ナツキ I

ナツキ(第11話)

ムジナ

小説

13,960文字

第11話

 私たちはぞろぞろと、というよりがたがたと、電車に乗り込む。11時32分。ちょうど一番空いてる時間帯だ。車両の中はほぼ空っぽだった。私は乗ってすぐ車両のつなぎ目のところによけた。鈴原くんと川西くんが二人掛かりで台車を中に押し込んで、こっちに運んできた。撮影に使うカメラ、マイク、三脚などの機材が全部この台車に乗せてある。この台車は、歩いてる役者を横から映すときに川西くんと植山さんを乗せて押すのにも使う。こんなものを混んでる時に電車に持ち込んだりしたら学校に通報されて怒られることは間違いないので、昼前の人のいない時間帯を狙って学校から出発したのだった。
 プシーッ、という音がしてドアが閉まる。ピンポン、と警告音がなる。
「全員いるかな?」 
私は人数を数えて見た。1、2、3、4、5、6。普通に足りない。
佐々木さんは海浜線の途中から乗ってくる予定だから8人いればいいはずだ。2人足りない。
「玲ちゃんと悠里は?」
杉山が顔を見回して、あ、とホーム側の窓を指差した。
そっちを見ると、2人がお茶のペットボトルを持って立っていた。悠里はへらへら笑いながら玲ちゃんの肩をポンポン叩いていた。玲ちゃんは困ったような顔で曖昧に笑っていた。
「あ!ちょっとー。」
私は2人にブンブン手を振った。悠里がニヒッとした笑顔でブンブンと手を振り返して来た。
「バカだなーもう。」
杉山が苦笑しながら弾くように言った。
「そういえばさっき、飲み物買ってくるって言ってましたね、山下さんたち。」
関さんが可笑しそうに笑った。
 電車がすっと動き始めた。ごうっという音が周りを包み初めて、電車の中だけ空間が切り取られたみたいだ。窓の向こうで2人が手を振っている。悠里はお茶のペットボトルを振り回していた。完全にホームを抜けて二人が見えなくなってから少しして、悠里から『乗り遅れちゃったので次の電車で追いかけまーす』とLメッセージが来たので、『先行って準備しておくね』と返信しておいた。乗り換えの時に待つこともできるけど、二人とも役者だから、私たちが先に準備をしておいた方がいいと思った。外にロケに行くときは部室から機材を運んで、7時半までにはまた戻しに来ないといけないので、時間が限られているのだ。七月も下旬になって夏休みシーズンが本格的に始まるから、電車が空いてる時間も限られてくる。
 プスッというガスの抜けるような音がしてドアが開くと、また急に空気がガッと外側とつながった。6人でがたがたと電車を降り、海浜線への乗り換え通路をがたがたと進み、ホームにがたがたと並ぶ。海浜線のホームは学校の駅よりは幾らか人がいて、ざわざわしていた。
 電車を待っていると、スマホの通知が鳴った。見てみると、佐々木さんからメッセージが来ていた。
『すみません、一本遅い電車に乗ることになりそうなので先に行っててください!』
「佐々木さんも一本遅くなるって。」
私は『はーい!』と返信しておいた。
電光掲示板を見上げると、電車が来るまで6分あった。もしかしたら悠里と玲ちゃんが追いつくかもしれないなと思いながら、私はCampusのノートを引っ張り出した。バラバラとページを開く。
 学校で撮影するシーンが大体撮り終わったので、昨日から外にロケをしに行っていた。今日撮る予定のシーンは、3人が海に行くシーンだった。それから、病院の前で、玲ちゃんの余命宣告の紙を持った佐々木さんが呆然としているシーン。もともと予定にはなかったシーンだったが、防波堤道路沿いに病院があることが分かって、急遽撮ることにしたのだ。撮影を進めながら脚本を練り直している内に、ちょっとづつストーリーの構成も変わって来ていた。その度にみんなにコピーに書き込んでもらっていたのでごちゃごちゃになってしまい、結局新しい脚本をコピーしてまた配ることになった。
多分、昨日のペースから見るとあともう3、4日くらいは海での撮影に使いそうだ。
 メインの3人の演技力が予想以上で、撮影はかなりサクサク進んでいた。3人ともなんでこんなにポテンシャルがあるんだろう。もちろんプロの俳優とかまではいかないけど、高校生の映画にしては、なかなかのレベルなんじゃないかなと私は思っていた。私がここをこうしてほしい、となんとなく感覚で言ってることもちゃんと理解してくれる。すごく心地良い。廃部の危機を乗り越えた仲間だけのことはある。一年生の3人も、私が妙にこだわって書いてしまったさりげない動きとかをなんとか再現しようと奮闘してくれていた。
