ないしょだよ

紙上大兄皇子

小説

4,619文字

子供が生まれることが許されない町の住人「ぼく」が語る「かしきのこ」の秘密とは。破滅派きっての鬼才が送るダークファンタジー。

ないしょだよ。これは君が旅人だから話すんだ。身内だったら話すわけにはいかないよ。僕たちの町にとっては、ちょっとしたスキャンダルだからね。

どこかでこの話をするのはかまわない。どうせ他の町の人は信じないだろうしね。たとえ信じたとしたって、この話を誰かが信じたという噂が僕たちの町にまで届くことはないさ。笑って打ち消してしまえば、もうなかったことになってしまう。悪い噂なんて、そんなもんだろう? 寿命は短いんだ。君だってはじめはそうだったろう? 僕たちの町のことを信じなかったじゃないか。

でも、この町では口外しないでくれよ。ぼくの身が危ないんだ。くれぐれもいっちゃいけない。約束だよ? いいかい? それじゃあ、はじめるよ。

そうだな、余計な子が生まれるって噂が流れはじめた頃は、いつもと同じだった。そうさ、誰もがみな、君と同じような顔をしていたよ。信じなかった。どうせ、いつもみたいに噂だけで流産してしまうんだろうってね。

もっとも、それだって誰かが悪いわけじゃないよ。ありそうもないことっていうのは、いつだってそう受け止められるだろう? 誰だって、起きてはじめて気づくのさ。僕たちは聖者じゃないからね。予言することなんてできないよ。

母親の名前はかしきといったんだ。変な名前だろう? そうさ、彼女の名前は卑しいものだった。そういう血に生まれついたんだ。彼女の家計図をどんなに辿ったって――もっとも、そんなものは存在しなかったと思うけれど――、褒められたような人は一人もいなかった。見下された血だったんだよ。母親は飴売りだったし、三代前は金貸しだった。その前の代もろくなもんじゃない。ただ日々を生きるだけでも恥をそそがなくっちゃならないような、かわいそうな血の系譜だったんだ。

そう? 君の町じゃそうでもないのかい? まあ、それぞれ特色はあるからね。なんたって、僕らの町だ。飴売りが貶まれるのが当然の町だよ。

ともかく、そんな彼女がはらんだとき、僕たちの町では秘かなざわめきが起こったのさ。おおっぴらにするわけにはいかなかったからね。どうして? そんなの当然じゃないか。語られることはそれだけでも価値があるからね。町の人たちは口をつぐんだまま、軽蔑の氷を胸に抱えていたんだよ。君は彼らを責めるかい? でも、それだってまだいい方なんだよ。普通だったら、凍りついた心が愛してくれと叫びだすからね。

かしきは、男の名前を言わなかったよ。それが利巧だとは誰も思っていなかったさ。言わないことで自分を高めようとしていると、誰もが軽蔑した。それが当たっていたかどうか、僕たちには確かめる術がないね。悪い噂っていうのは、そういうものじゃないかい? たとえ相手がやんごとない人だったかったからといって、大して変わることはないと思うよ。

かしきはやかましく主張しはじめるお腹を抱えて、必至に編み棒をたぐったよ。でも、ブティックでみんなは尋ねるようになったんだ。「この服はあの女が紡いだものじゃないだろうね?」って。もちろん、店主たちはそろって顔を青黒くして、かしきの服を火にくべはじめた。服が売れることを悪だと思うような変り種は、この町にほとんどいなかったのさ。彼女の服を置くような店主はよっぽどのお人好しか、うつけ者のどっちかだったよ。まあ、そのどっちも大して変わらないけどね。君のところでは違うのかい? へえ、聖者! お人好しがそんなにありがたがられるなんて、ずいぶん退屈な町だね。

ともかく、かしきが臨月を迎えたとき、町は意地悪いざわめきに包まれたんだ。君の町でだって、そういうことはあるだろう? 他人の不幸を喜ぶような風潮は? ぼくたちの町だって同じさ。みんな、期待したよ。かしきが産みの苦しみにあえぐことをね。喜んでいたのは、町でいちばん格の低い産婆さんだけだったね。

