「ほんとうにすみません。なにもお話していなくて……セブジさんに口止めされてたものですから」
恐縮しきりといったていでパトリシアは丁寧な謝罪のことばをはなしている。時々舌がもつれるのか咳払いをするものの、淀みのない、表現豊かな謝罪である。言いたいことはただ一つ、「なにも言っていなくてごめんなさい」なのだがよくこれだけ言葉があるものだとタォヤマは感心した。
「シーシちゃんのことも実は知っていたんですけど、とにかくなにも教えないでほしい、適格かどうか決めるのはシーシちゃんだからということだったので……」
彼らはひとまずホテルに場所を移動していた。ベッドルームもシャワールームもふたつある豪勢なスイートルームだ。しかしそれでもタォヤマはまだちっとも落ち着いていなかった。
部屋に入ってすぐにシャワーをあびたのでベトベトはすっかりない。体毛の多いくせにシャワーがきらいなシーシからベトベトを取り除くのは苦労したが、それくらいはどうということもない。いつもごきげんな彼女はチトよりずっと扱いやすいからである。
VOAが壊滅したと聞いたのち、チトは数十秒あまり放心状態になった。そしてなにかがすとんと腹の中に収まったのか、ほうと息を吐いたかと思うと今度は一転してわんわんと泣き出してしまったのだった。チトの面倒は主にセブジが見ているが、それでも彼女の声がするたびにタォヤマは聞き耳を立ててしまう。今はすっかり眠りこけているシーシに膝枕をしてパトリシアの謝罪を聞き続けなければならないのだが、耳が反応するのである。
「…………」
「前任の方が――私も会ったことがないのでどんな方か知らないんですけど」
「オガですか」
「ええ、その方が、途中でシーシちゃんに適格じゃないって判定されたようなことをセブジさんからは伺ったんです。そうなると後任の方が二百歳を過ぎて能力が安定するまでは適格者がいないとお断りされてしまって」
それはそうだろう、とタォヤマは思った。ユフは二百歳くらいには力が安定するとは言われているが、力の強いものならそれでも早すぎるくらいだ。慎重派のセブジならあと百年待ってもおかしくないのにことを急いだのは、VOAのことがあったからかもしれなかった。それともチトのことを考えたのか? 自分で言っていたとおり、イェナのニンゲンのことを考えたからなのか? それとも――
それともオガのことがあったからなのか?
オガとはほとんど付き合いのなかったので、タォヤマはオガがセブジのことをどう思っていたかわからない。しかしセブジのオガに対する気持ちは単純な友人関係ではなかったことを知っている。だからセブジは力に執着しているのだし、それが原因で五回も六回も離婚を繰り返しているのだ。本人だって言っている、俺は力にしか興味が持てないんだ、と。その興味対象の最たるものがオガだったのだ。
オガが不適格――おそらくシーシがセブジにそうするようにオガを避けたのだろう――と判定されたときにあの二人がなにを思い、どう話し合ったのか。ピークをすぎ、衰えが隠せなくなったオガは自分のことを受け止めきれずに、事故を装って自分をスプシュトしてしまったのではないか? 力がないのなら、抱えているだけでも苦しいこの力を役に立てることができないのなら、楽園へ戻ったほうがずっといい。オガはそう思ったのかもしれなかった。そしてセブジはそんなオガの思いをいまだに理解できないのかもしれなかった。
「今回もだめなようならまた十年から二十年待つというお話だったんですが、お会いする前に――あの、シャトルの中でシーシちゃんとお話してましたでしょ。あれでたぶん大丈夫じゃないかしら、と思って期待してたんです。VOAのほうはもう待ったなしの状態でしたから――」
「嘘だよ! 嘘にきまってんもん、セブジの嘘つき! ユズハは、悪い人じゃないだから、ほんとだもん!」
不意に隣の部屋から響いてきた甲高いチトの声に二人は沈黙した。壁のむこうではずっと、チトがセブジを詰っている。チトが黙るとしばらく沈黙が続き、それから低い声でとつとつとセブジが彼女をなだめはじめる。その繰り返しだ。
