ナツキ K

ナツキ(第14話)

ムジナ

小説

9,628文字

第14話

「いくよ。…3、2、1、アクション。」
パチン、と私が鳴らしたカチンコの音が廊下のホールに響き渡って、しばらく漂ってから壁に吸い込まれた。川西くんは今までで一番硬い表情にした顔をカメラに当てている。植山さんもカメラの真下にしゃがんで、マイクを持って固まっていた。階段の上では玲ちゃん以外の役者陣5人が、映り込まないようにしながらも体を乗り出して覗き込もうとしていた。
かつん、かつん。上履きのラバーが階段を打つ音が、下の方から響いてくる。どこか控えめで、こっそり歩いているような、むず痒い足音だった。
これを撮り終われば、撮影は終わりだ。
かつん、かつん。まだ玲ちゃんの姿は見えない。
私は、ほとんど息を止めて川西くんの脇に立っていた。ワイシャツが背中に張り付いている。汗の転がっていく感覚がうなじから頰にかけてを、ゆっくりとなぞっていく。
かつん、かつん。まだだ。もうすぐ、姿が映る。

一昨日の夜、最後の海のシーンの脚本をみんなにlineで送るとすぐに、玲ちゃんから電話がかかってきた。玲ちゃんと通話をしたことはなかったので、私は少し驚きながらスマホを取った。玲ちゃんと電話だなんて、男子が聞いたら発狂するだろう。私は胸の中をかき混ぜながら、画面に映された通話ボタンをタッチして、スマホのスピーカー部分を耳に当てた。
「もしもし?」
『あ、夏美さん。すいません、急に電話しちゃって。』
「ううん。全然。どうしたの?」
スピーカーの奥から、ガサガサという、何かが擦れ合うような音が聞こえた。
『さっき送ってもらった、明日の脚本、いま、読んでたんですけど。』
音の正体は脚本の紙だったようだ。私は明日のシーンのセリフを思い返してみた。時系列的には最後のシーン。部室でものすごい勢いで書きつけたセリフから書き換えていなかった。もしかしたら、演じづらかったかもしれない。その事か。
「あ、セリフね。結構勢いで書いちゃったんだけど、ちょっとやりづらいかな。」
『あ、そうじゃないんです。ここのセリフ、多分これって、この映画で一番大事なセリフ…ですよね。』
玲ちゃんの声はすこしヒリヒリした雰囲気でスピーカーから響いてきた。
「そうね。」
『だから、自分で練習しちゃう前に、夏美さんに聞いておこうと思ったんです、どう演じればいいのか。』
「そういうことか。」
『この、この最後のセリフ、本当に、すごいです。だから、夏美さんがどういうイメージで書いたのか、知りたくなって。』
玲ちゃんは少し興奮したようにいつになく跳ねたテンポで話していた。私はちょっと黙って、頭の中を急いで片付けた。どう伝えればいいのか。私は一単語づつ拾い上げながら、話した。
「なんていうかな…感情が、爆発してるっていうか。ちょっと違うかな。今まで、肋骨の内側にどっぷどぷに溜まってたものが、急にどばあって、氾濫しだした感じ、なんかていうか、例えば…」
そこまで言って、私は一旦黙った。そして、もう一度口を開いた。
「玲ちゃんは、どう思った…?」
『私、ですか?』
「どういう風に見える?この、主人公。」
『…なんか、すごい変に思われるかもしれないんですけど。』
「うん。」
『最初、設定とかをもらった時、夏美さんは私から想像して、話を考えたのかなって思ったんです。セリフとかも、なるべく私が言いやすいようにとか、色々工夫してもらってて。でも脚本もらって、だんだん物語ができてきて、何度か読み返してたら、なんか、気づいたんです。この主人公って、夏美さんなのかなって。』
「私?」
玲ちゃんははい、と陶器のような声で言った。
『そう、思ったんです。夏美さんはそんなつもりじゃないかもしれないですけど。でも、きっと夏美さんは、このキャラクターを通して、夏美さんの中の、なんていうか…葛藤とか、いろんな感情を、表そうとしてるんだなと思って。』
私はまた、固まってしまった。胸の中に光を当てられたような感じがした。だって、その通りなのだ。私は、スピーカー越しの玲ちゃんの言葉にまっすぐ貫かれていた。
『前から勝手に思ってたんですけど、私と夏美さんって、ちょっと頭の中の仕組みみたいなのが、似てる気がするんです。脚本もらって、セリフ読んだ時に、びっくりしたんです。なんていうか、見てる世界っていうか、自意識みたいなのが、本当に、私とぴったりで。きっと夏美さんも、そうなんだと思ったんです。だから私、演技してる途中、ずっと夏美さんになろうとしてたんです、今まで。』
私は思い返した。今まで見て来たシーンが頭の中で切れぎれに再生された。徹夜で脚本を書き上げた時、部室でクライマックスのシーンを書いた時、確かに頭の中では玲ちゃんの姿を浮かべて、玲ちゃんの声を借りてセリフを言ってはいたけど、その中で表したかったのは、私自身の感情だった。私の苦しみだった。私の胸骨の中に詰まっていた、粘土の塊だった。あまりにも必死で、自分でさえ気付かなかった。