 映画部って、こんなにいい部活だったんだなぁ。もっと前から、ちゃんと楽しんでおけばよかった。
 私はノートに目を戻した。少し迷っているくだりがあった。クライマックスのシーンを、少し流れを書き換えようかと思っているのだ。3人で海に行くシーンがクライマックスという予定だったけど、そのあと最後に玲ちゃんが一人でもう一度、校舎や海辺を回るシーンを作りたいと思いついた。ただそうすると、最初に考えていたより少し長くなる。
「ねぇ、杉山。」
「ん?」
持っていた脚本のコピーを丸めて杉山はこっちに来た。
「今日さ、海のシーンでしょ。」
「そうだね。」
「多分今日はまだクライマックスまでは撮れないけど、ちょっと書き換えようかなと思って。」
「どういう風に?」
私はノートのページを指差した。杉山は腕を組んでノートを横から覗き込んだ。
「3人で海に行った時には、玲ちゃんはみんなに病気を打ち明けられないの。そのあとそのまま会わずに夏休みの終わりの方になって、玲ちゃんが一人で校舎とか海とかを回るっていうシーンを、付け足したいなぁと思ったんだけど。」
「あー、なるほど。確かにその方が綺麗かもね。」
「でしょ。ただロケ長引いちゃうんだよね。」
「まぁ大丈夫だよ。まだ夏休み半分残ってるんだし。」
「じゃあ、いいかな。」
杉山は頷いた。
「監督に任せるよ。」
いちいちくすぐったい言い方をする奴だ。返す言葉の正解が思いつかなかったので、私はちょっと笑ってから頷いて見せた。

 「お待たせしましたー!」
黄色い声がアスファルトに跳ね返って響きわたった。
カメラのセッティングを手伝っていた手元から顔を上げて声の方を見ると、3人の影が見えた。今の声はきっと悠里だ。走って来る3人を目を細めて見ると、玲ちゃんと、両手に袋を持った佐々木さんもいた。先頭の悠里だけ異様に早く近づいて来る。
「夏美さあああん!」
悠里はバタバタ走り寄ると、立ち止まって膝に手をつきはぁはぁいい出した。
「どんだけ全力疾走したんだよ。」
杉山が呆れたように笑った。私は悠里の頭にタオルと声をかけた。
「佐々木さんと一緒だったんだね。」
悠里はタオルでバサバサと汗を拭きながら、呼吸を整えつつ言った。
「はい、海浜線で、一緒になって。」
佐々木さんと玲ちゃんもパタパタと到着した。佐々木さんだけは学校に寄っていないので、私服で来ていた。佐々木さんは持っていた袋を鈴原くんと関さんに渡した。
「サンキュー。」
 佐々木さんは一人だけ、ここに家が近い。なので、鈴原くんと関さんがエキストラの撮影用に使う服を、昨日の内に関さんに預けてあったのだ。
「それじゃあ、着替えて来ます!」
と言って二人は浜辺に降りて行った。着替えは公衆トイレで、ということにしてあった。
 川西くんと植山さんは、機材の調整をしていた。昨日は初めて外で撮影したので、変な音が入ってしまったり、三脚が安定しづらかったりとトラブルが多かったのだ。マイクには風除けをつけた。カメラは、車輪を固定した台車の上に立てれば安定する。昨日の前半はほとんどそれらを見つけるために時間を費やしたので、今日からはどんどん撮影ができる。炎天下でカメラをいじるのはかなり応える作業だ。川西くんは汗が機材にかからないように、と言って昨日から頭にタオルを巻いて動いていたので、他の一年生からは大将とか店長と呼ばれていた。
 横で息をついている悠里があまりに汗だくなので、私はノートをぱたぱた煽って悠里に風を当ててあげた。
「あんまり汗だくだと撮影できないぞ。」
「はー、涼しい。」
悠里は猫みたいな伸びをした。
本当に映画の女優のアシスタントみたいだ。玲ちゃんが「私もー」と言いながら駆け寄って来た。両手に花ってやつだ、これ。私はノートをブンブン振って、より強い風を起こした。
 

 4つの手が台車の取っ手にかかった。
「川西くん、大丈夫?」
台車の上でカメラを支えながらしゃがんでいる川西くんに声をかけた。
「あ、もうちょっと待ってください。」
「了解。」
川西くんは三脚を手で調整したり、カメラを覗き込んだりし始めた。