VOAの犯罪捜査をしていた捜査チームは、トルシュをのぞくほぼ全員がVOAの思想に「汚染」されていたのだそうだ。できるだけ効率的に彼らを一網打尽にするためにVOAに近づいた結果、うっかり倫理を手放したものが少なくない――というよりはもともとリュボヤはニンゲンの捕食を悪いものと思っていなかったということなのだろう。禁止だと通達されたからやらないだけで、なぜ禁止になったのかを本心から理解しているわけではないのだ。
チトはその話を全く受け入れなかった。なぜ受け入れられないのか、タォヤマにはわからない。彼女の言葉は支離滅裂で、特にユズハという人物について言及している。タォヤマは膝に視線をおとし、もう何度目かになるため息をついた。
セブジは何度も謝っている。俺も知らなかったんだよ、ごめんな、最近わかったらしくて、ユズハも昔は違ったのかも、チトは悪い子じゃないから大丈夫。でも彼女が聞きたいのはそんな言葉ではないのだ。
タォヤマは頭をふって、無理やり二人の声を頭から追い出した。
「ガイは……なんなんですか?」
「彼は――ボランティアですね。観光庁にはインターンとして採用されてますし、VOAとは全く関係ないので安心してください。ちゃんと照会したうえで採用していますから」
そういうことが聞きたかったわけではないのだが、と思ったもののタォヤマは言葉を飲み込んでシーシの髪をなでた。先ほどまでガイがいることに喜んで大はしゃぎしていたシーシだが、ソファにおさまるなりすとんと眠ってしまった。眠る前にケーキが食べたいと頑固に主張してガイを使い走りにしたのに全くいい気なものだ。たぶん帰ってきたらガイはまたしょぼくれるだろう。今もしょぼくれているかもしれない。
「……若い頃から知ってますけど、シーシちゃんはずっと赤ちゃんみたいですね」
「…………」
「子供は、あっという間に大きくなると思ってたのに……」
絡まった髪の毛に指が止まる。その姿勢のまま、タォヤマは動けなくなった。親指をくちもとにあてがって、シーシは脱力している。白い陶器のような肌は頬が赤くなり、額の際には汗が滲んでいるが、当の彼女は安心しきった穏やかな顔で眠りこけていた。
「いつから――……」
「私の父が初代の関係者だったんです。それで歳の近い子供がいたほうが情操教育にもいいし、と……私はあっという間にこんなおばさんになっちゃいましたけど、チトちゃんはまだ子供ですし、シーシちゃんはいつまでもほとんど赤ちゃんで……かわいそうに……」
頭を殴られたような衝撃を覚えて、タォヤマはまじまじとパトリシアに目をやった。
彼に、ニンゲンの年齢を予測する知見はない。少なくとも子供でないということがわかるくらいで、若いか年を取っているかは判別できないのだ。ユフに比べれば彼女の肌ははりがあって皺も少ないが、確かに言われてみれば肌にところどころ黒ずんだシミが浮き上がっている。しかし背筋はのびているし、頭の体毛も多く、まじまじとみつめてもやはり年齢は推測できないのだった。
しかし、五十年だ。五十年あればニンゲンは寿命の半分以上を費やしてしまう。
「……そんなに、前から、ですか」
「ええ。最初にあった時は確か――……確か私は十歳にはなってなかったと思うんですけども、それくらいの年頃の頃って小さな子供とどうやって遊んだらいいかわからなものでしょう? それにリュボヤは人間を食べるって聞いていたものですからなんだかこわくて、噛みつかれたらどうしようってすごく不安だったんですよ」
語調もやわらかく、パトリシアは薄い唇を緩めて笑った。
「一回あたりの滞在は四時間以内でないとならなかったのですこし遊んだだけでしたけど、シーシちゃんは昔から屈託がなかったですねぇ。チトちゃんはちょっと恥ずかしがり屋で、ひねくれたことを言ったりするんですけど、でも優しい子なんですよ。何回か通ううちに仲良くなって、それで、この仕事を引き継ぐことにしたんです」
「シーシは、壊されるのに、ですか?」
