ナツキ G

ナツキ(第8話)

ムジナ

小説

10,525文字

第8話

 目が開いた。
あ、軽い。上半身を起こしてみる。
体が、軽い。部屋の天井や壁、というより部屋の空間自体が、いつもよりも鮮やかな色に見える。
振り返って、枕元のスマホをコードから外して点けると、8:34と出ていた。まだ目覚ましをセットした時間より前だ。
9時間も寝られたのか。こんなにすっきりするものなんだ。睡眠って大事だ。
 通知を確認してみると、メッセージが18件溜まっていた。
パスワードを打ち込んでスマホを開く。通知が来ていたのは玲ちゃんからのメッセージと、「映画部2016」のグループチャット、その下に植山さんからの通知も表示されていた。
 映画部グループの通知を押して、チャット画面を開く。紺色のアイコンの杉山が1年生向けに部費の説明をしていた。私、部費払ったっけ。払ってなかったら杉山に言われるはずだから、大丈夫か。画面の左上をタッチして、通知の画面に戻る。
 映画部の下に表示されていたのは玲ちゃんからのメッセージの通知だった。玲ちゃんは白地に黒の線で描かれた猫のイラストをアイコンにしている。海と入道雲を目の前にした猫の後ろ姿の絵だった。いい絵だな。見るたびに思う。誰が描いた絵なんだろう。
通知を押してチャット画面を開いた。
『すみません、昨日部室のどこかにメガネありませんでしたか?家に帰ったらケースが空で…』
私はちょっと頭をひねってみた。昨日のことは、一日中頭の周りを覆っていた眠気に霞んでしまってあまりはっきりしない。でもそういえば、確かに昨日玲ちゃんはメガネをかけていた。黒い縁の、ちょっと野暮ったいメガネだ。こんなメガネでも似合って羨ましいなぁと考えた記憶がある。
しばらく昨日の視界を漁っていたら、急に霞が晴れた。

 「あ、もう施錠確認行かなきゃ。」
と杉山が言った。私はスマホを見た。17時半だ。
「もう部室も閉める?」
「うん。」
それを聞いて私は椅子からかばんを持ち上げ、机の上にあった緑の札のついた鍵を取り上げた。その横に、黒縁のメガネが開いたまま置いてあった。誰のだっけ、これ。どこかで見た気がする。
急にプツンと視界が暗くなった。
「うわっ」
さっきまで見えていた色の残像で周りが見えない。杉山が電気を消したのだ。
「早く出てー。」
「ちょっと待ってよ。」
私は慌てて、廊下の薄青い明るさを頼りに入り口へ向かった。

 そうだった。あれは玲ちゃんのメガネだ。
『そういえばあった!机の上にあったと思う。』
画面に張り付くように表示されたローマ字キーボードで何度か打ち間違えながら入力して、送信を押した。玲ちゃんもちょうど今スマホを見ていたらしく、すぐに既読マークがついた。私は慌てて戻るボタンを押して通知画面に戻った。すぐに新しい通知が来た。
『ありがとうございます!良かったです』
律儀な子だ。私は速めに30秒数えてからもう一度玲ちゃんのチャット画面を開き、踊る棒人間のスタンプを返信してから通知画面に戻った。
 植山さんのチャットを見ると、『昨日の試し撮りの動画、川西くんが送ってくれたのでどうぞ〜』と送られてきていた。添付の動画を開いてみると、昨日撮った廊下や階段ホールの映像が流れ出した。
うん、いい動画だ。長押しして、カメラロールに保存しておいた。ちょっと迷ってから『ありがとうねー。』と返信した。
 一年生と、もっとたくさん喋ってみたかった。昨日植山さんと川西くんとは結構話せたけど、役者陣の関さん、佐々木さん、鈴原くんとは全然喋ったことがない。鈴原くんは吹奏楽部にも入っていて来ない日も結構あるので、尚更だった。毎回部活に行くたびに絡もうとは考えるけど、結局悠里や杉山、玲ちゃんといるのが安心で、話しかけにいけないのだった。
まぁ、撮影はこれからだし、夏休みもまだまだあるし。この夏の間に色々、動けるようにならないといけないなぁと思いながら、スマホをスウェットのポケットに押し込んでベッドから立ち上がった。
 今日は部活がない。
どうやって過ごすべきか、ちょっと決めかねていた。前みたいにダラダラ引きこもってるのは良くないけど、かと言って何かするあてがある訳でもない。他の人たちはどうやって過ごすんだろう。クラスメートのツイッターには、よくディズニーランドや友達と食べるご飯の写真が上がっている。そうか、みんな友達や彼氏と一緒に過ごしてるのか。
 そう考えるとまた急に紫色の煙が胸の中に漏れはじめた。私って充実してないんだなぁ、人間として。映画部にいる間は、なんとなく自分がしっかり出来上がっているような気になるけど、一人になると急に自分が空っぽなソフビ人形みたいに思えてくる。
 ため息をついてしまうと本格的に惨めな気分になりそうだったので、なるべく普通に呼吸をするように気をつけながら、ベッドから出て顔を洗いに向かった。
 
