気まぐれヤギさん

応募作品

藤城孝輔

小説

4,000文字

合評会2017年06月(テーマ「気づいたら家畜と入れ替わっていた」)への応募作です。賞金が3分の1になってやる気も3分の1に……というわけではありません。

最初は共同売店の徳三さんだった。ピーマン農家のハル婆さんが週に一度の買い物に来てみると店の前の路肩で雑草を食んでいた。ハル婆さんが抱き起そうとしたとたん、徳三さんはメエエエッと威勢よく鳴いて跳ね回った。彼の黒目は横に細長く変形し、太陽の下では虹彩が琥珀色に光って見えた。

県立病院に連れて行っても完全に正気を失っているということしか分からなかった。黒目の形が変わった理由も不明だ。高齢者の夏風邪が流行していてベッドに空きがなく、徳三さんの面倒は息子夫婦が自宅で見ることになった。息子夫婦は徳三さんを共同売店の二階に一人で住まわせておいて都心に自分たちのための分譲マンションを購入したばかりである。ローンも25年ぶん残っている。ようやく実家から独立できたとたんに介護が始まるなんてどうすればいいのだろう。夫婦は深刻な顔をして夜中まで話しあった。だが、親の介護に対する二人の不安はただの取り越し苦労だった。翌朝には夫婦ともどもメエエエッと鳴きながら仲よくリビングの古新聞に貪りついていた。

他にも町議会議員の宮里先生とトマト農家の政吉さんと小学校教員の陽子先生が同様に発症した。徳三さんを最初に発見したハル婆さんもほどなく子どもや孫ともども発症した。風馬のクラスでは大輔と祐太とみどりと静香の家が全滅だった。風馬は大輔と通学路が一緒なのだが、ある朝門から彼の家を覗くと大輔のお母さんが庭の植え込みに顔を突っ込んだ姿勢で脱糞していた。小豆大のコロコロした糞の粒が膝丈まであるスカートの中からパラパラと落ちてきた。ノーパンかよ! と風馬は思ったが、スカートの内側を想像してもいつものようには勃起できなかった。それよりも、大事に育ててきた植え込みの花を一心不乱に食べる中年女の姿が憐れに思えて仕方なかった。憐憫と恋愛が別物であるように、同情と欲情は両立しないことのほうが多い。糞が一粒門の外に転がり出てきたのでつまみ上げて鼻に近づけてみたが悪臭はなかった。小学生の頃に学校の飼育小屋で世話をしたウサギの糞に似ていた。指の腹で潰すとほろほろと崩れ、ただの土くれになった。

発症する生徒が急増したため、奇病の原因が特定されるまで高校は休校になることが決まった。クラスメイトは皆完全にビビっていて自宅から一歩も出ようとしない。日がな一日YouTubeを眺めるか、ネットに投稿する自己満足の小説を書いて過ごすつもりなのだろう。彼らの場合、もし発症しても自分が発症したと気づくことさえないかもしれない。彼らの人生は家と高校とネット上の往復で完結し、群れの外に出ることは決してない。富や名声といったお決まりの夢を頭の隅に巣食わせているが、やりたいことや好きなことがあるわけではなく、現状の自分が何かの偶然により世間に注目されることで成功できると信じている。個性的な自己を演出して上に登ろうとする彼らの仕草は一様に没個性的であり、リスクを冒さない彼らの家畜的人生はあくびが出るほど退屈だ。

風馬は奇病の原因に心当たりがあった。先週の日曜日、公民館で開催された七夕祭りにおいて青年会の人たちがヤギを何頭か潰して山羊汁と刺身にして振舞った。発症した人々が祭りに参加してその料理を食べていたことを風馬は記憶している。一番疑わしい食材はもちろんメインディッシュに用いられたヤギの肉である。ヤギ肉は独特の強烈な臭いがあるため、風馬はビールだけ飲んで食べ物には手をつけなかった。その場にいた他の連中は多かれ少なかれヤギ肉を口にしたように彼には思われた。平気な顔で豪快に頬張ってビールで流し込む者もいたし、面白半分でおそるおそる試す者もいた。風馬の近くにいた同じクラスの男子たちは「マジくっさ!」と大声で騒ぎながら互いに無理やり食べさせあっていた。