「ええ。十代の頃は納得がいかなくて父に食って掛かったこともありましたけど、でもシーシちゃんはイェナのことが大好きで本心から――ええと、なんでしたっけ、発音が難しくて何年たっても覚えられないんですよね。ああ、スプシュト、スプシュトされたがってるってことはわかっているので、今は納得しています。納得できるまでは長い時間がかかりましたけどね」
またもや笑顔だ。
タォヤマは答えられなかった。彼女の言う「長い時間」はタォヤマがセブジと出会ってからの時間より短いはずだ。それどころかタォヤマとセブジが出会った頃、彼女はもしかするとまだ生まれていないのかもしれなかった。あっという間ともいっていい時間を彼女は「長い」という。子供時代から老年までを早足で駆け抜けて、なにもわかるまえから、すべて納得したと言う。
それがニンゲンであり、短命種であるということなのだ、とようやくタォヤマは理解した。チトだってタォヤマに比べれば寿命が短いから、いずれタォヤマを追い抜かして老いてしまうだろう。理屈としてはわかっていてもこころが追いついてこない。理解が、できない。
「…………」
「四時間なんていわないでもっとながく一緒にいてあげればよかったんですよね……わかってるんですよ。でも――」
「……四時間っていうのは……?」
「接触制限時間です。あまり長い時間交流を持つと危険があるかもしれないので、ニンゲンとリュボヤの接触には制限が設けられているんですよ。一般だと八時間、彼女の場合はVOAとかかわりがあるので一日四時間まで。昔は本当に子供でしたから職員が交代でシフトをくんでいたんですけど、ここ二十年くらいは彼女もなかなか捕まらなくなりましてね……反抗期なんでしょうね。ずいぶん大きくなったので非行に走ってないか心配しつつ様子を見てたんです。でも、もっと関わってあげればよかったのかも……」
うつむいて彼女はゆっくりと首を横に振った。長い溜息をつく彼女の体がしぼみ、ソファの中に消えていってしまうような錯覚をする。彼女は自分の爪を眺めている。時々爪の先の方を弾き、それからチトのいる部屋の扉へ視線を送り、また爪に視線を戻す。
ふっつりと会話が途切れた。壁の向こうでも声が途切れ、時々チトが鼻を啜る音がかすかに聞こえるだけだ。穏やかなのはシーシの寝息だけで、息をするのもためらうような沈黙が部屋を覆っている。
だめだ、とタォヤマは思った。なにか話をしていない時がおかしくなってしまう。でも、ただの世間話をするような気分には到底なれない。器官が焼けるように熱く、彼はひっそりともだえた。
「……シーシの細胞を寄生種検査に出したんです」
「え?」
「地下に行ったときにここには有機体を宿主にしない寄生種がいるってきいたので、念のため検査したんです。ニンゲンは大丈夫だって話でしたけど体が小さいと抵抗力も弱いだろうし、なにかあったら大変だと思って――」
「まぁ、ご存知なかったんですか? そんな、お知らせすればよかったわ……なんと謝ったらいいか……」
「いえ、いいんです。僕はあとでまた検査に出しますから……シーシの検査結果を見たんですけど……」
「シーシちゃんは生物じゃないので結果は出なかったんじゃありません? あ、でも生き物じゃないってことは――」
口元に手を添えて、パトリシアは素早く左右に目を動かした。
「……もしかして……?」
「通過・定着の痕跡があるらしいんです……そうなるとメリヴォとしてあつかうにしてもどうしたらいいか、わからなくて、それに、シーシは、ニンゲンにしか見えないし……」
まあ、と口を丸く開いてパトリシアは沈黙した。沈黙するほかないだろう。事情を知っていたのなら、彼女の頭のなかにも色々な思いが浮かんだはずだ。寄生種が定着した状態でスプシュトしてもよいものなのか? ヴェシュミ・ビセはどうするのか? 五十年かけてつくったメリヴォが使えないとどれくらい期間が伸びるのか? 初めからやり直しなのか、それとも代替案を考えるのか? その場合、大きくなりたがっているシーシになんと説明をするのか? 彼女をほんとうに廃棄してしまうのか? そんなことができるのか?