 朝ごはんにお茶漬けを食べ終えて1時間くらい何もせずにだらだらツイッターを見ていた。
これ、まずいな。このまま一日が終わるパターンだ。
とりあえずツイッターを閉じよう、と思って画面に目を戻すと、紺色のアイコンが目に入った。紺の背景に白っぽい線で何か丸いものが描いてあるやつだ。杉山のアイコンだった。前に聞いたら、確か何かのCDのジャケットだと言っていた。
『部活ないとすごい暇』
杉山はそう投稿していた。投稿時間を見ると、1分前と小さく表示されていた。私はツイッターを閉じるのを諦めて、返信を打った。
『すごくわかる。』
杉山もツイッターを開いたままらしく、返信はすぐに来た。スマホがピロリン、と鳴った。
『お前もか』
『いぇす』
同じ状況の誰かがいると分かって、少しほっとした。紫の煙は、ちょっとだけ薄れた。
ピロリン。
『どっか行く?』
ゴシック体の文字が四角く浮いている。
そうだ、杉山と出かけるっていう選択肢があった。映画のDVDを貸し借りするために、ときどき暇なときに会っているのだった。暇を潰そうと考えるときって、意外といつもどうやって過ごしてるかを忘れている。
『ちょっと通話』
送って20秒くらいして、ケータイがてんてけてんてけ鳴りはじめた。line通話の着信音だ。画面にツイッターのと同じアイコンと、「スギヤマユーキ」という文字が表示された。私は通話ボタンを押して、スマホを耳に当てた。
「もしもし。」
『もしもし?暇人だねお互い。』
電話だと、声がいつもと微妙に違うトーンに聞こえる。私はちょっと気を付けるようにしながら喋った。
「ね。なんか、行くあてある?」
『あんまりない。水野は?』
「うーん、ないかな。」
たまに杉山と出かけるときは、DVDを渡すついでにご飯を食べるくらいだった。「男子と出かける」という名目だけにちょっと周りを意識する部分もあることにはあったが、実際、部活の昼休みにご飯を食べに行くのの延長みたいなものだった。
ご飯にはちょっと中途半端な時間だしな。
『とりあえず、そっちの駅で会う?』
「うん、そうね。」
『じゃあ、40分後くらいに。』
「はい。後でね。」
杉山が電話を切るのを聞き届けてから、スマホの画面を切った。急いで身支度をしないといけない。私はソファから飛び出して洗面台に向かった。
顔を洗ったついでにシャワーを浴びておいてよかった。その時にドライヤーを済ましておいたのも正解だった。洗面所に入ると私は鏡の前に立って、ヘアゴムと、おととい悠里にもらったシュシュで髪を束ねればよかった。自分でポニーテールを作るのなんて、すごく久しぶりだ。
 棚から日焼け止めのボトルを出して、蓋を弾いて手に押し出す。伸ばしてから、顔と首と腕と脚に塗りたくった。今日は快晴だ。
 学校の人たちはみんな、メイクをして学校に来る。自分の髪型もまともに決められない私はメイクもあんまりする気になれずに2年半近く過ごしてきていた。だからその分私は身支度が速い。みんなが今日は何時起き、みたいな会話をしていると、どうしてそこまでしてメイクをするんだろうと思ってしまう。その中には少なからず、すっぴんでも問題ないレベルの顔を持っている自分への自己愛と、メイクに必死になっているみんなを見下す気持ちが絡まっていて、それに気づいた時に、また少し自分が嫌になる。
 そろそろ覚えた方がいいのかな、そういうのも。お母さんにも時々言われるのだ。まぁでも、今日はいい。杉山の前で飾ったところで意味ないし。急に色気付いたと思われるのも嫌だ。 
 何度か首を左右に振って、ポニーテールが変ではないかどうかを脳みそと話し合った結果、問題ないという結論が出たので洗面所を出て電気を消した。部屋に戻り、引き出しを引っ張って、中から白のシャツと水色のスカートを取り出した。いいかなこれで。ちょっと淡白か。でも色の組み合わせはいい。とりあえず着てみることにした。
 鏡の前に立ってみた。
思ったよりも似合ってる。ポニーテールもいい感じだし。鏡の奥の奴が声に出さずにそうつぶやいているのが分かる。
このナルシストめ。
 私はスマホと財布と定期入れをバッグに入れて、鍵を手に持って部屋を出た。