いよいよ、私が楽しみにしていたこのシーンだ。
道路を挟んだ向こう側を見ると、防波堤の上に悠里と玲ちゃんと杉山が立っているのが見えた。これから、3人が防波堤の上を歩いて行くのを、横から並行しながら撮ることになっていた。この前学校で試した台車作戦を実際に使うことにしたのだ。台車の上にカメラを立てて、川西くんも乗って、私と植山さんで押しながら撮影する。
植山さんがニコニコしながら言った。
「なんか、ワクワクしますね、これ。」
「ね、これずっとやってみたかったんだよね。」
植山さんがふふっと笑った。このシーンにはセリフは無く、3人が歩いていく光景にBGMをつけるだけなので、音を録る必要はない。植山さんが押す係になれたのはそのためだ。
「いやぁでも、あっついなぁ…」
海沿いの道路に、日陰はない。部室に転がってた傘を日傘と称して何本か持ってきていたけど、効果があるとは言いにくい。太陽が直に私たちを熱している。首筋と髪の毛がひりひりだ。ずっと動き回っている私たち3人は、制服のまま海に入ってきたみたいにびしょ濡れになっていた。濡れたシャツが肌にはりついて、また余計に熱がこもる。
川西くんの準備がまだかかりそうだったので、私は植山さんに声をかけた。
「植山さん、大変でしょ。結構動き回るし。」
植山さんは、濡れて顔に垂れている髪を耳にかけながら答えた。
「でも面白いですよ。一番近くで見られるんです、杉山さんたちも、夏美さんたちも。」
「あー確かに。特等席かもね。」
「暑いですけどねぇ。」
「あっついね。」
ふふっと笑う植山さんをノートで扇いであげると、目を細めて溶けそうな顔をした。
「準備いいでーす!」
台車の上で、タオルを巻いた川西くんがそう言ってカメラに顔を近づけた。
私は頷くと、道路の向こうで防波堤の上に立っている悠里と玲ちゃんと杉山に呼びかけた。
「準備いいー?」
玲ちゃんが手を振りながら答えた。
「だいじょうぶでーす!」
よし。
「じゃあ行くよー!」
私はそう叫んで、ノートを台車の上に置いて植山さんと目配せをした。植山さんがすうっと息を吸い込む。
「いくよ。3、2、1、」
植山さんの細い腕に筋が浮かぶ。
「アクション!!」
腕と足に力をこめる。台車がぬっと前に進む。一瞬横目で左を見ると、防波堤の3人が歩き出していた。
「いっけえええええ!」
「うぉりゃああ!」
声は録ってない。私と植山さんは力いっぱい地面を蹴りつけた。動き出すと台車はすぐにごろごろと勢いづき始めた。
足元が流れて行く。アスファルトがぐんぐんと、道路も、建物も防波堤も、ぐんぐんと後ろに流れて行く。空気が肌をこする。
「すごいー!」
「うおおおお!」
「あ、ちょっと、速い!速いです!」
川西くんが叫んでいる。そう言われても、すぐには止まれない。急に止まるとカメラが危ない。私と植山さんは「ちょっとづつ!ちょっとづつ!」と言いながら段々走りを緩めていった。ふうふう言いながら立ち止まる。急にどっと汗が出て、熱が押し寄せる。左を見ると、3人がいない。
あれ、と思って振り返ると、3人はずっと後ろの方でけらけらと笑っていた。
私は振り返ってふうふう言いながら叫んだ。
「遅くない?」
悠里が笑いながらこっちに叫び返した。
「夏美さんたち、走り過ぎ!」
よく考えなくてもその通りだ。向こうはぶらぶら歩いているのに私と植山さんは全力疾走だ。川西くんと植山さんと顔を見合わせて、3人で乱れた呼吸でへっへっと笑った。
「撮り直しかー!」
私は台車を引っ張り始めた。植山さんがひょこひょこと跳ねるようにしながら追いかけてきて、取っ手に手を掛けた。後ろを振り返ると、川西くんが台車に手をついて押してくれていた。顔を見合わせてもう一回へへっと笑ってから、また前を向いて悠里と玲ちゃんと杉山の待っているところへ、ごろごろと向かった。走るのをやめるととにかく暑い。ビニールで包まれたみたいに、自分の周りに熱がこもっている気がする。むしろ自分が熱を放っているみたいだ。
「あつーい!」
私は空に向かって叫んだ。
「暑いですねー!」
植山さんも同じように、空に向かって声をあげた。
青い。目を刺すような青さだ。
植山さんが私の方に視線を下ろして言った。
「夏美さん…あ、水野先輩。」
私はふふっと笑った。言い直さなくてもいいのに。
「悠里のがうつったね。」