「……コミュニケーションを取る方法がないか調べてご連絡さしあげますね。たしか定期的に会合を開いているはずなので詳しいものもいると思います。二、三日中にはご紹介しますから」
「はい……」
タォヤマは目を閉じた。そしてしばらくぶりになるフレーズを頭のなかに思い浮かべた。楽園へはどうやって帰ればよかったのか、と。
「三十分で大丈夫だと思うけどなあ。俺は二十分くらいのほうが好きだな、柔らかいし、血が滴るくらいのほうがそそられる……」
「おまえの趣味に付き合わせるなって言ってるだろ。俺はよく焼けてるほうがいいんだ」
「あ、ちょっと待てよ。この大きさだと中の方まで火が通るのには時間がかかるから温度を高めにしておけば外側はタォヤマの好み、内側は俺の好みにならないか? それでいこう!」
「それで? 焦げたら?」
「よく見とけば焦げる前に取り出せるさ」
「おまえなぁ、昨日同じこと言って焦がしたよな。忘れたのか? 忘れた? この間抜け」
「焦げたのは俺だけのせいじゃないだろぉ。それに昨日とは大きさが違うし」
まったく性懲りもなく同じ話を毎日繰り返しているくせになにを言っているのかとタォヤマは呆れた。
パトリシアはゆっくりでいいと言っていたが、セブジは到着した翌々日から内見に歩きまわり、四日後には引越し先を決めていた。まだ足元があやういタォヤマには引っ越しは辛い作業だったが、かといってベッドの足りないガイの部屋では体が休まらない。セブジの判断は正しかった。
タォヤマが元気になるまではガイはあまり見舞いに来なかったが、セブジから許可がおりて以降は毎日、セブジを送ってきたついでだとか、そばまできたからなどと理由をつけて、夕食前にあらわれるのだった。あらわれるときは必ず肉塊かビールかケーキを持参するので、夕方になるたびにシーシは「ケーキまだかな」と言うようになってしまった。
もっとも彼はイェナ再開発計画のメンバーだし、二人をアテンドしたりアポイントメントの調整をしてくれたりする役割もあるので毎日顔を合わせるのは当然なのだが、その割にこの数日話したことの八割は肉の焼き方に関する議論というのも困ったものなのだった。
「オーブンで焼くなら低温でローストしたほうが全員の好みの最適解になると思うぞ。生肉食ってシーシが腹下しても困るし……あれ、下すのかな? まぁいいか。それより交通教本と市内の道路マップは手に入った?」
キッチンの作業台にもたれかかっていたセブジがついに口を挟んだ。パン捏ねは放棄して、だらだらとビールを飲んでいる。
「一応熱は通ってるから生じゃないと思うけどなぁ……あーと、マップは手に入りましたよ。Class 5までですけど、それより細いところは歩かないと……交通教本は明日翻訳したやつが届くんで持ってきます」
「歩けるところはシーシが調べてるから問題ないよ。あ、ありがとう」
近くにあった糸を叩いてガイはまた、温度が高いほうがいいと思うけどなぁとつぶやいた。とことん学習能力のない男である。
「だから」
「あ、それはそうと、ガイ。相談があるんだけど」
ふざけて四本の牙をむき出しにしていたガイはきょとんと目を丸くしてセブジを振り返った。が、呼んだ当人はすぐに話し始めず、一口ビールを煽った。そして重苦しい溜息をつく。こういう年寄りじみた無駄な動作をする時は大抵ろくでもないことを考えていると、付き合いの長いタォヤマは知っている。
「君のことはいろいろと調べさせてもらった」
「俺の? ああまあいいですけど」
タォヤマは顔をしかめた。この口調、絶対にろくでもない話だ。
「VOAとの関連は俺の調べる限りゼロ。すばらしい」
「はぁ」
「それから今学生なんだってな。卒業のために世界中の都市を回って勉強してるって」
ぱっと表情をあかるくしたガイは元気よく返事をした。口数のおおいガイではあるが、都市構造のはなしになると輪をかけて講釈が長くなる。しかも長くなるだけでなく他のものに口をはさむ余地を与えずとうとうと説明をして持論を付け加えるほどだ。そういうときは目を輝かせているのでよほど好きなのだろうと思っていたが、学生だとは知らなかった。