 忘れてた。私は待ち合わせが苦手なんだった。
杉山はまだ来ない。当たり前だ。杉山は「40分後くらい」と言っていたのに、まだ21分しか経っていない。急ぎすぎた。最寄駅なのに、待ち合わせとなると心配になって早く来すぎてしまう癖を、いい加減に治したい。
 遠くで待ち合わせる時も同じだった。むしろ遠い場所の方が、迷ってしまわないか不安で早く来すぎてしまう。一昨年、映画部全員で遊園地に行った時は集合時間より1時間半も早く着いてしまった。そんなに早く着く癖に、一人で待つのは苦手なのだ。集合場所は本当はここじゃないんじゃないか、みんな来ないんじゃないか、実は今日じゃないんじゃないかとか、無駄な心配で頭の中がざわつき始める。さすがに今日は、ついさっき杉山がこっちに来ると確かに言っていたからそんなことはないはずだけれど、その杉山の言葉すら私の聞き間違いだったんじゃないかという考えが湧いてきて、頭の中に充満していた。私は後ろに立っている猫の形のオブジェを振り返った。
 気を紛らわすために、手に持っていたスマホを点けてツイッターを開いた。杉山の投稿はない。悠里がペットのダックスフントの写真を投稿していた。悠里の髪の毛と同じ毛色の犬だ。でも悠里自身は、どちらかといえば猫っぽいけど。
画面をスライドして、他の投稿を読み込んでみる。珍しく結城さんが投稿していた。
『劇部の公演再来週だから稽古してるけど、なんか高校の映画部思い出すな』
そうか、結城さん、演劇サークルなんだっけ。卒業してから一度も会ってないけど、ツイッターは高校の時からフォローしていた。たまに先輩たちの投稿を見かけると、少しほっこりする。
 結城さんたちの代は、今大学二年のはずだ。私たちが一年生だった時の結城さんたちと今の私たちが同い年だと考えると、不思議な感じだ。一年生から見て、私たちってどんな先輩なんだろう。結城さんたちのように見てもらえてるんだろうか。さすがにそんな自信はない。急に不安になった。
 私は結城さんの投稿にフォーカスを戻した。附属校とはいえ、高校生と大学生とじゃ、明らかに何かが違う感じがする。先輩たちのツイッターの投稿の内容は大して変わっていなくて、たまに見ると少し安心していた。
 私は常に、自分が違う人間になってしまうことを恐れている。もちろん、大学生になってもババアになっても私はずっと水野夏美だ。でも、その中身は毎日呼吸する空気の質によってどんどん入れ替わっていくはずなのだ。今、私は、何ヶ月か経てば高校を卒業して大学生になるということが実感できずにいて、大学生になることをほとんど怖がってさえいる。でも1年後の私は確実に大学一年生で、多分、なってしまえば大学生であることが当たり前になってしまうはずだ。そうなった時、今ここにいる、大学生になることを怖がっている水野夏美は、完全にいなくなる。それはほとんど、今ここにいる私が死んでしまうことと同じであるように思えるのだ。毎日毎日、ゆっくり死んでいくのだ。ポジティブな映画や歌でかかれている「成長」とか「進化」とか「新しい自分」みたいなものが私にはたまらなく恐ろしくて、なぜみんながそういうものを求めるのか、全く理解できないでいた。深夜にそういうことを一人で考えて、ソファのクッションをなぐりつけることが時々、あった。
 「水野ー。」
右斜め前の方から声がした。目のピントが合う。杉山の声だ。私はスマホから顔を上げて声がした方を見た。
どこだ。見当たらない。聞き間違えだったのかな。だから待ち合わせは苦手だ。私は適当な方向に呼びかけてみた。
「杉山?」
「ここだよここ。」
目の前から声がしてビクッとした。杉山はすぐ近くまで来ていた。
「ああいたいた。おはよう。」
「おはよう。」
杉山は胸に四角く『EMOCORE is STUPID』というプリントのついた白いTシャツに七分袖の薄いカーディガンを羽織って、ジーンズを履いていた。制服を着ている時よりも細さと白さが目立つ。オシャレだなぁ。急に自分の服装が不恰好に思えてきた。
「オシャレだなぁ…」
思わず声に漏らしてしまった。
「そうかな。」
杉山はちょっと目を丸くして自分の服装を見下ろした。
「うん。羨ましいなぁ…。」
「水野もそんなセンス悪くないと思うけどなぁ。」
うるさい。余計なお世話だ。私がむすっとしていると、杉山は少し不思議そうな顔をしてから、口を開いた。
「それで、どこ行く?」
そうだった、それがまだ決まっていないんだった。
「二人で行けるところかー。どっかあったかな…」
杉山は猫のオブジェの方を見ながら考え始めた。私もちょっと手元に目を下ろして考えてみた。映画館っていうのも、ちょっと違うしな。高いし。お昼ご飯にもまだちょっと早い。
何かメモしてなかったかなぁと考えて、スマホをつけてみた。海のスクリーンセーバーが浮き上がる。
あ、海。
しばらく見つめていると、自然に画面が暗くなった。
いいかもしれない。ちょうど撮影に使おうと思ってる場所だし、下見がてら二人で行くのは、悪くない。
でもなぁ。
私はこっそり杉山の顔を見た。
いきなり「海に行こう」なんて言ったらびっくりされないだろうか。なんか変な誤解をされるの何か、嫌だ。
いや、杉山とはもう3年の付き合いだし、だいたい伝わるはずだ。今更誤解されるような要素もないし。こういう起こりそうにもないことをもぞもぞと心配してばかりいるから私は動けないんだ。
 私は頭の中で言葉を振り回して勢いをつけてから、杉山に言ってみた。
「ねぇ、海どう。」
「海?」
「うん。撮影に使えそうな場所見つけて。ここから電車で30分くらいのとこなんだけど。」
「あーなるほど。海かー。」
言い出してしまってから心配になって来た。乗ってくるだろうか。乗ってこなかったらすごく恥ずかしい。よく考えたら「海に行こう」なんてめちゃくちゃ青臭いセリフだ。言わなきゃよかった。
「いいね、行こうか。下見がてら。」
内臓がほっと息をついたような気がした。ふぅ。良かった。さすが、分かってるな杉山は。さすが部長。3年間同じ部活でやってきただけのことはある。
「どの電車に乗ればいいの?」
「海浜線。」
私は杉山の前に出て、海浜線の改札へ大股で向かった。

