上がって、他の3人と一緒に柱の裏に隠れた。
「じゃ、いくね。」
私は川西くんに声をかけて、カチンコを構えた。川西くんは頷いた。
しん、とホールが静かになった。外の空気のジリジリいう音がくぐもって少しだけ響いていた。
川西くんがボタンを押す。ピッ、という音が鳴る。
1、2、3。パチン!
「アクション!」
…かつん、かつん。
玲ちゃんのローファーが階段を打つ音が控えめに響き始めた。まだカメラの視野には玲ちゃんは映らない。
かつん、かつん。だんだん近づいてくる。階段から、玲ちゃんの頭が出た。少し目を丸くした、色白な顔が見える。かつん、かつん。踊り場まで登って来ると一旦立ち止まって、ゆっくりと中を見回す。そしてまた階段に足をかける。私の目の前を通り過ぎていく。かつん、かつん。玲ちゃんの右足が、私の正面に、着こうとして、––
周りの音が、消えた気がした。
脳がスローモーションになっている。目の前を、かすかに風を立てながら歩いていく玲ちゃんに、視線が奪われていた。玲ちゃんは本当に、映画の中の人間のように見えた。いつか、何かで見たような。
川西くんがカメラの向きをゆっくりと回転させている。玲ちゃんは階段を登りきって、廊下に消えていく。私は我に返って、声を上げた。
「…、カット!」
ふぅ、とみんなが息を抜く。カメラが回ってる間、息をするのを忘れていたみたいだった。玲ちゃんがぱたぱたと駆け戻って、階段を降りて来た。隠れていた4人が柱の陰から出て来てざわざわと話し始めた。
「どうですか…?」
玲ちゃんが私のところに来て、複雑に微笑みながら聞いた。安心と不安と恥ずかしさとか、色々混ざってるんだろう。
「すごく、いい感じ。」
私は声をかけた。本当に、予想以上に玲ちゃんの動きは良かった。
みんなで川西くんのカメラの画面を覗き込む。
うん、本当に、良い雰囲気。玲ちゃんが見回すところとか。
「いいですね、めっちゃ。」
川西くんが興奮した声で言った。
「ね!よく撮れてる。OKかな。」
「あ、ちょっと待ってください。」
川西くんが一時停止ボタンを押して、画面の一部を指差した。階段の上の柱のところだ。
「ここ、佐々木の顔が出ちゃってて…」
「え、嘘!」
佐々木さんが画面を覗き込んだ。よく見ると、確かに佐々木さんの顔がはっきりはみ出ていた。思わず吹き出した。
「あ!すみません…。」
「もうー、亜利沙ちゃん!」
悠里がけらけら笑いながら佐々木さんの背中を軽く叩いた。
「俺ら、向こうの階段に隠れたほうがいいね。」
杉山がおかしそうに言った。
「はい、じゃあ、もう一回撮ろう。」
私が言うと、みんなはーいと言って、持ち場に駆け戻った。
何だろう、これ。本当に、いよいよ始まったなって感じがする。心臓がわくわくと震えているようだった。
「じゃあ、2回目、いきます!」
私はカチンコを構え直して、川西くんに向かってうなずいてみせた。植山さんがマイクを持ち直した。
ピッ。
「よーい、アクション!」
パチン!