「色々回ったんですけどイェナみたいに電力供給の問題を対処してる場所って他になくて、ここについて卒論書こうと思ったんです。何年か実地調査してこいっていうのがうちの科のやり方なんで、ついでだし稼ぎながらやろうかと思って! ほんとイェナのサプライはユニークなんであと三十年くらいは住んで経緯と現状を明らかにしたいですね! 誰も全容はわかってないらしいんで!」
「ん、や、それはいいんだけど、イェナの再開発が終わったらどうするんだ?」
「え?」
「いや、ヴェシュミ・ビセが終わったら少なくとも今みたいにずっと揺れてるってことはなくなるよ。地下の発電所を拡張するのはもちろんだけど外縁部のほうも発電所として活用するし、地盤がしっかりして植物の攻勢に負けないように丈夫にするし」
「え?」
ガイとタォヤマの間にちょこんと腰を下ろしてオーブンの中身を覗き込んでいたシーシが、こてんと顎をそらした。ガイがケーキを持ってこなかったので拗ねていたのだが、彼の妙な声は気になるらしい。
「いや……」
「あれー、あー、そうかぁ……」しょんぼりと耳を寝かせ、ガイは悄然とした声を吐いた。「そうだよなぁ、よく考えたらそのために再開発するんだもんなぁ……」
「いやまぁ、イェナの外観はそんなに変わらないし、好きなら好きでいいと思うんだけどさ。ええと、だけど研究成果はヴェシュミ・ビセの前にまとめておかないとなくなっちゃうかもしれないからそれには気をつけて、と、その、ね、伝えておいたほうがいいかと思って」
「そうだよなぁ……なんで気づかなかったんだろう……」
これは完全に落ち込んでいると笑いを噛み殺しながらタォヤマは思った。なんでも正直に、少し大げさなくらいに全てを表すガイは微笑ましい。少し間が抜けていていらいらさせられることも少なくないが、こんなふうにしょげかえっているのを見れば彼のことを憎むなど不可能に決まっているとわかるだろう。
「タォヤマ。笑うのはやめなさい、かわいそうだろ。ああと、それでひとつ提案があって」
「はぁ……」
完全に気落ちしているガイにセブジはやってしまったという顔をしている。やってしまったのはセブジなのだからまわりに飛び火させるなとタォヤマは思ったが、口には出さなかった。ガイは太いまゆをぎゅっとさげ、肩もおとして本当にしょげかえっている。うつむきがちのまつげまで悲しそうだ。
「別に嫌なら断ってもらって構わないんだけど、うちの会社で働かないかね」
タォヤマは首を捻じ曲げてセブジを仰いだ。またもやぐびりとビールを煽ったセブジは口を斜めにして尖った白い歯を口の端からのぞかせている。
珍しい、とタォヤマは思った。強すぎるユフにしか興味のないセブジがスプシュトもできないガイに誘いをかけるなど天と地がひっくり返ってもありえない。これはなにか企んでいるのだ。タォヤマは目をほそめ、セブジを睨みつけた。
「ん、でも俺、見ればわかりますけどスプシュトなんかできっこないですよ。毛だらけでユフの対極にいるみたいなもんじゃないですか。全部そったらできるようになるのかなぁ、はずかしいなぁ」
まだしょんぼりと肩を落としているが、ガイは無理に作った明るい声で冗談を言った。そういうところは本当にいいやつだ、とタォヤマは思っている。思っているからこそ、セブジのおもちゃにされているのが可哀想でならないのだ。ますます目をほそめ、タォヤマはセブジを睨んだ。
「いやいや、スプシュトは期待してないよ、当たり前だけど」
「はぁ」
「いやさぁ、俺だっていずれ年取って死ぬだろ。その時に会社はどうなる? 社長不在だぞ。もちろん誰かに託してもいいんだけど、うちの会社って大抵強すぎるユフがいるだけで、あいつら経営とかには全然興味ないからな。人当たりも悪いし、勉強する気もないし、そもそも才能あるシュルニュクには現場に出てもらわないと困る。けど困ったことに俺は才能あるユフしか見えない病気にかかっている。そこで、だ」
「俺、と」
「そう、ガイに白羽の矢が立ったわけですよ」
「なぜ」
「そう。なぜか気になるよなぁ。第一に君は」右上腕の第一指でガイの鼻先をさして、にかりとセブジは笑った。「トルースだ。ユフじゃないからスプシュトできない。つまり俺の視線に入る」
「そりゃ光栄です」
