Aの徴

応募作品

藤城孝輔

小説

3,999文字

合評会2017年04月(テーマ「酒と不倫」)への応募作です。3万円を目指して頑張ります。

明け方に帰宅したアレックは、浴槽に浸かったまま死んでいる母親を見つけた。湿気の充満した浴室の中で青白い裸身は眠るように湯の中に横たわっていた。結露したタイルがアレックの足の裏を濡らした。冷めた湯に両腕を突っ込んで抱き起こすと黒々とした陰毛が水中でゆらゆらと揺れた。

死亡を確認した検屍官の所見によれば、泥酔したまま入浴したせいで湯船の中で寝入って溺れ死んだのだろうとのことだった。お母さんが昨夜お風呂に入っている時に何か物音が聞こえなかったかい、という問いに対してアレックは曖昧に首を傾げた。母親の乳房の上に烙印された二つの赤いAを一瞥すると検屍官と警官たちは一様に顔をしかめた。徴を負う女に対する嫌悪と軽蔑を隠そうともしない表情だった。

Aの徴は品格ある女性とふしだらな女を区別するためのものである。不倫(adultery)、アルコール依存(alcoholism)、妊娠中絶(abortion)のいずれかを犯すと徴が与えられ、三種の罪業すべてを満たした女は排除される。アレックの母親の体に焼きつけられた二つのAは不倫とアル中の罪を表していた。

「あんたを身ごもった時にはもう徴を二個もらってたからね。堕ろしたくても堕ろせなかったの」

幼い頃からアレックは事あるごとに母親からそう言い聞かされてきた。酒をあおった母親の暴言を聞き流す習慣は身につけている。それでも息子を産んだことに対する呪詛と後悔の言葉を耳にするたびに彼は自分の混血の肌を意識せずにはいられなかった。そばかすの浮いた色素の薄い肌は、かつて母親が既婚者の米兵と姦通した罪を示す徴に他ならない。母親はアレックの生まれながらの徴から目を背けるように暴飲し、憎しみをぶつけるかのように彼の肌に赤黒いあざや火傷を作り続けた。

アレックは放課後と週末には市立図書館で本を読んで過ごした。出勤前の母親と鉢合わせしないようにするためだ。Aサインバーで働く母親は夕方に自宅を出て深夜まで帰ってこない。Aサインとは軍政府による公認(approval)の略称を指し、客の大半は米兵である。母親がアレックの父親となる男と出会ったのも同じAサインバーだった。出産後間もなく、その男は本国で待つ家族の元へ帰っていった。アレックは薄茶色に退色した写真の中でしか男の顔を知らない。赤ら顔で太い腕を母親の華奢な肩に回したその男は屈強な海兵隊の兵士だった。

図書館でアレックは男が家族と暮らす国について読み漁った。船に乗ってヨーロッパからたどり着いた白人たちは大陸を丸ごと自分たちの物だと宣言し、先住民を追い払って海岸沿いに清教徒の村を作った。村の清く正しい秩序を守るため、村人は自分たちの中に悪魔の手先が紛れ込まないように常に互いを監視していた。疑わしいと噂された人間は裁判所に密告され、拷問の末に縛り首になる。処刑された者の多くは身分の低い女性だ。実際に彼女たちが悪事を働いたかどうかはそれほど大きな問題ではなかった。村人たちにとって重要なのは善と悪の区別を常にはっきりさせておくことだった。

白人の先祖の偏見と暴力の歴史が父親の血を通して自分にも受け継がれているのではないか、とアレックは想像した。母が酔って手を上げるのは自分に父の残影を見ているからなのかもしれない。母だけに罪の徴を背負わせ、良心の咎めすら感じることなく本国で幸福に暮らす父の面影を――。アレックは日に日に父親に似ていく自分の体がたまらなく嫌だった。中学校に上がってからは特に歯止めが利かなくなった。突然身長がクラスの男子の中で抜きんでて高くなった。頬骨が突き出てきて、ひげは毎朝剃っても追いつかなくなった。手足だけでなく胸や腹にまで濃い栗色の剛毛がむくむくと生えてきた。海兵隊の制服さえ着れば、もう写真の男と見分けがつかないくらいだ。

いかついガイジンの体へと成長したアレックに対し、クラスメイトや教師は距離を置いて接するようになった。以前よりもさらに酒量が増した母親とは言葉を交わすことすらなくなった。見た目が白人であっても英語が話せるわけではないから兵士や軍属のあいだで仲間を作るわけにもいかない。杏奈と交際を始めるまで、アレックは本の世界の中だけで生きているようなものだった。

「それ何の本?」

「えっ? 小説。ホーソーンの『緋文字』」

不意の質問にページから顔を上げると杏奈の顔があった。図書館で彼に言葉をかけてきた人間は彼女が初めてだ。しどろもどろに彼が発した返事は見知らぬ他人の声のように感じられた。自分自身の声を聞くのは久しぶりだった。

杏奈は図書館員だったが、アレックは彼女と直接話をしたことはない。書棚を眺めている時にカートを押す彼女と何度かすれ違った程度だ。色白で繊細な作りの顔立ちを縁取る長い黒髪が印象に残っていた。

「君ってさ、いつも一人でいるよね。他の中高生とは違って大人っぽい雰囲気があって何か目立ってる。近寄りがたい感じっていうか」

静かに話す杏奈の声は聞く者の緊張を解きほぐすような心地よさがあった。寝る前にラジオで聞きたくなる声だとアレックは思った。

「別に好きで一人なわけじゃない。見た目こんなだし、友だち作るのが下手なだけ」

「ううん、堂々としててカッコいいと思う。私は学生の頃、常にみんなと一緒にいないと不安な臆病者だった」

アレックが家の事情を話すと、杏奈はたびたび彼を自宅に招くようになった。杏奈が作る料理はどれもアレックが食べたことのない手の込んだものばかりだった。彼はいつも旨い、旨いと言いながらすぐに完食した。商社に勤めているという杏奈の夫は海外出張が多く、食卓を囲むのは決まって杏奈とアレックの二人きりだった。