だから、玲ちゃんはあんなにいい演技をしてくれたんだ。私の中身を、誰よりも理解してくれていたからだ。私の中にぎゅうぎゅうに詰まっているその塊が、玲ちゃんには見えていた。だから、そのために、何度も脚本を読み込んでくれていたのだ。
私は叫び出したくなった。胸の中が、撮影をした日の海の砂のように熱くなっていた。撮影初日の、階段の下から私を見上げる玲ちゃんの姿が、急に蘇った。あの時玲ちゃんはまっすぐ、私を見つめていた。玲ちゃんは、私になろうとしてくれていた。海のロケで、一人で傘を差して座っている玲ちゃん、目の下のクマ、『演技するのって、やっぱり結構体力使いますね…』。
きっと、玲ちゃんはすごいエネルギーを使って、私を演じようとしてくれていたのだ。熱くなった胸の中の何かが、息に混じって沁み出しているような気がした。なんとか、この、この感情を、言葉にしなきゃいけない。玲ちゃんに伝えなければいけない。私は言った。
「…玲ちゃん。」
『はい?』
私は一度息をし直してから、目の前にはいない玲ちゃんの目を、心の中でまっすぐに見つめながら言った。
「…ありがとう。」
『いや、そんな。』
「毎日、遅くまで、やってたでしょ。」
『はい、まぁ。』
「ごめんね、無理させちゃって。」
『いや、全然です!違うんです、私嬉しかったんです。だって、それって夏美さんが、私と、自分の姿を重ねてくれたっていう事、じゃないですか。私、それがめちゃくちゃに嬉しいんです。』
玲ちゃんは呼吸を整えるように一瞬声を止めてまた、少しトーンを落として話し出した。
『夏美さん、脚本書いてる時、毎日徹夜して、クマ作って、一生懸命書いてたじゃないですか。それが、すごくかっこいいなぁと思って。夏美さんがあんなに必死で書いてくれたセリフだから、私も必死で、やろうと思ったんです。このセリフじゃないですけど、夏美さんといられる夏休みは、だって、もう最後だから。』
私は何か答えようとして、急に息が詰まった。
突然、宇宙の全部の法則から投げ出されてしまったみたいな感覚になった。
そうだった。その通りだ。玲ちゃんたちと過ごせる夏休みは、今年が最後だ。そんなことはずっと分かっているつもりでいた。分かっているはずだったのに、玲ちゃんに言われて急に、それが胸の中の圧力を高め始めた。
『覚えてないかもしれないですけど、私が映画部に入った時、最初に喋った先輩が、夏美さんなんです。』
また頭の中で再生が始まった。空っぽな薄暗い部室。廊下の方からうっすら漏れ入ってくる、跳ね回るような賑やかな声。きっと下の階の部活だろう。かつん、かつんという二人分の足音。勢いよく開くドア、仁王立ちしている悠里、その脇に申し訳なさそうに立っている、玲ちゃん。
「…うん、覚えてる。リンダリンダリンダ観たよね、3人で。」
『はい!だから、何ていうか。中学まで、ちゃんと学校に行けてなかったので、夏美さんが、生まれてはじめてできた先輩なんです。だからずっと憧れてたんです。その夏美さんが、最後の夏休みで、映画作ろうって言ってくれて、私に主役やってほしいって言ってくれて。なんか、本当に、他にどう表現すればいいのか思いつかないですけど、本当に嬉しいんです。』
顔が熱くなってきた。私は思わず下を向いてしまった。電話でよかった。きっと私は、今最高に気持ち悪い表情をしているだろう。私は左手をほおに当てた。ひんやりする。
私はスウェットについたシワを眺めながら答えた。
「ありがとう、玲ちゃん。私も、嬉しいよ、玲ちゃんがそこまで本気になってくれて。」
玲ちゃんは、いえいえ、そんな、と小さく言っていた。音質の悪いスピーカーが玲ちゃんの声にヤスリをかけていた。
「私ね。」
『はい?』
私は、玲ちゃんに何か言おうと思った。言いたいことがたくさん肺の中にたっぷり溜まって、青い色水のようになっていた。
「…いや、なんでもない。頑張ろうね、明日。」
『頑張りましょう、本当に。』
「うん。おやすみ。」
『お疲れさまです。すみません、突然電話しちゃって。』
「ううん、いいよ全然。」
『おやすみなさい。』
「おやすみ。」
ピロリン、という音もあまり気にならなかった。
なんだか私は打ちのめされてしまっていた。
この1ヶ月で、私は玲ちゃんの本当に色んな顔を見た。演技の時に見せてくれた顔も、帰りの電車や話している時ににじみ出ていた表情も、ほとんど全部、初めて見る顔だった。海のシーンで流していた涙や、白い肌にうっすらしみ出た青いクマが、網膜に眩しく焼きついていた。この前、海での撮影の時、4人で並んでアイスを食べた時、玲ちゃんが透き通った表情で言っていた言葉が、ずっと頭に響き渡っていた。
『今、多分これ、今までの人生で一番楽しいと思うんです、私。』