「第二に、君はトルースだ」いつもの悪い癖が出ているとタォヤマは顔をしかめたが、セブジは自分の言葉に期限が良くなったのか、にかりと白い歯をむき出した。「寿命がだいたい千五百年、なんとユフよりも長生きをする! そんでもって君はまだたったの二百五十歳くらいだからあと千二百年くらいは後継者問題に悩まなくて済む。すばらしい」
素晴らしいのだろうかとタォヤマは首をひねった。セブジは時々よくわからない思い違いをすることがある。
「第三に君はトルースだ。ユフじゃない。つまりどう頑張ったって後方支援だ。経営だけに注力できる」
「はぁ」
さすがにあきれたのか、ガイは気のない相槌をうった。耳は垂れ、ついでに尻尾までだらりと床に放り投げている。
「第四に君は都市に興味がある。好きだよな?」
「好きですね」
「ヴェシュミ・ビセは街や土地をつくるのが仕事だから、興味がないやつじゃ困るんだよ。けどユフで興味があるやつってのはたいてい強すぎる奴らだから、そういうやつらを後方支援に回すのはもったいない。そこでよく考えてみよう。ヴェシュミ・ビセの仕事はスプシュトだけだろうか、と」
ああ、とガイは気の抜けた声を出してシンクにもたれかかった。戸惑ったようにまばたきをしているが、話は理解したらしい。「知識があれば今俺がやってるみたいなコンサルタントはできるはずなんだ。スプシュトに関してわからないことはシュルニュクと組めば解決できるし、うん、まぁとにかく興味があるなら途中まではできる。仕事を割り振るのは俺だってできてるんだからガイができないわけはない。後は話の途中で集中力切らさなきゃいいんだけど、まぁでもあんたまだ若いしこれからまともになるよな。まだ子供みたいなもんだ」
「…………」
「タォヤマには学校にでも通って、強すぎない若いやつを探してこいって普段からつついてるんだけど、こいつ学校嫌いなもんで絶対に行かないんだよ。それに別に都市に興味があるわけでもないしな。単に強すぎるから、シュルニュクになっただけでいまいちやる気がない。これはよくない」
うるせぇなと言い返してタォヤマはセブジから視線をそらした。とはいえ、セブジのいうことは図星だ。彼はシュルニュクになりたかったわけではないし、ガイのように都市構築や都市構造などに興味があるわけでもない。セブジに引き取られた時からシュルニュクになる以外の道がなかっただけだ。セブジがたとえ腕を切ってもその時はその時だといくらいっても、タォヤマは信じられなかったからである。
「それにお前ら結構気が合うみたいだし、組んだら良いチームになるんじゃないかね。どうだよ」
きょとんと小さな目を丸くしてガイはタォヤマを見下ろした。邪気はない。
「んー、どうしようかな……」
「福利厚生は完璧、望めばあちこち旅行にいけるし、仕事はバンバンあって競合他社がいない! 金の鉱脈だぞ、絶対に食いっぱぐれない」
「おお……でも出会いがなぁ……」ああ、と息を吐いてセブジは笑った。顎に手をやって天井をにらみ、ガイはなにかを真剣に考えている。「でもスカウトかぁ。スカウトってのはかっこいいな。どうしよう」
「お前はバカなのか。ってかガキなのか……」
「ガキじゃないよ。タォヤマとかわんないだろ」
「でも平均寿命が千……五百? で今二百五十?」
タォヤマぁと笑っていたセブジが口を挟んだ。腕を組んで顎をさすっているガイは下唇をつきだしているばかりだ。
「トルースは雌雄異体で胎生生物だぞ。子供育てる時間が長いからユフと違って成熟するのが早いんだ。だからユフで言ったら……だいたい二百ちょっとくらいかな、タォヤマとかわんないな。どっちもクソガキだし」
「うるせぇ。クソはお前だクソは」
「おまえなぁ、ほんとそういうとこばっかりオガに似て……誰にそんな汚い口の聞き方をおそわったんだ?」
「おまえ」
「俺じゃないだろうよ。正直に言いなさい」
「おまえ」
ねぇ、ターヤマぁとそこでシーシが割り込んだ。セブジと少し話し込んでいると必ず割り込んでくる。自分だけのけものにされるのはいやだが、頑としてセブジとは話したくないのだ。
「真っ黒になっちゃうよぉ」
「もう? まだ大丈夫じゃないかなぁ」
「シーシ、真っ黒は苦いからやだな。おいしいのがいい」
「じゃぁもうちょっと温度下げとこう」