 「…カット。お疲れ様!」
カチンコを大きく鳴らした。廊下の一番奥の壁に当たって、音が跳ね返ってくる。
 今日撮る予定だったシーンを、撮り終わった。最初の階段のシーン、廊下を歩くシーン、杉山と悠里に見つかるシーン、最後に撮ったのはちょっと時系列のずれた、夏休みが始まって生徒が学校から帰っていくシーンだった。チャイムの鳴るタイミングだったのでちょうど良いと思って、部活が終わって帰っていく人たちに紛れて、校門の前で役者陣4人が「じゃあね!」「休み中遊ぼ!」とか言ってる様子を2階の窓から撮ったのだった。セリフの内容は4人に任せておいた。これがソッキョウセイだ。
 校門勢には私の声は届いていなかったらしく、まだ演技を続けていた。中に残った私と玲ちゃんと川西くんと植山さんでそれを見て笑っていた。私は窓から身を乗り出して、カチンコをカンカン鳴らした。
「おしまーい!」
4人が振り返ってこっちを見上げた。
「終わりですかー?」
関さんが叫び返して来た。周りの別な部活の人がちらっと関さんを見て、こっちを軽く見上げているのが見えた。
「うん!戻って来てー!」
「はーい!」
4人がぞろぞろと昇降口に走ってくるのを見届けて、私は窓から向きを戻した。中にいる他の3人に向かって、私は声をかけた。
「お疲れさま!すごい、かなりよく撮れてるよね!」
「なんか、本当に映画作ってるって感じですね!」
植山さんがマイクを握ったまま、跳ねるように言った。植山さんはカメラに映らないようにしながらギリギリまで役者陣に近づかないといけないので、マイクを持ったまましゃがんだり、床に伏せたりと結構体を張らなければならなかった。だから制服のあちらこちらに埃が付いているけれど、本人は全然気にしていないようで、楽しそうにひょこひょこと動き回っていた。
「演技するのって、なんか、すごいエネルギー使いますね。」
玲ちゃんが言った。
「でも玲ちゃん、上手だよ本当に。演劇部に目つけられるだけあるよ。」
「いや、そんなあれじゃ…。」
玲ちゃんは困ったように笑った。
バタバタという音が聞こえて来た。役者陣だ。4人はふぅふぅ言いながら階段から現れた。
「どうだった?」
階段を登り終えた杉山が汗をぬぐいながら聞いた。最初あれだけガチガチに緊張していたのに、一旦始まるとこの調子だ。
「完璧。」
私はカチンコをカチカチ鳴らしながら答えた。私たちは8人でぞろぞろと部室へ引き上げ始めた。