18時37分。
私はスマホをポケットにしまって、顔を上げた。
青い。
太陽が沈んで、空が、というより空気が、一番青くなる時間だ。空気全体が青白く、ぼやっと発光しているみたいだった。砂浜も、制服のワイシャツも、腕の肌も、それと一緒に薄青く包まれているみたいだった。
川西くんが手を上げた。この青さは、すぐに夜に溶けてしまう。学校に戻るのを考えても、撮れるチャンスは粘って20分だ。
「アクション!」
私はカチンコを叩きながら叫んだ。玲ちゃんがふらふらと、海の前に走り出た。川西くんのカメラがその姿を横から捉える。
玲ちゃんはそのまま力尽きたように数歩ゆらりゆらりと水に近づくと、叫んだ。
「嘘つき!」
前のめって、お腹を押さえて、体から絞り出すように、鋭い声で叫んだ。
「嘘つき!!!」
声が、冷めた砂や防波堤に硬く跳ね返されてしんと短く響いた。
その光景はあまりにも眩しかった。寝ぼけたような色の空、その中でぼうっと青白く浮かび上がる砂浜。そこで叫んでいる、玲ちゃん。
眩しい。
かすれた喉で息を吸い込む音が、波音の隙間に聞こえた。
「嘘つき!嘘つき!嘘つき!!!」
玲ちゃんの白くて柔らかい横顔が、痛々しく歪んでいた。膝に手をついて頭を垂れると、切り揃った髪が玲ちゃんの顔に降りかかって、顔を隠した。
「ずっと待ってれば、耐えてれば…いつか、いつかまた必ず夏が来るって、信じてたから…」
吹き続けている海風が揺れて、一瞬玲ちゃんの髪をかき分けて目元をあらわにした。何かが鋭く光を反射して、視界を貫いた。
涙。
私は息をのんだ。一瞬、この空間に私と玲ちゃんしか存在しないような感覚になった。
「だから、だから今まで生きてきたのに!絶対夏が来るはずだからって、そのために、こんなに、眩しくて、苦しくて、悔しいのも全部我慢して、一生懸命、息をしてきたのに!」
噛み殺すようにそう叫んで、がばっと顔を上げる。そしてそのまま崩れ落ちるように膝をついて、空を仰ぐ。
「…もう、夏なんて嫌い。」
掠れた声であえぐようにそうこぼして、そのまま転がるように横に倒れた。
…綺麗。
眩しかった。何もかもが、玲ちゃんのセリフも、風も、本当に何もかもが苦しいぐらいに眩しい。私は、そこに立ち尽くしてしまっていた。砂の上でうずくまっている玲ちゃんが、肩を震わせて、息をしている。私は動けなかった。
後ろから覗き込んでいた杉山が背中を突いてきて、はっと我に返った。
「カット!」
私はカチンコを鳴らした。
完璧だ。