 

忌み小屋が何度か揺れた後を、かしきのこは産声を上げたんだ。その声が町の一角を切り裂くと、みんな悲鳴を上げたよ。へえ、君の町じゃそれはいいことなのかい? わからないものだね。でも、ぼくたちの町じゃ、その声は悪魔の悲鳴みたいに聞こえたんだよ。誰も彼も怯んでしまった。雨戸という雨戸が閉められて、金持ちの中にはシェルターにこもる輩だっていたぐらいさ。もちろん、誰もそれを臆病だとは評さなかったよ。あれはほんとうに、恐ろしい声だったからね。

噂が徐々に広まり始めて、かしきのこがやはり危険とわかってくると、彼女の服は売れるようになった。仕方のないことさ。みんな、怖かったんだよ。その子供を見てしまったら、心が潰されてしまうかもしれなかったからね。彼女の服が売れていて、多少の収入さえあれば、貴族みたいにずっと家にこもっていてくれる。そんな祈りにも似た思いが、町の通りという通りをおおっぴらに歩いていたんだ。調子に乗るだろうとは思ったけれど、恐ろしい子供を見るよりはいくらかましだったからね。老人は迷信だとバカにされつづけた風習が功を奏したって、得意げに鼻を鳴らしていたよ。おかげで、あの頃は服屋の財布がパンパンに膨らんだのさ。服屋が子供のことを「さん」づけで呼ぶようになったのは、その頃からだよ。

そうだな、あれは月が途切れるぐらい細くなった夜だった。それまでは誰もかしきのこを見たことがなかったんだ。きっと、貴族みたいに部屋の中にいてくれるだろうって、自分を騙していたんだよ。それがついに、散歩をはじめたんだ。近所の人間には、話しかけるバカもいたんだ。

はじめの犠牲者は……そうだな、どうということのない男だったんだけれど、かしきのこの犠牲者だって考えれば、一言二言いってやってもいいね。なに、退屈な靴磨きさ。子供がいたっていうから、どっちみち碌な生き物じゃないよ。

そいつがどうやって死んだかって? なんだ、君はそんなこともわからないの? まったく、平和なところに住んでいるんだね。かしきのこはね、心をとろかすように笑うのさ。そうなっちゃ、どうしようもないだろう? 笑われちゃあね。靴磨きは、可愛いと思っちまったのさ。へらへらと笑いながら、かしきのこに近づいていって、そのふっくらした頬を撫でたんだ。もうイチコロだよ。靴磨きは家に帰って、そのままくびれたよ。そうそう、なんていうんだい、あの写真。ほら、写真だよ。死んだ奴の写真。ああ、遺影。靴磨きは自分の子の遺影を抱いたまま縊れたんだ。二日も天井ぶら下がったまま、その遺影を放さなかったそうだよ。

犠牲者はどんどん増えていったんだ。たった数日で、三十五人がこの町で生きていけなくなった。ほんとうに恐ろしいことだよ。愛らしいと思うなんて、生きて行くためには必要ないからね。そんなものがあったら、生きるのが辛くなるばかりだよ。

もちろん、ぼくたちだって自分の身を守らなきゃならないからね。それは手を打とうとするよ。ただね、まずいことに、かしきのこを殺すためには、もう愛し始めてしまっていたんだ。やればいいことはただ一つだった。でも、誰もそれを口に出せない。

これはとてもまずい状況だったよ。早いところ結論を出さなくちゃ。お偉いさんたちは誰かがいってくれるのを待っていた。かしきのこを殺そうってね。

結局、それをいい出したのはかしきが働いているブティックの店長だった。誰も直接はいいだせないから、代わりにいってもらうことにしたんだよ。追いつめられた店長は、乾いた肌を何度もひっかいたよ。とても神経質そうにね。彼、きっと、かしきのこを愛し始めていたんだろうね。嫌な役回りだったと思うよ。その日から、かしきは店に納品することをやめて閉じこもりっきりになったのさ。