 「水野早く決めて。」
「ちょっと待ってよ。」
コンビニ特有のミニサイズのプラスチックカゴを両手で持っている杉山を横目に、おにぎりを選んでいた。カゴの中にはもう杉山の分のおにぎりと2本のペットボトルが入っている。
「杉山は何にしたんだっけ。」
「明太子。」
「うーん、たらこかなぁ…」
私はもう一度焼きたらことおかかを交互に見比べて、諦めておかかを取った。杉山がカゴを差し出してきたので、そっと中に入れた。
「優柔不断だな。」
「しょうがないじゃん。」
杉山はいつものように苦笑して、レジへ歩いた。列はない。平日の昼間の海沿いのコンビニに、そうそう人は来ない。コンビニの中にいるのは私と杉山と、レジに立っている、青と黄色の制服を着た太った茶髪のおばさんだけだった。
 杉山がカゴをレジに置くと、おばさんは表情を変えずにボソボソと商品名を読み上げながらバーコードリーダーを当て始めた。私はその間、赤いレーザーがバーコードの上でピカッと点滅する様子をぼけっと眺めていた。
「520円です。」
おばさんが顔を上げずに言った。
520割る2は、260か。ん、合ってるかな。もう一度計算し直す。260だ。ぴったり持ってたっけ。私はポケットから財布を引っ張り出した。
「いいよ、このぐらい」
杉山が小銭をかき回しながら言った。私は顔を上げた。
「え?」
「だって今バイトしてないんでしょ。」
「そうだけど。悪いよ。」
「悪くないよ。律儀だなぁ。」
杉山は財布から500円玉と10円玉2枚を取り出して、おばさんの前に置いた。いびつな形に出っ張ったレジ袋を受け取って、ガラス張りのドアに向かって歩き出した。
 ドアをくぐった途端もわっとした放射熱に包まれる。今日は32度らしい。
「いいの?奢ってもらっちゃって。」
「うん。」
「ありがとね。」
杉山は袋の取っ手の片方を手から外して、私の分のお茶とおにぎりを片手で取り出して、渡してきた。私は受け取って、自分のバッグの中に入れた。杉山は残った袋ごと、かばんに突っ込んだ。