かつん、かつん。玲ちゃんの髪が揺れるのが見えてきた。ゆっくりとしたペースで、一段づつ、階段を登ってくる。青く光を反射する黒髪の合間から、白い顔が見えた。玲ちゃんはなんだか、微笑んでいるような、それでいて今にも泣き出してしまいそうな、そんな不思議な表情をして、自分の足元や、階段の一段一段、ホール、壁、天井、校舎の中の空間をぐるりと見回すようにしながら、階段を登っていた。
かつん、かつん。玲ちゃんの左の上履きが踊り場の床を踏んで、わずかにキッ、と鳴った。しんとした校舎の空気にその音が刺しこむ。ホールの空気は固まっている。時間が止まっている。玲ちゃんだけがゆっくりと、止まった時間の中を流れている。
踊り場で一度立ち止まり、周りを見回す。そして一度、ため息か、あるいは深呼吸みたいな息をすっと吐いて、また階段に足をかける。川西くんが息を止めたまま慎重に、カメラの角度を変える。
かつん、かつん。玲ちゃんの後ろ髪が揺れる。顔は見えない。少しずつ、空気が緩んでいく。かつん、かつん。背中が遠ざかっていく。ワイシャツの肩に薄く下着の線が浮き出ていた。
ああ、なんか、いるんだなぁ、ちゃんと。
ちゃんと、ここにいる。存在している。玲ちゃんはここにいる。カメラを覗き込んだまま体を強張らせている川西くんを見た。川西くんも、ここにいる。マイクを持ってしゃがみこんでいる植山さんも、階段の上でおしくらまんじゅうになりながら一生懸命こっちを覗き込んでる杉山も、悠里も、鈴原くんも、関さんも、佐々木さんも、みんなここにいる。この校舎も、この静けさも、かつんという音も、窓の隙間から染み込んでくる夏みたいな音も、全部、ある。同じ空気の中にある。同じ空の底にいる。
私もいるんだ、と最後に気付いた。世界は、ちゃんと厚みと奥行きと、色と温度を持って、私の周り360度を取り囲んでいた。そしてそれを見ているということは、私は今ここで、呼吸をしてる。
急に、目が熱くなってきた。
かつん、かつん。
玲ちゃんの左足が、階段の最後の一段から離れる瞬間を、私は見た。そして玲ちゃんの姿はすっと廊下に消えた。かつん、かつんという音だけが、遠ざかりながら拍を打っていた。
私は強く瞬きをして、口をぎゅっと結んだ。
3、2、1。
すっと息を吸い、声を出す。
「カット。」
地球がふっと息をついたように思えた。みんなは止めていた息を吐き出して、校舎の空気が少し膨らんだ。急に暑さが肌に貼りついた。みんなは無言で、視線を低くして私に向けていた。
私はもう一度、今度は少し深く息を吸い込んで、まっすぐに言った。
「クランクアップ!」
壁が声を跳ね返す。一瞬だけヴン、と響いて、
「いよっしゃあああ!」
みんなの声がせり上がった。
終わった。
みんなそれぞれに何か叫ぶか、息をつくか、誰かに話しかけて、その声が壁に跳ね返って混じり合って、ゆっくり回りながら天井の方に昇っていった。
終わった。
川西くんと植山さんが、ハイタッチしている。覗いていたみんなが階段を下りてくる。
私は急に力が抜けて、かと言ってその場にへたり込むこともできずに、ただ目をぽかんと開いて、カチンコを手に提げたままその場に突っ立っていた。
階段の途中で騒いでいる悠里や杉山の間から、玲ちゃんがたたっと階段を駆け下りてきた。
「夏美さん!」
玲ちゃんはそのまま駆けてきて、私の前で立ち止まった。
「…お疲れ様、玲ちゃん。」
私は玲ちゃんの肩に手を置いて、揺すった。急に、頭の中がヒリヒリと熱くなっているのを感じた。胸の中で何かが踊り狂っていた。
「夏美さん。」
玲ちゃんが、言った。私は玲ちゃんにピントを合わせた。玲ちゃんはしばらく何か言いたそうに口を少し開いて視線を浮かせていたが、また私に目を合わせた。
「お疲れ様です、本当に。」
私は玲ちゃんの肩に手を置いたまま、何度も、ぶんぶんと髪を振って頷いた。無理だ。この感情を口に出すのは無理だ。今の私の、この感情を表すには、言葉はあまりにも非力だ。私はもう何もかもよく分からなくなって、玲ちゃんを抱きしめていた。玲ちゃんも私に腕を回して、背中をトントンと叩いていた。
玲ちゃんの肩ごしに杉山の方を見ると、目が合った。杉山は口角をきゅっと上げて、私に向かって頷いた。私も同じように、杉山に向かって頷いて見せた。