日中にしては人気のない町を歩き、風馬は町内会長の仲村さんの邸宅を訪ねた。この辺りの大地主でもある仲村さんは自宅の裏手に畜舎を設けてヤギを百頭ばかり飼っている。仲村さんのところでも一家全員が発症しており、忍び込むのは容易かった。広い庭では四十過ぎになる仲村さんの長男がメエエエッと嬌声を上げる奥さんの上にまたがり、畜舎の前では仲村さんがいかにも資本家らしい太鼓腹を仰向けに晒して日向ぼっこをしていた。風馬は堂々と彼らのそばを通り過ぎ、生後七か月くらいの小ぶりのヤギを三頭ほど麻袋に詰めて海辺に運んだ。麻袋を背中に担いだ彼を途中で見咎める者は誰一人いなかった。

誰もいない海辺に着くと、風馬は袋を下ろして中からヤギを一頭引っぱり出した。首根っこをつかまえて砂に頭を押しつけたヤギは黒目がちでつぶらな瞳をしていた。人間の目によく似ていると風馬は思った。正確に言えば、風馬の高校で音楽を教えている前島ゆり子先生の色っぽい目だ。包丁を持ってくればよかったのだが、風馬が持っていたのは護身用のポケットナイフだけだった。切れ味の悪い刃を喉笛にあててギコギコと動かすたびにヤギはメエエエッと甲高く鳴いて風馬の体の下で激しく身をよじった。あふれ出た血は白い砂を汚し、打ち寄せる波を赤く染めた。まるでレイプしているみたいだと風馬は思った。ムズムズしてきた股間を試しにヤギの毛皮に擦りつけて腰を振ったら、思いのほか呆気なくズボンの中で果てた。

風馬が汚れた下着を海水で洗い、ドラム缶に火を焚いてヤギの皮を焼くあいだ、白ヤギさんと黒ヤギさんの不毛な文通の歌が彼の頭の中で延々とリフレインされた。射精で気分が高揚したようだ。純白の毛に覆われた白ヤギさんは毛皮を焼くと狐色になってテラテラと輝いた。火の粉と共に、むせかえるほどの獣臭が立ち上がった。

ヤギ肉を食べれば発症するというのは今のところただの仮説にすぎない。発症した人間が数日前にヤギ肉を食べていたという状況はあっても、それだけでは因果関係の証明に不十分だ。風馬は確かな裏づけが欲しかった。腕の中のホカホカのヤギがその裏づけを与えてくれる。そう考えるだけで踝に翼が生えたように足取りが軽くなった。脂でシャツが汚れるのも構わず、彼はヤギをきつく抱きしめた。彼の仮説が正しければ、ヤギは最強のパートナーになるだろう。音楽科の前島ゆり子先生に似たヤギの目は火に炙られてすっかり白濁していた。

アパートに帰ると母親が台所に立ってニンジンと玉ねぎを切っている最中だった。弟はいつものように畳に寝転がって漫画を読んでいた。

「あれ、仕事は?」と風馬が母親に訊いた。母親は毎日夕方前に出勤するので、普段は風馬が自分と弟のぶんの夕食を作る。

「変な病気が流行り出したからしばらくのあいだ休んでいいってマスターから電話があったの。たまには腕によりをかけて料理作ってあげるね」

「そう。これ、もらってきた」そう言って風馬は狐色のヤギ肉をテーブルの上に載せた。

「ヤギ?」

「祭りの時の余りだって仲村さんが」

「どうしよう、一匹丸々なんてうちだけで食べるのは無理よ。それにカレーにするつもりで豚肉買ってあるんだけど」

「カレーに入れたら、このヤギ? 俺は仲村さんちで食べてきたからいらないけど」

「そうね。今夜うちで食べられるだけ食べて、残りはおばあちゃんちにでも持って行こう。きっと喜ぶはず」

カレーができあがると母親は台所から何度も風馬を呼んだ。ほぼ一か月ぶりの手料理を食べてもらいたいのだろう。母親はもともと料理が下手で、作れるのはカレーだけだ。風馬は彼女のカレーを旨いと思ったことがなかった。それでも彼女は、今日はすごく美味しくできたみたい、スパイスが利いてるからそんなに臭わないよ、せっかく作ったんだから少しくらい食べてよ、と執拗にせがみ続けた。しまいには弟が部屋に呼びに来たが、風馬は宿題があるからと嘘をついて追い払った。しょせん父親の違う弟である。顔も性格もまったく似たところがないし、可愛げもない。