「あ、はい。悠里さん、いつも下の名前で呼ぶので。」
植山さんはちょっと恥ずかしそうにへへっと笑った。全力疾走したせいで顔が真っ赤だ。
「夏美さんでいいよ。そっちの方がいい。」
「本当ですか?」
「うん。」
「じゃあ、夏美さん!」
植山さんは言ってからまたへへっと笑った。私も何かむずがゆくなってきて、軽く笑ってごまかした。
「あれ、何聞こうとしてたんだっけ。」
植山さんが上の方を向いて黒目をくるっと回した。
「あ、思い出した。早川さんって、彼氏とかいるんですかね?」
「玲ちゃん?」
私は道路の向こう側を一瞥した。悠里や杉山と何か喋って、笑いながら歩いている。海風を受けて、ショートカットの髪とスカートの裾が、同じ向きに煽られて広がっている。
綺麗だよなぁ。
「うーん、いるのかなぁ。」
「噂とかで聞いたりしませんか?」
私はちょっと首をひねって思い返してみた。
「…でも聞いたことないなぁ。告白されたこともないって言ってたし。」
去年の夏の活動の時、そう言っていた。なんでだろう。綺麗すぎて逆に近付きづらいんだろうか。そうかもしれない。玲ちゃん自身も、あんまり人と話すのが得意な方ではないみたいだし。
「高嶺の花、みたいな感じなんですかね。」
「そうかもね。まぁ確かに玲ちゃんに見合う人なんて、なっかなかいないよね。」
「早川さんは、なんかもう尊いですね。拝みたい。」
「拝むって。」
私は植山さんが玲ちゃんに向かって手を合わせているところを想像して笑ってしまった。そんなことしたら玲ちゃん、困ってあわあわするだろう。
「夏美さんは、いないんですか?」
私は一瞬、『何が?』と返しそうになってから、彼氏がいないか聞かれているんだということを理解して、心臓がしゃっくりをしたようになった。慌てて舌を回して答えた。
「いない、いない。私死ぬほど人見知りだから。男子でちゃんと喋れるの、杉山ぐらいだし。」
「杉山さんとは付き合ってはないんですか?」
「うーん、ない。」
足元に目を落として、後ろに流れていくアスファルトを眺めながらちょっと想像してみた。私と杉山か。うーん、映画館かツタヤくらいしか行く場所がなさそうだ。それにどうしても静かだ。お互い人見知り過ぎる。何より、アンバランス過ぎる。
「うん、ないな。」
「なんでですか?杉山さんかっこいいのに。」
「それはそうなんだけど、私と杉山が付き合ったりしたら負のオーラでブラックホールができる気がする。それに『私の彼氏』じゃ杉山には役不足でしょ。」
「どうしてですか?」
植山さんが目をつぶらにして私を見た。
「私みたいなもっさり女子じゃ不釣り合いじゃない。」
「何言ってるんですか。美人です、夏美さん。」
「いや、そんな…」
口では言いつつも、胸の中は少し蒸し暑くなっていた。こういう会話をするのなんていつぶりだろう。全然色恋沙汰は経験していないけど、やっぱり自分が話題に上ると、むずがゆくなる。
「全然嫌いなわけではないんだけどね、杉山。」
「嫌いじゃないってことは、好きなんですか?」
植山さんが少し意地悪な顔をして聞いてきた。この子、意外と攻めてくる。私は思わず苦笑しながら答えた。
「好きっていうかまあ、そうだなぁ、付き合うとか抜きに。嫌いだったら二人で海行ったりしないしね。」
「あ、この前の下見ですか?」
「そうそう。ずっとあんな感じ。」
植山さんは意地悪な表情を緩ませて少し口を尖らせた。
「あー、そうすると確かに、彼氏彼女って感じじゃないんですね。」
「そう。分かるでしょ、なんとなく。」
「分かります、なんとなく。」
植山さんがふんふんと頷いた。
「悠里さんとかは、すぐ彼氏できそうですよね。」
「モテるだろうねーあの子は。」
明るいし、社交性も高いし、可愛い。
「ちょっとガサツだけどね。」
「まぁ。」
植山さんは可笑しそうに笑った。
「でもなんか、そこが好き。猫みたいで。」
「あー確かに!猫っぽいですね悠里さん!」
植山さんがはーはーと言いながら頷いた。居眠りするときとかも猫っぽいし。猫目の顔が頭に浮かんだ。
ん、猫目?悠里って猫目ではないよな。ぱっちりくりっとした丸い目だ。
「あ、すいませんティッシュとか持ってないすか。」
後ろから急に声がした。振り返ると台車を後ろから押していた川西くんが鼻を押さえて上を向いていた。私たちは台車を引くのを止めた。