 佐々木さんと植山さんも私たちと同じ方面の電車だったなんて、初めて知った。女子4人で一緒に帰るのは初めてだ。賑やかだ。そしてなんか、フレッシュだ。いいなぁ、一女って。いつもは灰色に聞こえるざわざわした静けさが、今日は何か明るい爽やかなざわつきに感じる。植山さんはもうマイクを持っていないのに右手を握ったまま、ひょこひょこ跳ねるように今日のことを話していた。佐々木さんはメガネの奥の目を細くしながらうんうんと頷いていた。私と玲ちゃんは2人に一年生のことを聞いてみたり、好きな映画の話を聞いてみたりした。何か、本当に、部活って感じだ。
 玲ちゃんが最初に降りた。次の駅で植山さんが降りた。ざわつきがちょっと緩んだ。佐々木さんは私と同じ駅で降りて、もう一本乗り換えがあるらしい。
私は佐々木さんに声をかけてみた。
「家、どこにあるの?」
「あ、浜道駅です、海浜線の。」
佐々木さんは分厚いレンズの奥から私の顔を見上げた。
「あ、じゃあ撮影する海のところと近い?」
「そうなんです!4駅ぐらいなので、学校よりも全然近いんですよ。」
細めな目が、いつもより少し見開いている。
「へぇー。いいなぁ、海が近いの。」
「でも、今日は、水野さんと早川さんが同じ方面だって知って、びっくりしました!一穂ちゃんとは、よく一緒に帰るんですけど。」
一穂ちゃんって、植山さんか。植山一穂。覚えとかなきゃ。佐々木さんは、…亜利沙、だっけ。確かさっき植山さんがそう呼んでいた気がする。
「私も。普段は下校時間違うもんね、一年生と私たち。」
「はい。だから、今日はすごい嬉しかったです、二人とも、すごい憧れの先輩なので!」
へぇ?と、とっさに黄色っぽい声が出てしまった。しかもそれが思ったより電車の中に響いたので、私はちょっと声を落とした。
「憧れって?あいや、玲ちゃんはすごいかわいいし私も憧れるんだけど、私って、そんな憧れられるような要素無いでしょ。」
「いやいや、水野さん綺麗だし、監督と脚本やったり、映画も詳しくて。才能がすごいねって一女みんな言ってますよ!」
才能って。顔の血流が増えていく感じがする。冷たい水で顔を洗いたいと思った。顔の血管からこの照れ臭さを吸い取ってくれ。
「えぇ、なんか、びっくり。恥ずかしいなぁ…」
佐々木さんはおさげの髪をゆらゆらさせながら言った。
「映画部の先輩は、みんなすごくかっこいいですよね、水野さんも、早川さんも、杉山さんも、悠里さんも。」
かっこいい、か。かっこいいって認識されてるのか。少し安心すると同時に、やっぱりちょっと背筋を引き締めれるような感じがした。部活での立ち振る舞いに気をつけよう。もうみんなのいる時に机の上で寝たりはしない。挙げ句の果てに杉山のセーターの匂いがなんとかとか、絶対に言ってはいけない。悠里がしっかり覚えていて後で散々いじられたのだ。一女はみんな女子力が高くて羨ましい。私はもう、今からでは間に合わないような気がする。
 そういえば、悠里だけは『山下さん』じゃなくて、『悠里さん』なんだな。ちょくちょく昼休憩でご飯に行ったりして、仲良くなってきているのかもしれない。私も、そのうち『夏美さん』とか呼ばれるんだろうか。悠里や玲ちゃんにはずっとそう呼ばれているけど、一女に言われるところを想像すると、またちょっと顔の血流が増えてきそうになった。
 私はふと気になって、佐々木さんに聞いてみた。
「ねぇ、杉山って、一年生から見たらどんな先輩なの?」
「杉山さんですか?」
佐々木さんはまた顔を上げて、レンズ越しの視線を私にあてた。
「杉山さんはなんていうか、もうなんか、映画に出てきそうな感じの人ですよね。こう、華奢でセンシティブな感じというか。すごいかっこいいって、みんなで言ってます。」
私は内心、ちょっとニヤついてしまった。杉山、高評価じゃん。もちろん見た目もいいし、『センシティブ』も分かるけど、一年生の時の陰気な杉山を思い出すと、ちょっと可笑しい。成長したなぁ。話してやろうかとも思ったけど、さすがに杉山がかわいそうなのでやめておくことにした。
「佐々木さんは、明後日からだよね。本格的にセリフとか出てくるの。」
「はい、すごい緊張します。」
「私も、映るわけじゃないのに今日すごい緊張した。」
主要人物は玲ちゃん、杉山、悠里の3人なので、佐々木さん、関さん、鈴原くんたちにはメインの役に加えて、廊下を歩く生徒とか、通りすがりの人などのエキストラ的な役もやってもらうことになっていた。今日はそのエキストラのシーンの方が多かったので、セリフはまだあまり出てこなかったのだ。佐々木さんは、メインの役は玲ちゃんの姉という設定だった。雰囲気が大人びてるからだ。関さんと鈴原くんは普段杉山をいじめているクラスメイトの役だった。杉山さんをいじめるなんて、と関さんが言っていた。
 電車があくびを噛み殺すように唸りながら止まった。私たちの駅だ。
私はホームに降りた。振り返ると、佐々木さんも降りてきていた。
「それじゃあ、また明日ね。」
「はい、お疲れ様でした!」
手を振ると、佐々木さんは眼鏡の奥の目を細くして微笑みながら会釈をして、足を返して乗り換え口の方に歩き始めた。私はちょっと佐々木さんの背中を眺めてから、改札への階段を登り始めた。

2017年9月24日公開

作品集『ナツキ』第10話 (全20話)

© 2017 ムジナ

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