母親と弟は三日後に発症した。朝起きたら母親が既に発症していて、弟は午後だった。時間差は食べた量が影響しているのだろう。風馬が冷蔵庫から干からびたニンジンを二本取り出して差し出すと二人は四つん這いで近づいてきてニンジンにしゃぶりついた。ノーメイクの母親には眉毛がなく、寝間着の襟から見える乳房は力なく垂れ下がっている。不平屋だった弟は嫌いなニンジンを前にしても文句一つ言わない。風馬は無邪気にニンジンを頬張る二人を抱き寄せ、背中をさすった。恍惚の涙が彼の頬を伝った。この弱く美しい生き物たちをずっと守っていこうと彼は心に決めた。

同じ頃、政府は町を襲った奇病がヤギを感染源とする伝達性海綿状脳症の突然変異種であるという結論を出し、県全体の畜産業者にヤギの全頭殺処分を命じた。ヤギたちが揃いも揃って人間のようなつぶらな瞳になっていることに業者たちは首をかしげたが、その意味を深く考える余裕はなかった。伝染病の症状でヤギの瞳孔が開いたのかもしれないし、あるいは何か不可思議な力によってヤギとヒトの体が入れ替わっていたのかもしれない。どちらにせよ今となっては同じことだ。ヤギたちは迅速に薬殺され、ブルドーザーで土に埋められた。

風馬が家族にヤギ肉を食べさせた翌朝、海辺では置き去りにされた麻袋がむくむくと動いて内側から破れた。中から飛び出してきたのは二頭のヤギである。袋の中で暴れたせいか一頭は片方の後ろ脚を少し引きずっている。彼らは辺りを見回し、砂浜の脇に広がる茂みの中にそそくさと消えていった。そう遠くない将来、彼らは既存の秩序を打ち壊し、新たな時代の黎明をもたらすことになる。あらゆる再生の前には破壊が不可欠なのだ。天より遣わされたこの使徒たちに対し、本作の語り手はささやかな声援を手向けることにした。

気まぐれヤギさん、どこへ行く。気ちがいヤギさん、野を荒らせ。

2017年6月1日公開

© 2017 藤城孝輔

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"気まぐれヤギさん"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2017-06-18 07:10

     テーマを真っ直ぐに使った作品に思えました。「風馬が冷蔵庫から干からびたニンジンを二本取り出して差し出すと二人は四つん這いで近づいてきてニンジンにしゃぶりついた。ノーメイクの母親には眉毛がなく、不平屋だった弟は嫌いなニンジンを前にしても文句一つ言わない。風馬は無邪気にニンジンを頬張る二人を抱き寄せ、背中をさすった。恍惚の涙が彼の頬を伝った。いつになく満ち足りた気持ちになれた。この弱く美しい生き物たちをずっと守っていこうと彼は心に決めた。」この文章が個人的に作品中で一番良かったです。ですが一度しか出ていない登場人物の名前が多いのと序盤からオチに近づくまでの文章の羅列が説明過多で読んでいて少ししんどかったです。一応書かれていますが、風馬が母親と弟にヤギを食べさせた理由もわかりづらかったです。
     全体的にはテーマの使い方が潔くてそこが最大の美点だったと思います。

  • 投稿者 | 2017-06-22 13:09

    前半における家畜化していく社会の描写が印象的である。人々がヤギさんに変わっていく様子が淡々と描写されているのが良い。明日近所の4分の1が、更に明後日には近所の3分の1が家畜になったとしても、こんな感じで淡々と受け入れられるかも知れない。ヤギさんになっても地域社会の緩やかな関係が続いているように読み取ったが、それをまず破壊するのは主人公。ヤギさんと人はやっぱり別なのだ。

    後半の家族描写は前半との繋がりが薄く思えたが、(ヤギ肉仮説を確かめたいのもあるのだろうが)家族との関係などに振り回されてきた主人公がこの機会に他人の運命を左右し、始めて人間関係に勝利した、と読めば何か繋がる気がする。最後の一文が素晴らしい。

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