「鼻血?」
「はい。」
暑いからな。私は一応ポケットを探ってはみたけれど、スマホしか入っていなかった。
「はい!これ。」
植山さんがポケットティッシュを取り出して、上を向いたまま差し出された川西くんの手に置いた。サンキュ、と川西くんは言うと、後ろを向いて鼻血の処置をし始めた。さすが一女、女子力が高い。
「暑いですねぇ。」
植山さんが言った。
「暑いね。」
とちょっと空を仰ぎながら答えた。

 手が何か熱いものに当たって、私はビクッとして手を除けた。
「あちち。」
カメラ用の黒い三脚だった。
「大丈夫ですか。」
川西くんがカメラから顔を外して声をかけてきた。川西くんはこれを見越していたのか、軍手をつけてカメラを操作していた。昨日の撮影で気付いたんだろう。マイクを持って動き回る植山さんは特に汗びっしょりで、まっすぐ切り揃った前髪が濡れて、額にぺったり張り付いていた。
「あ、うん。大丈夫。」
私はそう言って、持っていたCampusのノートをばらばらと開いた。
3人の後ろ姿も、もう撮った。今撮ったのは、佐々木さんが玲ちゃんの姉を演じるところ。取り敢えずひと段落だ。挟んであったペンをノックして、チェックマークをつけておいた。
ぱたぱたと硬い足音が跳ねてきたので顔を上げると、水色のワンピースに着替えた佐々木さんが、紙を持って戻ってきた。
「ごめんなさい、何回もやり直ししちゃって。」
「大丈夫だよ全然。難しい演技だしね、妹の余命宣告なんて。」
佐々木さんが持っている診断結果の紙は、杉山が作ってプリントアウトしてきたものだ。器用な奴だ。このシーンは私が変にこだわってしまい、後ろから覗き込むように撮ったり、佐々木さんの横顔をアップで撮ったりと小技が多く、撮るのに結構時間がかかった。でも佐々木さんの演技自体は、結構いいと思っていた。
スマホを出して電源ボタンを押す。反射が眩しくて、画面に何も見えない。手で影を作って、画面の明るさを最大に調整した。時間を見ると、14:43と出ていた。2時間半も撮ってたのか。あっという間だ。私は声を上げた。
「じゃあ、とりあえず休憩ね!」
はーい、とみんなが言った。悠里は言い終わる前に海へ走り出していた。エネルギッシュな子だ。鈴原くんと川西くんも階段を下って砂浜に降りて行った。
 玲ちゃんは、日よけ用に部室から持ってきた傘をさして、ちょこんと階段に座っていた。遠くを見ながら、深く息をしている。疲れてるんだろうか。
 私は階段を数段づつかくかくと降りて、玲ちゃんの隣に立った。
私に気がついて、玲ちゃんが傘をずらして私を仰ぎ見た。
「あ、夏美さん。」
「お疲れ。どうしたの?」
私は腰を下ろした。玲ちゃんは左手でスカートのプリーツをいじっていた。
「なんか、難しいですね演技って。」
「ごめんね、結構変なとここだわって書いちゃったから、難しいところ多くて。」
「あ、いや、そういうんじゃ。なんか、やってる内に段々、この主人公ってこういう人なんだなっていうのが、なんとなく分かってきて。そしたらなんか、本当に自分がこの人になって来てるような気がして、ちょっとしみじみしてたんです。」
玲ちゃんは左目でちらっと私を見て少しいたずらっぽく微笑んだ。
あれ、なんだっけ、この顔。
何か変な感じがした。誰だっけ、こんな笑顔。何か思い出しそうな気がしたが、考えるのをやめておいた。
 私は今日撮ったシーンを思い返してみた。3人で海に行くシーン。何回か撮り直しをしたのは、病気を打ち明けられない主人公が立ち止まって複雑な表情をしたり、トイレで一人で泣いたりするシーンだった。脚本には『胸の中が青白くなった時みたいな表情』という謎の指示が書かれていて、深夜のテンションで脚本を書いた数週間前の自分を脳みそから引っ張り出してビンタしてやりたくなった。
 撮るのが大変だったのはやっぱり、泣くシーンだった。まず女子トイレには川西くんは入れないので、カメラの使い方を教えてもらって私と植山さんで撮ったのだけど、問題は涙だった。実際に涙が出てなくてもいいと言ったが、玲ちゃんはちゃんと演じたい、と言って涙を出す方法を探し始めた。一年生が目薬を取り出してくれたり、杉山がまぶたを無理やり開けたままにして泣いて見せたりした。一番衝撃的だったのは悠里で、「私一発で泣ける!」と言ったかと思うと両手で自分の首を全力で締め始め、十数秒でぼろぼろ涙を出していた。それを真似しようとした玲ちゃんを関さんが全力で止めていた。玲ちゃんの首に手の跡が赤く残るのは良くない。悠里ぐらいにしか似合わないアクセサリーだ。