 車通りの少ない道路をぱたぱたと渡って、防波堤側の歩道を歩く。アスファルトも、空の青を反射している。
「ここ確かに、いい感じだね。防波堤道路の感じとかも、映えそう。」
杉山が顔を上げながら言った。
「でしょ。結構いいところ見つけたよね。」
「うん。そんなに遠くもないしね。」
「もうちょっといくと階段があって、そこから浜辺に降りれるの。」
歩く。空から刺してくる熱と、足元のアスファルトから湧いてくるの熱とで挟まれていて、全身が焼かれているみたいだ。清々しいまでに暑い。日焼け止めを塗って来てよかった。
「この防波堤の上をね。」
私が口を開くと、杉山がこっちを向いた。
「防波堤の上を、玲ちゃんが歩いてるところを撮ってみたいなと思って。」
「あー、いいねそれ。」
杉山は防波堤を見上げながら笑って、またこっちを向いた。
「色々、アイデアをためてる訳ね。」
「うん。一応、監督だからね。」
私は足元のアスファルトに目を落とした。風が耳をかすめるヴッという音の隙間から、杉山が言うのが聞こえた。
「もう来週から撮影だもんね。」
「最初の予定より、だいぶ早く進むね。」
「脚本が3日で仕上がるとは思わなかったから。本当、よくやったよ。」
「ふふん。演技のことも考えて、あんまり複雑なセリフも多すぎないように書いたからね。」
「お疲れ様です監督。」
照れ臭くなって、私は黙った。しばらくお互い口を閉じたまま、アスファルトをからからと鳴らしながら、厚い空気の中を歩いていた。夏は、空気が厚くなる感じがする。空気というか、空かな。
 防波堤の切れ目に着いた。階段だ。急にぱっと、まぶしくなった。
海が見える。
「おー、すっごい!本当に人がいない。」
杉山が階段を駆け降り始めたので、私は慌てて追いかけた。
下に行くほど階段に砂が積もっていて、降りづらくなっている。海風も前から煽ってくるし、陽射しもまぶしい。私は目を細めて、バランスを崩さないように気をつけながらぱたぱたと砂浜へ駆け下りた。
ふうふう言いながら杉山に追いついて、立ち止まった。杉山が振り返った。
「よく見つけたね、ここ。」
「いいところでしょ。撮るならここしかないと思って。」
私はもう二歩くらい前に出て、杉山に並んだ。杉山は目をキラキラさせながら大きく伸びをした。
「いい場所じゃん。どうやって見つけたの?」
「色々検索してみて、この前来てみたの。」
「へぇ、一人で?」
「うん。」
杉山は軽く笑った。
「一人で海って、中々いないね。」
私は少し顔を傾けて苦笑した。確かにそうだ。
「しょうがないじゃん。私、杉山しか友達いないんだもん。」
「クラスで作れよ。」
「もう遅いよ。」
「まぁ、俺もあんまり人のこと言えないけど。」
杉山は砂の上に腰を下ろして、さっきのコンビニの袋を取り出した。私もスカートの後ろ側に気をつけながら、横に座った。
「いいなぁこういうの。」
杉山がおにぎりのパックをはがしながら言った。
「海を見ながら昼ごはん、みたいなね。」
「そうそう。夏。」
私もおにぎりを出して、丁寧にパックを開け始めた。開けるときに海苔が巻かれる方式のパックだ。私はこれが下手だ。きりきりとパックを破り、できないだろうなと思いながらも、ゆっくり、片側づつ、端を引っ張る。さらりと、海苔がビニールの隙間から抜けていく。おにぎりの形に曲がった癖のついた海苔は、ビニールから解放されると、おにぎりにしがみつくようにするりと巻き付いた。
「あ、できた。」
「何が?」
杉山がもごもご言いながらこっちを見た。
「こういうタイプのおにぎり。私これ開けるの下手なんだよ。」
「どうでもいいわ。」
杉山はくぐもった声で笑いながらおにぎりを飲み込むと、ペットボトルを開けてお茶を飲んだ。私はうまく海苔の巻けたおにぎりを両手で掲げて、しばらく眺めてからゆっくりと齧り始めた。
ちょっと静かな時間が流れた。波の音が、私たちが無言でいる時間を測っている。
 急にふと思いついて、杉山に話しかける。
「ねぇ、海って青いじゃん。」
「ん?そうだね。」
「海が青いのって、空が映ってるからなのかな。」
「うん?」
