Aの徴

二十四のひとり(第1話)

合評会2017年04月応募作品、合評会優勝作品

藤城孝輔

小説

4,201文字

作品集『二十四のひとり』収録作。合評会2017年04月(テーマ「酒と不倫」)応募作。

明け方に帰宅したアレックは、浴槽に浸かったまま死んでいる母親を見つけた。湿気の充満した浴室の中で青白い裸身は眠るように湯の中に横たわっていた。結露したタイルがアレックの足の裏を濡らした。冷めた湯に両腕を突っ込んで抱き起こすと黒々とした陰毛が水中でゆらゆらと揺れた。穏やかで気持ちよさそうだとアレックは思った。

死亡を確認した検屍官の所見によれば、泥酔したまま入浴したせいで湯船の中で寝入って溺れ死んだのだろうとのことだった。

「お母さんが昨夜お風呂に入っているときに何か不審な物音が聞こえなかったかい?」

警官の問いに対してアレックはあいまいに首をかしげた。ひと晩じゅう家を空けていたことを軍警察に言いたくはなかったし、もっともらしい嘘がつけるほど彼は器用でもなかった。さいわい警官も検屍官も、アレックがショックで言葉を失っていると判断してくれたようだった。母親の乳房の上に烙印された二つの赤いAを一瞥すると、彼らは一様に顔をしかめた。しるしを負う女に対する嫌悪と軽蔑を隠そうともしない表情だった。

Aの徴は品格ある女性とふしだらな女を区別するためのものである。不倫(adultery)、アルコール依存(alcoholism)、妊娠中絶(abortion)のいずれかを犯すと徴が与えられ、三種の罪業すべてを満たした女は排除される。アレックの母親の体に焼きつけられた二つのAは不倫とアル中の罪を表していた。

「あんたを身ごもったときにはもう徴を二個もらってたからね。堕ろしたくても堕ろせなかったの」

幼いころからアレックは事あるごとに母親からそう言い聞かされてきた。酒をあおった母親の暴言を聞き流す習慣は身につけている。それでも息子を産んだことに対する呪詛じゅそと後悔の言葉を耳にするたびに彼は自分の混血の肌を意識せずにはいられなかった。そばかすの浮いた色素の薄い肌は、かつて母親が既婚者の米兵と姦通した罪を示す徴に他ならない。母親はアレックの生まれながらの徴から目を背けるように暴飲し、憎しみをぶつけるかのように彼の肌に赤黒いあざや火傷を作り続けた。

アレックは放課後と週末には市立図書館で本を読んで過ごした。出勤前の母親と鉢合わせしないようにするためだ。Aサインバーで働く母親は夕方に自宅を出ると、深夜まで帰ってこない。Aサインとは軍政府による公認(approval)の略称を指す。店の客の大半は米兵である。母親がアレックの父親となる男と出会ったのも同じAサインバーだった。出産後間もなく、その男は本国で待つ家族のもとへ帰っていった。アレックは薄茶色に退色した写真の中でしか男の顔を知らない。赤ら顔で太い腕を母親のきゃしゃな肩に回したその男は屈強な海兵隊の兵士だった。

図書館でアレックは男が家族と暮らす国について読みあさった。船に乗ってヨーロッパからたどり着いた白人たちは大陸を丸ごと自分たちの物だと宣言し、先住民を追い払って海岸沿いに清教徒の村を作った。村の清く正しい秩序を守るため、村人は自分たちの中に悪魔の手先が紛れ込んでいないか常に互いを監視していた。疑わしいとうわさされた人間は裁判所に密告され、拷問の末に縛り首になる。処刑された者の多くは身分の低い女性だ。実際に彼女たちが悪事を働いたかどうかはそれほど大きな問題ではなかった。村人たちにとって重要なのは善と悪の区別を常にはっきりさせておくことだった。

白人の先祖の偏見と暴力の歴史が父親の血を通して自分にも受け継がれているのではないか、とアレックは想像してみた。母が酔って手を上げるのは自分に父の残影を見ているからなのかもしれない。母だけに罪の徴を背負わせ、良心の咎めすら感じることなく本国で幸福に暮らす父の面影を――アレックは日に日に父親に似ていく自分の体がたまらなく嫌だった。中学校に上がってからは特に歯止めが利かなくなった。突然身長がクラスの男子の中で抜きんでて高くなった。頬骨が突き出てきて、ひげは毎朝剃っても追いつかなくなった。手足だけでなく胸や腹にまで濃い栗色の剛毛がむくむくと生えてきた。海兵隊の制服さえ着れば、もう写真の男と見分けがつかないくらいだ。

2017年4月1日公開

作品集『二十四のひとり』第1話 (全24話)

二十四のひとり

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© 2017 藤城孝輔

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"Aの徴"へのコメント 4

  • ゲスト | 2017-04-23 16:08

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  • ゲスト | 2017-04-23 16:32

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  • 編集者 | 2017-04-25 23:25

    酒と不倫よりも混血の要素が俺には響いてしまった。無論、混血と言っても様々あり、俺はこの主人公の様には「不幸的」でないにしても、途中の避けられる描写などは良く出来ている。
    この(はっきり言って)陰鬱とした世界で混血として生きるとはどう言う物か、もっと掘り下げられたものも見てみたいが、ともあれお題からここまで凄まじい世界観が出来るとは思っていなかった。合評会の作品としても、そうでなくても良い作品だと思う。私も混血としてもっと精進したい。

  • 編集長 | 2017-04-27 18:28

    Aの印という設定が秀逸だった。酷薄な世界を生きる少年の孤独と復讐がテンポよく描かれていて、破滅派を見る限り、著者の最高傑作なのではないだろうか。

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