 結局、玲ちゃんは自分でスマホを見て何か方法を見つけたらしく、3回目のカットで完璧なタイミングで涙を流して見せた。
 私は玲ちゃんの横顔をこっそり眺めた。いつになく力の抜けた、楽な表情をしていた。トイレで泣いていた時の表情を思い返す。あれはあまりにも、あまりにも生々しかった。私はちょっと呆然としたままカメラの横に立ち尽くしてしまい、植山さんの合図で慌ててカットを言ったのだった。
私は声をかけた。
「でも玲ちゃん、本当にすごいよ。さっきの泣くシーンとか、なんか、本物かと思っちゃった。」
玲ちゃんは目を細くして笑った。
「そんな。」
「本当だよ。どうやったの?さっきのシーン。」
玲ちゃんはちょっと目を開いて、お腹に乗せていたスマホを持った。
「これ、見てたんです。」
そう言って、画面を点けて私に差し出した。
何かの集合写真だ。制服を着た人たちがたくさん並んでいた。私たちよりはだいぶ年下に見えた。光沢紙に印刷してあるものをスマホで撮影したようで、電気が白く反射して光っている部分があった。
見ていく内に、目につく人が映っていることに気がついた。
「あれ、これ悠里だ。髪黒いけど。」
今より大分髪が長くて、染めてもいなかったので一瞬別人のようにも見えた。顔は可愛いんだよな、悠里。
「…ん?」
悠里の顔のすぐ右に、写っている人がいた。白い肌。つやつやな髪。幼い顔。何か、違和感がある。一人だけ光の加減が明らかに違う。
「え、これ、玲ちゃん?」
「はい。中学の卒業アルバムなんです。」
聞きたいことが多すぎて頭の中が散らかっていたので、拾いやすいものから取り上げて言葉に出すことにした。
「なんで、これを?」
「あ、実はこのアルバム、私はもらってないんです。悠里が撮ってツイッターか何かにあげてたやつで。」
「ああ、そうなんだ。」
「私、合成で写り込んでるんです。全然学校行けなかったから素材の写真もほとんどなくて、入学資料の写真で、無理やり。」
私は目を戻した。一人だけ幼く見えるのは、そういうことか。
「これ見ると、なんか、悲しい気持ちになるんです。あとなんか、ちょっと怖くて。もしかしたら泣けるかなと思って、見てみたら、泣けました。」
玲ちゃんはスマホを切りながら、少し眉を下げて微笑んだ。
なんと言えばいいのか分からなかった。
悲しいのは何と無く分かったけど、「ちょっと怖い」って、どういう事なんだろう。何が玲ちゃんを泣かせたんだろう。どうして玲ちゃんは、これをスマホに保存しようと思ったんだろう。
私はまた玲ちゃんの横顔を見た。
そこまで、本気で。
「おーーーい!れーーいーー!」
悠里が水の上で仁王立ちして、両手をブンブン振りながら叫んでいる。
「こっちきてー!」
「はーい!」
玲ちゃんは立ち上がって、行ってきます、と言うと海へ駆け出して行った。玲ちゃんは少し手前で靴と靴下を脱いで並べると、水に足を入れて行った。
悠里と玲ちゃんのシルエット。なんか、いい。絵になる2人だ。水面に映った空が波打っている。2人はその空に足を突っ込んで、立っていた。
 私は息をつくと、シュシュを外して左手首にはめ、髪を束ねていたヘアゴムを引っ張って後ろ髪を引き抜いた。ポニーテールを束ね直していると、後ろからざりざりと、階段を降りてくる足音が聞こえた。顔を上げると、杉山が階段を下って、私の後ろに歩いてくるところだった。
「水野ー。」
「ん?」
杉山は不思議な表情をしていた。目を少し丸くして、私を見ていた。
「なに?」
「あ、いや。コンビニ行かない?」
「ん、ちょっと待って。」
ヘアゴムをひねって髪を通す、というのを3回くらいやってから、悠里のシュシュを上からはめる。
「そういえば、最近ポニーテールなんだね。」
杉山が私の後ろ髪を見ながら言った。私はうなずいた。
「うん。こっちの方がいいような気がして。どうかな?」
「ん?うん、いいと思う。」
杉山はちょっとびっくりしたような素振りだった。私は立ち上がった。コンクリートの階段を、砂でざりざり言わせながら上る。

 杉山がコンビニに入るなり言った。