「いやー、ひと段落、だね。」
杉山がワイシャツの裾をぱたぱたと振るって、服の中に風を送りながら言った。
「水野、本当お疲れ。」
私は頷いた。撮影が終わった瞬間から、あまりまともに言葉が出てこなくなってしまっていた。
「あとは、編集して、BGMつけてって感じかな。」
「うん、そうね。ちょっと地味になるけど。」
「仕上げってわけだね。」
「うん。」
『明浜高校前交差点』の青字の標識の下に信号機がぶら下がっている。光の玉が緑の穴から黄色の穴を抜けていき、赤で止まった。視線を動かして私たちの向かい側の信号を見ると、赤い人型がすっと上の緑色の人型に変わった。杉山が歩き出したので、私もそれに続いた。
「9人か…お菓子と飲み物、どのくらいいるかな?」
杉山がぱたぱたしながら聞いてきた。
「うーん。おっきいペットボル、3本くらい買おうか。」
「オッケー。お菓子はまぁ、適当に選ぶか。」
横断歩道を渡りきって、そのまま自動ドアへ進む。がががっという音がしてドアが左右に引く。ピロンピロンと音がなって、茶髪の店員がいらっしゃいませーと誰にともなく言う。
私は積み重ねられていた青いプラスチックのカゴを取り上げて、奥に入っていく杉山を追いかけた。杉山はペットボトルの並んだ冷蔵庫のガラスのドアを開けて、2リットルのお茶とサイダーを取り出した。私はカゴを差し出した。杉山が中にペットボトルを入れる。
「うっ、重っ」
予想していたよりも大きい力が腕にかかって、私はカゴを持ち直した。
「あ。ごめん、持つわ。」
杉山の腕力も私と大差ないんじゃないかと思ったが、せっかくなので杉山にカゴを渡した。
杉山は両手を伸ばしてカゴをぶら下げながら、もう一本選んで、と私に言った。ちょっとその様子が面白かったので、私は心の中でくすくすと笑いながらぶどうジュースを引っ張り出して、カゴに入れた。杉山が少しよろけたので、また少しおかしかった。
私はふと思いついて、言った。
「あ、ねぇクラッカーでも買っていく?」
「いいね。あいやダメだ。多分火災報知器鳴っちゃうから。」
「あー…部室棟、ボロだもんね。」
「でもせっかく打ち上げだしなぁ。なんかしたいね、確かに。」
映画部で打ち上げなんて、2年ぶりくらいだ。一昨年、茉理さんが応募した小説のコンクールで賞を取った時に、部室でお祝いしたのを思い出した。そこまでで思い出すのを止めておいた。
「ねぇ、屋上でやろうよ、打ち上げ。青春っぽくない?」
「あ、いいなそれ。すごい青春っぽい。」
杉山が目をきらきらさせて答えた。私は笑い出してしまった。
「なんだよ。」
「いや、なんかさ。」
私は言葉を探した。
「なんか、私たちって『青春っぽい』ていうの、好きじゃん。」
「うん。」
「それって、ちょっと変じゃない?」
「変?」
杉山が目を丸くしたまま眉間を寄せた。どういう意味、と目が言っている。私は頭の中をかき回しながら答えた。
「なんか色々見てるとさ、青春って、その最中は無自覚なまま突っ走ってて、後から振り返って『あぁ、今思えば青春だったなぁ』ってなるやつでしょ。理想的には。」
「まぁ、そうだね。」
「そう思うとなんか、私たちって、ちょっと自覚的すぎるんだよね。冷めてるっていうか、多分。何やってても、どこかで傍観してる自分がいて、だからこういう時も『あ、青春っぽいことしてる』ってなってさ。」