杉山は不思議な表情をして海に眼を向けた。しばらく海を見つめてから、急に声を出した。
「ああ、言われてみれば、そんな気もする。」
「ね、そうだよね。」
「うん。空が映って青く見えてるのかもね。」
本当に正しいかどうかよく分からないが、なぜかちょっとわくわくした。
ペットボトルを取り出そうとトートバッグに手を入れると、硬いものに手が当たった。
ん、なんだっけこれ。
引っ張り出したら、白黒のカチンコだった。昨日杉山にもらったやつだ。
「これ、入れっぱなしだった。」
杉山はカチンコに目を向けて少し微笑んだ。そして急に目を上げて言った。
「あ、じゃあさ。せっかくそれあるんだし、ケータイで試し撮りしてみる?みんなにこういう場所だって説明するのに使えるし。」
「あ、いいかも。」
私はさらにバッグを漁って、ホワイトペンを取り出した。フェルトのついたキャップを外して、ちょっと振ってからカチンコの暗緑の部分に書き込んだ。どういう形式で書けばいいのかわからなかったので、なんとなくそれっぽく見えるように書いてみた。
『2016 7/12 テスト 海』
「こんな感じ?」
「うん、それっぽい。」
杉山が座ったままスマホを横にして構えた。私はカチンコがレンズに映るように持った。
「撮るよー。」
「あ、待って。鳴らしたら何すればいいの?」
「適当に説明して、場所とか。」
「わかった。」
「じゃあ撮るね。」
動画の撮影モードが始まるポンという音がした。私は2秒くらいカチンコを映させてからパチン、と鳴らした。
「…えーっと、海です!海浜線で学校から40分くらいのところです!人がいなくて景色もいいから撮影に使いたいでーす!」
こんなのでいいんだろうか。私はカット、と控えめに叫んだ。動画撮影が終わるピコン、という音がして、杉山が砂の上に転がって笑い出した。
「どういうテンションなんだよ。」
「だってこういうのやったことないから!」
「いや、でもいいと思う。」
杉山はまだちょっと笑いながらスマホをしまって、言った。
「はぁ。いいなぁ、夏休みって感じする。」
「ね。こんなにちゃんと夏休みするの、なんかすごい久しぶりな気がする。」
「『夏休みする』って何だよ。」
「夏休みっぽいことをする、ってこと。」
「略しすぎ。」
杉山はまたちょっと笑った。
 空が丸い。いいなぁ。夏はいい。なんでもできるような気がする。夏にいるってだけで、ちょっと自分が強くなった気になれる。
私は少し顔を横に向けてあくびをした。
すごく、全身で呼吸してる感じがする。夏だ。夏が来た、私にも。
「部長ー。」
私は杉山に向かって言った。杉山は怪訝そうな顔で斜めな視線を私に向けた。
「…俺のこと?」
「そうだよ、部長。」
私は杉山を指差した。何か変なことを言いたくなった。
「あなたは偉い。」
「へぇ?」
「偉いよ、杉山は。」
「どういう意味だよ。」
私はあくびをした。
「よくやってるよ、杉山は。頑張ってる。偉い。」
杉山は微妙な顔をして海の方を向いた。
 きっと杉山は、普段、誰からも褒めてもらってないのだろうと思った。親とは仲が悪いらしいし、友達も多くはない。杉山はすごく才能があって、部長も音楽も誰よりも頑張っているのに、誰も褒めてくれない。昨日突然吐いた弱音について考えている内に、そのことに突然気がついたのだ。私ぐらい褒めてやろうと思った。映画部で一緒にやり始めてからもう3年目の私くらいは、杉山の理解者になってやりたいと思った。
「偉いなぁ杉山は!」
「何回言うんだよ。」
「だってそう思ったんだもん。」
杉山はぽかんとしたまま、少し困ったようにへらへらっと笑った。
「よく分かんないけど、まぁありがとう。」
「私は杉山のこと、100パー理解してるぜ。」
私はグーサインを出した。杉山はさらに困った顔になって、海の方に目を戻して少し恥ずかしそうに、口角を曖昧に上げて笑った。

2017年9月22日公開

作品集『ナツキ』第8話 (全20話)

© 2017 ムジナ

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