「みんなにさ、アイス買って行ったら喜ぶんじゃないかなと思って。」
ちらっとレジを見ると、この前の太ったおばさんが今日もレジに立っていた。視線を杉山に戻す。
「いいね。なんか、一昨年の3年生みたい。」
「結城さんたちか。懐かしい。」
私は積み重なっていたカゴを一つ取った。アイスのボックスの方を見ると、杉山がガラス越しにアイスを眺めながら、あごに手を当てていた。私は杉山の横に近づいて言って、声をかけた。
「悠里がさ、杉山のこと『祐希さん』って呼ぶでしょ。」
「そうだね。」
「私、あれが時々『結城さん』みたいに聞こえるんだよね。」
「ははっ、確かに。俺もたまに聞き間違えるわ。」
杉山はおもむろにふたをスライドしてボックスを開けた。わずかに白い冷気が這うように溢れ出してきて、床へ流れて行った。足首にひんやりとした空気を感じた。杉山はアイスを3つ取り出して私の持っているカゴに入れた。少し嬉しそうに口角が上がっているのが横顔からちらっと見えた。私は続けた。
「なんか、この前佐々木さんが言ってたけど、杉山、人気らしいよ。映画に出てくる人みたい、だって。」
「俺が?おっかしいな。」
杉山はもう4つアイスを取ってカゴに入れた。やっぱり、さっきよりも口角が上がっている。1女に人気があると嬉しいものなんだろうか。羨ましい奴め。
「うーん。」
杉山が急に腕を組んで、少しわざとらしく顔を固くした。
「どうしたの。」
「決められない、あと二つが。」
「杉山が食べるわけじゃないのに。」
「だからこそだよ。水野選んで。」
杉山はボックスから一歩左にずれた。私はボックスを覗き込んだ。
「えー。じゃあ、これと、これ。」
私はチョコモナカとバニラアイスを指差した。杉山はその二つを取り出して、カゴに入れた。
レジに並ぶ前に、私は言っておいた。
「今日はちゃんと割り勘ね、三年生からのおごりにしたいから。」
「さすが監督。」
「何よそれ。」
カゴをレジに置いて、スカートのポケットから財布を引っ張り出す。アイス9個で、ぴったり1000円だった。私は財布を開けた。ちょうど500円玉がある。
「杉山、500円玉ある?」
「あった。はい。」
私と杉山はおばさんの前に500円玉を1枚づつ置いた。おばさんは無言でそれをレジに放り込んで、レジ袋を杉山に渡した。
 杉山は袋を左手に持ち替えて、自動で開かない押し開きのガラス戸を右手で押した。ドアをくぐる。杉山が後ろ手でドアを押さえててくれたので、私は心の中でご苦労、と言っておいた。
 この前までは車通りのほとんどなかった道路も、まばらに車が通っていくようになっていた。横断歩道がないので、車がいないタイミングを見計らって走って渡った。
 杉山が浜辺への階段の横の防波堤によじ登って、浜辺で遊んでいるみんなに向かって叫んだ。
「アイスだよ!」
えーとか、やったーという声が、空にジンジンと反射して響いてきた。私も何か、居ても立ってもいられなくなって、防波堤によじ登った。両手を口の横に当てる。
「早くしないと、溶けちゃうよー!」
私の声も、空をジンジンと鳴らしている。顔を滑った海風でポニーテールがポンポンと揺れているのがわかる。毛先が首筋をくすぐっている。胸が軽い。みんなが浜辺からバラバラに階段へ集まってくる。悠里がすごいスピードで階段を駆け上がってくる。制服なのに、よくあんなに動けるよなぁ。私と杉山は防波堤から飛び降りた。悠里が階段を登り切って、腰に手を当てて息をしていた。
「一等賞。」
「よっしゃー!」
悠里は袋に手を突っ込んで、一番オーソドックスなガリガリ君を引き上げた。
 みんながぞろぞろと階段から現れた。杉山がアイスを配って回る。一年生はアイスを受け取ってありがとうございます、と口々に言うと、5人でまた砂浜へ駆け下りて行った。
「これ、夏美さんと杉山さんが買ってくれたんですか?」
玲ちゃんが聞いた。サラサラな髪の毛がこめかみに汗で貼り付いて、青っぽく光っていた。
「うん。三年からのおごりってことで。」
私が言うと、玲ちゃんはニコッと笑った。綺麗な顔だ。
「ありがとうございます!」
私は玲ちゃんの白い顔に、うっすらと青いクマが浮き上がっているのを見た。何かを言いたくなった。その時杉山がこっちを向いて、レジ袋を持ってない方の手をひらひらさせて言った。
「いいのいいの、俺らも一昨年とか散々奢ってもらったし、後輩に還元しないと。ね。」