すごくたどたどしい説明になってしまったが、なんとなく伝わるだろうとは思った。こうやって私が、言葉が頭に追いつかなくて訳のわからないことを言っている時、茉理さんがそれを『ナツキ語』と呼んでいたのを思い出した。
杉山はしばらく斜め下の方を向いて考えた後、顔を上げて答えた。
「あぁ。それは、あるね。」
「うん。それってさ、ちょっと悲しいことな気がして。」
私は俯いた。杉山が同意してくれて、ちょっと安心した。私達、と言ったはいいものの、もし杉山が違ったらどうしようと思って、少し不安だった。
私は、常に自分の頭に監視された中で、感情を持っている。持っている感情を頭が拒絶したり、制限したりすることもある。冷めているのだ。多分私たちは、他の人よりもたくさんのことを考えすぎていて、頭の方が強くなりすぎているんだろう。だから、みんなみたいに感情に任せて暴走することができない。
杉山が口を開いた。
「でもさ、それでも突っ走ることはできるよ。冷たい自分は居るけど、そいつが居るってことを自分でわかってて、あえて無視すれば、突っ走ることはできるよ。その分エネルギーは使うだろうけど。」
「でも、それって本当に心から、楽しめてるって言える?」
杉山はまたしばらく斜め下を向いて考えた後、少し口角を上げて、
「わかんない。」
と言って、レジへ歩き出した。私は慌てて後を追った。
コンビニを出て、32度の空気にもわっと包まれた。空が少し緑がかった深い青色で、純粋に綺麗だと思った。校舎の向こう側は夕焼けだろう。
私は杉山に言った。
「でも、この1ヶ月は、本当に心から楽しくて。久しぶりに、すごい純粋になれた気がした。」
杉山を見ると、少し安心したように表情を緩めていた。私は続けた。
「だから、ありがとうね、杉山。」
杉山は頷くと、レジ袋を持った腕を伸ばして、のびをした。
「うーん。」
猫みたいな声を出している。腕を放して息をつくと、杉山は言った。
「なんか、良かった。」
私は杉山を見た。
「ん、何が?」
「水野が楽しんでくれてて。」
「だって、私が言い出したことだもん。」
私がちょっと目をそらしながら笑うと、杉山は続けた。
「言い出してくれた事もだよ。だって水野、ずっと元気なかったから。茉理さんが––」
杉山は声を止めて、何かを伺うように私の目を見た。私は頷いて、続きを促した。杉山は少し言いにくそうに、再び口を開いた。
「––茉理さんが、亡くなってから。」
「…うん。」
横断歩道の手前に立つと、すり減ったアスファルトの道路に、空の色と赤い信号、車のライトの引く線が、染みるように映っていた。
杉山の横顔を盗み見ると、黙ってしまった私を見て不安になったのか、足元の方に目線をうろつかせていた。
心配してくれてたんだなぁ、杉山も。
しばらく私たちは静かになって、車に擦られる道路が鳴る波みたいな音と、夕方のセミのしゃらしゃらという音が沁みていた。私は、おもむろに口を開いた。
「ねぇ、杉山。」
「うん?」
杉山は不安そうな黒目を少し大きくして私の顔を見た。私は言った。
「もういいよ。」
「いいって?」
私は一度、火照ったコンクリートのにおいのする空気を吸って、ゆっくりと吐いた。
「…いや、なんでもない。」
信号はもう青になっていた。

2017年10月4日公開

作品集『ナツキ』第14話 (全20話)

© 2017 ムジナ

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