ある週末、杏奈は半日がかりでココヴァンを作ってくれた。鶏肉を野菜と一緒に赤ワインで時間をかけて煮込むフランスの家庭料理だ。鶏の脂がワインの中で溶ける甘い匂いが台所から漂ってきた頃、杏奈がエプロンのすそで手を拭きながら顔を出してアレックに訊いた。

「赤ワインがまだあるんだけど食べる時にグラスで出していい? 君も飲むよね」

「いや、でも未成年だし……」

「フランスでは家で食事する時に十代がお酒を飲むなんて普通のことよ。カエルみたいに水ばかり飲んだってくつろげないし、会話も弾まないでしょ?」

ワインを口に含むと独特の香りと共に渋みが喉の奥にまで広がった。ぶどうジュースとはまったく違った味だった。じっと彼を見つめる杏奈の瞳が食卓の上に置かれた蝋燭の光に照らされてちらちらと輝いて見えた。体が火照るのを感じ、アレックは顔を紅潮させた。

ほろ酔いだったとはいえ、杏奈の前で裸になるのは緊張した。夕食の後、皺一つない純白のシーツが敷かれたベッドに仰向けに寝かされて服を脱がされていくあいだ、アレックは杏奈の反応が怖かった。毛むくじゃらで古傷だらけの胸板や人並み外れた太さに勃起したペニスを見て杏奈は幻滅するだろうか。翌日には図書館員のおばさん連中のあいだで面白おかしく言いふらされてしまうのではないか。

彼の心配をよそに、彼女は血が熱くたぎるペニスを優しく手のひらに包んで青草の茂みの奥へと導いた。絹色の素肌が彼のごつごつした体の上を滑り、柔らかい肉厚の唇が傷跡に触れる。長い黒髪の先が頬を愛撫した瞬間、アレックは彼女の中で激しく何度も射精した。

アレックの母親が死んだのは彼が杏奈の家に通うようになって一年近く経った頃だった。アレックは高校一年生になっていた。軍警察から遺体が戻ってきた後、彼は葬儀屋を呼んで簡単な葬式を挙げた。母親の仕事仲間もバーの客たちもやって来なかった。杏奈にも一応知らせたが、彼女も結局現れなかった。

かさかさの骨になって火葬炉から出てきた母親の体からはAの徴は消えていた。母親の罪の記憶をこの世に留める徴は、もはや無数の傷跡が刻まれたアレックの混血の肉体だけだ。一人で暮らすには広すぎる部屋には残す価値のあるものは何一つない。母を失った悲しみを押しのけ、解放感がアレックの全身を風のように吹き抜けた。杏奈さえ隣にいてくれれば何だってできる気がした。

アレックは杏奈に電話をかけた。新たな決意を一刻も早く彼女に伝えたかった。

「高校を卒業したらアメリカに行くことにしたよ。父を見つけて母が死んだことを報告したいし、アメリカ本国でなら俺にも新しい人生を開くチャンスがある気がする。何なら学校辞めて今行ってもいい。杏奈にも来てほしい。向こうで一緒に暮らそう」

「アメリカ? 新しい人生? 何、寝ぼけたこと言ってんの?」

「……寝ぼけた?」

「君と寝るのは好きだけど、未来のことは話が別よ。金も地位もないガイジンもどきなんかと一緒になって未来があると思う? 主人の帰国が決まったから、もうそっちからは連絡をよこさないで」

電話を切った後も杏奈の声の残響が宿酔の頭痛のようにこめかみを締めあげた。酒浸りの母親も幼い自分の顔を見るたびに同じような頭痛に襲われたのだと彼は直感した。徴は過去の傷を忘れさせず、永劫に苦痛を与え続ける。

彼はいったん置いた受話器をもう一度手に取り、別の電話をかけた。

「もしもし、治安管理課をお願いします。XX商社社員のK氏の奥さんは不倫してます。亭主の留守をいいことに図書館で捕まえた高校生と一年間もヤリまくってるんです。相手はハーフのガキらしいんで、すぐ分かるはずです」

三十分もしないうちに軍警察が杏奈の家に駆けつけるだろう。杏奈は逮捕され、執拗で凌辱的な尋問の末に真実を告白する。すべすべした絹色の皮膚を焼きごてが焦がし、品格ある女性とふしだらな女を区別する徴が刻まれる。アレックの母親の胸元にあったものと同じ、軍公認の暴力によって烙印された赤いA。一生消えることのない罪の徴だ。

2017年4月1日公開

© 2017 藤城孝輔

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"Aの徴"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2017-04-23 16:08

    きっちりとテーマを組み込んだ上で、完璧な世界観を作り上げ、ひとつの独立した作品として申し分ない。素晴らしいです。
    これ以上何も言えません。敬服します。

  • 投稿者 | 2017-04-23 16:32

    Aの徴というファクターがある架空の世界が、物語として魅力的だと思いました。
    先走って最後はヒロインに裏切られアレックもヒロインを裏切るというラストまでは先が知りたくてどんどん読み進めてしまいました。とても面白かったですし完成度も高いと思います。藤城さんなら個人的に今回の作品の作風に似てると感じた村上龍や伊藤計劃のようになれるのではないかと思い嫉妬してしまいます。

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