まったくぅ、とセブジがぼやいているがタォヤマは無視をして操作盤を叩いた。少しアナログなオーブンで、ボタンを押さないと反応しないのである。ガイはまだなにかを悩んでいるようで、顎の下をさすっている。
「んー、卒業するのが五年後だろぉ……んーとぉ……となるとやっぱりオンラインで探すしかないのかなぁ……一緒に旅してくる女の子がみつかりゃいいんだけど……ユフじゃなぁ……しわしわのガリガリで毛無しだもんなぁ……」
「ユフは卵生なんだから交配できないだろうよ」
「そういうことじゃないですよ」
「ま、十年か二十年以内に決めてくれりゃいいよ。そんな慌てなくても……ああ、それからチトのことなんだけど」
オーブンの扉をたたいてなにか主張するシーシを引き止めていたタォヤマは顔をあげてセブジを仰いだ。ガイも背中をのばしてひょいと眉を持ち上げる。それどころか今回ばかりはシーシも顔を上げてセブジを仰いだ。
あのあと、一切の身分証がない彼女は国際機関預かりとなった。VOAのメンバーの子供だと思われると捜査資料には残っていたそうだが、その捜査資料ですら捜査員のほとんどが逮捕、拘留されているのだからあてにならない。彼女はまず自分がなにものであるのかという検査を受け、それからリュボヤの然るべき機関預かりとなって五十数年あまりの空白を埋める事務作業のために引きずり回されているのだった。その間に教育をうけ、ニンゲンを捕食するのはいけないことだと教え込まされる更生機関に押し込まれているのだ。いまだ混乱し、傷ついている彼女は時々セブジに助けを求めてくる。そのたびにセブジは律儀に応対し、時にはイェナの仕事を放り出して彼女のもとに駆けつけることもあった。それでもまだ、彼女の傷は癒えない。いや、傷ではなく、彼女にはなにかが致命的に不足しているのかもしれなかった。それを埋めてやる存在が必要なのかもしれなかった。
「いやぁね、チトがこの状況に陥ったのは養育とチトの権利を軽視した俺のせいでもあるだろ。だから当局に丁寧にその話をしたんだよ」
「……会社潰すのか?」
「おい、タォヤマ。結論を急ぐな。まぁその可能性もなくはないし、その場合はラウセ辺りを後見人にしといてお前を社長に据えるから別にいいんだけどさ。でぇ……どこまでいったっけ? あーと、それで地下の資料室ひっくり返してネタになりそうなものは全部出したわけですよ」
「五十年過ぎたから捨てたんじゃないのかよ」
「終わってないものを破棄するわけないだろ。お前に見つかると面倒だから隠してたの。シーシのことを先に聞いてたら、お前絶対ここに来ないだろ」
にかりとセブジは白い歯を見せた。顔が少し赤らんでいるのはアルコールが回ってきたせいだろう。
タォヤマはビールを飲んでいるセブジが嫌いだ。ぐだぐだになるまでよっぱらう会社のシュルニュクはもっと嫌いだ。アルコールを飲める歳になっても絶対に飲まないと決めている。でも今のセブジは少し語調が柔らかくなった分、まともなおとなになったようにも見えた。
「先方はこう言ってきた。事情があったのは理解した。確かに俺や関係者が当時下した判断は間違いだったといえるし、チトが非行に走る主たる原因である」
シーシがぽかんと口を開けて珍しくセブジを仰いでいる。なぜかしっかりとタォヤマの左上腕を握りしめている彼女はタォヤマの胸に側頭部をおしつけてぱちぱちとまばたきをした。
「俺はチトが非行に走ったとは思わないけどね。まぁそれはおいといて、だ。チトに文字を教え、リュボヤの関係者に預けつつも毎月仕送りをして、毎年様子を見にイェナを訪ねた行為はユフの養育者としては標準的と言える。最大の問題は当時の関係者が彼女の国際的な籍をあきらかにせず、本人の意思なく福祉の網に外に押いやった点にあり――」と、そこでセブジはひらひらとビールの容器を振った。「また、そのような状況に陥らざるを得なかったという点において彼女は同情するにあまりある生い立ちである。その他の事情を鑑みて、イェナの再開発計画が完了するまでの間は告訴人預かりとして経過を観察するものとする」
「…………」
「というわけなので、もっと広い部屋に引っ越さないとな」
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