「あ、そうだね。懐かしいなぁ。」
横からずりずりと音が聞こえてきたので振り向くと、ガリガリ君を口にくわえた悠里が防波堤をよじ登っているところだった。スカートがめくれ上がって中が見えそうになったのを、玲ちゃんが慌てて駆け寄ってスカートを整えて隠していた。
「4人で上に座って食べよう!」
悠里が私たちを見下ろしながら言った。
「あ、いいねそれ。青春っぽい。」
杉山が無邪気に言った。悠里が防波堤の上から首を伸ばして、玲ちゃんに向かって言った。
「玲ちゃん、おいで。」
「私、登れるかな。」
「バンザイしてみ。」
玲ちゃんは素直に両手を挙げた。
「手引っ張るから、足で壁登ってきて。」
悠里がしゃがんで玲ちゃんの両手首を掴んで、一気に引っ張った。玲ちゃんは防波堤の斜めな壁を3歩くらい蹴って、てっぺんに足をついた。悠里、結構力持ちだ。
「ふぅ!怖かった…」
玲ちゃんは息まじりに言うと、悠里と顔を見合わせてふふっと笑った。
位置的には私が次だ。私は防波堤に手を掛けようとして、ちょっと考えてから後ろを振り返り、杉山に言った。
「いいって言うまで向こう向いてて。」
「え?あ、うん。」
杉山はちょっろ瞬きをしてから慌てたように体を返した。杉山が背中を向けたことを確かめると、私はまた這うようにしてのそのそと上までよじ登った。
「いいよ、杉山。」
そう言うと杉山は神妙な顔でおそるおそるこっちを見上げて、黙って防波堤に手をかけて登ってきた。
 4人で海の方に向いて、並んで座る。コンクリートの放射熱がふとももにじんじんとしみる。太陽の赤外線が肌を刺してくる。暑い。眩しい。青い。
なんかいいなぁと思った。玲ちゃんと悠里がアイスのパッケージを開けている。
本当に、”青春っぽい”。
まだアイスをもらっていないことを思い出して、ビニール袋を持った杉山に声をかけた。
「アイス、何残ってる?」
杉山は袋を開けて中を覗き込んだ。
「チョコモナカと白くま。どっちがいい?」
「杉山は?」
「俺?うーん、モナカかな。」
「じゃあ私白くま。」
杉山はレジ袋からアイスのパックを出して、袋を丸めてポケットに突っ込んだ。私は杉山から白くまのカップとアイス用の平べったいスプーンを受け取った。封を破る。
 アイスを食べ始めると、なんとなく、静かになった。砂浜でボールを投げている一年生たちを、ぼんやり眺める。いつの間にボールなんて持って来てたんだろう。
「山下と早川さ。」
右に座っていた杉山が唐突に、口を開いた。悠里と玲ちゃんが、こっちを向く。杉山は続けた。
「映画部、楽しい?」
私は思い出した。前も、二人で帰った時にこんな話をしていた。部長もそれなりに、苦労が多いのかなと思った。特に杉山はすごく周りに気を使う人間だから、大変なのかもしれない。
「なんでそんなこと聞くのかよく分かんないけど、」
悠里が海の方を見たまま、ガリガリ君をかじりながら言葉を挟んだ。
「私は、少なくとも楽しいですよ。去年はまぁあれだったけど、今年は本当に。」
「私も––」
玲ちゃんがふらっと、口を開いた。玲ちゃんは真面目な顔で言った。やっぱり、目の下に薄くクマが浮かんでいた。
「楽しいです、本当に。今、多分これ、今までの人生で一番楽しいと思うんです、私。」
「そんなに!?」
杉山は目を大きくしてのけぞってから、小さく笑って言った。
「一年生も、楽しんでくれてるかな。」
悠里がガリガリ君の棒を口の横でくわえたまま答えた。
「こないだ一緒にご飯行ったんですけど、祐希さんと夏美さんがすごいって話ばっかりしてますよ、一年生。」
急に私の名前が出たので、思わず悠里の横顔を見た。悠里は棒をくわえるのをやめて、手で弄びながら続けた。
「私たちは一昨年の代は知らないけど、祐希さんたちが一昨年の代に憧れてるのと同じくらい、一年生も祐希さんと夏美さんに憧れてると思いますよ、多分。私らもそうだし。」
悠里が玲ちゃんに、ね、と呼びかけると玲ちゃんはサラサラの髪を揺らしながら何度も頷いた。私は杉山の顔を見た。杉山はまた、恥ずかしそうに下を向いて笑った。

2017年9月24日公開

作品集『ナツキ』第11話 (全20話)

© 2017 ムジナ

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