とにかく、結論だけは出たわけだ。古いいきものの記憶が甦るより前に、あの子を殺してしまおうってね。ぼく? もちろん賛成したよ。ぼくは合理主義者だからね。かしきのこなんかがいたんじゃ、生き辛くってしょうがない。とっとと殺してしまって、忘れた方がいいに決まってるよ。

そうそう、ぼくはね、討伐隊に加わったんだよ。ちょっと大袈裟な言い回しだけど、気分としてはぴったりくる。この町にとって、かしきのこはそれぐらい恐ろしい存在だったんだよ。隊長は警察を勤め上げた勇猛な人だったよ。髭ひげに白髪が混じっていてね、この世には何一つ興味がないような眼つきをしていた。この人なら、なんのためらいもなく仕事を終えそうな感じだった。

討伐隊の足音が近づいたのを聞きつけたのか、かしきは編み棒を握ったまま、外に飛び出してきた。そうとう怯えていたよ。かたかたと震えて、今にも泣き出しそうだった。逃げるかと思ったけど、やっぱり子供が可愛かったんだろうね。ぺたりと地べたに伏せて、哀れっぽくいったんだ。お願いします、あの子だけは助けてくださいってね。隊長は大きな声で、ダメだと叫んだよ。あんなに無慈悲な声は聞いたことがなかったなあ。空気がパリッと冷たくなって、喉が絞られるような声だったよ。

かしきは隊長の膝にすがりついて、何かを泣き喚いた。討伐隊のみんなは、その声音を聞いて安心したんだ。これで無事仕事を終えられるってね。

ほら、母親の泣き声ってのは、子供を愛らしく見せるじゃないか。隊の中で一番下っ端の奴がかしきを取り押さえてね、猿ぐつわをさせた。ぼくたちはその間に家に踏み込んだんだ。

家の中は実にしみったれていたよ。いかにも貧しい親子が必死に生きてきましたという感じのね。ぼくは嫌気が指した。その惨めったらしさが腹立たしくてね。そうならないように、子供を持つなと、この町の掟が伝えているんだ。

そんな苛立ちから、手柄を取ってやろうとかしきのこが眠っているだろう籠に向けて走ったんだ。

ところがね、そこにはすでに隊長が銃を持って立っていたんだ。これは無理だと思ったよ。もうほんの数秒で隊長はかしきのこを撃ち殺すだろう。所詮ぼくは下っ端だったってことさ。ぼくは支給された銃をホルスターにしまって、後片付けのビニールシートを取りに戻ったんだ。

玄関で取り押さえられたかしきが飽きることなく泣き続けているのを横目に、ぼくはやっつけ仕事のための準備を始めた。

ところがだよ、戻ってみると、かしきのこはまだニコニコ笑ってるじゃないか。不思議に思っていると、隊長まで笑っている。しかも、とても悲しそうに。それを見たとたん、ぼくはしめたと思ったよ。隊長はもうあの子を殺せない。だったら、手柄はぼくのものだ。ぼくは銃を手に駆け寄って、かしきのこめがけて引き金を引いた。

何発だったかな、とにかくぼくが撃った弾は一つも当たらなかった。理由はすぐにわかったよ。ぼくにもこの子を殺すことができないってね。どうにも可愛らしすぎる。

その後何人かが挑んだけれど、誰も殺せなかった。あの子はニコニコと笑いながら、甘えてくるんだ。大きすぎる舌をぺろりと出して、何かをいおうとしている。その待ち遠しさが、躊躇ためらわせるんだ。

かしきは部屋に駆け込んでくると、子供を抱いて泣き喚いたよ。討伐隊はその光景を見ながら、自分の感情に戸惑って微笑ほほえんでいた。ぼくを含めてね。まったく、仕事が失敗したっていうのに。

 

おや、なんで笑っているんだい? これはけっこう大事なんだ。一応、殺したと報告しているからね。ぼくたちの町じゃ、けっこうなスキャンダルなんだ。子供を産むのが禁じられている町だからね。ばれちゃ困る。この町では言わないでくれよ。ないしょだよ。

2015年8月13日公開

© 2015 紙上大兄皇子

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